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第二章
鈍いのろい呪い。1
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それからの数日間。
和泉は劇的に物の怪を見なくなっていた。
大量の札を酒寄がくれたおかげだが、もうひとつ。和泉は確かめるように胸元を押さえた。
あの日、母親と久し振りに向き合って話し合ったのだ。
「おかあさんね、おとうさんが亡くなってから、和泉が普通に育ってくれることだけ、考えてきたんだよ。ちょっとくらいやんちゃでもいいと思ってた。でもね、せめて学校だけはちゃんと行って、勉強して欲しいな」
台所のテーブルでごはんを前にして、母、架純は困った顔つきで和泉を見つめた。目の前に並ぶごはん、一夜漬け、肉多めの野菜炒めをぼんやり眺めて、和泉はどう切り出そうか、迷う。
おかしなモノ……物の怪が見えるのは普通じゃないだろう。普通に育ってないや、オレ……と下唇を噛む。
「あ、そのクセ、ダメだよ。なにかあったら噛み切っちゃうよ」
「……なにかってなんだよ。て、そうじゃないんだ……んんと……」
迷って固まっていると、架純の方から切り出してきた。
「もしかして……おとうさんと、いっしょになっちゃったの……?」
は、と和泉は目を丸くして顔を上げた。
ははぁん、と架純は笑い、箸を持った。野菜炒めを口へ運ぶ。
「親父ってやっぱり見えてたんだ? なんなんだよ、これ」
「はのね、お……」
「飲み込んでから喋れっていつも怒るくせに」
「……っ……んっと、あのね、おとうさんは幽霊とか妖怪?ああいうのがいつも見えて困ってたんだって」
和泉はがくりと項垂れて、椅子の背にもたれかかった。小さくため息を漏らす。
「和泉も、そうなの? いつから?」
「んんん……いつからだろう。小学校の遠足で最初に意識したような気はするんだけど」
そう、どこかの山に登ったのは、小学四年くらいの遠足だったか。
足元になにか動くモノを見つけ、ついて行ったら足を滑らせた。大声で悲鳴を上げたからすぐに近くにいたクラスメイトが先生を呼んでくれて事なきを得たが、そのときの動いていたモノが、あとで物の怪だったのだなと悟った。
それからだった。
いつでもどこでもちらちらと見えてしまうようになったのは。
「ずいぶん前からじゃないっ、なんでもっと早くに言わなかったのっ」
架純は大慌てで箸を持ったまま立ち上がって、和泉に覆い被さるように前のめりになった。比較的小柄な架純だが、器は大きいタイプだった。いつでもどーんと構えて、父親不在で兄弟もいない和泉を不安にさせないように気遣っていた。それが逆効果になっていたのだろうか、とショックでもあった。
「いや、だって、誰も信じてくれねぇし、かあさんに心配させてもしょうがねぇじゃん。危ないから箸置けってば」
「……ごめんね……知ってたら、もう少し気をつけてあげられたのに……今も、ここになにかいるの?」
ひとつ深呼吸をして腰を下ろすと、架純は箸を置いて、手は膝に乗せた。
「ううん、うちにいる時には、全然見てなかったんだ、だから、かあさんに言うタイミングがなかったってぇか……」
「おとうさんも、言ってたっけ。わたしといると、見えない……ううん、いないんだって。近寄らないから安心できるんだって」
架純は、ぽろりと涙を零した。
「和泉も、わたしと同じタイプだったらよかったのに」
大丈夫、とは言い切れずに視線を落とす。
その向かいで、がたりと勢いよく立ち上がる音がした。
「かあ……さん?」
「ちょっと待っててっ」
慌ただしく席を離れると、隣の和室に駆け込んだ。
箪笥の引き出しをぱたぱたと開け閉めして、ない、違う、もしかしてあそこ、と押入も開けて中のボックスなどを引っかき回す。
