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備えるための道具集め
始まりの音②
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シシルジアと対面する少し前、予定よりも少し早めに到着してしまったララスティは、待ち合わせの時間まで応接室で過ごさせてもらうことにした。
出発する時に早めに到着するとわかっていたため、時間つぶしをかねて、刺繍をしている途中のハンカチも持ってきている。
応接室で待っている間、一人で黙々と刺繍をしていると、ノックもなく扉が開き、エミリアが入ってくる。
「ごきげんよう、お姉様」
「ごきげんよう、エミリアさん」
ノックはなかったが、挨拶がこんにちはからごきげんようには変わったのか、とララスティは笑みを向けた。
相変わらず無断でララスティの向かいに座ったエミリアは、メイドに紅茶を淹れるように言ってララスティの手元を見る。
「こんなところに来てまで刺繍ですか? お姉様って他に趣味がないんですか?」
「レース編みなどもしますが、このハンカチは特別ですから、少しの時間でも惜しいのですわ」
「特別?」
興味を持ったのか身を乗り出してハンカチを見るが、白地に白い糸で刺繍されてるのを見て、馬鹿にしたようにエミリアは笑う。
「白いハンカチに白い糸で何刺繍してるんですか? ププッなーんの模様か全然わかんないじゃないですか」
「……これは雪の結晶を刺しておりますの。あとで薄い青の糸で影を刺す予定ですのよ」
「へえ?」
「面白いアイディア」とエミリアは笑う。
「カイル殿下に刺繍糸をいただきまして、おねだりされてしまいましたの」
「カイル様に!?」
相変わらずカイルの敬称を間違えるエミリアに、ララスティは内心で笑いながら「ええ」と頷いた。
「先日少し難しい雰囲気のままお茶会を終えてしまって、そのお詫びにと刺繍糸をくださいましたの。だから、わたくしはそのお礼に心を込めて刺繍をしてお返ししますのよ」
にっこり笑ったララスティにエミリアは「そうなんですねぇ」と笑う。
「じゃあ他の糸は使わないんですよね?」
「ええ、使用する糸はもう分けてあるから、今残しているものは後で使おうかと思っていますわ」
「ふーん?」
ニヤニヤと笑うエミリアは「じゃあ、お姉様の顔を見たし、あたしはここで失礼しまーす」と言って応接室を出ていった。
メイドはお茶の準備を終えてすぐにいなくなっていたため、部屋にはララスティだけが残される。
(分かりやすい子)
エミリアが出ていくときに浮かべた笑み。
あの笑みは、ララスティからアクセサリーやドレスを奪っていった時と同じものだった。
きっとシシルジアとララスティが話している間に、エミリアは別邸に向かいカイルからもらった刺繍糸を奪う気なのだろう。
使用する糸は先ほども言った通り、もう取り分けており、残りは好きなようにしてもらって構わないため、もしエミリアが来て刺繍糸を要求してきたら、マリーカからもらった刺繍糸を除いて見せてもいいと使用人たちには伝えている。
ララスティが刺繍に一区切りをつけて紅茶を飲んだところで、応接室の扉がノックされシシルジアが入ってきた。
「久しぶりね、ララスティ」
「ごきげんよう、お婆様」
立ち上がってカーテシーを披露したララスティに、顔を上げて座るように言ったシシルジアも向かいのソファーに腰を下ろす。
「十月のお茶会以来ね。元気そうで何よりだわ」
「おかげさまで。別邸の皆に良くしてもらっていますから」
「……そう」
ララスティの言葉にシシルジアは複雑そうな表情を浮かべると、小さくため息を吐いた後、テーブルの上に小さな箱を置いた。
家門が施された豪華でしっかりした造りの箱。その中に入っているものは、所有者が入れ替えていなければ女主人の証が入っている。
ララスティがミリアリスから譲り受け、アーノルトが奪っていきクロエに渡したものだ。
その箱を見て、どうしてここにあるのかと思う一方、面白いことになったとララスティは内心で笑う。
「お婆様、これは?」
「クロエさんから返してもらいました」
「え!?」
驚きの表情を浮かべるララスティに、シシルジアは満足そうな笑みを浮かべる。
「これは私が代理扱いとはいえ、ミリアリスさんに譲ったものです。あの頃の私は夫の手伝いで忙しく領地で過ごすことも多かったし、家の事は別邸住まいとはいえミリアリスさんに任せっぱなしでした」
「そう……ですわね」
そのこともアーノルトがミリアリスを気に入らなかった原因だと、きっとシシルジアは気づいていないのだろうとララスティは考える。
