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厚い雲の切れ間から降り注ぐ日の光を、湖面が鏡のように反射して、キラキラ輝いている。
眩しくて眇めた私の目に映るこの美しい湖には、相変わらず、生き物の姿はない。
包み込むような温かみを感じるのに、無機質さも併せ持つ不思議な湖を前に、私は覚悟を決めて立っていた。


「ステラ、こちらの準備は整ったから、貴女のタイミングで魔力封じの魔石を外していいわよ。」

耳に付けたイヤリングから、姫様の声が聞こえてきた。
これは、小型化された通信魔道具で、この作戦の前に、姫様から渡された物だった。距離に制限はあるものの、通信機を持つ者同士であれば、自由に会話が出来るそうだ。

私は一度、ゆっくり深呼吸をすると、首に掛かっている魔石に触れた。
覚悟はしてきたのに、魔石を握る指先が震える。そんな私を勇気付けるかのように、ヴェイル様の声が、通信機から聞こえてきた。


「大丈夫だ、ステラ。俺がすぐ側にいる。」

「…はい。」

ヴェイル様の声を聞いた私の体は、すぐに震えを止める。
私は、もう一度深く息を吐き出し、首の後ろに手を回して留め金を外した。首から魔石を離した瞬間、魔石の中心にあった淡い光がスゥッと消えていった。


これで、私の中に存在する魔物の王の核を隠すものは無くなった。
さあ、来なさい。
私は、ここよ。

先程まで吹いていた心地良い風がピタリと止み、不気味な静寂が辺りを包む。その時、生暖かい風が、フワリと私の髪を揺らした。


「見つけた。」

耳元で囁かれた声に、私は勢い良く振り返る。そこには、以前に見た美しい青年の姿をした魔物の王が立っていた。


でも、魔物の王の雰囲気が、前とは明らかに違う。
それは、今ここにいる魔物の王が、実体だからだろうか。
彼がそこにいるだけで、世界が毒されていくような、そんな不快な感覚に襲われる。そのせいで、体が上手く動かせない。それでも、私はソロリソロリと足を後ろに動かして、魔物の王から距離を取った。すると、バシャンと音がして、私の左足が湖の水に浸かった。

そんな私を、魔物の王は笑いながら見ている。その体が揺れる度に、背中から生えた蝶に似た翅が、真っ黒な鱗粉を撒き散らし、空気を毒々しく染めていった。


「やっと、やっと、会えたな、ステラ。探したぞ?同胞の目を借りて、世界の隅々まで探した。こんな物まで見つけてしまうほど探したんだ。」
魔物の王が、ゆっくり上げた手には、赤毛の束が握られていた。その癖のある赤毛は、間違いなく、姫様が切った私の髪だった。


「美しい赤だな。この不快な世界で、唯一我の目を引く血の色だ。」
うっとりと私の髪を見ていた魔物の王は、人より長い舌を出して、それを舐め始めた。そして、髪を頭上高く掲げると、大きく開けた口の中に放り込んだ。


「ヒッ!」

飲み込んだ髪のせいで、瘤のように盛り上がった喉が、下へ下へとゆっくり動く。嚥下する気色の悪い音まで耳に届き、私は酷い吐き気に襲われていた。


「いい顔だ、ステラ。そうだ、もっと、もっと、脅えた顔を見せてくれ。ああ、待ち遠しい。お前を一欠片ずつ喰らう時間が、とても恋しい。我は、ずっと、ずっと、この時を待ち侘びていたのだから。」

「イヤッ!来ないで!」
私の両足が水に浸かった瞬間、魔物の王の体が、光の輪に包まれる。その輪は、幾重にも重なり、魔物の王を捕える檻となった。


「大丈夫か、ステラ!?」

「ヴェイル様!」
黒豹姿で駆け寄ってきたヴェイル様が、自身の首元にある魔石を噛み砕く。そして、すぐに人の姿に戻ると、私を庇うようにして、魔物の王に剣を向けた。






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