休憩室の端っこ

seitennosei

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22時半。
人通りが少ない駐車場には、店舗正面に面した幹線道路から車の走行音だけが響いてくる。
「ちょっとだけ遠回りしても良い?それでも20分くらいで帰れるとは思うけど…。」
「うん。」
快諾してもらえたので賑やかな幹線道路を避け、裏の静かな道へ向かう。
「あ、明日早くない?大丈夫?」
「学校休みだし、明日は夕方のシフトだけだからユニフォームさえ乾けば大丈夫。」
「そっかそっか、大学生はまだ夏休みか…。」
「うん。」
明日の予定に余裕があると知り、一安心する。
海くんが私に歩調を合わせてくれるのをいいことに、できるだけ長く一緒にいられるように、足をゆっくり前に出す。
「心理学って、どんなこと勉強してるの?」
「…。うーん…。」
まっすぐ前を向いたまま、顎に手を宛て考え込む横顔。
「ごめん、ごめん。質問が大雑把すぎるよね。講義中に面白かった先生の話とかあるかな?って。」
「ああ、先生の話なら…あ!そうだ!」
海くんは珍しく大きな声を出すと立ち止まり、こちらを見てニコニコと笑いだした。
「思い出した!この前の講義の話で、これは一花さんのことだって思ったことがあったんだよ。」
「へ?」
突然自分の名前が出てきて素っ頓狂な声が出てしまった。
「一花さん、『チャンキング』って言葉知ってる?」
「『チャンキング』?」
普段見ないくらいテンションの高い海くんが活き活きと話をしていて、釣られて私も顔が綻ぶ。
「『チャンク』って言うのが塊って意味なんだけど…。えーと…、例えばね。一花さんは『猫』好き?」
「猫?好きだよ!猫カフェとか良く行くし。」
「そうなんだ?俺もたまに行くよ!…じゃなくて。えっと…、『猫』が好きってことは『動物全般』が好きだったりする?」
こんなに能動的に会話をしている海くんははじめてだ。
今後の展開がわからないことで先も気になる。
「動物か…。殆どの動物は好きなんだけど、犬は子供の頃追いかけられてから苦手なんだ。」
「そうなんだ。じゃあ『猫』の中で特に好きな種類っている?『アメショ』とか『マンチカン』とか…。」
段々と会話に引き込まれ、真剣に猫のことを考える。
「うーん、猫は何でも可愛いけど、一番好きなのはゴールデンブリショーかな?」
「うんうん。じゃあ、『ゴールデンブリショー』のどんな所が好き?あ…、一花さん車来た。」
歩道と車道の境がない細い路地で、背後から車のライトに照らされ、自分達がいつの間にか足を止めて話し込んでいることに気付く。
二人揃って端に寄り車に道を譲った後、目配せをしてまたゆっくりと歩き出す。
「で、何だっけ?…えっと、ゴールデンブリショーの話だっけ?ゴールデンブリショーはね、まん丸の目が綺麗なグリーンなの。それでフォルムは丸くて可愛いのに、毛並みとか目の色とかに美しさもあって。そのどっちも兼ね備えた感じが好きなの。」
「そっか。…っていう、ここまでが『チャンキング』を使った会話。」
会話が唐突に終了され、チャンキングとやらの話をしていたことが強制的に思い出される。
「今のがチャンキングなんだ…。なんか普通に楽しく喋ってただけだったけど…。」
「そうなんだよ。『チャンキング』を上手く使うと俺みたいな口下手でも会話が弾むんだ。」
海くんは身振りも混じえ説明し出した。
「まず、『猫』っていうのを1つの塊、1つのチャンクとして、『動物全般』に話を進めるのがチャンクアップで、『ゴールデンブリショー』に的を絞るのがチャンクダウン。」
海くんの説明を受け、認識を擦り合わせる為に自分の言葉で確認する。
「んー、広義にするのがチャンクアップで、具体的にするのがチャンクダウンみたいな感じ?」
「そうそう。これがチャンキング。」
指揮者のようにヒラヒラと腕を舞わせ、空中に図を描いていく。
何時までもここにいて、海くんの話を聞いていたいと思う程、会話の往復が楽しい。
「でね、このチャンキングをさ、一花さんはいつも自然に使って人と会話してるんだよ。自覚ないのかもしれないけど。講義でこの話聞いた時に一花さんじゃん!って思ったんだ。」
少し先を歩く海くんが満面の笑みで振り返る。
ドキッと胸が鳴る。
「いつも休憩室でボーッとしてると一花さんの話し声がよく聞こえてきてさ、話してる相手が高校生でもパートさんでも凄い楽しそうに話してて、ホントに凄いなって思ってたんだよ。」
よく見てくれていて、尚且つ講義中に思い出してくれたなんて、私を特別気にかけてくれているではないかと錯覚しそうになる。
薄暗い空間に海くんの白い手がスっと伸びていて綺麗だ。
私も手を伸ばして唐突に触れてしまいたい。
もしかしたら受け入れてくれたりしないだろうか。
「さっきも『どんな勉強してるの?』って質問に俺が答え難そうにしてたら『講義で聞いた面白い話』に的を絞って答えやすくしてくれたし。誰に習わなくてもこういうの身に付けていて尊敬するよ。」
街灯の光を反射して瞳がキラキラと輝いている。
勘違いじゃないかもしれない。
海くんの態度や目が、声色が私を特別に思ってくれているのではないかと思わせてくる。
それでも少し落ち着こう。
以前から海くんが定期的に褒めてくれるイベントは発生していた。
そしてその度に例外なく唐突に突き放されてきた。
私だって学習しているのだ。
「もう!そうやって褒めるだけ褒めといて、今回も『別にいつも気にして見てるわけじゃないから!』とか言うんでしょ?」
「えー。俺そんなこと言うっけ?」
海くんは不機嫌そうに眉を寄せる。
「言うよー!いつも褒めて気分よくさせといて急に否定するの。」
今日の感じで益々距離が縮まった気がする。
ちょっとだけ踏み込んで仕掛けてみようか。
「でもいつもわざわざ突き放すこと言うなんてさ…、逆に私のこと好きなんだったりしてー?」
もう言い終わる前に後悔しはじめる。
海くんの眉間のシワがスっと伸び、完全に無の顔になていた。
あ、私間違えた。
「なーんて!冗談冗談!海くん、冗談だから!」
無理やりな軌道修正も虚しく空振り、史上最悪の空気になる。
海くんは真っ直ぐ前を見て普通の速さで歩き出した。
私は置いていかれないように後を追う。
「俺は誰も好きじゃないから。」
それだけ言って、海くんは自分からは会話してくれなくなった。
私もいつもなら無意識に出来ていたはずの、会話術が全く使えなくなり、道中ギクシャクと気まづい家路になった。
それでも、海くんは「遅いから。」と言って私を家まで送ってくれた。
その優しさに私だけどんどん好きにならされていく。
時間を戻して自分の軽口を無かったことにしたいという思いと同時に、なぜそこまで海くんが人と距離をとるのかが疑問として残った。
 
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