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下準備A③
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僅かに重い空気が支配する中、最初に口を開いたのはコールストだった。
「まず、ルティの知っている未来が現実だということを前提条件にして動くとして、伝染病の特効薬に必要な生薬だけど、現時点でその生薬の栽培が終わっているか、わかるかい? それと特効薬の配合量なんかは?」
「申し訳ありません、伯父様。前回のわたくしは特効薬の配合などにはあまり興味を持っておらず、用意されたもので満足しておりました。ですが、この時期には生薬自体の栽培に成功しており、配合の研究がなされているはずですわ」
ララスティの言葉に頷いてから、コールストはアインバッハ公爵家の当主として、前当主夫妻に提案した。
一つ、希望は捨てたくないが、妻や息子と過ごす時間を増やしたいので、執務を手伝ってほしい。
一つ、ララスティはこのまま当面アインバッハ公爵家で預かる。
一つ、帝国が特効薬を開発しているのであれば、輸入の交渉には元帝国皇女であるアマリアスが先頭となり動き、試作品も完成品も致死を防ぐことが絶対ではないこと、後遺症が残ること、遅ければ効果が薄れることなどを説明し、アインバッハ公爵家が無償で貴族に配る。
「こちらの行動をまずとるのはどうだろう」
「伯父様、エルンストにぃ様が亡くなってからも、ずっとわたくしがアインバッハ公爵家にお世話になっていると、この家の養女の座を狙って来たのではないかと疑う人が出ると思いますの」
「それはありそうね。ルティにはもうしわけないけれども、エルンストが亡くなって少ししたら、ランベルト公爵家に帰るということでいいかしら」
アマリアスの言葉にララスティが頷く。
前回では、アインバッハ公爵家側からララスティを養女にする話があったが、父親に拒否されていたらしいと後で知ったので、今回も同じ流れになる可能性は捨てきれない。
その時にずっとアインバッハ公爵家に居座り、周囲の心証を悪くしたくはないのだ。
子供が死んでいる家に姪が居座り養女になったとなれば、養女目的で行動していたのかと邪推してくる相手は山のように湧いて出る。
対策はしておくに越したことはない。
「そういえば未来の知識はどのぐらい先まであるんだ?」
ふと気になったとでも言うようにコールストが尋ねた。
すると、ララスティは「二十歳の誕生日の翌日まで」とはっきりと答えた。
「誕生日にカイル殿下に婚約破棄をされ、翌日にそれを知ったお父様の命令で修道院に行く途中で、事故に遭って死んだ……のだと思います。記憶というか知識はここまでですもの」
「カイル殿下と婚約破棄!? いや、その前に婚約?」
信じられないというようなコールストに、ララスティは「王命で決まった」と答えた。
実際、ララスティはどうして自分がカイルの婚約者になったのかを知らない。
年頃で言えば他の家に釣り合いの取れる令嬢はいたし、はとこであるカイルとは血縁的に近いとも遠いとも言えない、なんとも微妙なところであった。
ランバルト公爵家を建て直すための一助なのかと考えた時期もあったが、ランバルト公爵家に対して王家が何か口を出したり、援助したりすることは終ぞなかったと記憶している。
それに、前回は婚約者となったカイルに対し、周囲から得ることが出来なかった愛情を求めることに必死になって、なんとか気に入られようとそのことに集中していたため、悪く言えばランバルト公爵家がどのようになっても気にはしていなかった。
ただ、異母妹になるエミリアがどんどんララスティの持ち物や居場所、親しい人物を奪っていくのは我慢できなかった。
エミリアの行いにあらがった結果、周囲から妹を虐げる悪女と認識され、最終的にカイルから婚約破棄をされるまで至った。
事故に遭う前、馬車の中で間違っていたのだろうかと何度も考え、至った答えは、始まりの選択を間違えたと気づいた。
父親に愛を求めるべきではなかった。婚約者に愛を求めるべきではなかった。
奪っていくエミリアに構うべきではなかった。
加害者になるような立ち振る舞いをすべきではなかった。
被害者に見えるような立ち振る舞いをすべきであった。
