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7巻
7-1
しおりを挟む軍人ってのは阿漕な商売で、他人の不幸を飯の種にしているって言われることもある。まあ、俺もその通りだと思ってるよ。
軍人が忙しいときは、基本的に国民の生命財産が何らかの危険に晒されてるってことだ。戦争にしろ災害にしろ、誰も死なないとか何も奪われないってことはそうあるものじゃない。
だから、軍人が疫病神として嫌われるのも理解できるんだよ。
俺たちの軍装を見て凛々しいと感じるか。それとも禍々しいと感じるか。
それは人それぞれで、こればかりはどうしようもない。
俺たちは俺たちの役目を果たすしか生きる道がないんだ。司令部の方針を理解し、命令を受け入れ、そして任務を遂行する。
莫迦じゃできない仕事だが、莫迦じゃないとできない仕事でもある。
物ごとを理解する頭は必要だが、考えこむ頭はいらない。そういうことだ。上にも横にも考えることが専門の連中がいるんだから、求められる以上に考える必要はない。そう理解してくれ。
それで、レクティファール陛下が皇太子だったときの話だな。あの頃の軍上層部は相当忙しかったらしい。
陛下は、俺たちとは根本的に考え方の違う方針を持っていて、考えることが専門の連中は一度考え方を初期化しなくちゃならなかったって話だ。
新生近衛軍の創設、そして他国領土への侵攻能力の向上。
あとから考えれば、その方針は納得できるもんだ。
だけど当時は、そりゃもう軍の内部で日々激論が交わされていた。挨拶代わりに嘆願書が叩き付けられ、退職願が砲弾の如く飛び交ったってのもあながち冗談じゃないかもな。
良くも悪くも、陛下は色んな変化を齎したってことさ。
俺か? 俺もそういや変化したひとりだな。
騎士学校の新米士官だった頃は、まさか自分がこうやって新聞の取材を受ける立場になるとは思ってなかったよ。
ただ、後悔はしてない。
謁見の間で恩寵の剣を受け取ったとき、陛下に言われたのさ。
とりあえず、お互いの家族を守る方法を考えるところから始めようか、ってな。
―――皇国暦二〇三五年 陸軍中将ルフェイル・フォン・グリンメルハウゼン
第一章 三国鳴動
レクティファールにとって、後宮と離宮で過ごした昨夜は、あの北地での戦いに匹敵する苦行のときであった。
後宮では、婚約者とその候補者相手にひとりずつ、睦言には少し色気の足りない言葉を捧げている。ときには居心地が悪いほどお互いを意識し、ときにはない頭を捻りに捻った言葉にあっさり駄目出しをされたりした。
日付が変わる頃までは後宮にいたレクティファールだが、そこでの役割を終えるとすぐに二つの離宮を梯子する羽目になった。
〈星天宮〉の敷地内にあり、後宮に最も近い離宮は、摂政の命令で新たに庭園に植えられた花に因んで『マリエの離宮』と呼ばれている。そこでは、レクティファールの、それこそありとあらゆるものを搾り出すことになった。彼自身、彼女と想いを通じることに抵抗は殆どない。とはいえ、先程まで別の女性と夜の寝室で語り合っていたという事実を忘れることができるはずもなく、微妙な罪悪感を終始覚え続けた。
しかしそこで燃え尽きることなく、深夜の〈星天宮〉を、もうひとつの離宮に向けて突っ走ったレクティファールは、果たして勇者なのか莫迦なのか、或いは空気の読めない単なる道化なのか。向かった先の側妃候補が夜食を振舞ってくれたことに、涙を流しそうになったレクティファールだが、このあと飴と鞭という言葉を身をもって学習することになる。
流石は英雄の娘で、しかも皇国随一の戦上手に育てられた女性である。レクティファールが自分に対して負い目を持っていると感じ取るや否や、一気に攻め込んでこの夜一番の戦果を挙げた。具体的には、一番睦言らしい睦言を思う存分堪能したのである。