食卓を置ける程度のキッチンと、リビング的な和室、狭い洋室は和泉の部屋で、もうひとつある仏間が架純の寝室、という構成だ。
捜し物をする架純の後ろを、和泉はついて回った。
仏間を念入りに探していた架純は、あった、と仏壇の裏から小さな小袋を取り出した。
埃が被っているところから、ずいぶんそこに置きっぱなしで忘れられていたのだろうとは推測できた。
「これ、和泉が持ってなさい」
埃を払われて見えたのは、和柄の着物の端切れで作られたような小さなお守り袋。
手渡されてまじまじと見れば、ずいぶん使い古されている。指先に伝わる感触では、小粒の珠がいくつか入っているようだ。
「お守り? 中、なにが入ってるんだよ……数珠?」
指先に目がついているみたいに、ふいに中味が見えた気がした。
「それね、おとうさんに持たせていた数珠なの。死んじゃった時、ばらばらに解けてね。護ってくれてたんだなって思ったわ。もう、お役目終えて効果はないかも知れないけど、気休めに持っていて」
「どこで手に入れたのさ」
「婚前旅行で、すごくかあさんが気に入ってね、おとうさんも、すごく落ち着くって言ったから、お土産に買ってあげたの」
きゃっ、やだぁ、思い出したら恥ずかしいわあ、とじたじた照れながら、熱そうに手で顔を扇ぐ姿は、まるで若い女の子のようだ。
照れつつも、修復してお清めもしてもらったが珠がいくつか足りないらしく、ばらけた時になくなったんだろうと思った架純は、なくさないように袋を作って入れたのだとも言った。
「いい、和泉。なにかあったら、隠さずに言ってちょうだい。なにもできないかもしれないけども、知らないままなのは、かあさんイヤなの」
言わないし、今は和泉も訊かないことにしたが、父親の死が今も架純にのしかかっているのが強く感じられた。
そして、酒寄の札との相乗効果か、今までになく快適に、物の怪が見えない日々を過ごせていたのであった。
そう、夏休みまでは。
和泉は劇的に物の怪を見なくなっていた。
大量の札を酒寄がくれたおかげだが、もうひとつ。和泉は確かめるように胸元を押さえた。
あの日、母親と久し振りに向き合って話し合ったのだ。
「おかあさんね、おとうさんが亡くなってから、和泉が普通に育ってくれることだけ、考えてきたんだよ。ちょっとくらいやんちゃでもいいと思ってた。でもね、せめて学校だけはちゃんと行って、勉強して欲しいな」
台所のテーブルでごはんを前にして、母、架純は困った顔つきで和泉を見つめた。目の前に並ぶごはん、一夜漬け、肉多めの野菜炒めをぼんやり眺めて、和泉はどう切り出そうか、迷う。
おかしなモノ……物の怪が見えるのは普通じゃないだろう。普通に育ってないや、オレ……と下唇を噛む。
「あ、そのクセ、ダメだよ。なにかあったら噛み切っちゃうよ」
「……なにかってなんだよ。て、そうじゃないんだ……んんと……」
迷って固まっていると、架純の方から切り出してきた。
「もしかして……おとうさんと、いっしょになっちゃったの……?」
は、と和泉は目を丸くして顔を上げた。
ははぁん、と架純は笑い、箸を持った。野菜炒めを口へ運ぶ。
「親父ってやっぱり見えてたんだ? なんなんだよ、これ」
「はのね、お……」
「飲み込んでから喋れっていつも怒るくせに」
「……っ……んっと、あのね、おとうさんは幽霊とか妖怪?ああいうのがいつも見えて困ってたんだって」
和泉はがくりと項垂れて、椅子の背にもたれかかった。小さくため息を漏らす。
「和泉も、そうなの? いつから?」
「んんん……いつからだろう。小学校の遠足で最初に意識したような気はするんだけど」
そう、どこかの山に登ったのは、小学四年くらいの遠足だったか。
