木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

鍵を棄てた。

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自分の荒い息遣いだけが篭って体内に響いている。
廊下を闇雲に走り一人になれる場所を探していた。
どれだけ思考を研ぎ澄まそうと努力しても、胸も頭も喉も耳も全て閉塞感があって。 
パタパタと廊下を蹴る自分の足音すら酷く遠くの事みたいに届いた。
足の裏と地面がぶつかる時の衝撃だけダイレクトに伝わってきて、五感がバグを起こしたみたいに全部がちぐはぐだ。
山崎先生と森本先生。
2人が仲良さそうに向かい合うのを見ているとどうにかなってしまいそうで。
怖くなった私は走り出した。
屋上に続く階段。
立ち入り禁止と書かれた板がぶら下がっているロープを跨いで登って行く。
扉はしっかりと施錠されていて屋上には出られないので仕方なくその前のスペースにしゃがみ込んだ。
長いこと走っていたので息が整わない。
胸を押えてなるべくゆっくりと深い呼吸を繰り返す。
どうして私はこんなにショックを受けているのだろう。
山崎先生の事は好きだけれど、今すぐ私の気持ちを知って欲しいとか付き合って欲しいとか言う気はなくて。
だからきっと、まだ全然引き返せるところにいるって思っていたのに。
いや、違う。
そう言い聞かせながらも、先生が私の首に吸い付き痕を残した時から何処か期待してしまっていた。
私にとって特別な山崎先生。
先生の方も私を特別に思ってくれていると。
やっぱり全ては都合の良い勘違いだったのかな?
ぐったりとして階段に座り込む。
手すりに身をもたれ項垂れていると階下から声が響いてきた。
「咲?」
顔を上げ声のする方を見る。
下の踊り場に亜樹が立っていた。
「どうした?何かあったのか?」
面倒くさい事になった。
今は一人にして欲しい。
申し訳ないけれど瞬間的にそう思った。
「途中何回か声掛けたけど…咲全然気付かないで走って行っちゃうし。どうしたんだよ?」
「どうもしない。」
「どうもしない事ないだろ。泣きそうな顔して…。」
泣きそうな顔?
そうなんだ。
私今泣きそうなんだ…。
ややこしい事になるから亜樹にだけは見られたくなかったな。
「本当に何でもない。今は放っておいて。」
「出来ない。」
「は?」
苛立ちを隠さず態度に出すも亜樹は全く怯まない。
一切譲らない強い意志を持った目が見つめてくる。
「今まで咲が辛い時に親身にならなかったのがダメだった。だから今何で咲が泣きそうなのか知らないけど放っておけない。」
真剣な顔。
だけど、やっぱり腹が立つ。
だって今更じゃん…。
「亜樹には関係ないから。」
「関係なくても。もう放っておかない。」
そう言うと亜樹は階段を登って来る。
そして私に寄り添うように腰を下ろし背中に優しく手を置いた。
ピクっと反応する私に「ごめん。擽ったいよな…。」と気遣う素振りも見せつつも強く力を入れて抱き込む。
「好きな奴となんかあったのか?」
無駄に優しい声。
要らない気遣いだ。
益々苛立つ。
でも抵抗する気もおきなくてそれを受け入れた。
「なんにもないよ。亜樹との事ちゃんとしてもないのに何かあるわけない。」
「俺のせいか?別れたくないって言って話が進まないから…そいつと先に進めなくて泣きそうなの?」
「違う!」
階段に私の声が響いた。
あまりにも見当違いで嫌になる。
亜樹の事なんて全然考えていなかった。
自意識過剰で面倒くさい。
それでも亜樹は悪くないって頭では分かっていて。
だから本当は優しくしたいのに今は全然優しく出来なくて。
そんな自分に一番腹が立つ。
何とか堪えて声量を抑える。
「亜樹は何も悪くない。本当に亜樹は関係ないしその人とも何もない。」
「そうか…。俺は関係あって欲しかったけどな。」
「だからそういうのがまたプレッシャーなんだって!」
一瞬前まで優しくしたいと思っていた気持ちが立ち消えまた憤ってしまった。
「もう本当に放っておいて!」
「諦めねぇから。」
「は?」
「誰か知らないけど咲にそんな顔させるんなら俺絶対譲らねぇからな。」
譲らないって…。
「私物じゃないんだけど。」
亜樹の物でもないし。と続けて言おうとしてそれは止めた。
まだしっかり別れていないし、亜樹がより面倒くさくなりそうだったから。
「相談なら俺にしてよ!俺ももう今までみたいに適当にしないでちゃんと聞くから!俺で頼りないなら森もっちゃんとかザキセンとかに話せば良いじゃん!咲はザキセンの事よく知らないかもしれないけど、ホントに良い人なんだよ!」
山崎先生と森本先生。
二人の名前が出てきて身体がズンと重くなる。
見当違いも大概にして欲しい。
叫び出したいくらいに頭が痛む。
「もう黙って!」
私は耳を塞いで叫んだ。
亜樹は事情を知らないから。
私の好きな人が山崎先生だって知らないから。
山崎先生と森本先生の噂で私が今胸を痛めているって知らないから。
何一つ悪くないのに。
これはただの八つ当たりだって分かっているのに。
それでも憎くて仕方がない。
「亜樹うるさいよ!今その話しないで!」
「ごめん!咲ごめん!俺…ほんとごめんな。」
喚く私を強く抱いて亜樹は謝罪を繰り返した。
こんなのは勝手でどう仕様も無いワガママなのに。
何にも悪くない亜樹が私の顔色を窺って謝り続けている。
ほら、だから別れようって言ったじゃん。
立場が逆転するだけだからって。
あんなに大好きだったはずなのに、どれだけ亜樹が私の言葉を聞こうとしてくれても今の私はどうせ理解できないくせにって思っている。
どれだけ優しく声を掛けられたって嬉しく思えない。
どれだけ強く抱きしめられても伝わってくる体温が煩わしい。
だけど振り払う力が湧いてこなくて。
せめてもの抵抗として私はただ黙って表情を無くした。
外部の情報を亜樹ごと締め出して自分の内側とだけ向き合う。
二日後の木曜日、山崎先生に会ったら事の真相を聞こう。
だからそれまではこのモヤモヤとした思考を一旦保留にして。
そしてずっと聞けなかった事も聞いてみよう。
初めて直接胸に触れてくれるようになった日、首に残した痕の意味を。
抱く亜樹の力が強くなっていく中、私は先生との事だけを考えていた。