実際に母親を亡くしたばかりの子供を置いて再婚した妻子ばかりを優先する父親と、異母姉のものを奪ってばかりの異母妹。
何も言わず夫たちに便乗するような継母から何かを与えられることはなかった、純粋なる被害者だった。
「もう前回と言うようにしますわね。前回のわたくしはとにかく周囲からの愛情を受けることが出来ず、カイル殿下にそのすべてを求めておりました。もちろん、婚約者にふさわしくある努力は欠かしませんでした。けれども、必要以上に求めた自覚はありますわ」
だからこそ、エミリアがカイルに近づくのが許せなかったとララスティは話した。
カイルの視線の先にエミリアが居るのだと気づき始めたころから、それまで以上にエミリアに対して憎しみを抱いたこと、排除しようと動き自分で自分を追い詰めていったこと、挙句、何もかも失った後に始まりの選択を間違えたことに気づいたことを話した。
「お父様に愛情を求めることも、継母に何かを期待することも、エミリアに奪われて苦しみや憎しみを抱くことも、カイル殿下に愛情を求めることも、何もかも今のわたくしにとっては不要ですわ」
はっきり言うララスティの瞳には、やはり強い意志を感じることが出来る。
「王命で婚約が決まるとなると、今回もそうなる可能性が高いだろうが、カイル殿下に愛情を求めないのかい? 前回の反省を生かせばいい関係を築けるかもしれないじゃないか」
「伯父様、カイル殿下は婚約破棄をわたくしに告げた後こうおっしゃいました。異母妹を真実愛しているのだと。わたくしと婚約していたのでよくないとわかっていても、惹かれてしまう心を止めることが出来なかったと。婚約破棄後に改めて異母妹と婚約を結ぶことを、既にお父様が承諾していると」
そう言ってララスティは「真実の愛を止めるすべはないそうです」と笑った。
カイルは決して醜悪な人間ではなく、むしろ誠実な人間だ。
愛していない婚約者であるララスティに応えようと努力はしたが、求められるものが大きすぎて疲れてしまったのだと、正直に告白してきた。
その上で、自分を癒してくれたのはララスティのエミリアなのだとも話した。
けれどもララスティの家庭の事情も理解していたので、エミリアがカイルに異母姉に虐げられていると言われても、初めは多少揉めるのだろうと諫めたが、なんども自分の目でその現場を目撃し、父王に頼んで王家の影を使い内情を探って、真実ララスティがエミリアを虐げている証拠が集まれば、もうどうしようもなくララスティを憎く感じたとも言われた。
エミリアを隣で支え守りたいと考えるようになった。
その前にけじめをつけるべきで、ララスティとの婚約を解消したいと父王に話したが許されず、数年経つうちにエミリアを想う気持ちが止められなくなったので、独断でララスティを呼び出して婚約破棄を申し出たのだと謝られた。
王命に逆らったことで廃嫡になって王籍を抜かれても構わないと、そうなったら使用人になってエミリアの傍に居させてもらうよう頼むなど、未来の夢まで話された。
その頃には前回のララスティはただ泣くのを必死で我慢し、婚約破棄の書類にサインをしていた。
この国の法律で、二十歳を越えれば王侯貴族であっても、当主の了承なく婚約を結んだりなかったりすることが出来る。
もっとも、外聞が悪くなるので基本的には当主の承諾を得るのが一般的だ。
婚約破棄の書類にはランベルト公爵であるララスティの父親の承認があったが、カイルの父である国王の承認はなかった。
それでも婚約破棄は成立した。
傷心のまま家に帰れば、屋敷の門前で待っていた父親によって別邸の自室に閉じ込められ、翌日の明けきらない時間に修道院へと出立させられた。
準備はカイルから話があった時からされていたのだろう。
なんの荷物の準備もなかったが、馬車だけはまるで牢獄のようなものが用意されていた。
外側から鍵をかけられ、窓に格子がはめられた飾り気のない馬車に、公爵令嬢が乗っているとはだれも思わないだろう。
王都を出る際も中を確認されることはなく、形ばかりの確認を馭者が行っただけのように記憶している。
そして、南にある修道院に向かう途中で事故が起きた。
車輪が外れたのか、傾いた車体に座っていた体が浮き、次の瞬間、強く頭や背中を打ち付けていた。
動けずにいる間に轟音とともに、何かが重く体に落ちてきた。
「わたくしの記憶はここまでですわ」
