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第二章

鈍いのろい呪い。12

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 和泉には数十分以上に感じられていたが、あとでふたりに尋ねたところ、はぐれていたのはほんの二、三分のことだったらしい。
 すっかり口数が少なくなってしまった和泉に、今は構わない方がいいだろうとふたりは判断した。残りはキャンプ地で過ごし、おとなしく一泊すると帰路を辿った。



「どうしたんですかぁ、和泉くん……顔色がとても悪いじゃあないですかぁ?」

 駅に着いた和泉は、家よりも先に酒寄の元へと寄った。
 酒寄が言うように、夏だというのに顔色は土気色で、生気がなかった。げっそりとした表情に、これは和泉の方にもなにかあったのだな、と酒寄は瞬時に理解した。札を神社の周りに飛ばし、いわゆる結界を張る。張りながらもイヤな気配はしていたのだが、まずは和泉が優先だった。

「なんか……怖いのがいた……」

 ぽつりと和泉が呟く。
 酒寄はちゃぶ台に熱々のお茶を淹れて置くと、和泉の正面に腰を下ろす。

「怖いというのは……幽霊的な怖いのです? それとも、危険という怖さです?」
「……殺されるかと思った……こないだの、鬼みたいなのじゃなくて……相手は人間だったんだけど……」
「おやまあ、人間だったらおまわりさんの出番じゃあないんですかぁ?」
「なんてぇの?……オレが持ってたバッグに、札とか入ってるの、見抜かれた……んで、そいつが、オレが見えるようになったきっかけを作ったヤツだったんだ……」

 和泉は、夏だというのに震えを押さえるように腕を組んで自分の身体を抱いた。
 思い出すだけでなぜだか震えがくる。情けないとしょんぼりしつつも、ぽちぽちと出来事を説明しだした。
 そして、話を聞きながら、酒寄は核心に似たなにかを感じていた。

「それで、式神は呼び出さなかったんですか……余裕もなかったと」
「も、ラスボスって感じだったし。いつか絶対こいつが立ちはだかるぞ、みてぇな」

 うんうん、と頷きながら聞いていた酒寄は、あのですねぇと、ちゃぶ台の下に置いたまま裸してあった本を取り、角を折ってあるページを開いた。
 旅行専門雑誌だが、発行されたのは数十年前のものだ。古本屋でタダ同然の値段のものを買ったらしい。

「和泉くんが行ったその山……ここじゃあありませんかぁ?」

 本をちゃぶ台に置くと、和泉に向けて差し出す。和泉も身を乗り出して見つめているうちに、あれ?と眉を寄せた。
 それは、キャンプ地で行こうとして結局行けなかった沢。

「……神沢村……?」
「気付きましたぁ? 和泉くんの名字と同じ、神沢の村ですよぅ。最近、昔の地名とかがどんどん変えられているらしくて、ここも、今、本屋さんにあるような本だと、神の字がなくなってて、ただの沢の村になっていましたぁ」
「それ……どういう……」

 和泉の表情が険しくなる。

 なんだこれ、もしかして、オレは巻き込まれるべくして巻き込まれたのか?

「あたしもですねぇ、和泉くんがいない間に、ちょっぴり具合が悪くなっていましてねぇ」

 え?と和泉は不安そうな視線を酒寄に向ける。

「昔のこと、思い出したんですよぅ。今までずっと、どんなに思い出そうとしても……いえいえ、思い出そうとか考えもしてなかったのに、ですよ、いきなり、頭の中に映写機でも仕込んであるのかと思うくらい、ぱぁああ~っと、再生するみたいに思い出しましてねぇ」
「……それ、で、なにか……」

 和泉の口が重くなった。
 訊いてもいいんだろうか。
 聞いてしまったら、なにか、変わってしまうんだろうか。
 知らなければよかったって、後悔しちまうんだろうか。

「やっぱりですねぇ。あたし、呪われてここにいるようなんですねぇ……そして、あたしを召喚した主の子孫にしか解けないらしいんですよぅ」
「子孫……」
「それでですねぇ……その地図見てたら、和泉くんと同じ、神沢の村ってあるじゃあないですか……主の名前が、神沢の太郎治さんなんですよぅ」

 和泉がぽかんとした顔で酒寄を見つめた。

「そうなんですよぅ、きっと、和泉くんがその、神沢の村出身の、あたしの探さなきゃなんなかった、主の御子孫さまだったんですよぅ」

 いきなりでなかなか意味が飲み込めない和泉に、酒寄はゆっくりと説明を始めた。

 自分はその山の農家で育てられた神沢太郎治という人物に召喚された。
 どうやらその農家では、式神が農作業の担い手として重宝されていた。
 ところが、その式神を召喚していた人物が、太郎治に恨みがあり、式神に呪いを掛けていた。
 農家が立派になったところで、反乱して田畑を壊して火を放つような呪いを。
 そして、唯一自分ではなく、太郎治がはじめて自分で召喚したという酒寄には、太郎治の子孫だけに解ける呪いを。

「それであたしゃ、ずっと人間にされて生き続けていたようなんですねぇ。きっと、その子孫とやらに出会うまでは、それすらも思い出せないようになっていたみたいですぅ」

 和泉は頭を抱えていた。いきなりすぎて頭が追いつかない。
 自分のことで精一杯で恐怖にすら囚われていて、不安で怖くて酒寄に話を聞いてもらおうと思っていたら、自分絡みの壮大な話を教えられてしまったのだ。

 整理がつかない。

「ご、ごめん、酒寄……ちょっと今は、頭が受け付けない……許容量をオーバーしてる……明日、出直すから、改めて説明頼むよ」
「お安いご用ですよぅ。何百年もぼんやりしていたんですからぁ、そんな、数日数ヶ月、いえいえ、数年のこと、どうってことないですしぃ」

 時間の感じ方の違いに目眩を覚えつつも、和泉はごめんと呟いた。
 うちまで送るという酒寄に甘えて社務所を出たところで、境内は異様な暗さに包まれていた。

「どうしたんでし……」

 酒寄が不審に思ったその時、結界として張った札が青く燃え上がる。
 と同時に、和泉の背からも青い炎が上がった。
 慌てて酒寄が手で払い落としたそれは、一枚の焦げた札だった。

「……もしかして……山で付けられてた……?」
「心当たりがあるのですね?」

 頷く和泉だが、ぐ、と胃から熱いものがこみ上げ、草むらに走る。
 緊張と不安と恐怖と……わけのわからないもろもろの負の感情が和泉にのしかかっていた。
 屈み込んで胃の中を空にする姿を、おろおろと見守るしかできずにいる酒寄の背後、落とされた札の辺りで、ごおっと黒い竜巻にも似た渦が巻き起こった。

 その轟音は、あの男の笑い声にも似ていた。

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