そんな風に怒涛の一夜を過ごすことになったレクティファール。翌朝は最後まで一緒にいた側妃候補の手作りの朝食を食べ、さらに柔らかい笑顔と「いってらっしゃいませ」の言葉で見送られたお陰で、気分は最高潮に近かった。
げに悲しきは男の性質。彼は、あれだけ精神的に痛めつけられても決してめげず、〝新妻〟に見送って貰えるという小さな幸せに浸った。
足取り軽く、鼻歌でも歌いそうな摂政を見た皇城の職員たち――特に男たち――は、哀れみの視線を隠しきれなかった。
ひょっとしたらこの男、近いうちに皇国史上もっともお手軽な皇王として名を残すかもしれない。
◇ ◇ ◇
皇城でレクティファールを待っていたのは、昼に行われる各国代表を集めた園遊会の準備と、新たに宰相となったハイデルの深い深い眉間の皺、そして山積する仕事だった。
宰相就任後、一気に老け込んだようにも見えるハイデルの姿は、レクティファールに僅かながら罪悪感を抱かせた。あくまでも、僅かであるが。
「――殿下、早速で申し訳ありませぬが、イズモと帝国、両国との縁組について我国としての大方針を決定していただきたく……」
官僚たち三院の頂点、国政を預かる宰相として、ハイデルには摂政の意向を確認する必要があった。
他国との縁組となれば当然それは外交に含まれる。その交渉を担当する外務院は、もちろんハイデルの麾下にあった。
ハイデルとしては、先の戦いでの罪責を雪ぐため、そして自分を宰相に任じたレクティファールの名誉を守るため、仕事上の失敗はどんな小さなものでも許すつもりはない。
そのせいで、彼の表情は先日からずっと険しいままだ。
部下は萎縮し、数少ない同輩は扱いに困っていると聞く。
レクティファールは、彼にもう少し肩の力を抜いて欲しかった。
「ハイデル、とりあえずもう少し力を抜いたらどうだ。そんな顔では部下も萎縮するのではないか?」
「この程度で萎縮する部下なら、とりあえず必要ありませぬ。いずれ時間ができたら、鍛え直しまする」
「――そうか、まあ、お前の部下だ。潰さない程度にな。官僚はなかなか替えがきかない」
「御意」
やはり、頷くハイデルの表情は厳しいままだった。
ハイデルのもとには、反レクティファール派とも言うべき官僚一派の動きが、複数の情報網から上がっていた。彼らは自分たちの築き上げた特権を失わないよう各所に働きかけており、その活動は皇国の組織そのものの動きを鈍らせている。
ハイデル個人としては、彼らの気持ちが理解できる。特権の中には組織を円滑に稼働させるために有意義なものもあり、一概にその行動を悪と断じることはできない。
それに、特権に浸かって満足に仕事ができないような官僚であれば、ハイデルも躊躇いなく切り捨てることができるのだが、実際のところ彼らは優秀だった。
優秀だからこそ、己の権利を拡大できたとも言える。
「無能な働き者と有能な怠け者。組織にとって有用なのは後者である。しかしそれは、あくまでもこの二者に限ったことだ」
とは、ハイデルが部下に述べた言葉だ。
そこには優秀な働き者が欲しいという願望が透けて見えた。
レクティファールはハイデルの言葉をとりあえず信じることに決め、執務用の机に広げられた二つの資料を見下ろした。
ともに、今回レクティファールに輿入れする予定の姫君たちの資料だった。外務院の諜報機関である外務院情報局、そして政府直轄の情報機関である皇国情報院が纏めたものだ。
「しかし、方針と言ってもこれは――」
どちらの資料を見ても、両国の考えが伝わってくる。ただし、皇国側の解釈次第でその考えも一八〇度見方が変わってしまうのだから恐ろしい。
例えば帝国側である。
「新たに我国と国境を接することになった帝国内の一王国の姫君……帝位継承順位は末席に近いが……」
「帝位継承権を持っていることに変わりはありませぬ。もしこの姫君との間に子が生まれれば、我国は帝国の帝位に干渉することが可能になりますな」
それは帝国も理解しているだろう。その上で輿入れの候補としたのには、裏がある。
「だが、万が一にも我国の内部で彼女が害されれば――」
「我らの意図しない時期に、帝国との戦端が開かれることになりましょう。無論、帝国ならばこういった類の理由がなくとも我国に攻めて来るでしょうが」
謀略であったとしても、開戦の大義名分の有無は大きい。
大義名分を得た帝国側は士気も旺盛で周辺国との連携も取りやすく、対して皇国は準備も足りず周辺国の顔色を窺いながらの戦いになる。これだけで負けるほど皇国は脆弱ではないが、要らぬ損害を蒙ることにはなるだろう。それが、最終的な勝敗を左右する可能性も低くない。
そう考えれば、ここで余計な火種は抱え込みたくないところだが――
「我国の現状を思えば、選択肢などあるまいな」
これは好機だった。
程度を弁える必要はあるだろうが、帝国内部の政治に介入することができるようになる。これは軍事的な勝利よりも大きな価値を持っていた。
「は。この縁組で我国と帝国は縁戚関係になりまする。なれば、大義なきまま我国を攻めることは帝国にとっても痛手。今は互いに傷を癒すときでございましょう」
帝国側の意図は分からないが、少なくともごく近い将来に戦端が開かれる可能性は低くなる。もしもこの輿入れが罠だとしても、危険な状況になるのは帝国も同じだ。
帝国の属国や諸侯の間で不信感が広がり、国を内部から崩壊させるきっかけになるかもしれない。
皇国としては願ったり叶ったりだが、その政治的混乱によって皇国側に不利益が発生する可能性も否定できない。
例えば〝難民〟である。
既に北方辺境領には帝国本土からの難民が流れ込んでおり、辺境領の領主であるアルブレヒトや、治安維持を担うガラハは頭を悩ませている。
皇国は難民が作ったと言っても過言ではなく、それ故に難民を拒むことができない。建国の理念を否定するわけにはいかないのだ。
今回は、元々難民の受け入れを行う予定だったから良かったものの、これ以上流入量が増えるようであれば、辺境だけでなく皇国全体の治安の悪化が避けられないものとなる。
「我々には時間が必要でございます。彼らにも、我々に利する形で時間を使って貰わねばなりません」
「時間稼ぎか、この姫も災難だな」
レクティファールは資料の一枚目に貼り付けられた写真を見る。
三角の獣の耳を持つ、気弱そうな、それでいてどこかあの〈龍殺し〉の姫君に似た雰囲気がある小娘だった。世の中の多くを知らぬであろう、その写真の姿に、レクティファールは同情にも似た感情を持った。
ハイデルはその写真をちらと見て、孫娘に似ていると思った。
だからこそ、彼は口にする予定ではなかったことを口走ったのかもしれない。
「姫にとってこの輿入れが災難になるかどうかは、殿下次第にございます。殿下がこの姫君をどう扱うか、それこそが肝要」
「――あの帝国の姫を、我が国民が歓迎すると思うか?」
それは純粋な疑問だったのだろう。
レクティファールは写真を眺めながら、ハイデルに訊ねた。
「それも含めての、殿下の役目、殿下のお考えでございます」
ハイデルの口調にも、表情にも、帝国の姫君に対する隔意は見えない。その老練さで、上手く隠しているのかもしれないが、この老人の性格を思えばその可能性は低い。
もしもこの姫君がレクティファールの妃となれば、彼女が皇国に背く行いをしない限り、彼は命を懸けて彼女に忠義を尽くすだろう。
レクティファールは嘆息し、頷いた。
「分かった。良いようにせよ」
「は」
ハイデルは頭を垂れ、主君の言葉を受け取った。
レクティファールは、そんな忠臣の仕草に些かも感銘を受けた様子がない。
ハイデルが主君の歓心を得ようとしていないことを、レクティファールは本能的に理解していた。
彼にとって、宰相の職務と地位と功績、その総てが贖罪の一側面に過ぎないのだから。
レクティファールは、国家への忠義が人の形を取ったような宰相から視線を外し、机の上のもうひとつの資料を見た。
「そしてイズモ。こちらは体の良い厄介払いとも取れるが……」
「確かに、天子陛下の妹君とはいえ、生活に影響が出るほど身体が不自由な者を他国に輿入れさせるなど、通常であれば考えられませぬ。ですが、イズモは最後の神々の国、かの皇女もまた、神々の血を受け継いでおりますれば」
「ただの厄介払いということは考えられない、と」
レクティファールは資料に記された内容を確認し、ハイデルの言葉が事実であることを知る。
皇国情報院が添付してきた資料の中に、それはあった。
(ふむ、イズモ皇族でも珍しい能力の保持者か……)
『浄天眼』――この世界に対して無限に近い干渉能力を持つ神々が、世界中を見通していた力の欠片。
それは世界の何処でも見通すことができる能力。それにより、何時如何なる場所に術者がいても、妨害されない限りは神々の力を借りる神霊魔法が発現可能である。
神々の眼は、どこまでも届くのだ。
(何とも恐ろしい種族だ、神とは)
レクティファールは、神々の力の片鱗を〈皇剣〉の情報群から幾つか見つけ出し、嘆息した。
神とは、嘗てこの世界を支配していた種族のひとつと言われている。
或いは、支配していたからこそ神と呼ばれるのかもしれない。
彼らは大いなる力を持ち、自分に対して向けられる精神的な純粋熱量を糧として生きていた。精神という曖昧なものが糧になる理由は、同じことができる龍種などの高位知性体と一緒なのだろう。
つまり、この世界に存在する肉体と、薄布一枚挟んだ異次元に存在すると考えられている精神。その精神側に存在の比重が偏っている為、そちらこそが彼らを構成する主な要素となっているのだ。
こういった、精神側に重きを置いた種族は、意外と多い。
例えば、精霊種や妖精種、吸精種などの種族である。ただ、彼らの精神的要素は、肉体的要素よりも少しだけ下回っている。だがそれでも、人間種や混血種、獣人などと比べると、その存在比率における精神的要素は多いと言える。
彼らは、肉体的な損傷を精神的要素によって修復することが可能である。その不死性から、嘗て文明が未成熟だった頃は、ごく一般的に〝化け物〟〝魔物〟と呼ばれていた。
もっとも、今では彼らの生態についての多くが解き明かされており、その神秘性や不明さは過去のものとなった。そして、彼らは多くの国々で市民権を得ている。
「神々の血と力を受け継ぐ現〈帝〉の妹姫。正直に申し上げれば、それがしも最初この話を聞いたときは、新手の外交攻撃かと思いました。殿下の下で皇国が団結する前に、この国に対して一定の影響力を確保しようと考えているのでは、と」
隣国であるがゆえに、〈イズモ神州連合〉の皇国社会への影響力は強い。
皇国の文化はイズモから渡ってきたものが多く、貿易相手国としてもイズモの存在感は大きい。
「それも考えられなくはないな。建前上、皇妃は軍務以外の公職に就けないが、なに、皇王の寵を利用すれば十分に政に手を出せる」
無論、レクティファールにはそのような真似を許すつもりなど毛頭ない。
それは、皇国の利益を守るためであるが、同時に妃自身を守るためでもある。
自分の分を弁えない者は淘汰されるのが皇族という立場だ。レクティファールは決してそれを望まない。
「仮にイズモ側がよからぬことを考えているとしても、逆にこちらがそれを利用することもできましょう。案外、裏もなく嫁がされてくる可能性もあります」
ハイデルは、不自由な身体を持つ皇族や王族がどのような扱いをされているか知っていた。飼い殺しと言えるような状況であればまだいい。国民が気付かないうちに影武者と入れ替えられ、生命を奪われていることもある。
「色を好む殿下ならば、と期待されているやもしれませんな。逆に殿下が相手の心を掴めば、イズモに手を伸ばせるやもしれません」
レクティファールは一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに苦笑する。
「所詮は我々素人の考えることだ。向こうにも手練はいる。いつの間にか骨抜きにされている可能性も否定できない」
「幻術魔法や薬物は〈皇剣〉によって完全に無効化されるはず。個人的な依存であれば、それは殿下のお心ひとつでは?」
「それはあれか、暗に女には気を付けろとそう言っているのか」
レクティファールは不満そうに口を尖らせた。
現状を見れば、気を付けろと言われても何もできない。気を付けたところで意味がない。
「臣として、お家の中のことにまで口を出す気は毛頭ありませぬ。ただ、主君としての職務に影響があるようであれば、それをお諫めするも臣下の務めでございます」
「なるほどな、肝に銘じておくとしよう」
レクティファール個人としてならば、異性と何らかの問題が発生しても、それは他者の介入するようなものではない。民事に行政が不必要に介入しないのは、皇国の常識だった。
「では、イズモの申し出は受けるということでよろしいですな?」
「超兵器〈天照〉を祀る神子を嫁がせると言ってきているんだ。断れまい」
イズモの皇族のうち、天子――〈帝〉の直系のみが、世界最強の異世界戦艦を制御することができる。当然、皇国へと輿入れすることになる皇女もまた、その資格を有していた。
他国に自国の国防の要を引き渡すというイズモの申し出に対し、皇国もまたそれなりの返答をしなくてはならないだろう。
これが他の国であれば、返答の内容次第では武力紛争に発展する可能性もある。だが幸いなことに、皇国とイズモは争いの種を随分昔に萌芽させ、即座に刈り取ってしまっている。
皇国では『レムリア大戦』と呼ばれ、イズモでは『北海大戦』と呼ばれる一連の紛争がそれだ。
イズモの地方出身者が皇国の皇王になったことを利用して、天子に近しい一部の者たちが、皇国領土の一部であったレムリア海の島嶼を不法占拠したことに起因する諍いであった。その際、両国は自らの争いが他国に利することはあれど、自分たちに益は齎さないと学んだ。
〈皇剣〉と〈天照〉が激突するようなことになれば、それはアルマダ大陸東部に未曾有の災厄を発生させ、両国を傷付けることになるだろう。そして多大な損害を被って得られる国益も、想定される損害を補うには大分不足している。
星さえ砕ける概念兵器と、星の海の軍船。
「この二つは、決して敵として相見えてはならない。この二つは、本来我々のような未成熟な子どもが扱うべき代物ではない。これは世界を滅ぼすに足る力だ」
当時、両国の軍勢が睨み合うレムリア海で、イズモ水軍の提督にして〈天照〉の艦長代理を務めていた春日宮伊周は、そう兄である当時の天子に書き送っている。
イズモの誇る最新鋭艦を容易く海の藻屑に変えた〈皇剣〉の戦闘能力を、春日宮親王は実際に目の当たりにした。そして、〈天照〉の能力のうち、彼らに制御可能な能力総て解き放ち、ようやく五分の戦いになると認識したのだ。
弟の送った書翰を読んだ当時の天子は、〈皇剣〉という旧帝国の遺産を甘く見ていた自分に気付き、そんな自分と同じ認識でもって物事を判断して皇国との戦争を望んだ者たちを更迭する。そして急ぎ皇国との和議に走った。
元々、皇国側は独立時より〈皇剣〉を含む超兵器の危険性をある程度認識していたから、和議が纏まるのは早かった。
その和議の条件として、両国は当時のお互いの領土をそれぞれ承認し合うこととなった。それは今に至っても同じである。
超兵器保有国同士の戦争がある種の禁忌になったのは、この一件以来だった。
「或いは、〈天照〉では対処できない問題に、我々の手を借りようという可能性も否定できませぬが……」
ハイデルは別の資料を机の上に広げた。
それは幾つもの色に塗り分けられた、八つの洲からなるイズモの全国地図だった。
