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間引きの章 ー 一本立て ー
ゴム長靴、都会を行く
しおりを挟むセイート村を発って、まずは牛車で3時間。次に電車に乗り4時間。最後に、高速バスで1時間。
これだけの時間をかけ、ボッカは一年ぶりにBBシティに帰っていた。時計の針は夕方の6時を指している。セイート村ならば、まだ日の残っている時間だが、BBシティの高層ビル群に隠れて、すでに西日の面影はない。
しかし、辺りは人工の照明に満たされていて、暗さは微塵も感じない。行きかう人々も、手に持ったスマートフォンを不便なく見つめながら歩いている。
「明るければ何でも見えるというわけじゃないけどね」
ボッカは、何かでぱんぱんに膨れたバックパックを背負いなおしながら、独り言ちた。傍にマメシバの姿はない。
ボッカは、BBシティの中心部にあたる、港湾地区を歩いていった。麦わら帽子にゴム長靴というボッカの姿を見た人々は、一瞬訝し気な表情を見せるが、すぐに目をそらす。
ボッカは思う。この街には400万人近い人がいるが、ボッカのことを認識して心にとめる人は、おそらく一人としていない。
つまり、この街に自分という人間は存在できていない。
ボッカはやがて、港湾を見下ろすように聳える、一本のビルの前にたどり着いた。既に室内の灯りは半分以上が消えていたが、ボッカは構わず、勝手知ったる足取りで中に入った。
帰り支度を整えていた受付の職員は、近づいてくるゴム長靴姿の男に、露骨に白い眼を向けた。ボッカは慎重に言葉を選んで、話しかけた。
「すみません時間外に。私、ここの元職員なんですが」
「はい」
元職員という言葉に、相手の緊張がわずかに解けるのを感じた。
「探求課のサクラギ係長に繋いで欲しいんですが。これを見てもらえれば、会ってくれると思います」
ボッカは胸ポケットから、金色の毛束を取り出し、受付台の上に置いた。受付は小首をかしげつつも、手元の内線電話をかけ始めた。
「もしもし。受付ですが。サクラギ課長にお会いになりたいという方がいらしていて……何かの毛のような物をお持ちで……。え? 履物? あー……白の長靴を履いてらっしゃいますが……」
ふーん、あいつ課長になったのか、とボッカは呟いた。待つ間に、仕事終わりの職員達が数人、ビルの奥から現れた。胸元からIDカードを取り出し、出入り口のゲートにそれを翳している。ピロン、という当たり障りのない音がして、ゲートが開く。かつては自分もそうやって、このゲートを潜り抜けていたのが、ほんの少し懐かしく感じるボッカであった。
「お待たせしました。一階のアトリウムでお待ちください。すぐに降りて参りますので」
* * *
アトリウムでは園芸展が開かれていた。古今東西の様々な花や観葉植物が、所狭しと飾られている。セイート村からやってきた花がないかと探るボッカの背中を、親しげに小突く人影があった。
「花の仕入れに来たのか?」
ボッカと同世代の男性である。背はボッカより少し高く、肩幅も広い。それなりに整った顔立ちだが、顎と下腹についた肉が、中年の悲哀を感じさせる。
「サクラギ、課長になったんだな。おめでとう」
ボッカは男の名前を呼びながら、その出張った下腹をくすぐった。
「そういうお前は、本当に農家になっちまったんだな。ゴム長靴姿が板についている」
「手紙に書いたろ。半農半勇だよ。売り物になる野菜はまだ作れないし、勇者だって辞めたわけじゃない」
「つまり無職のプーってことか」
以前にも、誰かとこんなやり取りをしたことを、ボッカは懐かしく感じた。
「それで、その半農半勇のプーが、いったいどうして古巣に戻ってきたんだ?」
手近に置いてあった籐の椅子にどっかと腰かけながら、サクラギは目をぎょろつかせた。相当根詰めて働いていたのだろう、その目は赤く充血していた。
「実は、これの調査をお願いしたいんだ」
ボッカはバックパックの中から、ある物を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「なんじゃこりゃ。鏡か?」
