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木曜日のスイッチ。
先生の部屋。
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汚い畳の部屋。
夥しい油絵に囲まれ抱き合っていた。
今、俺の胸に細谷咲が居るんだ。
そう思うと感涙してしまいそうだ。
「先生があそこでも講師してたなんて知らなかったです…。」
胸の中で頬擦りをして甘えていた彼女がまた可愛らしい顔を俺に向けてきた。
大きく潤ませた瞳での上目遣い。
今すぐに全てを俺のものにしたい衝動を堪えて答える。
「細谷さんが働いているビルと『入学式』を展示していたところ以外にもあともう一つ。全部で3ヶ所のスクールで講師をしています。だから『木曜日』の絵を3っつ用意してそれぞれに展示してもらったんです。少しでも多くの場所に展示して細谷さんの目に留まる可能性を広げたくて…。」
「そうだったんですか…。」
今度は俺の鎖骨の辺りに顔を寄せ落ち着きだした。
彼女の呼吸に合わせ首の辺りを撫でていく吐息が擽ったくて少し笑ってしまう。
「はは。…最初は一枚だけだったんです。それを卒業式の後学校で見てもらうつもりでいたんですけど。細谷さん来られなかったので…慌てて2枚描き足したんです。」
「へー…。」
何処か含みのある相槌。
次の瞬間、ガバッと顔を上げ細谷咲は得意げに言う。
「何となくだけど…私、分かります!」
「何がですか?」
「描いた順番とか、その時の先生の心情とか?」
そして俺の背中に回している手の力を強めると「ヒヒッ」っと悪戯っぽく笑い出す。
その余りの愛しさに俺の顔は緩み切ってしまった。
彼女は楽しそうに語り出す。
「多分…最初に描いたのは上履きの絵でしょう?きっと夢中でただ私に伝えたくて描いたんじゃないですか?」
「え?はい。そうです。その通りです。」
「ふふ。で、次に描いたのが渡り廊下から見てる絵ですよね?卒業式に私に一枚目を見せられなくて…。きっと慌ててもっと描かなきゃってなって。焦りとか残念さとか、そういう落ち込んだ気持ちからプール棟に行けなかった頃の木曜日を思い出して描いたんですね。」
「…。」
寸分違わぬ理解。
俺は言葉を失うも、細谷咲は構わず語り続ける。
「そして最後に描いたのが扉の絵ですね。きっと2枚目を描いている内に段々と心が整理されてきてスッキリした気持ちで描いたんです。この頃は私に絵を見せる事が楽しみになってきてたんじゃないですか?必ず私の目に入るなんて保証もないのに。ワクワクとその時を待つ感じが扉を見つめて私を待っていた時と重なったのかなって。どうですか?」
「いや…はは、あはは。」
笑うしかない。
正にその通りだったから。
「先生?」
「凄い。ホント凄い。」
細谷咲なら分かるだろうと思って描いた。
それに何の根拠もなく絶対にまた会えるって信じてもいた。
だけどここまで完全に言い当てられると畏敬の念に近い恐怖すら覚える。
こんなにも自分の内側に入り込まれたのは初めてだ。
何だか丸裸にされている気持ちになってきた。
「やはり細谷さんには分かってしまうんですね…。伝えたくて描いたんですけど…こうも全てバレてしまうのは流石に恥ずかしいですね。」
「私も…。先生がどう思っているのかずっと知りたかった筈なのに…。今凄く恥ずかしいです。」
そう頬を染める姿が可愛くて。
力を強めて抱きしめる。
応えるように縋り付いてくる手にまた胸が苦しくなった。
愛しいと感じても、それを超える愛しいがまたすぐ後から押し寄せてきて。
どうにかなってしまいそうだ。
「本当に良いのでしょうか?」
「え?」
「…僕はきっと細谷さんが思う様な人間じゃないですよ?」
「…何…言ってるんですか?こんなに理解している人間に向かって…。」
「そうなんですけど…、そういうんじゃなくて。」
「…先生?」
良いのだろうかと問い掛けつつも離す気なんて更々なくて。
俺は一層強く細谷咲の身体を包み込む。
「大人でしっかりとしていて…そういう自分を心掛けて、そう見せていましたけど…。本当はそういう人間ではないので…。」
「先生…。何言ってるんですか?」
「いや…」
「先生は私がそういう表面的な所だけを見て先生を好きになったと思ってるんですか?」
こちらを睨む目と尖らせた唇。
全力で不満を表しているのにやっぱり可愛い。
怒らせてしまったというのに、また胸がギュッとしてしまう。
「先生。私から見た先生は凄く優しい人です。だけど臆病で…。頭でっかちでゴチャゴチャ考えて。それにちょっと意地悪な時もあるし…。」
「え…」
「あと、芸術家なだけあって変人ぽいところもありますし…。」
「え…」
心が抉られた。
言われてみれば細谷咲の前では随分と情けない所を見せていた。
とはいえここまで頼りない印象を持たれていたとは…。
自業自得ではあるが居た堪れない。
「先生。私、先生のそういうところも含めて好きなんですけど。」
「細谷さん…」
「むしろもっと見たいです。優しいだけじゃない先生も意地悪な先生も…。」
「え…それは…」
返答に詰まった。
意地悪な俺って…。
ムクっと邪な考えが持ち上がるのを慌てて打ち消す。
危ない。
細谷咲の愛らしさを目の前にするとつい都合の良い解釈をしてしまいそうになる。
だけどそれはあながち間違った思考では無かったようで。
