白の皇国物語

白沢戌亥

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12巻

12-2

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「――!」

 シヴェイラは、接近するレクティファールに気付き、迎撃の構えを見せた。
 小出力の〈龍の吐息ドラーツェ・シュトーラ〉を連続して発射し、彼の軌道きどうを限定する。五月雨さみだれ式に降り注ぐ光の帯は、小出力とはいえ、軍用装甲車輌しゃりょうを一瞬でかすだけの威力いりょくを持っていた。
 シヴェイラの意識は怒りに染まっている。だが、それでも彼女は冷静に戦うすべを選び取っていた。
 高位種族の中でもっとも戦闘的であるとされる龍族の本能だ。
 龍族は、積極的に他者と関わりを持つことはないが、生存領域は、異次元にいる彼ら以外の高位種族よりも、その他の生物に近い。当然、自らの生存領域をけて、他の生物と争わなければならないような不幸な出会いはあった。そして、自分たちがそういった争いから避けられない場所で生きていることも理解していた。
 だからこそ、戦闘行動に対して一切の躊躇ためらいがない。
 彼らは自分たちの縄張なわばりが侵されたと判断した瞬間、相手を完全に殲滅せんめつするまで決して攻撃の手をゆるめることはない。龍族同士の戦闘ともなれば、間違いなく地図を書き換えなくてはならないほどだ。
 今行われている戦闘は、それに近かった。
 狂龍きょうりゅうとなったシヴェイラと、龍族をしのぐ力を持った概念兵器との戦闘である。一方が地上への影響を避けるように戦っているため、被害は最低限に抑え込まれているが、双方が周囲への遠慮を忘れた瞬間、この地は百年単位で生物が住めない場所となるだろう。

「ちぃッ!」

 横合いから水蒸気をいて迫る尾を認め、レクティファールは回避行動に出る。
 殺されることはないにしても、動きは止められてしまう。下手に自由を与えてしまえば、シヴェイラの怒りの矛先ほこさきが、別の対象に向けられる可能性があった。
 レクティファールは、シヴェイラの怒りを最後まで受け止めなくてはならない。
 でないと、シヴェイラは無用の罪を背負うことになってしまう。

(これも、婿むこしゅうとめ問題の一環かな?)

 そうとでも思わなければ、本心から戦うことなどできはしなかった。
 今まで会ったこともなかった義母となる人物に対して命を懸けるのならば、皇王としての義務だけでなく、彼女と自分を繋ぐ別の何かが必要なのである。
 レクティファールはそれを、フェリスに求めた。
 彼女の表情を知っている。笑顔を尊いものと感じ、泣き顔をより尊く感じる。そして、尊いからこそ、無意味にその表情をさらさせようとは思わない。
 何故なぜ戦うのかと問われれば、レクティファール個人としては、ひとえにめとる女性への礼儀と答えよう。自分は、あなたの笑顔も泣き顔も価値あるものと思い、そのために命をしてみせる。
 フェリスが望む。だから、シヴェイラを救う。フェリスの願いをかなえるために、シヴェイラにはもう破壊を行わせない。
 それは、皇王という立場から離れたレクティファール自身にとって、十分、いや他に何も必要としないくらい『戦う理由』になった。
 この気質は、彼が彼である限りずっと変わらなかった。そして、彼の周囲の者たちも受け入れていた。

(即物的、しかし大いにほまれでしょうとも)

 レクティファールは口の端を上げ、笑みさえ浮かべてみせた。
 自分は大いに満足している。
 戦うことにも、その先にある未来にも、満足している。
 何があろうとも、それだけは胸を張って答えよう。自分は望み望まれて戦っているのだと。

「――ッ」

 尾が風をうならせて、自分の真下を通り抜けていく。
 レクティファールは尾を見送り、しかし直後に自分を襲った衝撃にわずかに混乱した。

「何が――!」

 自分と相手の状況を確認したレクティファールは、シヴェイラが尾を振り抜いた勢いのままに翼をたたき付けてきたのだとすぐに悟った。
 シヴェイラの翼は、上端に鋭い突起を複数持っている。それをレクティファールにぶつけてきたのだ。

