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5章 お願いだよ。もう消えてっ、一緒に!
柘榴石と青玉
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ここはフランセ国南西部のウェセールという街に通じている街道。
日輪は既に低い位置まで降りていて、辺りは薄暗い紫色に変化しつつあり、空気も少し冷えてきている。
寂しい道の真ん中に、少女が一人だけで立っている。
「きゃあぁぁぁーっ!!」
突然、つむじ風を起こす程の甲高い悲鳴を上げた。
背の高さだけで見れば、まだほんの五歳くらいの子供だが、その華麗な姿はまさに顕現した天使のようでもある。そればかりか、左・右で異なる光を放つ赤と青の目が、奇怪なまでのただならぬ妖艶さを醸し出している。
この独特な風貌をした幼い少女に、大きな恐怖を与えている源は一匹の豚。その丸々とした巨体の重量は、少なめに見積もっても少女の体重の十倍を優に超えているであろう。
低く重苦しい「ブヴィ~ッ!」という咆哮――通常の豚の鳴き声ではなく、それはまさに魔鬼化した豚が出す呻きだ。
さらには、額の真ん中から突き出ている太いツノ。そんな凶器と化した鋭い先端を真正面から突きつけられて、肩をワナワナと、そして膝をガクガクと小刻みに震わせながらも、少女は辛うじて立っている。
不気味な呻き声を連発する魔鬼豚の四つ足は短いのだが、それでも、少しずつ少女との間合いを狭めるのに何ら不足はない。
周辺には、ポツリ・ポッツリといった程度には小屋が建っているものの、通行人の姿は少女を除いて一人すら見当たらない。
繰り返し「ヴヒヒィ」と耳の中に纏わりつく厭らしい声。
恐怖と不快感に堪え切れなくなった少女は、ついに腰を抜かしてしゃがみ込んでしまう。
すると、この機を待ち構えていたかのように、魔鬼豚が自分よりも小さくて細い体に向かって突進を始めた。
「いやあぁぁぁーっ!」
悲痛な叫び声を発するのと同時に、あっけなく事が終わった。
今まで激しく荒れ狂っていた魔鬼豚が一瞬にして多数の肉片になったのだ。少女の足元には多量の血が流れていて、周囲の砂地をドス黒く染めている。
左の赤い柘榴石のような目玉がギロリと動いて、汚れた地面を舐め回すように眺めている。その一方で、右の目玉はどこを見ているのか判らず虚ろだ。そちらを宝玉にたとえるのなら、さしずめ澄み切った青玉といったところであろう。
少しして、道の真ん中に座り込んでいた少女はゆっくりと立ち上がった。
淡く透き通るような水色のドレスに付着している砂粒を、小さな手二つで払い落としながら、呟きを口にする。
「魔鬼……でも、この程度。とっても弱いですの」
先程まで怯え切っていたはずの幼い天使が、魔鬼豚の消滅を境にして、まるで小悪魔にでも化けたかのように雰囲気を大きく変えた。
「やれやれですの。最近の魔鬼たちの威力は、とっても衰えましたの」
不思議なことに、少女のギラギラと輝く赤い眼光が向けられたことで、浄化でもされたのか、地面はすっかり元の黄土色に戻っている。飛び散っていたはずの豚の死骸が、大量に流れて広がった血の痕もろとも消え失せたのだ。
「もっとたっぷり必要ですの。魔の邪気、もっともっと吸わないことには……我のお腹は、膨れませんの。お腹、すぐに空きますの……」
少女は小さな両の掌で自分の腹部に触れている。そうしながら、やや不満げな表情を幼い顔に残したまま、たった一人で北に向かって歩き出した。
五歳前後の幼女が一人で旅をしていること自体尋常でない。それに加え、とても人間とは思えない雰囲気を漂わせている。
少女は、しばらく歩いてから不意に立ち止まった。怪訝な表情で、空気から何かを感じ取ろうとするかのように深く息を吸い込み、そしてすぐさま、近くに建っている荒れた無人の小屋に身を潜める。
少しして、街道を北から馬が二頭並んで、ゆっくりと駆けてきた。それぞれの上にはカントゥとフッゼルの姿がある。
今夜、ここから四キロメートル南へ進んだところにある街ウェセールで、反ゲルマーヌ派の指導者たちと会見が予定されていて、二人はそこへ向かっている。
ゲルマーヌ国とエングラン皇国が戦争状態かそれに準じる状況になった場合、反ゲルマーヌ派はエングラン側に加担しようと画策しているらしい。ゲルマーヌ国を打ち負かすことのみが、彼らの積年に及ぶ課題である。
もちろん、反ゲルマーヌ派にとっても、フランセ国の幸福や発展を願う思いが、行動の基盤になっている。それはカントゥたちを含む親ゲルマーヌ派の人間たちも同様ではある。
だが、親ゲルマーヌ派は「攻撃的活動によって得られる幸福は脆いものである」とも考えていて、反ゲルマーヌ派とは活動方針が正反対なのだ。相手方の不穏な動きを抑え込むことが、カントゥやフッゼルたちの責務なのである。
「はて?」
「カントゥ先生、どうされました?」
「ううむ。この辺りは、何やら奇妙な気を感じるのじゃ」
「あの小屋の中に何者かがいるのかもしれませんね。降りて、調べてみますか?」
