木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

孤独と優しさ。

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職員玄関前。
良かった、まだ飾られていた。
『団欒』
その絵を見入る。
悲観しているわけでも絶望しているわけでもないけれど、これはほんのりと物悲しい絵だ。
日々の何気ない生活の中で唐突に感じる切なさ。
理由があって酷く落ち込んでいるわけでなくても、もう戻る事の出来ない遠い昔の暖かな記憶と現在の対比とで、人は急に孤独を感じたりする。
やっぱりこの絵は、そういうのが表現されているんだと思う。
子供の私に大人の抱くそういう感情を何処まで理解できているのかは自分でも分からないけれど。
一人で眠れなくてママの布団に入れてもらったり兄貴と取っ組み合いの喧嘩をしたり。
大きくなってしまった今では体感出来ない幼い頃の擽ったい記憶。
そういうものは私にもある。
私も先生と同じ年になったらこの絵みたいな深みのある感情を持つ事が出来るのだろうか。
何層にも塗り重ねられている色達が、私の語彙力じゃ言葉に出来ない奥行きを醸し出していた。
先生の優しさに漬け込んであんな風に協力を煽るんじゃなくて、もっと純粋に先生を理解したいって言えばよかった。
先生なら理解してくれると思うと、誰にも見せられない所まで一方的に見せてしまった。
迷惑だったかな?
嫌だったかな?
廃トレーニングルームでの事を絵にしてくれたら、先生がどう思っているのかきっと分かるのにな。
私はもっと先生を知りたいと思った。



1年前。
俺の作品、『入学式』の前。
「これは紛れもない入学式の絵です。」
そう言い切った細谷咲を影から見ていた。
彼女はそのまま知らない男と口論になる。
「ほー。お嬢ちゃんもカッコつけな表現が芸術とか思っちゃうタイプか?」
「絵の事は全然分かりません。でもこれは入学式の絵なんです。それにこの絵の作者はカッコつけじゃないです。」
「はー、何で言いきれる?説明しろ。」
何処までも偉そうな男に対し、彼女は全く怯む様子もなく、一瞬だけチラッとそちらを見た後、絵を指さしながら説明を始めた。
「手前の人。ぼやけた表現でハッキリ見えませんが、学ランを着ています。だけど首と詰襟の隙間が大きいのと、首の細さに比べて肩幅が不自然にあるので、かなりサイズの大きい物を着ているんじゃないかと…。多分、この人が新1年生なんですよ。」
心底驚いていた。
俺が表現を通して言いたかった事が、伝えたかった通りにそのままちゃんと伝わっているなんて。
そんな事は珍しい。
「はー、それが正解だったとして?そんな分かりにくい描き方、結局カッコつけじゃねえか。」
「だからカッコつけじゃないです!」
それまでずっと絵に目線を向けていた彼女が、男に向かい声を荒げる。
そして瞬時に反省した様に俯くと「むしろ正直で素直な人です。」と付け加えた。
「もう良いよ。お嬢ちゃんが凄い凄い。これで良いだろ。」
一歩も引かない彼女が面倒になったのか、男は不貞腐れながら退散して行く。
自分から無理矢理話し掛けた癖に。
本当に大人気ない奴だ。
立ち去る男の背を見詰め「絶対これが正解なのに…。」と呟く細谷咲。
そんな彼女の横顔に俺は心の中で語りかけていた。
それは違うんだと。
芸術なんて、受け取り手の受け取りたいように受け取って貰うもんだ。
だから男の言っている事も間違いではない。
そもそも正解なんて存在しない。
俺の作品と言ったって、俺の手から離れた時点で、俺の意図とは違う受け取り方をされ様とも、それはもう俺がどうこう出来るものではない。
それに百人いたら百通りの解釈がある。
俺はそういうスタンスの元に作品を制作している。
だから男の言葉に怒りも悲しみも湧かない。
この男はそう受け取ったのだとしか思わなかった。
その筈だったんだ。
なのにどうしてだか、俺が発信した通りに受け取ってくれた彼女を前に俺の心が騒ぐ。
受け取り方に正解はないなんて言い聞かせていながら、俺は何処かでまだ本当は期待していたのかもしれない。
彼女には余計なフィルターがなく、ありとあらゆる作品の意図を素直に汲み取れる能力があるのか。
若しくは俺に通じる何かがあり、俺を深く理解してくれたのか。
俺はどうしても彼女と話してみたくなり、作者だと明かさないまま声を掛けた。
「僕もこの絵の作者はちょっとひねくれてるかな?って思いますが、どうして貴女はそこまで作者を正直だと評価したのですか?」
また変なのに絡まれた。
そんな表情を隠すこと無く彼女は俺を一瞥した。
「みんな意地悪ですね。」
そう呟くと、何度目か分からないくらい、また視線を絵に戻して見詰めている。
「入学式って聞いたら普通は明るいイメージを持ちますよね?期待とか希望とか。でもこの絵は新しい環境への不安や、以前いた場所への未練とかが隠さず描かれているんです。こういう弱い所を表現しているこの作者は絶対に正直で素直な人です。さっきのオジサンや貴方みたいなひねくれた大人とは違います。」
俺を作者とは気付かないまま、棘のある言い方をする彼女。
思わず吹き出してしまいそうになるのをグッと堪えた。
「私は…本当はハッピーエンドの物語とか、明るい絵とかが好きなんです。悲しいのや不安なのは好きじゃないんです。だけど、今日初めてちょっと寂しい絵なのにこれを好きになったんです。」
「それはどうして?」
「何か、こういう時に不安になるのは私だけじゃないんだなって…。一人じゃないって言ってくれてるみたいで…。私もこの人に貴方は一人じゃないよって言いたい気持ちになったんです。」
不覚にも泣いてしまうかと思った。
自分の作品にこんなに綺麗な気持ちを貰ったのは初めてのことだったから。
こんなに暖かい言葉を貰ったのも初めてで。
胸が詰まって、目が潤んで。
少しでも動いたら零れてしまう気がして、瞬きも出来ずに彼女の横顔をただ眺めた。
「この作者が、世の中の良い所ばっかり切り取ったりしないで、素直に弱さを表現してくれたから私は暖かい気持ちになれたんです。だから絶対優しい人です。」
そう言った彼女の横顔が、この世で一番優しかった。
だから俺も彼女に優しく在りたいと思った。
そして受容と理解をあげたい。
例えそれが人として間違った方法だとしても。
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