「イズモの首都〈天陽〉の周辺は、現イズモ政権――つまり〈帝〉の一族による世襲に否定的な瀬川氏が支配しております」
地図の中央辺り、〈天陽〉と記され、紫色で塗り潰された港湾都市の周辺は、赤で塗り潰されている。この赤が瀬川氏の支配地域ということなのだろう。
嘗てはごく一部の有力諸侯が占有していた〝執政〟の地位。その有力諸侯が衰えた結果、今のイズモは内乱状態にある。国家の総ての権限が〈帝〉に集約されていることもあって、国体が揺らぐような事態には陥っていないが、今後の動静次第では現在の政治体制が潰えるかもしれない。
そうなると、皇国は東方から多大な圧力を受けることになる。
今でこそ東方については、陸軍を最低限にし、空海軍を主力としている皇国だが、その戦力で東方が守りきれるかどうかは定かではない。何せ、イズモには皇国空海軍の全戦力を投入しても抗しきれない超兵器――天子が艦長を務めるが故に天空御所との異名をとる空中戦艦〈天照〉があるのだから。
「瀬川氏は、現当主の母が先代の〈帝〉の妹君。つまり現当主は天子陛下の従兄弟です。〈天照〉を完全制御するほどの管理権限は持っていないでしょうが、都に攻め上がり、〈天照〉を完全制御可能な皇族を手中に収めれば……」
「――〈天照〉を手に入れられる、と」
〈天照〉を手に入れることは、〈イズモ神州連合〉を手に入れることと同義。
他の諸侯が反発しても、〈天照〉を用いれば容易く圧し潰せる。
内乱の決着としては上々だろう。瀬川氏は無駄な犠牲を払うことなく国内を纏められる。犠牲が少なければ、戦後の統治もやり易い。
「我々としては、嘗ての戦訓を共有している現政権が存続することこそが国益に適う、と認識しております。しかも、瀬川氏は近年一気に勢力を拡大した新興の家。当主は武に優れ、知に秀でていると聞きますが、少し性急なところがあるとのこと。特に大陸に対する強硬姿勢は、それがしでも知っているほどです」
〈天照〉とその海軍力を用い、大陸の諸国家に対する圧倒的な優位を確立するべきという意見は、イズモ国内で根強い。
確かにレムリア海、及び大陸の南に広がる大霊洋を押さえられれば、イズモはアルマダ大陸の国家群に対して一定以上の影響力を持つことができるだろう。海洋路の確保は、そのまま大陸の外洋交易路の大半を得ることに繋がるからだ。
海洋とは、無限の可能性を秘めた未開拓の原野である。それを手にすることの意味を理解できないレクティファールではない。
海上権益は国家の浮沈を左右する。だからこそ、皇国はイズモとの関係維持に並々ならぬ努力を重ねてきたのである。
「イズモと真正面から相対することができるほどの海軍力を保有している国は、この大陸には存在しませぬ。我国の海軍とて、領海と交易路を保全する任務には耐えられるでしょうが、正面きって世界最強のイズモ海軍と戦えるほどの戦力は有しておりません」
ハイデルの言葉は、些か皇国海軍を過小評価している。少なくとも、アルマダ大陸の他国家がこの言葉に対し素直に頷くことはないだろう。そのくらいの戦力は、皇国海軍も保有していた。
ただし、ハイデルの言葉も間違いではない。
「〈天照〉をもとに設計された艦船で固められている海軍か。確かに正面から戦うのは御免だな」
「は、それがしも同意見でございます」
ハイデルの答えを聞くと、レクティファールは大きく天を仰ぎ、目を瞑った。
現状の皇国にとって、イズモの政変は歓迎できることではない。
ならば、かの国に介入するひとつの手段としても、今回の縁組を進めるべきだろう。
未だ皇国を取り巻く情勢は予断を許さない。迫る危険を少しでも減らすために、できることは総てやっておくべきだった。
「――よろしい、では外務院に話を進めさせろ」
「は、御意のままに」
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