「いいや、その必要はなかろうて。悪い気では、ないでのう」
「はぁ……あ、はい。判りました」
二頭の馬は脚を緩めることなく、古い小屋の前を通り過ぎた。
日輪は既に低い位置まで降りていて、辺りは薄暗い紫色に変化しつつあり、空気も少し冷えてきている。
寂しい道の真ん中に、少女が一人だけで立っている。
「きゃあぁぁぁーっ!!」
突然、つむじ風を起こす程の甲高い悲鳴を上げた。
背の高さだけで見れば、まだほんの五歳くらいの子供だが、その華麗な姿はまさに顕現した天使のようでもある。そればかりか、左・右で異なる光を放つ赤と青の目が、奇怪なまでのただならぬ妖艶さを醸し出している。
この独特な風貌をした幼い少女に、大きな恐怖を与えている源は一匹の豚。その丸々とした巨体の重量は、少なめに見積もっても少女の体重の十倍を優に超えているであろう。
低く重苦しい「ブヴィ~ッ!」という咆哮――通常の豚の鳴き声ではなく、それはまさに魔鬼化した豚が出す呻きだ。
さらには、額の真ん中から突き出ている太いツノ。そんな凶器と化した鋭い先端を真正面から突きつけられて、肩をワナワナと、そして膝をガクガクと小刻みに震わせながらも、少女は辛うじて立っている。
不気味な呻き声を連発する魔鬼豚の四つ足は短いのだが、それでも、少しずつ少女との間合いを狭めるのに何ら不足はない。
周辺には、ポツリ・ポッツリといった程度には小屋が建っているものの、通行人の姿は少女を除いて一人すら見当たらない。
繰り返し「ヴヒヒィ」と耳の中に纏わりつく厭らしい声。
恐怖と不快感に堪え切れなくなった少女は、ついに腰を抜かしてしゃがみ込んでしまう。
すると、この機を待ち構えていたかのように、魔鬼豚が自分よりも小さくて細い体に向かって突進を始めた。
「いやあぁぁぁーっ!」
悲痛な叫び声を発するのと同時に、あっけなく事が終わった。
今まで激しく荒れ狂っていた魔鬼豚が一瞬にして多数の肉片になったのだ。少女の足元には多量の血が流れていて、周囲の砂地をドス黒く染めている。
左の赤い柘榴石のような目玉がギロリと動いて、汚れた地面を舐め回すように眺めている。その一方で、右の目玉はどこを見ているのか判らず虚ろだ。そちらを宝玉にたとえるのなら、さしずめ澄み切った青玉といったところであろう。
少しして、道の真ん中に座り込んでいた少女はゆっくりと立ち上がった。
淡く透き通るような水色のドレスに付着している砂粒を、小さな手二つで払い落としながら、呟きを口にする。
「魔鬼……でも、この程度。とっても弱いですの」
先程まで怯え切っていたはずの幼い天使が、魔鬼豚の消滅を境にして、まるで小悪魔にでも化けたかのように雰囲気を大きく変えた。
「やれやれですの。最近の魔鬼たちの威力は、とっても衰えましたの」
不思議なことに、少女のギラギラと輝く赤い眼光が向けられたことで、浄化でもされたのか、地面はすっかり元の黄土色に戻っている。飛び散っていたはずの豚の死骸が、大量に流れて広がった血の痕もろとも消え失せたのだ。
「もっとたっぷり必要ですの。魔の邪気、もっともっと吸わないことには……我のお腹は、膨れませんの。お腹、すぐに空きますの……」
少女は小さな両の掌で自分の腹部に触れている。そうしながら、やや不満げな表情を幼い顔に残したまま、たった一人で北に向かって歩き出した。
五歳前後の幼女が一人で旅をしていること自体尋常でない。それに加え、とても人間とは思えない雰囲気を漂わせている。
少女は、しばらく歩いてから不意に立ち止まった。怪訝な表情で、空気から何かを感じ取ろうとするかのように深く息を吸い込み、そしてすぐさま、近くに建っている荒れた無人の小屋に身を潜める。
少しして、街道を北から馬が二頭並んで、ゆっくりと駆けてきた。それぞれの上にはカントゥとフッゼルの姿がある。
今夜、ここから四キロメートル南へ進んだところにある街ウェセールで、反ゲルマーヌ派の指導者たちと会見が予定されていて、二人はそこへ向かっている。
ゲルマーヌ国とエングラン皇国が戦争状態かそれに準じる状況になった場合、反ゲルマーヌ派はエングラン側に加担しようと画策しているらしい。ゲルマーヌ国を打ち負かすことのみが、彼らの積年に及ぶ課題である。
もちろん、反ゲルマーヌ派にとっても、フランセ国の幸福や発展を願う思いが、行動の基盤になっている。それはカントゥたちを含む親ゲルマーヌ派の人間たちも同様ではある。
だが、親ゲルマーヌ派は「攻撃的活動によって得られる幸福は脆いものである」とも考えていて、反ゲルマーヌ派とは活動方針が正反対なのだ。相手方の不穏な動きを抑え込むことが、カントゥやフッゼルたちの責務なのである。
「はて?」
「カントゥ先生、どうされました?」
「ううむ。この辺りは、何やら奇妙な気を感じるのじゃ」
「あの小屋の中に何者かがいるのかもしれませんね。降りて、調べてみますか?」
「いいや、その必要はなかろうて。悪い気では、ないでのう」
「はぁ……あ、はい。判りました」
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