自分がまだ当主になっていないのに、妻はすでに女主人として扱われる。
それが代理であっても、自分より優れていると思われているのではないかと、そう考えていたのかもしれない。
様々な要因が重なった不運で愛の無い歪な家庭ができ、前回のララスティという愛に飢えた子供が出来たのかもしれない。
「そのミリアリスさんが亡くなり、このブローチは貴女のものになったのに、アーノルトが私への確認もなく奪うなど、許されないことです」
だから返しえもらったと言うシシルジアに、ララスティは不安な表情を浮かべる。
「お父様がお怒りになられます。このブローチをわたくしのところからクロエ様のところに移したのは、お父様ですもの」
「これは女主人の証のブローチ。所有権をどうするのかは当主以前に女主人にあります。私はクロエさんがこのランバルト公爵家の女主人になるのなら、私がこのブローチの所有者に戻るか、ララスティに戻すべきです」
「お婆様……」
ララスティは困惑した目をしてシシルジアを見つめた後、そっと顔を伏せて首を横に振った。
「わたくしはいずれ王太子妃になるべき娘ですわ。そもそも、伯父様から養女の話も出ていると聞きました」
「どうしてそれを!」
シシルジアは驚くが、ララスティの後見は実質コールストなのだから、話していても不思議ではない。
「この家に残る可能性の少ないわたくしよりも、お婆様やクロエ様、そしてエミリアさんが所有しているべきですわ」
顔を伏せたままララスティはそう言い、次に顔を上げた時は穏やかな笑みを張り付けている。
それを見てシシルジアは悲痛な表情を浮かべると、小さな声で「ごめんなさい」と呟く。
「私がもっと貴方たちを気にかけてあげていれば……」
「お婆様……」
悲しそうな細い声を出しながらも、ララスティの心は冷えていく。
前回も今回もシシルジアは動くのが遅い。
ミリアリスが死んだとき、もしくはララスティがアインバッハ公爵家に行くと言い出したときに動けなかった。
そのツケが今こうして降りかかっているだけ。
後悔していると、その姿を見せつけられてもララスティの心には響かない。
前回はもちろん祖父母にも愛情を求めたが、忙しくしていると言われ放置された。
そしてアーノルトが当主になってしばらくして領地へ行き、ほとんど帰ってくることはなかった。
「そのようなことをおっしゃらないでください。お婆様はこのランバルト公爵家のために、できることをなさっているのです。これからは、わたくしよりもどうぞクロエ様を……お義母様を支えて差し上げて下さいまし」
健気な孫娘に見えるように、敢えて儚げに言うララスティの姿に、シシルジアの心は後悔の念で沈んでいく。
「それにお婆様、このようなことして……もしお父様の耳に入ったら———」
ララスティがそう言ったタイミングで急に応接室の扉が開き、アーノルトがドカドカと足音を立てて入ってくる。
(あら、いいタイミングですこと)
内心でタイミングの良さを喜びながら、ララスティは慌てたようにブローチの入った箱を手で隠す。
「お父様!」
「クロエから聞いたぞ! 無理やりブローチを奪ったそうだな! 母上に奪わせるなんて卑怯な真似をしやがって、この小娘が!」
「アーノルトっ違います!」
慌てて席を立ったシシルジアがララスティを庇おうとするが、その前に近づいたアーノルトの手がララスティに伸び、その頬をぶった。
「っ!」
「アーノルト!」
シシルジアの悲鳴のような声が響く中、頬をぶたれた衝撃で倒れ込みながら、ララスティは思わず笑いそうになってしまう。
(バカな男)
運よくテーブルにあたることなく、ララスティの体はソファーに倒れ込む。
「このっコソ泥が!」
アーノルトはそう言ってララスティを睨みつけ、さらに打とうと手を振り上げたが、その手にシシルジアがしがみついた。
「おやめなさい! ララスティはなにもわるくありません!」
「母上!」
「クロエさんからブローチを返してもらったのは私です! 元々私の物なのだから、当然でしょう!」
「……ちっ」
シシルジアの行動はララスティを庇ってのものだとおもったのか、アーノルトは舌打ちをする。
「出ていけ、お前の顔など見たくもない」
「…………はい」
ララスティは次第に熱と痛みを感じ始めた頬に手を添え、ゆっくりと立ち上がり、アーノルトを避けるように大回りをして応接室を出ていく。
扉が閉まる直前、中からシシルジアの怒鳴り声が聞こえてきたが、嗚咽を堪えるふりをして口元に手を当て、笑いそうな口元を隠す。
打たれるなど前回を含めても初めての体験だが、もしかしたらしばらくは腫れが引かないかもしれない。
