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0章 三月の狂いヤギ
グラディウスとパンセ・メトード
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「ねえキミ、もう終わったから平気だよ」
少年が、まるで一匹の害虫を駆除したくらいの呑気な云い方をした。
その軽い口調に嫌悪感を抱いた少女は、むしろそれによって自分自身を取り戻すことができた。
まだ瞼を閉じたまま低い声で話す。
「ど、どういうおつもりなのです」
「へっ?」
少年はきょとんとした表情ですぐ近くに立っている。その気の抜けた顔が、ようやく開いた少女の目に映った。
腹の底から怒りが込み上げてきて、それが喉に到達するのを感じ、今度は甲高い声を出す。
「何もあんな、あのような始末をなさらずとも、よいではありませんこと!」
「あ、でも、ちゃんと十字を切ってあげたんだし」
「まあ、何ということを!?」
少女は目を大きく見開いて、少年をきっと睨みつけた。
「ほら、手厚く葬るってやつ? 僕は魂の浄化とか信じちゃいないけど」
「あ、あなたのような方こそ、決して魂の浄化など、されませんことよ!」
「うん、一向に構わないよ、そんなこと」
「…………」
たとえどのような状態の生き物であれ悪い者であれ、その命を奪うことには幾らかのやり切れなさを感じるもの。
(この方には、いたわりの感情が欠けている……)
その思いが自分自身を苛み、少女は胸を痛めた。
「ああそれより、この子はキミのところのヤギなの?」
「……えっええ、そうですわ」
「どちらにしても、もう少しすると気がつくから」
「気がつくですって?」
少年の云っていることが理解できないまま、少女は死骸のある方へゆっくりと顔を向けた。
そこには、引き裂かれたはずのヤギが元の姿で静かに横たわっている。その体には傷一つなく、周囲の砂にも血痕などは何も見当たらない。
「気絶してるんだよ、その子」
「気絶?」
「うん。魔鬼の方は、ちゃんと祓ってあげたから安心するといい」
少女はヤギの傍へ駆け寄った。凶器と化していたツノは跡形もなく消えていて、既に殺気は感じられなくなっている。
(殺さずに魔鬼だけを消し飛ばしたの?)
そんな疑問が少女の頭に浮いた。
この時、少年が長剣を拾って差し出してきた。
「ほらキミの。これ黒鋼の剣だね、なかなかの業物だ」
「あ、ありがとう……」
少女はやや困惑しながら、自分に向けられている剣の柄を握った。
「だけど、それだと魔鬼は祓えない」
「祓えない?」
「そう。だから僕に任せてと云ったんだ」
「…………」
剣を払い落とされた時の奇妙な感覚が少女の脳裏に蘇ってきた。当惑状態はしばらく続くのである。
(先程の、あの大刀は?)
少年の手元に少女の視線が向かった。
両刃で、湾曲刀とは違い反りがなかった。形は大鉈に似ていた。上身の幅は少女の長剣の三倍はあったはず。
少女が怪訝そうに腰や背中へと視線を浴びせかけてくるので、少年はすぐにその理由を察した。
「さっきの僕のね、哲刀ていうのだけど、あれでないと魔鬼は祓えないんだ」
「グラディウス?」
「そう。それで哲刀は必要な時にだけ在らしめる。思考的術式を使ってね」
「パンセ・メトード?」
グラディウスとパンセ・メトード――どちらも少女にとっては、すぐには意味が思い浮かばない言葉だ。
「それでさあ、キミの村、他にも魔鬼が現れてるの?」
「えっ、あ、いいえ。この子だけ……まだ」
「そうかあ、その子で今年最後ならいいんだけどね」
「ええ。そうであって欲しいものですわ」
「おっといけない、遅くなってしまうよ。それじゃあ、お嬢様」
「へ、はっ、あのあの……」
少し前まで〈キミ〉だったのを、突然〈お嬢様〉に変えるという、そんな不意を突いてくる発言だった。
そのため、尋ねたいことは沢山あるのにお嬢様は、すぐに言葉を繋ぐことができなかった。
「あ、行ってしまわれた……」
少年は既に駆け出していた。どうやら村に何か用事でもあるらしい。
(村でまたお会いすることになるかしら? でも……)
幾多の村を襲っているという〈三月の狂いヤギ〉が、とうとうこの村にも発生してしまった。穏やかで平和なことが取り得だったブルセル村にだ。
見渡す限り広がる淡く薄い赤紫色の空。朝から雲一つとしてない快晴だ。蒼く輝く日輪は間もなく今日一番の高さに達しようとしている。