それは、以前シロミ族から託された、謎の鏡とも皿ともつかない物体であった。
ボッカはサクラギに、事の次第を掻い摘んで話した。ミャケの身にかかっている呪いのことや、セイート村に伝わる伝説。その伝説に登場するハナネの役に、異常に固執するミフネ。そして、シロミ族の「スナメが苦しんでいる」というメッセージ等々……。
サクラギは腕組みをしながら、ボッカの話を聞いた。
「なるほど。その美人の姉が何もかも知っていそうだな。そして、その美人が拘る妹巫女に、伝説の中で置いていかれた姉巫女。その名前と共に、キノコから託されたのが、こいつ。関係はあるかもしれないな。それで……」
サクラギは正面に座ったボッカを、これまでとは違う鋭い目で睨んだ。
「お前は、その猫娘ちゃんを助けたい。そうだな?」
「そうだ」
「何故?」
「僕は勇者だからだ」
ボッカが頷くと、サクラギはかぶりを振った。
「だとしたら、俺を頼るのは甘えだろ」
サクラギは、受付から受け取ったらしい、金色の毛束をポケットから取り出して、ボッカに突き出した。
「俺はてっきり、コイツを引き渡す気になったのかと思ったぞ。クライアントからの依頼をすっぽかして、お前がかっぱらっていったコイツをな。取り繕いをするのに、皆にどれだけ迷惑をかけたと思ってるんだ」
「それは悪かったな」
「なあ。半農半勇なんて聞こえのよさそうなことを言っても、結局、一人では何も解決できてないじゃないか。そういうのは、いい歳をした中年男がやることじゃない。ちゃんと仕事をしろ。ちゃんと組織に入って、組織のルールに従って、一人前の仕事をしろよ。大人だろ、遊んでるんじゃない」
サクラギの目がますます赤くなっている。少し泣いているらしい。
「大人だから遊ぶんだ」
「なんだって?」
「サクラギの言う通り、大人は仕事をしなくちゃいけない。遊んでいればいい子供とは違う。でも、仕事と遊びの違いはなんだ。以前の僕は、楽しいのが遊びで、苦しいのが仕事だと思っていた。だから、苦しくても仕方がないと。大人とは苦しいものなのだと、諦めていた。でも、セイート村で暮らし始めて、考えが変わった。毎朝生みたて卵を食べて、芝刈りをして、たまに仲間と七輪で一杯やったりスズメバチを退治したりしている内に思ったんだ」
「何をだ」
「楽しいんだ。毎日が楽しい。生きているのが楽しい。そして、この楽しさを広げたいと思うようになった。もっと多くの人に楽しんでもらいたい。そうだ。自分だけが楽しいのが遊びで、他人も楽しませるのが仕事だ。仕事は楽しくてイイんだ。仕事は遊びの反対語じゃなくて、遊びの延長であるべきなんだ。大人が子供の反対語ではなくて、子供の延長であるのと同じだ」
「だったら」
サクラギはテーブルを平手で叩きながら、その弾みで立ち上がった。
「俺のことも楽しませてみろ。できるものなら。そうしたら力を貸してやる」
サクラギはわなわなと震えながら、ボッカを指さした。ボッカがその指先を見つめていると、話は終わりだ、と言わんばかりにくるりと背を向けた。
「待てよサクラギ。これを見てくれ」
ボッカは背負っていたバックパックを下ろすと、その口を広げてみせた。その中を一瞥したサクラギの顔色が変わった。
「それは……」
バックパックの中には、真っ赤な頭に血管が浮き出たような形をしたキノコが、ぎっしりと詰め込まれていた。
「産地直送の生マガリックスだ。それも天然だぞ。BBシティでは品薄が続いていて、仕入れに苦労していると聞いた。特産地を見つけたから、そこから優先的に卸してやるよ」
「取引か? お前、そんなことするタイプだったか?」
かつてのボッカは、上司から指示されたことは忠実にこなすし、同僚からの頼み事も大抵は引き受けていた。しかしその分、相手の出方や状況に応じて自分の指し手を変えるようなことはしなかった。
サクラギはバックパックの前に膝をつき、マガリックスの品質を確認しては、感心したように呻いた。ハッとして顔を上げると、ニヤニヤしながら見下ろすボッカと目が合った。
「楽しいね、こういうのも。なかなか」
―続―
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