29 / 163
1-23
しおりを挟む
「ああなったニルセンは、放って置いた方がいい。メルデンも他の部下も近くにいる。大丈夫だ。」
ヴェイル殿下は、私の腕を引いてニルセン様とアレン様に背を向ける。
未だ言い争っている二人は、遠ざかっていく私達に気付いてはいなかった。
そうして連れて来られたのは、私が仕事用に使わせてもらっている天幕だった。
ヴェイル殿下は深い息を吐き出すと、背負っていた長剣を彼の机の脇に立てかけた。
ここは、元々ヴェイル殿下専用の天幕で、今は、その一画を私が間借りさせてもらっている。
広さはあるとはいえ、二人っきりの空間は、どうも緊張して、私は少し苦手だった。
「何か飲むか?」
ヴェイル殿下が、荷物の中から茶葉の缶を取り出した。
「殿下、それは私が!」
慌ててヴェイル殿下の側に近寄ると、いきなり両手を取られた。
その手を見て、私は、はたと気付く。
私の手は、インクと土で酷く汚れていた。
「も、申し訳ありません。すぐに洗って来ます!」
は、恥ずかしい。
さすがに、この汚れに気付かないなんて女性としてあり得ない。見下ろすと、私の服も随分と埃で薄汚れていた。
魔物の死体を観察するため、地面に這いつくばっていたから、汚れているのは分かっていたのに、私は自分のことを全然気にしていなかったのだ。
「大丈夫だ。任せろ。」
そんな私に、ヴェイル殿下は優しい言葉をかけると、水の魔法を使い始める。
その魔法が私を包み、汚れを空気に溶かしていった。
その不思議な光景をぼうっと眺めていた時、ヴェイル殿下の力強い魔力が、私の中に入り込んだ。
ああ、心地良い。
酔ってしまいそう。
これまで、こんなに気持ちの良い魔力に触れた事があっただろうか。
自分に足りないものは、これなのだとはっきり分かった。
ヴェイル殿下の魔法が解かれる瞬間、私の膝がガクリと力を失い、体が床の方へ傾く。
私が痛みを覚悟し目を瞑ると、しっかりとした腕に抱き留められた。
その温もりから、更に魔力が私に流れ込む。
気持ち良すぎて、もう目を開けていられない。
お酒を飲んだ時のように、理性がバラバラになって溶けていく。
ああ、もっと、もっと、この魔力が欲しい。
私の全てを埋め尽くしてくれるまで。
「ステラ...。」
呆けていた私の耳元に、熱い吐息がかかる。
宝物のように名前を呼ばれ、顔を上げると、熱を孕んだ黄金の瞳と目が合った。
魔力も温もりも、この方の存在全てが、心地良い。
このままずっと、ここにいたい。
心の底から湧き出る欲望が、私の心を支配していた。
「団長、いらっしゃいますか?緊急事態です!」
突然、天幕の外から呼ばれて、私達は同時に我に返る。浮かされていた熱は、すぐにどこかへ飛散していった。
「分かった!今行く!」
ヴェイル殿下は、大声で返すと、力の入らない私を抱き上げて、彼専用の大きな椅子に座らせた。
「ここにいろ。」
「は、はい。あの...。」
私、ヴェイル殿下になんて事を。
さっきの気持ちは、いったい何だったの?
「大丈夫だ。帰って来たら、茶を淹れてやるから。」
ヴェイル殿下は、動揺する私の頬を一撫ですると、クルリと背を向け、天幕から出て行った。
ヴェイル殿下は、私の腕を引いてニルセン様とアレン様に背を向ける。
未だ言い争っている二人は、遠ざかっていく私達に気付いてはいなかった。
そうして連れて来られたのは、私が仕事用に使わせてもらっている天幕だった。
ヴェイル殿下は深い息を吐き出すと、背負っていた長剣を彼の机の脇に立てかけた。
ここは、元々ヴェイル殿下専用の天幕で、今は、その一画を私が間借りさせてもらっている。
広さはあるとはいえ、二人っきりの空間は、どうも緊張して、私は少し苦手だった。
「何か飲むか?」
ヴェイル殿下が、荷物の中から茶葉の缶を取り出した。
「殿下、それは私が!」
慌ててヴェイル殿下の側に近寄ると、いきなり両手を取られた。
その手を見て、私は、はたと気付く。
私の手は、インクと土で酷く汚れていた。
「も、申し訳ありません。すぐに洗って来ます!」
は、恥ずかしい。
さすがに、この汚れに気付かないなんて女性としてあり得ない。見下ろすと、私の服も随分と埃で薄汚れていた。
魔物の死体を観察するため、地面に這いつくばっていたから、汚れているのは分かっていたのに、私は自分のことを全然気にしていなかったのだ。
「大丈夫だ。任せろ。」
そんな私に、ヴェイル殿下は優しい言葉をかけると、水の魔法を使い始める。
その魔法が私を包み、汚れを空気に溶かしていった。
その不思議な光景をぼうっと眺めていた時、ヴェイル殿下の力強い魔力が、私の中に入り込んだ。
ああ、心地良い。
酔ってしまいそう。
これまで、こんなに気持ちの良い魔力に触れた事があっただろうか。
自分に足りないものは、これなのだとはっきり分かった。
ヴェイル殿下の魔法が解かれる瞬間、私の膝がガクリと力を失い、体が床の方へ傾く。
私が痛みを覚悟し目を瞑ると、しっかりとした腕に抱き留められた。
その温もりから、更に魔力が私に流れ込む。
気持ち良すぎて、もう目を開けていられない。
お酒を飲んだ時のように、理性がバラバラになって溶けていく。
ああ、もっと、もっと、この魔力が欲しい。
私の全てを埋め尽くしてくれるまで。
「ステラ...。」
呆けていた私の耳元に、熱い吐息がかかる。
宝物のように名前を呼ばれ、顔を上げると、熱を孕んだ黄金の瞳と目が合った。
魔力も温もりも、この方の存在全てが、心地良い。
このままずっと、ここにいたい。
心の底から湧き出る欲望が、私の心を支配していた。
「団長、いらっしゃいますか?緊急事態です!」
突然、天幕の外から呼ばれて、私達は同時に我に返る。浮かされていた熱は、すぐにどこかへ飛散していった。
「分かった!今行く!」
ヴェイル殿下は、大声で返すと、力の入らない私を抱き上げて、彼専用の大きな椅子に座らせた。
「ここにいろ。」
「は、はい。あの...。」
私、ヴェイル殿下になんて事を。
さっきの気持ちは、いったい何だったの?