足元になにか動くモノを見つけ、ついて行ったら足を滑らせた。大声で悲鳴を上げたからすぐに近くにいたクラスメイトが先生を呼んでくれて事なきを得たが、そのときの動いていたモノが、あとで物の怪だったのだなと悟った。
それからだった。
いつでもどこでもちらちらと見えてしまうようになったのは。
「ずいぶん前からじゃないっ、なんでもっと早くに言わなかったのっ」
架純は大慌てで箸を持ったまま立ち上がって、和泉に覆い被さるように前のめりになった。比較的小柄な架純だが、器は大きいタイプだった。いつでもどーんと構えて、父親不在で兄弟もいない和泉を不安にさせないように気遣っていた。それが逆効果になっていたのだろうか、とショックでもあった。
「いや、だって、誰も信じてくれねぇし、かあさんに心配させてもしょうがねぇじゃん。危ないから箸置けってば」
「……ごめんね……知ってたら、もう少し気をつけてあげられたのに……今も、ここになにかいるの?」
ひとつ深呼吸をして腰を下ろすと、架純は箸を置いて、手は膝に乗せた。
「ううん、うちにいる時には、全然見てなかったんだ、だから、かあさんに言うタイミングがなかったってぇか……」
「おとうさんも、言ってたっけ。わたしといると、見えない……ううん、いないんだって。近寄らないから安心できるんだって」
架純は、ぽろりと涙を零した。
「和泉も、わたしと同じタイプだったらよかったのに」
大丈夫、とは言い切れずに視線を落とす。
その向かいで、がたりと勢いよく立ち上がる音がした。
「かあ……さん?」
「ちょっと待っててっ」
慌ただしく席を離れると、隣の和室に駆け込んだ。
箪笥の引き出しをぱたぱたと開け閉めして、ない、違う、もしかしてあそこ、と押入も開けて中のボックスなどを引っかき回す。
食卓を置ける程度のキッチンと、リビング的な和室、狭い洋室は和泉の部屋で、もうひとつある仏間が架純の寝室、という構成だ。
捜し物をする架純の後ろを、和泉はついて回った。
仏間を念入りに探していた架純は、あった、と仏壇の裏から小さな小袋を取り出した。
埃が被っているところから、ずいぶんそこに置きっぱなしで忘れられていたのだろうとは推測できた。
「これ、和泉が持ってなさい」
埃を払われて見えたのは、和柄の着物の端切れで作られたような小さなお守り袋。
手渡されてまじまじと見れば、ずいぶん使い古されている。指先に伝わる感触では、小粒の珠がいくつか入っているようだ。
「お守り? 中、なにが入ってるんだよ……数珠?」
指先に目がついているみたいに、ふいに中味が見えた気がした。
「それね、おとうさんに持たせていた数珠なの。死んじゃった時、ばらばらに解けてね。護ってくれてたんだなって思ったわ。もう、お役目終えて効果はないかも知れないけど、気休めに持っていて」
「どこで手に入れたのさ」
「婚前旅行で、すごくかあさんが気に入ってね、おとうさんも、すごく落ち着くって言ったから、お土産に買ってあげたの」
きゃっ、やだぁ、思い出したら恥ずかしいわあ、とじたじた照れながら、熱そうに手で顔を扇ぐ姿は、まるで若い女の子のようだ。
照れつつも、修復してお清めもしてもらったが珠がいくつか足りないらしく、ばらけた時になくなったんだろうと思った架純は、なくさないように袋を作って入れたのだとも言った。
「いい、和泉。なにかあったら、隠さずに言ってちょうだい。なにもできないかもしれないけども、知らないままなのは、かあさんイヤなの」
言わないし、今は和泉も訊かないことにしたが、父親の死が今も架純にのしかかっているのが強く感じられた。
そして、酒寄の札との相乗効果か、今までになく快適に、物の怪が見えない日々を過ごせていたのであった。
そう、夏休みまでは。
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