休憩室の端っこ

seitennosei

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昨日の21半頃。
夜勤のスタッフに引き継ぎをしながらカウンターを見ていると、入口から二人連れのお客様が入ってきた。
一人は長身でスーツを着こなした若い男性で、もう一人は茶髪でスーツを気崩している若い男性。
「いらっしゃいませ。」
頭を下げた後、笑顔でお客様を見る。
「一花?」
心臓が止まるかと思った。
「…尊先輩…。」
もう二度と会うことはないと思っていた顔が今目の前にある。
相変わらず端正な顔立ちで、短めに整えた黒髪がとても似合っている。
年齢的にはまだ学生だったはずだが、スーツが板に付いていて違和感が全くない。
私の好きだった口の横のホクロも健在で、久しぶりに目を奪われる。
「なに?知り合い?」
横にいた茶髪の男性が尊先輩に訊ねる。
「ああ、はい。元カノです。」
「マジ?運命の再会的なやつ?」
涼しい顔であっさりと答える尊先輩とは対照的に、茶髪の男性は興奮気味に騒いだ。
「なになに?いつの彼女なの?いつぶりなの?何で別れたの?」
一片のデリカシーもなく、当事者を目の前に質問攻めをする。
初対面でもこの人が絶対にモテないことがわかる。
「こんな所でそこまで質問します?竹内さんにだって触れられたくない元カノの一人や二人いますよね?」
尊先輩は笑って竹内さんとやらを諌める。
含みのある言い方に一瞬腹が立つ。
触れられたくないって。
「こっちのセリフだわ。」と言いたいが、一方的に全て拒否して逃げた後ろめたさから強い態度もとれない。
「えー?オープンなお前が言いたがらないってどんな終わり方したんだよ?よっぽど酷いことしたんか?可哀想に。」
竹内と言う人が私を哀れんだ目で見る。
彼の中で尊先輩の方が振られたという選択肢はないらしい。
まあ、尊先輩と私のスペックを思えば、それも当たり前だし傷付きもしないが。
「いやいや、可哀想なのは俺ですよ。上手くいってると思っていたのに、いきなり着拒して音信不通だったんですから。」
「ええー?!」
大袈裟に驚いた素振りで再度私を値踏みする竹内と、嫌味っぽい目つきで笑う尊先輩に殺意を覚える。
注文しないのならば帰ってくれないだろうか。
仕事中でなければ無視をして私が帰っているところだ。
「俺、あんま引き摺らないタイプなんですけど、こいつだけはちょっと引き摺りましたよ。結構本気で付き合っていたのに、急に拒絶されて。」
よく言う。
私以外にも彼女いた奴の発言とは思えない。
都合よく抱ける女の一人としか思ってなかったくせに。
「へー。山田さんね…。」
左胸のネームプレートと私の顔を交互に見て竹内が言う。
「真面目そうなのにね…。コイツ振り回すなんて、山田さんは意外とやり手だね~。」
最後に拒絶した以外、振り回されてたのは基本的にこっちなんですけどね。
「いえいえ、滅相も無いです。私なんてタケル先輩の華やかな歴代彼女さん達の中で底辺ですから。」
ひらひらと顔の前で手を振りながら自分を卑下する。
なんて惨めなんだ。
人前でわざと嫌味を言う尊先輩も、初対面でデリカシーなく突っ込んでくる竹内も、心にもなくヘラヘラしている自分も、全部全部嫌いだ。
いつまでこの不愉快な会話に付き合わされなければならないのか。
兎に角強引に話題を変えよう。
「昔の話は置いといて、ご注文はどうしますか?」
「あ、そうね。とりあえずコーヒー2つで。」
竹内は500円玉をトレーに1枚乗せ、尊先輩に向かい「奢っちゃる。」と笑った。
「ありがとうございます。じゃあ、俺が持ってくんで、好きな席座ってて下さい。」
自然な形で竹内を追い払う尊先輩。
きっと二人きりになったら何か言われる。
竹内がこの場から去ったのは喜ばしいが、尊先輩と二人になるのも相当キツい。
デキャンタからカップにコーヒーを注いでいると刺さるような視線を感じる。
「一花。」
付き合いたての時のような甘い声で私を呼ぶ。
これは罠だ。
「はい。」
バリバリの作り笑顔で振り向いて迎え撃つ。
「元気だったか?」
「はい。お陰様で。」
大丈夫だ。
普通に接客中の雑談と同じように出来ているはず。
そう油断した時。
「綺麗になったな。」
「はい?」
予想だにしない言葉に思わず声が上擦る。
カップの線よりだいぶ多くコーヒーを注いでしまった。
「今日何時に終わるの?」
「…。」
コーヒーを入れた2つのカップにプラの蓋を無言で嵌める。
「なあ、一花?少し話したいからさ。」
「…。」
目を合わせず下を向いたままトレーに素早く2つのコーヒーを乗せると、その手を尊先輩が掴む。
「!?」
驚きで声も出ない。
危うくコーヒーの入ったカップを倒しかけた。
「10時までとかだろ?裏口で待ってるから。」
身を前に屈め私の耳元で囁く。
硬直する私の手を優しく剥がし、トレーを持つと客席に向かう階段へ歩き出す。
そして数歩進んだ後で振り返り、冷たい目を向けて言った。
「今日は逃げんなよ。」

重い鉛のような声だった。
蛇に睨まれた蛙の様に動けない。
久しぶりに見た尊先輩は、大人びていて知らない人のようだった。
だけど最後に言った「逃げるなよ。」だけは、3年前に私を威圧する時していた目つきそのままだった。
私は震える両手を抱え込むように蹲り、深くため息を吐いた。
吐く息まで震えている。
待ってるって。
今更何の用だろう。
きっと怒ってるんだ。
3年前に自分の所有物が許可なく離れたことが彼のプライドを傷つけたのだ。
本当に私を引き摺っていたり、真剣に付き合っていたと言うならば、共通の知り合いにお願いするなり、直接私の家に会いに来るなりすれば良かったこと。
自分が彼女に切られたことを周囲に知られるのを恐れ、私に直接拒絶の意志を取られることから逃げたくせに。
先にケジメを着けずに逃げた私が言えたものではないが、尊先輩だって私と向き合うことから逃げていたではないか。
なぜ私が一方的に怒られなくてはならないのか。
なんだか本気でイライラしてきた。
尊先輩に嫌われたくなかったあの頃と違い、今の私なら自分の気持ちをはっきりと言えるだろうか。
退勤後、本当に尊先輩が待っていたら話してみよう。
そう決めてタイムカードを切った。
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