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第一章
出会い。或いは「出遭い」7(第一章・終)
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鬼に掴まれていた足が痛む。やっぱり今日のことも夢じゃねぇんだなぁ、と湯船に浸かりながら和泉は思う。見れば足首には掴まれていた手形に見えなくもない痕がついている。
熱い湯なのに、ぞくぞくっと寒気がした。
あのあと、酒寄にたっぷりのお札を渡された。
「いいですかぁ? 知らない人に声を掛けちゃダメですからねぇ? 声を掛けられても、できる限り、知らないふりをしてくださいねぇ? もしも一緒にいるお友だちとかが反応したら、その時、気付いてくださいよぅ?」
小さな子じゃああるまいし、と笑い飛ばしてみたが、家に送ってもらっている間にも「すいません、道に迷ってしまったのですが」という声掛けに振り返ってしまった。
もちろん、振り返ったら人間じゃなかった。いわゆる地縛霊というヤツらしい。
おとなしく、はい、と酒寄に頭を下げた和泉だった。
「和泉~、あんた、洗面所にタオル持ってってって頼んだのに、忘れたでしょう」
風呂場の曇りガラスの向こうで、母親のシルエットが動いている。
メンタルが疲れ切ってんだよ、もう、と思っても言わずに、とりあえずの「ごめん」を返す。
「そういえばあんた、ちゃんと学校行ってるの? 先生からさっき電話があったよ」
「……っえええ?」
島井にメッセージを送ったのになぁ、と唇を尖らせる。無造作に大きく湯を掬って顔を洗って湯船から出た和泉は、ふと両親の会話を思い出した。
『かあさんはな、強いんだぞ』
父親のこととか、ちゃんと聞き出してみよう。
タオルでわしわしと頭を拭きながら、リビングへと急ぐ和泉だった。
その頃。
神社では酒寄が神妙な顔つきでじっと人の形をした式神の札を手にして見つめていた。
拝殿の入り口の石段に腰を下ろして、ゆらぁり、頭を揺らす。
周りは雑木林に囲まれているのに、蚊も寄ってこない。
「忘れちゃいけないことを、すっかり忘れている気がしますねぇ……覚えていないのとは違う感じがしますよぅ……」
今まで、ずっと、長い間、ひとりでぽつんと暮らしていた気がするのだが、あまりに変化のない日常で、全てが麻痺していた。
「いつから……こうしていましたかねぇ。この辺りが、田んぼしかないような田舎で、山の中で……人じゃあないのは、わかっているんですがねぇ……」
今まで、ずっと、考えもしなかった。こんなに長い時間があったのに、ふわふわふらふらと、そこらに散らばる小鬼や邪鬼、時には幽霊じみたモノ、そんな物の怪を摂って暮らしていた自分に、疑問もそれほど抱かなかった。札を書いたり、式神を扱えたり、どうして知っているんだろうなどと考えなかった。
「おかしいですねぇ……どうして思い出したように、考えて悩むようになってしまったんでしょうねぇ……」
ゆら、と宙を見上げる。
月が煌々と照らし出す手元の式神の札。
「……あたしゃ……」
酒寄の脳裏に今までの記憶の断片が駆け巡り始めた。
「……探さないと……あの人を……」
ぼんやりと、ほとんど無意識に、酒寄は呟いた。
熱い湯なのに、ぞくぞくっと寒気がした。
あのあと、酒寄にたっぷりのお札を渡された。
「いいですかぁ? 知らない人に声を掛けちゃダメですからねぇ? 声を掛けられても、できる限り、知らないふりをしてくださいねぇ? もしも一緒にいるお友だちとかが反応したら、その時、気付いてくださいよぅ?」
小さな子じゃああるまいし、と笑い飛ばしてみたが、家に送ってもらっている間にも「すいません、道に迷ってしまったのですが」という声掛けに振り返ってしまった。
もちろん、振り返ったら人間じゃなかった。いわゆる地縛霊というヤツらしい。
おとなしく、はい、と酒寄に頭を下げた和泉だった。
「和泉~、あんた、洗面所にタオル持ってってって頼んだのに、忘れたでしょう」
風呂場の曇りガラスの向こうで、母親のシルエットが動いている。
メンタルが疲れ切ってんだよ、もう、と思っても言わずに、とりあえずの「ごめん」を返す。
「そういえばあんた、ちゃんと学校行ってるの? 先生からさっき電話があったよ」
「……っえええ?」
島井にメッセージを送ったのになぁ、と唇を尖らせる。無造作に大きく湯を掬って顔を洗って湯船から出た和泉は、ふと両親の会話を思い出した。
『かあさんはな、強いんだぞ』
父親のこととか、ちゃんと聞き出してみよう。
タオルでわしわしと頭を拭きながら、リビングへと急ぐ和泉だった。
その頃。
神社では酒寄が神妙な顔つきでじっと人の形をした式神の札を手にして見つめていた。
拝殿の入り口の石段に腰を下ろして、ゆらぁり、頭を揺らす。
周りは雑木林に囲まれているのに、蚊も寄ってこない。
「忘れちゃいけないことを、すっかり忘れている気がしますねぇ……覚えていないのとは違う感じがしますよぅ……」
今まで、ずっと、長い間、ひとりでぽつんと暮らしていた気がするのだが、あまりに変化のない日常で、全てが麻痺していた。
「いつから……こうしていましたかねぇ。この辺りが、田んぼしかないような田舎で、山の中で……人じゃあないのは、わかっているんですがねぇ……」
今まで、ずっと、考えもしなかった。こんなに長い時間があったのに、ふわふわふらふらと、そこらに散らばる小鬼や邪鬼、時には幽霊じみたモノ、そんな物の怪を摂って暮らしていた自分に、疑問もそれほど抱かなかった。札を書いたり、式神を扱えたり、どうして知っているんだろうなどと考えなかった。
「おかしいですねぇ……どうして思い出したように、考えて悩むようになってしまったんでしょうねぇ……」
ゆら、と宙を見上げる。
月が煌々と照らし出す手元の式神の札。
「……あたしゃ……」
酒寄の脳裏に今までの記憶の断片が駆け巡り始めた。
「……探さないと……あの人を……」
ぼんやりと、ほとんど無意識に、酒寄は呟いた。
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