一週間後に予定されているカイルとのお茶会に、断りの返事をしなくては、とララスティは大声で笑いたくて仕方がなかった。
出発する時に早めに到着するとわかっていたため、時間つぶしをかねて、刺繍をしている途中のハンカチも持ってきている。
応接室で待っている間、一人で黙々と刺繍をしていると、ノックもなく扉が開き、エミリアが入ってくる。
「ごきげんよう、お姉様」
「ごきげんよう、エミリアさん」
ノックはなかったが、挨拶がこんにちはからごきげんようには変わったのか、とララスティは笑みを向けた。
相変わらず無断でララスティの向かいに座ったエミリアは、メイドに紅茶を淹れるように言ってララスティの手元を見る。
「こんなところに来てまで刺繍ですか? お姉様って他に趣味がないんですか?」
「レース編みなどもしますが、このハンカチは特別ですから、少しの時間でも惜しいのですわ」
「特別?」
興味を持ったのか身を乗り出してハンカチを見るが、白地に白い糸で刺繍されてるのを見て、馬鹿にしたようにエミリアは笑う。
「白いハンカチに白い糸で何刺繍してるんですか? ププッなーんの模様か全然わかんないじゃないですか」
「……これは雪の結晶を刺しておりますの。あとで薄い青の糸で影を刺す予定ですのよ」
「へえ?」
「面白いアイディア」とエミリアは笑う。
「カイル殿下に刺繍糸をいただきまして、おねだりされてしまいましたの」
「カイル様に!?」
相変わらずカイルの敬称を間違えるエミリアに、ララスティは内心で笑いながら「ええ」と頷いた。
「先日少し難しい雰囲気のままお茶会を終えてしまって、そのお詫びにと刺繍糸をくださいましたの。だから、わたくしはそのお礼に心を込めて刺繍をしてお返ししますのよ」
にっこり笑ったララスティにエミリアは「そうなんですねぇ」と笑う。
「じゃあ他の糸は使わないんですよね?」
「ええ、使用する糸はもう分けてあるから、今残しているものは後で使おうかと思っていますわ」
「ふーん?」
ニヤニヤと笑うエミリアは「じゃあ、お姉様の顔を見たし、あたしはここで失礼しまーす」と言って応接室を出ていった。
メイドはお茶の準備を終えてすぐにいなくなっていたため、部屋にはララスティだけが残される。
(分かりやすい子)
エミリアが出ていくときに浮かべた笑み。
あの笑みは、ララスティからアクセサリーやドレスを奪っていった時と同じものだった。
きっとシシルジアとララスティが話している間に、エミリアは別邸に向かいカイルからもらった刺繍糸を奪う気なのだろう。
使用する糸は先ほども言った通り、もう取り分けており、残りは好きなようにしてもらって構わないため、もしエミリアが来て刺繍糸を要求してきたら、マリーカからもらった刺繍糸を除いて見せてもいいと使用人たちには伝えている。
ララスティが刺繍に一区切りをつけて紅茶を飲んだところで、応接室の扉がノックされシシルジアが入ってきた。
「久しぶりね、ララスティ」
「ごきげんよう、お婆様」
立ち上がってカーテシーを披露したララスティに、顔を上げて座るように言ったシシルジアも向かいのソファーに腰を下ろす。
「十月のお茶会以来ね。元気そうで何よりだわ」
「おかげさまで。別邸の皆に良くしてもらっていますから」
「……そう」
ララスティの言葉にシシルジアは複雑そうな表情を浮かべると、小さくため息を吐いた後、テーブルの上に小さな箱を置いた。
家門が施された豪華でしっかりした造りの箱。その中に入っているものは、所有者が入れ替えていなければ女主人の証が入っている。
ララスティがミリアリスから譲り受け、アーノルトが奪っていきクロエに渡したものだ。
その箱を見て、どうしてここにあるのかと思う一方、面白いことになったとララスティは内心で笑う。
「お婆様、これは?」
「クロエさんから返してもらいました」
「え!?」
驚きの表情を浮かべるララスティに、シシルジアは満足そうな笑みを浮かべる。
「これは私が代理扱いとはいえ、ミリアリスさんに譲ったものです。あの頃の私は夫の手伝いで忙しく領地で過ごすことも多かったし、家の事は別邸住まいとはいえミリアリスさんに任せっぱなしでした」
「そう……ですわね」
そのこともアーノルトがミリアリスを気に入らなかった原因だと、きっとシシルジアは気づいていないのだろうとララスティは考える。
自分がまだ当主になっていないのに、妻はすでに女主人として扱われる。
それが代理であっても、自分より優れていると思われているのではないかと、そう考えていたのかもしれない。
様々な要因が重なった不運で愛の無い歪な家庭ができ、前回のララスティという愛に飢えた子供が出来たのかもしれない。
「そのミリアリスさんが亡くなり、このブローチは貴女のものになったのに、アーノルトが私への確認もなく奪うなど、許されないことです」
だから返しえもらったと言うシシルジアに、ララスティは不安な表情を浮かべる。
「お父様がお怒りになられます。このブローチをわたくしのところからクロエ様のところに移したのは、お父様ですもの」
「これは女主人の証のブローチ。所有権をどうするのかは当主以前に女主人にあります。私はクロエさんがこのランバルト公爵家の女主人になるのなら、私がこのブローチの所有者に戻るか、ララスティに戻すべきです」
「お婆様……」
ララスティは困惑した目をしてシシルジアを見つめた後、そっと顔を伏せて首を横に振った。
「わたくしはいずれ王太子妃になるべき娘ですわ。そもそも、伯父様から養女の話も出ていると聞きました」
「どうしてそれを!」
シシルジアは驚くが、ララスティの後見は実質コールストなのだから、話していても不思議ではない。
「この家に残る可能性の少ないわたくしよりも、お婆様やクロエ様、そしてエミリアさんが所有しているべきですわ」
顔を伏せたままララスティはそう言い、次に顔を上げた時は穏やかな笑みを張り付けている。
それを見てシシルジアは悲痛な表情を浮かべると、小さな声で「ごめんなさい」と呟く。
「私がもっと貴方たちを気にかけてあげていれば……」
「お婆様……」
悲しそうな細い声を出しながらも、ララスティの心は冷えていく。
前回も今回もシシルジアは動くのが遅い。
ミリアリスが死んだとき、もしくはララスティがアインバッハ公爵家に行くと言い出したときに動けなかった。
そのツケが今こうして降りかかっているだけ。
後悔していると、その姿を見せつけられてもララスティの心には響かない。
前回はもちろん祖父母にも愛情を求めたが、忙しくしていると言われ放置された。
そしてアーノルトが当主になってしばらくして領地へ行き、ほとんど帰ってくることはなかった。
「そのようなことをおっしゃらないでください。お婆様はこのランバルト公爵家のために、できることをなさっているのです。これからは、わたくしよりもどうぞクロエ様を……お義母様を支えて差し上げて下さいまし」
健気な孫娘に見えるように、敢えて儚げに言うララスティの姿に、シシルジアの心は後悔の念で沈んでいく。
「それにお婆様、このようなことして……もしお父様の耳に入ったら———」
ララスティがそう言ったタイミングで急に応接室の扉が開き、アーノルトがドカドカと足音を立てて入ってくる。
(あら、いいタイミングですこと)
内心でタイミングの良さを喜びながら、ララスティは慌てたようにブローチの入った箱を手で隠す。
「お父様!」
「クロエから聞いたぞ! 無理やりブローチを奪ったそうだな! 母上に奪わせるなんて卑怯な真似をしやがって、この小娘が!」
「アーノルトっ違います!」
慌てて席を立ったシシルジアがララスティを庇おうとするが、その前に近づいたアーノルトの手がララスティに伸び、その頬をぶった。
「っ!」
「アーノルト!」
シシルジアの悲鳴のような声が響く中、頬をぶたれた衝撃で倒れ込みながら、ララスティは思わず笑いそうになってしまう。
(バカな男)
運よくテーブルにあたることなく、ララスティの体はソファーに倒れ込む。
「このっコソ泥が!」
アーノルトはそう言ってララスティを睨みつけ、さらに打とうと手を振り上げたが、その手にシシルジアがしがみついた。
「おやめなさい! ララスティはなにもわるくありません!」
「母上!」
「クロエさんからブローチを返してもらったのは私です! 元々私の物なのだから、当然でしょう!」
「……ちっ」
シシルジアの行動はララスティを庇ってのものだとおもったのか、アーノルトは舌打ちをする。
「出ていけ、お前の顔など見たくもない」
「…………はい」
ララスティは次第に熱と痛みを感じ始めた頬に手を添え、ゆっくりと立ち上がり、アーノルトを避けるように大回りをして応接室を出ていく。
扉が閉まる直前、中からシシルジアの怒鳴り声が聞こえてきたが、嗚咽を堪えるふりをして口元に手を当て、笑いそうな口元を隠す。
打たれるなど前回を含めても初めての体験だが、もしかしたらしばらくは腫れが引かないかもしれない。
一週間後に予定されているカイルとのお茶会に、断りの返事をしなくては、とララスティは大声で笑いたくて仕方がなかった。
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