「さすが、フレデリックの妹ッ!」

 恐ろしく戦闘意欲にあふれた攻撃だ。相手を殺そうという意思がひしひしと感じられる。見ようによっては、闘争意欲として高く評価できるのだろうが、今のレクティファールには迷惑極まりない。
 強化されているはずの主骨格にまで響く衝撃に顔をゆがめながら、レクティファールはシヴェイラの姿を捉えた。彼女の動きの先を予測し、次の行動を選択した。
 退く。
 吹き飛ばされた勢いのまま、〈紅空の朔ルース・ルージュ〉の破損部分を目眩めくらましのようにき散らして、レクティファールはシヴェイラから距離を取る。それは決して遠くはなく、お互いの姿を見失うことはない。
 レクティファールが体勢を整える前に、シヴェイラは追撃を仕掛けてきた。
 レクティファールの戦闘能力を正当に評価すれば、その選択は正しい。
 シヴェイラは狂いながらも戦闘理性を失っていなかった。自分が得意とする戦闘距離を相手にい続けることがもっとも勝利に近いのだと分かっていた。

(やだやだ、実に上手い戦い方だ。フレデリックがいなくても公爵家は安泰だったな、これは)

 レクティファールは、フレデリックが身内に対して不当に低い評価をくだしていたのではないかと思い始めていた。シヴェイラは、ただ黙って誰かに従うだけの女性ではない。
 自分の戦い方をよく知り、それを相手にいる方法まで知っている。

「まだ――!」

 さらに回避行動を取ろうとするレクティファール。
 しかし、視界にあるものが飛び込んできた。
 正直、見なければ良かったと思った。

「――フェリス」

 地上の、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっているフェリスの泣き顔だった。
 その口が、『母さん』と呼んでいるのが分かった。

「――!」

 自分が、戦闘の最中さなかに見せてはならないすきを見せていることに気付いたレクティファールが反応するよりも早く、シヴェイラの牙が彼の身体に食らい付く。

「――ッあぁッ!」

 剣を持っていた右腕、そして右肩から右脇腹に掛けて、鋭い牙が食い込んでいく。
 装甲兜ヘルムの内側に映る警告画面は、既に視界を埋め尽くすほどに増え、レクティファールは痛みにうめいた。
 食い千切ちぎられる――レクティファールは確信した。

「感覚伝達……遮断ッ!」

 レクティファールが痛覚遮断を行うのと同時、彼の右半身はごっそりシヴェイラに食われた。
 さらに追撃。今度は上空から尾が迫ってきていた。

「回避は、無理か」

 言葉は、現実になった。
 食われた部分の修復に意識を費やした結果、レクティファールは回避行動をあきらめた。
 これまでで一番大きな衝撃を受け、彼の身体は地上に向けて一気に加速した。


         ◇ ◇ ◇


 遠くの空で光がまたたいた。
 西域東部の国〈ペルファイタン〉に属するこの街では、朝の仕込みの真っ最中だった飲食店の店主や、ようやく眠りにこうとする娼婦しょうふが、同じ方角の空を見ては不安げな表情を浮かべていた。
 帝国側の陣営に属していながら西域との貿易を行う〈ペルファイタン〉は、他の帝国陣営諸国にくらべて豊かな国だった。
 国境地帯には帝国軍が張り付いているが、ここは国境からも離れている。
 人々は戦争を遠くのものと感じ、日々を平穏に過ごしていた。
 だが、そんな平穏の中で大きな変化が訪れた。
 旧時代の遺跡を利用した国軍の研究所があるために立入禁止区域とされている広大な森。その上空で、幾つもの爆光がまたたいては消える。
 新聞配達の少年は自転車に乗ったまま、呆然ぼうぜんとそれをながめていた。

「ぼうや」

 少年に、顔見知りの娼婦しょうふが声を掛ける。
 家に戻る途中だったらしく、商売用の化粧けしょうは既になく、その服装は地味で、娼婦しょうふとしての姿を想像することはできない。

「あ、あねさん」

 少年は地面を蹴って自転車を進ませると、娼婦しょうふのすぐ隣で止まる。
 首をさらすように雑にまとめられた髪。ほつれ毛の中に浮かぶうなじをちらりと見て、少年のオスの部分はこんな状況だというのにざわめいた。

「何か聞いている?」

 娼婦しょうふは少年の視線に気付きながらも、銅貨を少年の尻にある物入れにねじ込んで、自転車のかごから新聞を一部抜き取った。

「いえ、親方はなんにも」

 少年は許可を受けたきこりの弟子として、立入禁止区域の森で働いている。森の上空で行われている『何か』の原因を知っているのではないかと思われたとしても不思議ではない。
 しかし、少年は何も知らなかった。
 新聞を配達し、その足できこりの小屋に向かう。そして夕刻まで働き、家に戻るのだ。翌日もまた、同じ仕事が待っている。

「そう、うちの花車婆かしやばばあが妙にしんみりしてたのと関係あるのかしら?」

 娼婦しょうふは、自分たちを仕切る老女が、机の引き出しにしまったままだった息子の写真をながめているのを横目に、仕事場を出てきていた。
 また、同僚の何人かがあわてるように家路にいたことも気になっていた。だが、彼女たちの全員が子どもを抱えていることには、気付いていなかった。

「今日は気をつけてね」

 娼婦しょうふはそう言って、少年から離れた。
 少年は、あこがれの女性が自分を心配してくれたと思い、興奮でほおを赤らめながら、いまだ続く光の明滅を見詰めた。
 そして、ひとつの光が自分の仕事場の方角に向かって落下するのを見て、青くなった。


         ◇ ◇ ◇


 地上でふたりの戦いを見守っていた一団がいる。
 その中央にいるフェリスが悲鳴を上げた。

「レクト!」

 彼女の視線の先でレクティファールは半身を失い、血液を振りいて地上へと落ちてくる。
 これには、ケルブの処置をおこなっていたフェリエルとファリエルもあわてた。
 レクティファールの能力を考えると、シヴェイラと戦うことに不足はない。しかし、被害を抑えながら戦うには、あまりにも力量差が近くなってしまった。
 フェリエルは、叔母が未来の夫と戦っているという状況に、思考が乱れるのを感じていた。自分がこれほどまでに感情を残していたのかと驚くほどだ。
 そして、彼女は感情のままに吐き捨てた。

「〈皇剣〉頼みの戦い方などするからだッ! ――ファリエル、ケルブ殿の容態は!」
「駄目、肉体だけじゃなくて精神情報も欠損が多すぎる! それこそ儀式魔法でも使わない限りどうにもならない! 皇都でも治せるかどうか分からないぐらいに酷いもの!」

 少しでもケルブの容態が安定すればレクティファールの援護に向かおうと考えていたフェリエルだが、妹の言葉に断念した。
 今彼女たちにできることは、ケルブの死を遅滞ちたいさせることだけ。それでも、フェリエルとファリエルの全力を注いでいるのだ。ここでどちらかが抜ければ、ケルブの生命は一気についえる。
 フェリエルは、少し離れた場所で魔法弾を連射しているオリガに向かってさけんだ。

「オリガッ!」
「無理」

 オリガの返答は短い。
 培養ばいよう施設から出てきたのは、竜爪族りゅうそうぞくだけではなかった。
 龍族のまがいもの、半身が溶けたようなみにくい死にぞこないの龍が、地下から何体もい出してきたのだ。近衛このえ軍部隊は、それらを施設内に押しとどめようと必死の防戦をおこなっている最中だった。
 オリガは近衛軍部隊の援護で手一杯になっている。龍の姿に変じれば、細かい魔法の制御などできはしない。この場を維持するためにも、今は人の姿で魔法を使うしかなかった。

「くそッ! 肝心かんじんなところで妻を不安にさせる男だ! あとで徹底的に言い聞かせてやらねばな!」

 フェリエルがそう吐き捨てて、ケルブの処置を続ける。
 潜伏拠点から医療いりょう資材を運び込んだが、それでも足りない。

「ああもう! これは根本的な対処が必要だぞ! どうにかしろレクトぉッ!!」

 フェリエルのさけびが聞こえたのか、地上に落ちてきたレクティファールが再度上空に向かって上昇していく。
 その身にまとう魔動式甲冑かっちゅうは半壊し、装甲兜ヘルムはいつの間にか何処どこかに消えていた。しかし、身体はほぼ修復されているらしく、欠損していたレクティファールの腕も元に戻っている。
 ただ、無尽蔵の回復力を持つ〈皇剣〉でも、専門家から見ればまだ危ういらしい。