「大丈夫だ。帰って来たら、茶を淹れてやるから。」
ヴェイル殿下は、動揺する私の頬を一撫ですると、クルリと背を向け、天幕から出て行った。
210
お気に入りに追加
665
あなたにおすすめの小説
立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~
矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。
隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。
周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。
※設定はゆるいです。
幸せな番が微笑みながら願うこと
矢野りと
恋愛
偉大な竜王に待望の番が見つかったのは10年前のこと。
まだ幼かった番は王宮で真綿に包まれるように大切にされ、成人になる16歳の時に竜王と婚姻を結ぶことが決まっていた。幸せな未来は確定されていたはずだった…。
だが獣人の要素が薄い番の扱いを周りは間違えてしまう。…それは大切に想うがあまりのすれ違いだった。
竜王の番の心は少しづつ追いつめられ蝕まれていく。
※設定はゆるいです。
ゆるふわな可愛い系男子の旦那様は怒らせてはいけません
下菊みこと
恋愛
年下のゆるふわ可愛い系男子な旦那様と、そんな旦那様に愛されて心を癒した奥様のイチャイチャのお話。
旦那様はちょっとだけ裏表が激しいけど愛情は本物です。
ご都合主義の短いSSで、ちょっとだけざまぁもあるかも?
小説家になろう様でも投稿しています。
政略結婚の相手に見向きもされません
矢野りと
恋愛
人族の王女と獣人国の国王の政略結婚。
政略結婚と割り切って嫁いできた王女と番と結婚する夢を捨てられない国王はもちろん上手くいくはずもない。
国王は番に巡り合ったら結婚出来るように、王女との婚姻の前に後宮を復活させてしまう。
だが悲しみに暮れる弱い王女はどこにもいなかった! 人族の王女は今日も逞しく獣人国で生きていきます!
どん底貧乏伯爵令嬢の再起劇。愛と友情が向こうからやってきた。溺愛偽弟と推活友人と一緒にやり遂げた復讐物語
buchi
恋愛
借金だらけの貧乏伯爵家のシエナは貴族学校に入学したものの、着ていく服もなければ、家に食べ物もない状態。挙げ句の果てに婚約者には家の借金を黙っていたと婚約破棄される。困り果てたシエナへ、ある日突然救いの手が。アッシュフォード子爵の名で次々と送り届けられるドレスや生活必需品。そのうちに執事や侍女までがやって来た!アッシュフォード子爵って、誰?同時に、シエナはお忍びでやって来た隣国の王太子の通訳を勤めることに。クールイケメン溺愛偽弟とチャラ男系あざとかわいい王太子殿下の二人に挟まれたシエナはどうする? 同時に進む姉リリアスの復讐劇と、友人令嬢方の推し活混ぜ混ぜの長編です……ぜひ読んでくださいませ!
竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える
たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー
その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。
そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!
公爵令嬢になった私は、魔法学園の学園長である義兄に溺愛されているようです。
木山楽斗
恋愛
弱小貴族で、平民同然の暮らしをしていたルリアは、両親の死によって、遠縁の公爵家であるフォリシス家に引き取られることになった。位の高い貴族に引き取られることになり、怯えるルリアだったが、フォリシス家の人々はとても良くしてくれ、そんな家族をルリアは深く愛し、尊敬するようになっていた。その中でも、義兄であるリクルド・フォリシスには、特別である。気高く強い彼に、ルリアは強い憧れを抱いていくようになっていたのだ。
時は流れ、ルリアは十六歳になっていた。彼女の暮らす国では、その年で魔法学校に通うようになっている。そこで、ルリアは、兄の学園に通いたいと願っていた。しかし、リクルドはそれを認めてくれないのだ。なんとか理由を聞き、納得したルリアだったが、そこで義妹のレティが口を挟んできた。
「お兄様は、お姉様を共学の学園に通わせたくないだけです!」
「ほう?」
これは、ルリアと義理の家族の物語。
※基本的に主人公の視点で進みますが、時々視点が変わります。視点が変わる話には、()で誰視点かを記しています。
※同じ話を別視点でしている場合があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる