木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

握手と可能性。

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俺の細谷咲に対するイメージは1年前から一貫して変わっていない。
考えに考え悩みに悩み抜いた結果、結局思っている事をそのまま口にしてしまうタイプ。
あの時もそうだった。
講師をしているカルチャースクールの展示ブース。
そこに掛かっていた俺の絵の前で彼女は知らない男と険悪になっていた。
作品について語り合う内に口喧嘩へと発展してしまったのだ。
その時も彼女は言葉を選び、気を遣いつつも最終的に男を怒らせていた。
今現在も話す様促したのは俺だが、まさかここまでダイレクトな表現が返ってくるとは思わず面食らってしまった。
「擽ったさを快感に…ですか?」
「はい。」
一度言い切ったら覚悟が決まったのか、彼女は平然としている。
対照的に俺は動揺を隠すのに必死だった。
「えっと…、つまり…どういう事でしょう?」
「あの…、先生に、しかも男性にこんな事本当は相談すべきでないのかもしれないですが…。」
「…はい。」
「付き合っている彼と…、そのエッチ…なんかをしている時にですね。身体に触られると擽ったくて笑ってしまうんです…。それで、その度に良くない空気になって…。そしたら亜樹…彼が擽ったさを快感に変えた方が良いって教えてくれて…。」
本当に立花亜樹の言う通り細谷咲は擽ったがりだったのだ。
だがそんな事よりも俺は強く憤りを覚えた。
彼女は立花亜樹の発言を『教えてくれて』と表現した。
しかし彼は教えただけで手伝っては『くれない』様だ。
自分の彼女が困っているのにだ。
そんな薄情な立花亜樹と、その扱いに甘んじている細谷咲にも腹が立つ。
俺だったら一人で頑張らせないのに。
「私、子供の頃から擽ったがりで。家族にも面白可笑しく擽られたりしてて。本当は嫌なのに笑っちゃうんです。でも私が笑ってるから楽しんでるって思われて止めてくれないし。エッチの時笑っちゃうのもふざけてるって思われて怒られるし…。」
勝手な憤りを隠しつつ、大人しく聞く姿勢を続けていると、彼女は急に堰を切った様に吐き出し始めた。
「この身体、本当に大変なんです。素材によっては洋服も着ていられない物があるし。皆が普通にしていられる事が私には出来ないんです。先生もさっき見ましたよね?私の身体可笑しいですよね?」
助け起こそうとした俺の手から逃れようと暴れていた彼女。
そして助けようと行動した俺の厚意を素直に受け取れなかった事に、申し訳なさを感じている素振りもしていた。
今も不安に顔を歪めており、彼女が自身の胸の前で握っている手は震えている。
言葉にしてしまえばただの擽ったがり。
だけどそれで今まで、彼女はどれだけの辛い思いをしてきたのだろう。
「大丈夫です。」
本当はなんの根拠もない。
それでも彼女を少しでも安心させたくて自然とでた言葉。
「美大時代に普通は出来て当たり前の事が全く出来ていない人たちを僕は沢山見てきました。でもそういう人達って引き換えに皆が出来ないことが出来たりするんですよね。」
「…。でもそれは才能がある人の話ですよね?私の体質とは違います。」
「そうでしょうか?触られて感じる触覚だって立派な五感の一つです。その精度が人より優れているというのは能力の一つですよ。それをどう活かすかは細谷さん次第ですけど。」
「能力…?…うーん…。」
彼女は俺の言葉を受け少し考えるも、直ぐに諦めきっぱりと言い切る。
「何も思いつきません。」
その感じに思わず吹き出してしまった。
「あー、先生。真剣に悩んでるのに…。」
そう言いつつ彼女も弱く笑っている。
力になりたい。
こうやって彼女が笑って居られる様に手伝いたい。
「細谷さんの能力が何に使えるのか今は分かりませんが、僕に出来る事なら何でも協力しますよ。」
「本当ですか?」
瞬間、パッと花が咲いた様な笑顔。
俺も嬉しくなる。
大きく頷き「勿論。何でも相談にも乗りますし、試してみたい事も手伝いますよ。」と返す。
恋人の存在も知っている。
かなり言い難い話までもう聞いているんだ。
今更彼女が俺に遠慮する事はないだろう。
何でも話せる相談者に俺はなれる筈だ。
そして美術教師の端くれとして、一生徒が自身の可能性を模索したいと言うならば全力で手伝うのもまた使命だろう。
その気持ちで応えたんだ。
決して深い意味も疚しい気持ちもない。
まずは触覚を活かして陶芸とかはどうだろう?なんて呑気な事を考えていた。
だから、次に彼女から返ってきた言葉を聞いて、俺は再び開いた口が塞がらなくなってしまった。
「じゃあ、私の身体触って下さい。」