「満身創痍そういじゃないか、あの莫迦ばか者」

 レクティファールが〈皇剣〉の機能の一割も使用できないことを知っているフェリエルは、上空を見上げ、口惜くちおしそうにくちびるむ。せめてあとひとり、龍の姿になれる龍族がいれば援護もできるというのに――そう心の中でさけんだ。

「レクト……!」

 そんな中で、ただ上空を見上げるしかないフェリスは、自分の無力さを大いに呪っていた。
 何もできない、何もできない、何もできない。
 今まで散々思い知らされてきた事実に、今度はつぶされそうなくらいに罪悪感を抱いた。
 あそこで戦っているのは自分の母と、自分の大切な人、自分のすぐ近くで苦しんでいるのは父で、それを救うために必死になっているのは従姉たちだというのに、自分は何もできない。こうして祈ることしかできない。

「何で、何でボクは……」

 何故なぜ、どうして、ほんの少しでも自分に力があったら。
 オリガほどの魔法の才能はいらない。フェリエルたちほどの医療いりょう技能もいらない。レクティファールほどの圧倒的な力もいらない。ただ、そのうちのひとつでも助けられる程度の力があればいいのに――それさえ、ない。

「レクト!」

 情けない。悲しさよりも、怒りよりも、自分に対する嫌悪感がつのる。
 何もできない自分が嫌になる。

「レクト!」

 こうしてさけぶことしかできない自分が嫌になる。

「ボクは……!」

 もっと力があれば――フェリスは心の底から願う。
 だが、そんな彼女の耳に届いたのは、心にき上がる自己嫌悪さえも包み込む優しい声だった。

「――フェリス」
「え?」

 あわてて声のした背後を振り返るフェリス。
 そこには、地面に横たわったまま、自分に向けて優しげな眼差まなざしを送る父の姿があった。

「父さん!」

 あわてて父のもとに駆け寄るフェリス。
 相変わらずフェリエルたちが治療をおこなっているが、状況は一進一退だ。
 ケルブの声も、苦しさが隠しきれていない。しゃべることもせずに治療を受けてもらいたいというのがフェリエルたちの本音だが、ケルブの声には娘との再会を心から喜ぶ響きも含まれていた。
 フェリエルとファリエルは無言でうなずき合い、親子の会話を邪魔することがないよう念話での意思疎通そつうに切り替えた。

『どうするの?』
『どうもこうもない。わたしたちは医者だ。そして叔父殿は患者だ。やることなんて決まってる。死ぬまで生かす、それだけだ』

 フェリエルは両手のひらに魔法陣を浮かべ、ファリエルはその魔法陣の下で外科処置を行う。もっぱら戦場での外科治療に用いられる局限結界型治癒ちゆ魔法だ。細菌さいきんなどを殺し、除菌された環境を作り出すことができる。
 フェリエルはさらに、分析魔法も並列展開していた。そこから得られた情報は、双子ならではの意識連結によってファリエルの意識に直接流し込まれる。
 ファリエルの目には、ケルブの身体が透過とうかしているようにも見え、身体に走る粒体経絡や魔導経路もしっかりと映し出されていた。

『上がうるさいわね』
『我らが夫君が必死になって男らしく振る舞っているよ。莫迦ばか莫迦ばかしい限りだが』
『ええ、本当にわたしたちは莫迦ばかの極み。身内の始末を他人に押し付けてるんだから』

 ファリエルの手は止まらない。
 そして、言葉はあまりに痛烈であった。過去のシヴェイラをよく知り、この地でシヴェイラが受けていた仕打ちを知るからこそ、自分たちの手で決着を付けたいと思うようになっていた。

『わたしたちはいずれ母になる。そうなったとき、自分を許せるか分からない』
『それはわたしも同じさ、妹よ。我が子を抱いたとき、わたしは絶対に今日のことを思い出すだろう。そして自分の非力さを呪い、子が生き続ける限りその呪縛じゅばくとらわれ続ける』

 何のために生きるのか、そして何のために死ぬのか。
 陸続りくぞくする生命の繋がりの一部になったとき、今日の自分たちの罪深さを知るだろう。己の手を汚さずに、我が子を失い悲しみ狂った女性をほうむったのだと。

『だからせめて、わたしたちにできる全力を』

 フェリエルはそう意識の中でつぶやき、妹を見た。
 妹は姉に視線を向けることなく、小さくうなずいた。目に、わずかながら涙があった。


 くれない龍姫りゅうき姉妹が己の職分を果たしているとき、親子は久方ぶりの再会を果たしていた。
 龍族は、意識がおとろえない限り老いることはない。
 ふたりめの妻をうしなったときにカールが一気に年老いたように、心の在り方こそが龍族の姿を決定付けるのだ。
 ケルブはおとろえてはいたものの、ひとつしかない金色のひとみは、フェリスの記憶きおくの中にあったものと何ら変わらなかった。

「大きくなった……それに、母さんに似て……綺麗きれいになったな」

 微笑ほほえみ、フェリスの髪をでるケルブ。
 片方しかない目で娘の成長した姿を見詰め、満足そうに笑っている。
 そして、自分の我儘わがままかなえてくれた友人の剣士に感謝の念を抱いた。今、彼はどこにいるのだろうか、そう思った。

「父さん、母さんが……」

 娘の涙声に、ケルブは意識を現在に引き戻した。

「知っている……先ほどから聞かせてもらっていた……」

 ケルブは上空へ目を向け、光跡を残してぶつかり合う妻と、義息になるはずの青年の戦いを見る。
 一進一退というほかない。
 意図的に作り上げた状況とはいえ、ケルブの目にはレクティファールが歴代の皇王とくらべても遜色そんしょくないように見えた。
 そんな存在が自分たちのために戦っている。たったそれだけの事実が、ケルブには嬉しかった。ようやく、自分たちを逃がしたエーネンファウベの意思を信じることができる。

「フェリスの大事な人は……強いな」
「うん、すごく強い人だよ。でも……」

 フェリスはぽろぽろと涙をこぼし、父の手を握りめる。

「ボクは何もできない……レクトが必死になって母さんを救おうとしているのに、ボクは……」

 うつむくフェリス。涙がとめどなくケルブの手に落ちる。
 その頭を、ケルブが優しくでた。

「力がないからって、何も……できないわけじゃないぞ」
「え?」

 フェリスは顔を上げ、父を見る。
 ケルブは、父としての自信にあふれた表情でうなずいた。

「信じてあげなさい」

 静かに、しかし力強くケルブは言う。

「これから彼がどんな困難にぶつかっても、どんな結末を迎えても、どんなに人にさげすまれることになっても、信じてあげなさい」
「しん、じる……」

 フェリスは父の言葉を繰り返した。
 ケルブはうなずき、再度上空を見上げた。ふたつの光が残像をきながら舞っている。美しいと思った。
 あの研究所の日々で忘れかけていた。人の持つ、力ある光だ。

「信じて信じて、どちらかが死ぬまで信じ抜いてあげなさい。死んだあとも信じてあげなさい。他の誰にも力で勝てないなら、他の誰にも負けないくらい彼を信じ抜きなさい」

 信じることは、とても強い力だ――ケルブの言葉に、フェリスは戸惑とまどった。
 信じることは誰にでもできる、そう思った。

「でも、父さん」
「――信じるだけなら、誰にでもできる。それは……間違いない」

 ケルブは空を見上げたまま、娘に言い聞かせる。

「でも、最後まで信じ抜くのは、強い人じゃないとできない」

 強い力を持たないなら、強い心を持てばいい。
 ケルブは、そう言ってフェリスに笑い掛けた。

「男は、自分の大事な女に信じてもらえるだけで、莫迦ばかみたいに突き進められる」

 単純で、それでいて間違えようのない真理。
 自分が正しいと思えるだけで、人は力を得られるのだ。

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