ララスティはそう言って、気持ちを落ち着かせるためにココアを自分で温めなおし、ティースプーンでくるりと中身を混ぜてから残りを飲み干した。
「まず、ルティの知っている未来が現実だということを前提条件にして動くとして、伝染病の特効薬に必要な生薬だけど、現時点でその生薬の栽培が終わっているか、わかるかい? それと特効薬の配合量なんかは?」
「申し訳ありません、伯父様。前回のわたくしは特効薬の配合などにはあまり興味を持っておらず、用意されたもので満足しておりました。ですが、この時期には生薬自体の栽培に成功しており、配合の研究がなされているはずですわ」
ララスティの言葉に頷いてから、コールストはアインバッハ公爵家の当主として、前当主夫妻に提案した。
一つ、希望は捨てたくないが、妻や息子と過ごす時間を増やしたいので、執務を手伝ってほしい。
一つ、ララスティはこのまま当面アインバッハ公爵家で預かる。
一つ、帝国が特効薬を開発しているのであれば、輸入の交渉には元帝国皇女であるアマリアスが先頭となり動き、試作品も完成品も致死を防ぐことが絶対ではないこと、後遺症が残ること、遅ければ効果が薄れることなどを説明し、アインバッハ公爵家が無償で貴族に配る。
「こちらの行動をまずとるのはどうだろう」
「伯父様、エルンストにぃ様が亡くなってからも、ずっとわたくしがアインバッハ公爵家にお世話になっていると、この家の養女の座を狙って来たのではないかと疑う人が出ると思いますの」
「それはありそうね。ルティにはもうしわけないけれども、エルンストが亡くなって少ししたら、ランベルト公爵家に帰るということでいいかしら」
アマリアスの言葉にララスティが頷く。
前回では、アインバッハ公爵家側からララスティを養女にする話があったが、父親に拒否されていたらしいと後で知ったので、今回も同じ流れになる可能性は捨てきれない。
その時にずっとアインバッハ公爵家に居座り、周囲の心証を悪くしたくはないのだ。
子供が死んでいる家に姪が居座り養女になったとなれば、養女目的で行動していたのかと邪推してくる相手は山のように湧いて出る。
対策はしておくに越したことはない。
「そういえば未来の知識はどのぐらい先まであるんだ?」
ふと気になったとでも言うようにコールストが尋ねた。
すると、ララスティは「二十歳の誕生日の翌日まで」とはっきりと答えた。
「誕生日にカイル殿下に婚約破棄をされ、翌日にそれを知ったお父様の命令で修道院に行く途中で、事故に遭って死んだ……のだと思います。記憶というか知識はここまでですもの」
「カイル殿下と婚約破棄!? いや、その前に婚約?」
信じられないというようなコールストに、ララスティは「王命で決まった」と答えた。
実際、ララスティはどうして自分がカイルの婚約者になったのかを知らない。
年頃で言えば他の家に釣り合いの取れる令嬢はいたし、はとこであるカイルとは血縁的に近いとも遠いとも言えない、なんとも微妙なところであった。
ランバルト公爵家を建て直すための一助なのかと考えた時期もあったが、ランバルト公爵家に対して王家が何か口を出したり、援助したりすることは終ぞなかったと記憶している。
それに、前回は婚約者となったカイルに対し、周囲から得ることが出来なかった愛情を求めることに必死になって、なんとか気に入られようとそのことに集中していたため、悪く言えばランバルト公爵家がどのようになっても気にはしていなかった。
ただ、異母妹になるエミリアがどんどんララスティの持ち物や居場所、親しい人物を奪っていくのは我慢できなかった。
エミリアの行いにあらがった結果、周囲から妹を虐げる悪女と認識され、最終的にカイルから婚約破棄をされるまで至った。
事故に遭う前、馬車の中で間違っていたのだろうかと何度も考え、至った答えは、始まりの選択を間違えたと気づいた。
父親に愛を求めるべきではなかった。婚約者に愛を求めるべきではなかった。
奪っていくエミリアに構うべきではなかった。
加害者になるような立ち振る舞いをすべきではなかった。
被害者に見えるような立ち振る舞いをすべきであった。
実際に母親を亡くしたばかりの子供を置いて再婚した妻子ばかりを優先する父親と、異母姉のものを奪ってばかりの異母妹。
何も言わず夫たちに便乗するような継母から何かを与えられることはなかった、純粋なる被害者だった。