瞬間。
シュッと湯気がたつかと思う程、先生の顔が赤くなった。
ぐりぐりと目線が忙しなく泳ぎ、目に見えて慌てている。
「い、いや、細谷さん。それは…、あの…流石に、…なんて言うか…」
その反応を見ていて私もようやく理解した。
先生は『私の擽ったさを快感に変える手伝いをする』って意味の事を言ったのではなく、『擽ったがりというハンデは消えないけれど、それを活かしていける何かを見付ける手伝いをする』って意味で「何でもする」と言っていたのだ。
それに気付いた途端、今度は私の方がアワアワしてしまう。
「あ、ごめんなさい。私、勘違いしていて…。本当にごめんなさい。」
「いや、僕の言い方も紛らわしかったですしね…、はは。」
気まずい沈黙が訪れた。
二人して俯く。
お互いに次の言葉を探した。
静かになった室内に二人の息遣いだけが響く。
ドキドキと心臓が鳴る。
先生にも聞こえてしまうんじゃないかと気が気じゃない。
彼氏でもないのにこんなに意識してしまうのは、先生の描く絵に特別なモノを感じているからなのかもしれない。
「あの…。」
「はひっ。」
沈黙を終わらせたのは先生の声だった。
突然の出来事に私は上ずらせた声を上げてしまい、恥ずかしさで再度俯く。
「それは立花くんに手伝って貰えないんですか?」
当然の疑問。
最初に亜樹に言われた時、私自身がそう思ったのだから。
「恋人なんだから、細谷さんがそんなに悩んでいるって立花君は理解しているんですよね?」
「どうでしょう…。」
それを一番聞きたいのが私だ。
亜樹は私の様子を見て、話を聞いて、それでも本当に私の悩みがどれだけのものなのかを理解してくれているだろうか。
「擽ったがりなのは私の問題だから、思うようなエッチが出来ないのは私のせいだと亜樹は思っているんだと思います。」
「…。」
「だから二人で解決するとかそういう発想自体が全く無さそうです。」
「そう…ですか…。」
そう呟いたきり、先生は難しい顔をしたまま黙り込んだ。
私の問題をまるで自分の事の様に考えてくれる。
亜樹にもほんの少しで良いからこんな思い遣りの心があれば。
なんて、ハッキリ言えない私がいけないのだけれど…。
そういえば、私が亜樹に気持ちをハッキリと言えた事なんて一度もないや。
亜樹はモテるから。
向こうから告白されて付き合い始めたけれど、心の何処かで私は付き合ってもらっていると感じている。
これからも一緒にいたい。
嫌われたくないと思えば思う程、自分の意見を飲み込み後回しにしてきた。
そしてふと、どうして先生には何でも話せるんだろう?と疑問が浮かんだ。
どうでも良い他人だと話し易いとはよく聞くけれど、私にとっての先生はそれとはちょっと違う。
やっぱり先生の絵を見た時、瞬時に理解出来たあの時から、私は勝手に先生の理解者になった気でいる。
だから先生にも私の気持ちは容易く共感して貰えるものだと何の根拠もなく思っているのだ。
「亜樹の事…好きな筈なのに。触れられて気持ち良かった事が一度もないんです。」
「…。」
「周りから聞くエッチって、もっと楽しくて気持ち良くて。最中は相手が愛おしくて胸が苦しくなるって…。だけど私はいつも早く終わってってばっかり考えていて…。それが亜樹に申し訳なくて…。」
「はー。…なるほど…。」
深い溜め息。
苛立っているみたいだ。
こんな話聞かされて怒っているのかな。
それとも優しい先生の事だから私に共感し肩入れた上で亜樹に対して怒ってくれているのか…。
「細谷さん。僕は出来る限り力になります。…ただ…」
「ただ?」
「やっぱり身体に触るって言うのは…。」
当然だ。
その答え以外有り得ないだろう。
分かっていた。
それでも最後の望みが潰えた心持ちになって酷く項垂れてしまう。
「そう…ですよね…。」
「あの、今はまだコレだ!って方法は浮かびませんが、良い解決法が見付かるまで僕は一緒に模索しますよ!だから元気出して下さい!」
出し慣れていなさそうな明るい声を無理やり出して、先生は笑っている。
可愛いな。
担当でもない生徒の為にこんなに必死になってくれるんだ。
「ありがとうございます。」
私のお礼に対して満面の笑顔で頷く先生。
他の生徒にもこうなのかな?
そう思うとちょっとモヤッとした。
そして気付く。
私は先生を理解者だと勝手に特別視しているけれど、先生にとって私は何だろう?
当然だけれど、沢山いる生徒の中の一人に過ぎないだろう。
そう気付いてしまったら欲求が生まれた。
特別に理解したいしされたい。
この感情は何なのか。
その強い衝動に名前を付けられないまま私は先生に手を差し伸べ言った。
「先生、握手して下さい。」
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