だけど木曜日。
山崎先生は廃トレーニングルームに現れなかった。
私は暗くなるまで一人でいつもの壁に寄りかかって先生の事を沢山考えた。
仕事で何かあったのかとか今日だけたまたま忘れちゃったのかとか、何とか傷付かない理由を捻り出して落ち着こうと思ったけれど、結局「森本先生と付き合う事になったから私とは二人きりで会う事を躊躇っているのかな?」って考えに何周しても戻ってきてしまって。
今までの人生で経験した事がない程に絶望した。
そういえば先生はいつも私の身体に触る事を躊躇っていたな。
そもそも二人で会う事自体何度も難色を示していた。
その度に私は懇願をして引き止めて。
先生の優しさに漬け込んでいた。
先生の絵を見れば私には先生の事が分かる。
先生がどれだけ優しい人なのか。
どれだけ寂しい人なのか。
物事をどう捉えるのか。
そういう先生の本質みたいなものが手に取るように分かったし、今でもそれは間違いないと思っている。
だけど、先生が私に対して本当はどう思っているのかとか、私の言動に対してどう感じているのかとか、細かい感情の機微は分からない。
嫌われてはいないだろうとか、恋愛感情でなくても特別には思って貰えているだろうと感じていたけれど、それも今となっては都合の良い勘違いだったのかもしれない。
どうして誰にも出せないようなワガママな自分を先生には惜しみなく出せていたのだろう。
それで嫌われるなんて微塵も思わなかった。
誰よりも先生の優しさを理解している筈だったのに、その優しさで嫌々付き合ってくれているかもしれないなんて考えもしなかった。
山崎先生と森本先生は本当にお似合いだ。
二人とも大人で優しくて同じ世界の住人で。
私も一回だけ山崎先生と同じ世界に行けたつもりでいたけれど、やっぱり本当は全く違う世界の住人だったんだって今強く思い知った。
言い出せなかったのかな?
森本先生と付き合うからもう二人では会えませんって。
こんなにグルグルと嫌な事ばかり考えちゃうくらいなら一層の事面倒向かってハッキリと教えて欲しかったのに。
なんて思った後で、直接宣言される所を想像してしまい涙で視界が滲んだ。
やっぱり今日は先生来なくて良かった。
ああ、先生が私の絵を描いてくれれば知りたい事全部分かるのにな。
 
その帰り。
私は駅前のコンビニのゴミ箱に廃トレーニングルームの鍵を棄てた。
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