「もう前回と言うようにしますわね。前回のわたくしはとにかく周囲からの愛情を受けることが出来ず、カイル殿下にそのすべてを求めておりました。もちろん、婚約者にふさわしくある努力は欠かしませんでした。けれども、必要以上に求めた自覚はありますわ」
だからこそ、エミリアがカイルに近づくのが許せなかったとララスティは話した。
カイルの視線の先にエミリアが居るのだと気づき始めたころから、それまで以上にエミリアに対して憎しみを抱いたこと、排除しようと動き自分で自分を追い詰めていったこと、挙句、何もかも失った後に始まりの選択を間違えたことに気づいたことを話した。
「お父様に愛情を求めることも、継母に何かを期待することも、エミリアに奪われて苦しみや憎しみを抱くことも、カイル殿下に愛情を求めることも、何もかも今のわたくしにとっては不要ですわ」
はっきり言うララスティの瞳には、やはり強い意志を感じることが出来る。
「王命で婚約が決まるとなると、今回もそうなる可能性が高いだろうが、カイル殿下に愛情を求めないのかい? 前回の反省を生かせばいい関係を築けるかもしれないじゃないか」
「伯父様、カイル殿下は婚約破棄をわたくしに告げた後こうおっしゃいました。異母妹を真実愛しているのだと。わたくしと婚約していたのでよくないとわかっていても、惹かれてしまう心を止めることが出来なかったと。婚約破棄後に改めて異母妹と婚約を結ぶことを、既にお父様が承諾していると」
そう言ってララスティは「真実の愛を止めるすべはないそうです」と笑った。
カイルは決して醜悪な人間ではなく、むしろ誠実な人間だ。
愛していない婚約者であるララスティに応えようと努力はしたが、求められるものが大きすぎて疲れてしまったのだと、正直に告白してきた。
その上で、自分を癒してくれたのはララスティのエミリアなのだとも話した。
けれどもララスティの家庭の事情も理解していたので、エミリアがカイルに異母姉に虐げられていると言われても、初めは多少揉めるのだろうと諫めたが、なんども自分の目でその現場を目撃し、父王に頼んで王家の影を使い内情を探って、真実ララスティがエミリアを虐げている証拠が集まれば、もうどうしようもなくララスティを憎く感じたとも言われた。
エミリアを隣で支え守りたいと考えるようになった。
その前にけじめをつけるべきで、ララスティとの婚約を解消したいと父王に話したが許されず、数年経つうちにエミリアを想う気持ちが止められなくなったので、独断でララスティを呼び出して婚約破棄を申し出たのだと謝られた。
王命に逆らったことで廃嫡になって王籍を抜かれても構わないと、そうなったら使用人になってエミリアの傍に居させてもらうよう頼むなど、未来の夢まで話された。
その頃には前回のララスティはただ泣くのを必死で我慢し、婚約破棄の書類にサインをしていた。
この国の法律で、二十歳を越えれば王侯貴族であっても、当主の了承なく婚約を結んだりなかったりすることが出来る。
もっとも、外聞が悪くなるので基本的には当主の承諾を得るのが一般的だ。
婚約破棄の書類にはランベルト公爵であるララスティの父親の承認があったが、カイルの父である国王の承認はなかった。
それでも婚約破棄は成立した。
傷心のまま家に帰れば、屋敷の門前で待っていた父親によって別邸の自室に閉じ込められ、翌日の明けきらない時間に修道院へと出立させられた。
準備はカイルから話があった時からされていたのだろう。
なんの荷物の準備もなかったが、馬車だけはまるで牢獄のようなものが用意されていた。
外側から鍵をかけられ、窓に格子がはめられた飾り気のない馬車に、公爵令嬢が乗っているとはだれも思わないだろう。
王都を出る際も中を確認されることはなく、形ばかりの確認を馭者が行っただけのように記憶している。
そして、南にある修道院に向かう途中で事故が起きた。
車輪が外れたのか、傾いた車体に座っていた体が浮き、次の瞬間、強く頭や背中を打ち付けていた。
動けずにいる間に轟音とともに、何かが重く体に落ちてきた。
「わたくしの記憶はここまでですわ」
ララスティはそう言って、気持ちを落ち着かせるためにココアを自分で温めなおし、ティースプーンでくるりと中身を混ぜてから残りを飲み干した。
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