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間引きの章 ー 一本立て ー

VSシルエッター

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 茫然自失としているミャケを伴い、一行はひとまず、ボッカの家へと向かった。

 ボッカはリビングのソファにミャケを座らせ、その前に一杯のハーブ茶を置いた。口はつけないだろうとは思ったが、せめてハーブの香りを嗅いで、少しでも気分が落ち着けばと思ったのだ。

 マメシバも珍しく行儀よくお座りをして、ミャケの足元に寄り添っている。

 ミャケは首に巻いた霜の衣に、鼻先まで深く顔を埋めて、ハーブ茶のカップから立ち上る湯気を見ている。ゆらゆら、ゆらゆら、とその瞳が揺れている。

 ふと、戸外から人の気配がした。マメシバが振り返り、尻尾をくるんと一回しした。ボッカは何か嫌な予感がして、台所の床下から銅の剣を取り出した。

「ミャケちゃん、勇者さん、おるかね?」

 神父の声だった。杞憂と分かり息をつき、ボッカが迎えに出ると、トノも一緒だった。

「よかった。二人とも多分ここだろうと思って、サンザさんに連れてきてもらったんじゃ」

 家の敷地に面した道に、サンザが乗った牛車が止まっている。サンザはボッカと目が合うと、手のひらで顔を拭ったあと、何とも言えない表情でその手を上げて挨拶し、その場を離れていった。

「半野良勇者、ちょっといいかい。話があるんだよ」

 あの子には秘密で、とトノは付け加えた。今のミャケを一人にするのは少し不安があったが、ボッカはマメシバにミャケを託し、トノ達と共に外に出た。
 トノ達はボッカに、ミャケの身に何者かの呪いがかけられていることを伝えた。

「時止めの呪いじゃ」

 コリ神父は沈鬱な表情で説明した。成就すれば、かけられた者の時間が永遠に止まってしまう、最も強力な呪いの一つだという。
 時間が止まる、というのは具体的にどういうことなのか、ボッカは想像ができなかった。問うと、コリ神父は丁寧に教えてくれた。

「ワシらは皆、同じ時間の流れの中を進んでおる。人も、牛も、マメチビちゃんだってそうじゃ。ワシらが互いの姿を見たり、声を聞いたりできるのはそのためじゃ。例えるなら、同じ方向に同じ速さで進む牛車にそれぞれが乗っているから、こうやって会話ができるんじゃ。その中で、もし、牛車から引きずり降ろされた者がいたとしたらどうなる? その者はその場に置いていかれ、他の者達はやがてその者を認識できなくなるじゃろう。対象を誰からも認識できない状況に置く。これが、時止めの呪いじゃ」

 恐ろしい呪いじゃ……と呻き、神父は激しくせき込んだ。

「でも、ミャケさんのことは、僕も皆さんも認識できていますよね?」
「うむ。今はまだ、呪いが成就してはおらん段階なのじゃ。強力な呪いじゃからな、かけるのにも相当な準備と研究、そして執念が必要となる。人ならざる身なら別じゃが、最低でも10年は必要じゃろう」

 10年という期間に思い当たるものがあったボッカの顔色が曇る。呪いの主に心当たりがあるか、神父に問われたボッカは、信じられない話だと断ったうえで、ミャケ達が子供のころに起きた事件と、たった今ミフネの部屋で見たものについて、二人に話した。
 さすがにトノもコリ神父も、ミフネが妹に呪いをかけたものとは信じられない様子であった。

 その時、ワン!ワン!ワン! と、マメシバのけたたましい鳴き声が聞こえた。ボッカは、玄関の傘立てに置いていた銅の剣を再び手に取り、リビングへと駆け込んだ。トノとコリも後に続く。
 見知らぬ人影が、ミャケに向かって手を伸ばしており、その前でマメシバが彼女を守るように激しく吠えかかっていた。

「なんだあいつ。まるでキューピー人形だよ」

 トノが評した通り、人影は頭部や目まで含めて、文字通り全身を金属製の装甲で覆っていた。所々が、緑色に小さく光っている。カメラが内蔵されているのだ。

黒子シルエッター……」

 ボッカは人影に心当たりがあるようだった。

 人影は無言のまま、ミャケに向かって一歩を踏み出し、更にその手を伸ばした。求めているのは、その首元。霜の衣のように思われた。
 ミャケは虚ろな目をしたままだったが、その手が霜の衣を奪おうとしているのを察すると、半猫らしい俊敏な動きで、ソファの背もたれを飛び越えボッカの後ろへと隠れた。

「4Bsギルドのシルエッター部員です。誰かが、霜の衣を回収するようにと依頼したんでしょう。装備は最新式ですが、中は人ですよ。もっとも、到底話の通じる相手ではないですけどね」

