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第2章 お友だちから始めるのでも

2.〈 01 〉

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 日曜の午後。雲はあるものの、そこそこ晴れてます。
 寒くて身が引き締まる。真冬だからね。日本の冬、緊張の冬、なんてね。

 今日は下着をそれほど気にしてません。普通のをチョイスしたよ。
 思えば、彼氏でない男性との待ち合わせだなんて、こりゃあ生まれてこの方23年半で初めてのことになるよなあ。なんだか新鮮だよ~。

 そういうわけで約束した駅前喫茶店に着く。スマホの時刻表示が12:58なんだから、余裕で間に合ってるわね。アタクシめったに遅刻しませんのよ。
 このムダに重いガッチリとした厚い木枠の扉を、アタシの右手が出せるありったけのパワーで、カララァ~ン♪ と鳴らしてどうにかこうにか開くことができた。
 で、入ってすぐ横に濃い緑色のパキラがあるの。なんの不満も不安もなくノンビリと指を広げているような、それら葉っぱどもをチラ見してから奥の方を眺めると、例の油性サラリーマン仮面がある。

「こんにちは」
「大森さん。お待ちしておりましたよ」
「えっと、お待たせしちゃったのかしら?」

 テーブルの上には、先週も見た小さいノート型パソコンが置かれている。
 砂糖や爪楊枝やメニューやらの常備品の他に、水のコップはもちろんのこと、ほとんど空のコーヒーカップと銀色スプーンとミルク壺に加えて、すっかり平らげた小皿と金色スプーンまである。こやつ、プリンを食ったのか? 甘党?

「僕は午前中に2つ隣の駅周辺を散策しておりました。正午前に牛丼屋で昼食を取りまして、それからここまで歩いてきました。この店に入ったのは12時半だったのですが、食後のデザートになにか食べようと思いババロアを注文したところ、おいしいのであっという間に完食してしまいました。わっははは~」

 さっそく〈8倍返し〉だよ。この人やたら返答が長いんです!
 で、アタシはというと今日は手提げカバンできました。メモリカードだけでなく、念のためデジタルフォトフレームも持ってきたのよ。

「さっそく始めることにしましょう」
「はい!」

 ありったけの願いを込めて、メモリカードを差し出す。
 神妙な面持ちで受け取った猪野さんは、それを疾風のごとき素早さでパソコンのスロットに挿し込んだ。表情は怖いくらいに静かだった。そしてキーボードをパッパパパ、パパパン! と烈火音のように打ち鳴らしたかと思うと、それからはまったく動かないでいる。
 ほぇ~、これぞまさしく風林火山だ!! 兵法を会得したのか!
 それから待つことおよそ40秒、猪野さんが口を開く。

「完了です」
「お!」

 フォルダ〈C:/Users/Ino/Novels〉の中に小説ファイルどもが蘇ったのだ!
 そして猪野さんは、メモリカードの中にある〈できそこないファイル〉だけを削除して、救出できたファイルをコピーしてくれた。頭がさがります。

「ありがとうございます」
「お顔をおあげください大森さん。そもそも僕が多大なご迷惑をおかけしたのですから、そのような感謝のお言葉はもったいない限りです。今後はこのような失敗を繰り返さないよう、自らにムチを打って励みます。ですから僕の不完全だったプログラムを、いえ僕自身をどうかお許しください」

 ほぇ~、この男どんだけ徳が高いの!! 3国時代の蜀漢の主か!
 ていうか、そんなことはどうだっていい。アタシが今まで10年もの歳月をかけて集めてきた大切なWEB小説、ざっと3千を超える作品コレクションが無事復活しているかどうか、それが1番の関心事なのよ。
 だからアタシは猪野さんから返されたメモリカードを、かなり震える手つきでデジタルフォトフレームにセットする。

 で、3年くらい前に結構人気があったのだけど、今となってはもうどこにも掲載されていない未完結作品『転生して異世界行ったら女の子になっちゃって人気だす草なぎ君!』を読み専アプリの〈PageOnページオン〉で開いてみた。
 そしたら、これちゃんと読めますよ!

 おおぉ~~~、神よ、あなたはアタシを救ってくれたのですね!!
 ていうか猪野さんよ、あなたはやっぱりパワーショベルの達人です!

「おや、その小説は……」
「ああこれは、冴えない男子高校生がレモンパンの皮ですべって死んじゃって、転生して別世界に行って『超モテモテな女性アイドル人生を目指すわよ!』という内容の、ちょっとエッチなファンタジー作品です。こういうの興味あります?」
「いえあの、それは略称『人気だす草なぎ君!』ですね。まさか大森さんが読まれているとは」
「知ってるの!? じゃあ猪野さんも読みました?」
「ええまあ……」

 あれ? 珍しく歯切れが悪いぞ。いつもの〈8倍返し〉はどうした?
 もしかしてこの人も、アタシのお父さんと同じように、こういうWEB小説に対して嫌悪感を持ってるのかしら?

「猪野さん、どうしました?」
「実は、それを書いたのは僕です」
「ええっ!?」

 ウソ、こんなことってあるのか!! まるで少女マンガの世界だわ。
 あ、でもそれだったら相手の顔はもっと美形でなきゃね。あー残念!

 マサコが1人喫茶店で、ダージリンのセカンドフラッシュを飲みながら、少しアンニュイな気分でボーイズラブ小説を読んでいると、横から「相席してもよろしいですか?」と綺麗な声がする。
 マサコはゆっくり顔をあげ「どうぞ」と答える。スパイもの映画シリーズで主役をやってて、女子ならまず誰もが認めるウルトラ級のイケメン俳優にそっくり。そんな彼が「おや、その小説は……」と本のページを覗き込む。
 マサコは「やだ見ないで!」と頬を朱に染める。すると彼が「実は、それを書いたのは僕です」と囁く。
 マサコは「ええっ!? もしかして、あなたもホモ?」とさらに頬を染める。彼が「いいえ。僕は大森さんのような美しい女性だけが好みなのです」と囁く。
 マサコは「まあ、アタシのことを美しいだなんて……」ともう耳まで真っ赤。彼がマサコの顔をじっと見つめる。マサコも彼の瞳だけを見る。
 そして2人は店を出て、手をつないで大阪城のような白いホテルへ。なぁ~んて、少女マンガの世界にしかないもんね~。

「大森さん」
「は!?」
「どうかされましたか?」

 妄想の世界からこちらへ戻ってみると、猪野さんの視線がまたアタシの顔に注ぎ込まれている。ちょっと油断したらすぐこれだわ。
 でも今日はこの前と違ってしっかり手を入れてきてます。そうです、ナチュラルメイクで決めてるの。ちょっとやそっとじゃあ捲れませんよ。へっへへへ~。

「いえ、アタシ別に……」
「そうですか?」
「はい、ちょっと貧血気味で……、でももう大丈夫ですから」

 アタシはこのフレーズしか返せねえのか? マサコちゃんマンネリズム!
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