今日は、もうすっかり暖かくなった三月の最終日。春本番、そして記念すべき日でもある。
気絶しているヤギの傍に立ちつくす少女の視線の先を颯爽と走る少年――彼の後ろ姿を、少女はただ呆然と見つめていた。
少年が、まるで一匹の害虫を駆除したくらいの呑気な云い方をした。
その軽い口調に嫌悪感を抱いた少女は、むしろそれによって自分自身を取り戻すことができた。
まだ瞼を閉じたまま低い声で話す。
「ど、どういうおつもりなのです」
「へっ?」
少年はきょとんとした表情ですぐ近くに立っている。その気の抜けた顔が、ようやく開いた少女の目に映った。
腹の底から怒りが込み上げてきて、それが喉に到達するのを感じ、今度は甲高い声を出す。
「何もあんな、あのような始末をなさらずとも、よいではありませんこと!」
「あ、でも、ちゃんと十字を切ってあげたんだし」
「まあ、何ということを!?」
少女は目を大きく見開いて、少年をきっと睨みつけた。
「ほら、手厚く葬るってやつ? 僕は魂の浄化とか信じちゃいないけど」
「あ、あなたのような方こそ、決して魂の浄化など、されませんことよ!」
「うん、一向に構わないよ、そんなこと」
「…………」
たとえどのような状態の生き物であれ悪い者であれ、その命を奪うことには幾らかのやり切れなさを感じるもの。
(この方には、いたわりの感情が欠けている……)
その思いが自分自身を苛み、少女は胸を痛めた。
「ああそれより、この子はキミのところのヤギなの?」
「……えっええ、そうですわ」
「どちらにしても、もう少しすると気がつくから」
「気がつくですって?」
少年の云っていることが理解できないまま、少女は死骸のある方へゆっくりと顔を向けた。
そこには、引き裂かれたはずのヤギが元の姿で静かに横たわっている。その体には傷一つなく、周囲の砂にも血痕などは何も見当たらない。
「気絶してるんだよ、その子」
「気絶?」
「うん。魔鬼の方は、ちゃんと祓ってあげたから安心するといい」
少女はヤギの傍へ駆け寄った。凶器と化していたツノは跡形もなく消えていて、既に殺気は感じられなくなっている。
(殺さずに魔鬼だけを消し飛ばしたの?)
そんな疑問が少女の頭に浮いた。
この時、少年が長剣を拾って差し出してきた。
「ほらキミの。これ黒鋼の剣だね、なかなかの業物だ」
「あ、ありがとう……」
少女はやや困惑しながら、自分に向けられている剣の柄を握った。
「だけど、それだと魔鬼は祓えない」
「祓えない?」
「そう。だから僕に任せてと云ったんだ」
「…………」
剣を払い落とされた時の奇妙な感覚が少女の脳裏に蘇ってきた。当惑状態はしばらく続くのである。
(先程の、あの大刀は?)
少年の手元に少女の視線が向かった。
両刃で、湾曲刀とは違い反りがなかった。形は大鉈に似ていた。上身の幅は少女の長剣の三倍はあったはず。
少女が怪訝そうに腰や背中へと視線を浴びせかけてくるので、少年はすぐにその理由を察した。
「さっきの僕のね、哲刀ていうのだけど、あれでないと魔鬼は祓えないんだ」
「グラディウス?」
「そう。それで哲刀は必要な時にだけ在らしめる。思考的術式を使ってね」
「パンセ・メトード?」
グラディウスとパンセ・メトード――どちらも少女にとっては、すぐには意味が思い浮かばない言葉だ。
「それでさあ、キミの村、他にも魔鬼が現れてるの?」
「えっ、あ、いいえ。この子だけ……まだ」
「そうかあ、その子で今年最後ならいいんだけどね」
「ええ。そうであって欲しいものですわ」
「おっといけない、遅くなってしまうよ。それじゃあ、お嬢様」
「へ、はっ、あのあの……」
少し前まで〈キミ〉だったのを、突然〈お嬢様〉に変えるという、そんな不意を突いてくる発言だった。
そのため、尋ねたいことは沢山あるのにお嬢様は、すぐに言葉を繋ぐことができなかった。
「あ、行ってしまわれた……」
少年は既に駆け出していた。どうやら村に何か用事でもあるらしい。
(村でまたお会いすることになるかしら? でも……)
幾多の村を襲っているという〈三月の狂いヤギ〉が、とうとうこの村にも発生してしまった。穏やかで平和なことが取り得だったブルセル村にだ。
見渡す限り広がる淡く薄い赤紫色の空。朝から雲一つとしてない快晴だ。蒼く輝く日輪は間もなく今日一番の高さに達しようとしている。
今日は、もうすっかり暖かくなった三月の最終日。春本番、そして記念すべき日でもある。
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