 珍しくボッカの口調に棘がある。

 銅の剣を手に立ちはだかるボッカに対し、シルエッターは伸ばしていた手を向けた。まるで片手をあげて挨拶をするかのようなポーズであったが……

 ギュン! という風を切る音と共に、間にあったソファが真っ二つに切り裂かれた。シルエッターの手の甲の辺りから、いつの間にか鋭いエッジが伸びている。

 今のは一種の示威行動のようだったが、ボッカが全く怯まなかったのを見ると、次は本気で斬りかかってきた。ボッカは銅の剣でそれを受け止めながら、素早く右足で足払いをかけた。うまく決まったように思えたが、シルエッターはすんでの所で後ろに下がり、それをかわした。

 ボッカはすかさず距離を詰め、敵の右手のエッジを目掛けて銅の剣を突き出した。ガキン、という金属同士がぶつかる音が響く。

「へえ。半野良勇者、なかなかやるじゃないか」

 ミャケを外に逃がしながら、トノが感心したように言った。

「剣の腕前は、勇者さんも引けを取らんようじゃ。しかし、装備がの……」



 コリ神父が指摘した通り、ボッカの銅の剣は、打ち合うたびに大きく刃こぼれをしていった。逆に、シルエッターの装甲相手には、ボッカの剣は文字通り歯が立たない。

 それだけではない。シルエッターの体の所々に施されたカメラは、普通なら死角になる位置からでも、ボッカの動きを精密に捉えているようだった。ボッカは何度かシルエッターの背後に回り込み、その動きを押さえつけようとしたが、その試みは成功しなかった。

 やがて、何合目かの打ち合いの瞬間、ボッカの銅の剣は衝撃に耐えきれず、刃の根元からポッキリと折れてしまった。シルエッターはその隙を逃さず、ボッカの腹のあたりを目掛けて足を突き出した。身を守る術を奪われてしまったボッカは、そのキックを交差させた両腕で受け止めたが、衝撃までは吸収しきれなかった。
 ボッカはあえて自ら後転し衝撃を和らげつつ、シルエッターから距離を取った。そして素早く呪文を唱えると、両手の指を全て敵に向けた。
 ボッカの10本の指から、最大量の黒煙が立ち上る。煙の呪文モクスーモである。視界を遮られたシルエッターの動きが一瞬止まった。

「皆さん、外に出て!」

 ボッカはトノらに指示を出すと、傍にあった小さな戸棚を横倒しにした。中に入っていた沢山のガラス瓶が倒れ、中身が床に散らばった。その中から一つの乾物のようなものを拾い上げると、マメシバの方へ放った。

 シルエッターは煙に一瞬怯んだものの、カメラを光学からサーモモードへと切り替え、再び活動を再開した。まだ起き上がれないでいるボッカへとツカツカと歩み寄り、エッジの光る右手を高く上げた。

 その背中に、ズドン、と勢いよくぶつかる物があった。マメシバである。衝撃でシルエッターは前のめりに倒れ、木製の床に鋭いエッジが深々と突き刺さった。引き抜けずに四苦八苦している。

「いいぞマメシバ、この際思いっきりやれ!」

 ボッカの声色はいつになく楽し気であった。マメシバも、床に散らばった乾物を目を輝かせながらパクパクと口にし、全て食べ終わるとその場でぐるんぐるん回り始めた。
 ボッカはマメシバとシルエッターをその場に残し、勝手口の方から外に出た。心配して回り込んできたトノ達に、大きく手を振って叫ぶ。

「危ないですよ! 離れてください!」

 そう言い終わるより先に、ボッカの家の柱や壁がメキメキと音を立て始めた。次に窓ガラスがバリンバリンと破れていく。あたりに激しい風が吹きはじめ、屋根を葺いていた藁が宙を舞い始めた。

「いったい何をおっぱじめたんだい!?」

 トノがドレスの裾を押さえながら言った。

「干した『台風目カブ』をマメシバに食べさせたんです! ありったけ食べさせたから、たぶん、あの家壊れます!」

 一方室内では、シルエッターがようやく床に刺さったエッジを引き抜くことに成功していた。しかし、サーモモードのままのカメラが、異常な高温を帯びてぐるぐる回り続ける物体を捉えた時には、もう手遅れであった。
 マメシバが巻き起こす暴風は、やがて竜巻を形成していった。万力のような風の力に吸い寄せられた、柱や壁、冷蔵庫、植木鉢、こたつ、みかん、布団、そして落ちた天井が、シルエッターの全身に纏わりつき、伸し掛かった。
 最新鋭の装甲には傷こそつかなかったが、シルエッターの体はそれら家財道具の下敷きとなり、重みで完全に身動きが取れなくなった。

 そのころ、ミャケは目の前でオモチャのように崩れていくボッカの家を、ぽかんとした目で見つめていた。

 最後にマメシバが、自らが巻き起こした風に乗って、がれきの中からぽーんと弧を描きながら舞い上がった。そして、ミャケの前に着地する。貴重なおやつをたらふく食べて満足したように、ゲェェップ! と大きなゲップを漏らした。

「ふ、ふふ。あはははは! マメ氏、ゲップでかすぎ!」

 ミャケはがれきの山の前で、腹を抱えて笑い出した。


 ―続―
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