彼女は固まった俺に対し伝わるように言葉を変えた。
「先生の部屋に行きたいです…。」
夥しい油絵に囲まれ抱き合っていた。
今、俺の胸に細谷咲が居るんだ。
そう思うと感涙してしまいそうだ。
「先生があそこでも講師してたなんて知らなかったです…。」
胸の中で頬擦りをして甘えていた彼女がまた可愛らしい顔を俺に向けてきた。
大きく潤ませた瞳での上目遣い。
今すぐに全てを俺のものにしたい衝動を堪えて答える。
「細谷さんが働いているビルと『入学式』を展示していたところ以外にもあともう一つ。全部で3ヶ所のスクールで講師をしています。だから『木曜日』の絵を3っつ用意してそれぞれに展示してもらったんです。少しでも多くの場所に展示して細谷さんの目に留まる可能性を広げたくて…。」
「そうだったんですか…。」
今度は俺の鎖骨の辺りに顔を寄せ落ち着きだした。
彼女の呼吸に合わせ首の辺りを撫でていく吐息が擽ったくて少し笑ってしまう。
「はは。…最初は一枚だけだったんです。それを卒業式の後学校で見てもらうつもりでいたんですけど。細谷さん来られなかったので…慌てて2枚描き足したんです。」
「へー…。」
何処か含みのある相槌。
次の瞬間、ガバッと顔を上げ細谷咲は得意げに言う。
「何となくだけど…私、分かります!」
「何がですか?」
「描いた順番とか、その時の先生の心情とか?」
そして俺の背中に回している手の力を強めると「ヒヒッ」っと悪戯っぽく笑い出す。
その余りの愛しさに俺の顔は緩み切ってしまった。
彼女は楽しそうに語り出す。
「多分…最初に描いたのは上履きの絵でしょう?きっと夢中でただ私に伝えたくて描いたんじゃないですか?」
「え?はい。そうです。その通りです。」
「ふふ。で、次に描いたのが渡り廊下から見てる絵ですよね?卒業式に私に一枚目を見せられなくて…。きっと慌ててもっと描かなきゃってなって。焦りとか残念さとか、そういう落ち込んだ気持ちからプール棟に行けなかった頃の木曜日を思い出して描いたんですね。」
「…。」
寸分違わぬ理解。
俺は言葉を失うも、細谷咲は構わず語り続ける。
「そして最後に描いたのが扉の絵ですね。きっと2枚目を描いている内に段々と心が整理されてきてスッキリした気持ちで描いたんです。この頃は私に絵を見せる事が楽しみになってきてたんじゃないですか?必ず私の目に入るなんて保証もないのに。ワクワクとその時を待つ感じが扉を見つめて私を待っていた時と重なったのかなって。どうですか?」
「いや…はは、あはは。」
笑うしかない。
正にその通りだったから。
「先生?」
「凄い。ホント凄い。」
細谷咲なら分かるだろうと思って描いた。
それに何の根拠もなく絶対にまた会えるって信じてもいた。
だけどここまで完全に言い当てられると畏敬の念に近い恐怖すら覚える。
こんなにも自分の内側に入り込まれたのは初めてだ。
何だか丸裸にされている気持ちになってきた。
「やはり細谷さんには分かってしまうんですね…。伝えたくて描いたんですけど…こうも全てバレてしまうのは流石に恥ずかしいですね。」
「私も…。先生がどう思っているのかずっと知りたかった筈なのに…。今凄く恥ずかしいです。」
そう頬を染める姿が可愛くて。
力を強めて抱きしめる。
応えるように縋り付いてくる手にまた胸が苦しくなった。
愛しいと感じても、それを超える愛しいがまたすぐ後から押し寄せてきて。
どうにかなってしまいそうだ。
「本当に良いのでしょうか?」
「え?」
「…僕はきっと細谷さんが思う様な人間じゃないですよ?」
「…何…言ってるんですか?こんなに理解している人間に向かって…。」
「そうなんですけど…、そういうんじゃなくて。」
「…先生?」
良いのだろうかと問い掛けつつも離す気なんて更々なくて。
俺は一層強く細谷咲の身体を包み込む。
「大人でしっかりとしていて…そういう自分を心掛けて、そう見せていましたけど…。本当はそういう人間ではないので…。」
「先生…。何言ってるんですか?」
「いや…」
「先生は私がそういう表面的な所だけを見て先生を好きになったと思ってるんですか?」
こちらを睨む目と尖らせた唇。
全力で不満を表しているのにやっぱり可愛い。
怒らせてしまったというのに、また胸がギュッとしてしまう。
「先生。私から見た先生は凄く優しい人です。だけど臆病で…。頭でっかちでゴチャゴチャ考えて。それにちょっと意地悪な時もあるし…。」
「え…」
「あと、芸術家なだけあって変人ぽいところもありますし…。」
「え…」
心が抉られた。
言われてみれば細谷咲の前では随分と情けない所を見せていた。
とはいえここまで頼りない印象を持たれていたとは…。
自業自得ではあるが居た堪れない。
「先生。私、先生のそういうところも含めて好きなんですけど。」
「細谷さん…」
「むしろもっと見たいです。優しいだけじゃない先生も意地悪な先生も…。」
「え…それは…」
返答に詰まった。
意地悪な俺って…。
ムクっと邪な考えが持ち上がるのを慌てて打ち消す。
危ない。
細谷咲の愛らしさを目の前にするとつい都合の良い解釈をしてしまいそうになる。
だけどそれはあながち間違った思考では無かったようで。
彼女は固まった俺に対し伝わるように言葉を変えた。
「先生の部屋に行きたいです…。」
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