白の皇国物語

白沢戌亥

文字の大きさ
490 / 526
第五章:因果去来編

第二話「それは緩やかな」その二

しおりを挟む

「うーん、やっぱり駄目だなこりゃ」
 帝国領スリーヤ県の募兵本部事務所で頭を抱えているのは、この県の募兵事務を統括する兵站参謀だ。
 彼はめっきり寒々しくなった頭に手を置き、県下に点在する軍の事務所から提出された徴兵前健康診断の結果一覧を何度も確かめた。
 しかしもっとも優秀とされる一種基準合格者の数字は、十年前の八割という水準から変わる様子がない。
 一度紙に記載された数字が変わるわけがないと思いながらも、なんとか上役から課せられた兵員数に満たないかと試行錯誤を重ねる。
 ただ、ひとつ下の基準である二種合格者の中で、ぎりぎり上の基準に到達しそうな者を加えてみたり、傷病者として弾かれた者の中で軍務に耐えられそうな者はいないかと探してみたりしたものの、結局目標を満たすことはできなかった。
「いったいどういうことなんだ。どの郡も人口が減ったとは報告がないぞ」
 彼はその人口報告がかなり不確かであることを知らない。
 大きな人口減少が起きれば、それは税収の低下という明確な結果を万人に示すこととなり、その地を治める貴族や官僚の責任になる。
 領主や役人たちはそれを避けるために、意図的に人口の数字を操作していた。
 微減であれば、その年の作物の収穫状況如何で言い訳ができるからだ。
「どうしたもんだか……」
 彼は不合格者ばかりが大きく増加している理由を、何らかの疫病に求めた。
 しかし、健康診断の結果は栄養不足による発育不全などが大半であり、それは多くの民がその日の食料にさえ困っていることを意味している。
 いくら領主たちが様々な数字を改竄したとしても、軍の管轄である徴兵作業にまで干渉することは難しい。軍人系貴族がそれを許さないからだ。
 彼らにとって唯一にして最大の後ろ盾が軍の力だ。それを他の誰かに奪わせるような真似をするわけがない。
「どうかしたのか?」
 頭を抱える兵站参謀の背後に誰かが立ち、その手元を覗き込もうとする。兵站参謀は慌てて自分の身体で書類を隠した。
 状況の悪化は自分の責任ではないが、この数字が外部に漏れた際、責任を負わされるのは自分だ。せめて言い訳ができる程度に誤魔化してからでなければ、人に見せることはできない。
「こ、こらっ! これは機密――」
 まったく、いきなり覗き込むとはどこの莫迦だ、と振り返った兵站参謀は、自分のそれとは作りからして違う煌びやかな階級章を見て、目を丸くし、口をあんぐりと開いた。
 元帥。軍人としての最高位ではあるが、そこに昇ることができるのは有力な軍人貴族か帝族だけだ。
 彼に声を掛けてきたのは、後者だった。
「そうか、それはすまなかったな」
 重力を感じさせない豪奢な金髪と、意志の強そうな瞳。
 帝国の軍人ならば、彼女のことを知らぬ者などいない。
「グロリエ殿下!? し、失礼しました!!」
 兵站参謀は真っ青な顔で立ち上がり、なぜ誰もグロリエを止めなかったのかと慌てて周囲を見回す。
(え?)
 そこにいると思っていたグロリエの幕僚たちの姿はひとつもなく、それどころか事務所内に彼とグロリエ以外の人間は誰ひとりとして存在していなかった。
「さ、査察においでになったのでは?」
「査察? なぜ、余が査察などするのだ。余は単に各地の募兵事務所を回って新兵たちを激励して回っているだけだぞ」
 グロリエは兵站参謀の言葉に首を傾げ、不思議そうに答える。
「他にすることもないからな。うむ、無聊をかこつよりも新兵の士気を上げた方がまだ良い」
「なるほど……」
 そう答えはしたものの、グロリエがここにひとりでいる理由にはなっていない。
 帝族らしい気儘さでここまできてしまったのか、それともなにか目的があってやってきたのか。
 兵站参謀は身体の影に書類を隠しながら、必死に浮かべた愛想笑いを崩さないよう努めた。
「そろそろ戻った方がよろしいかと思いますが……」
「ああ、ひとつ質問に答えてくれれば、すぐに失せようとも。帝族なんぞと同じ部屋にいては肩が凝ってしょうがないだろうからな」
「そんな、滅相もない」
 その通りだ、と叫びたくなったものの、グロリエに悪意がないことは分かる。
 この元帥殿下は粗雑なように見えてかなり繊細な心根の持ち主だ。分別を弁え、突然癇癪を起こして周囲の者に斬りかかるような気狂いでもない。
「まあ、気にするなということだ。――で、それがこの地の新兵たちの健康診断書か?」
「うぇッ!? あ、失礼しました!」
「はははっ、気にするなと言っただろう。――見せてもらうぞ」
「はい……」
 兵站参謀はすべてを諦めきった表情で書類をグロリエに手渡した。
 幸か不幸か、この元帥殿下は比較的話の分かる相手だ。きちんと順序立てて説明すれば今回の健康診断の惨憺たる状況を理解してくれるだろう。
「殿下、その、今回の診断結果についてですが……」
「酷いな」
「――はい」
 グロリエの言葉に何かを付け加えようとも思ったが、なにも付け加えるべきものはなかった。『酷い』その一言でこの状況を表すには十分過ぎる。
「辺境に向かうにつれ、段々と酷くなっている。領主たちは何か対策を取っているのか? 働き手である若い男がこの有様では、老人や女子どもはもっと悪いだろう」
「その……自分には分かりません。軍にはそれを確かめる術がありませんので……」
 軍は供出される人員を調べ、徴兵するのが仕事だ。
 ましてや士官でもない兵卒の家族の状況をいちいち調べる暇などない。
「だろうな。それでもこれまでは何とかやってきたが、これはもう無理か」
 軍はいずれ発生するであろう大陸安全保障会議勢力との戦いに備え、大規模な軍拡を続けている。しかしそれに伴い、国内での労働力不足が顕在化しつつあった。
 働き手がいなくなれば、国の礎である食料生産にも影響が出るのは当然のことだ。
「一度陛下にお伺いを立てる。このままでは、戦う前に国が折れてしまう」
「――――」
 兵站参謀は驚いた。
 グロリエの言った内容もそうだが、自国の弱さをああもあっさり口にできる帝族がいることになによりも驚愕した。
 帝族といえば大抵の場合、自分や自分が属する勢力が弱体であると思われることを嫌がる。それが国であっても同じだ。
 だというのに、グロリエはこの国が崩壊するかもしれないと口にした。
 現場が常に感じていた危機感、それを持つ帝族がいることに、兵站参謀は目の前が晴れ渡るような気持ちになった。
「殿下、何とぞよろしくお願い申し上げます」
「うむ、できるだけのことはしよう」
 グロリエは気安げに請け負った。
 だが、それが口先だけの約束ではないことは自信に満ち溢れたその表情から容易に察することができる。
「余は、帝族だからな」
 自らの立場に驕りではなく誇りを持つ帝族を、兵站参謀は久方ぶりに見た気がした。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。