白の皇国物語

白沢戌亥

文字の大きさ
上 下
488 / 526
第五章:因果去来編

第一話「神の贄」その五

しおりを挟む

「陛下」
 城に戻ったレクティファールを待っていたのは、赤絨毯に杖を突いた宰相のハイデルだった。
 小言でもあるのかと身構えたレクティファールであるが、ハイデルはそれ以上何かを言うでもなく、執務室へと進み始めたレクティファールの後ろにひっそりと追従する。
「ハルワントの戦ですが、掃討戦に入ったようです。公使館から引き上げの打診が来ておりますが……」
「外務卿に任せる。私が信任状を届けさせたのはハルワント王だ」
「畏まりました」
 それはハルワント王国がその主権を失った瞬間、皇国はあの地から手を引くということだ。ハルワントの王族は反対するだろうが、今の皇国に遠い異国同士の戦いに介入する理由はない。
「いささか、焦っておりますな。ウォーリムは」
「統合が上手くいっていないのだろう。一千年の間戦争をしていた国同士が、たかだか十年と少しで同じ国になれる訳がない」
 いかに神帝ふたりが国民に支持されているとはいえ、様々なしがらみがある。
「なんとか娘の代になる前に国を纏めたいのだ。周辺国にとっては面倒なことこの上ないが」
 神帝夫妻には一粒種の娘がいた。両国統合の象徴であり、真の意味で千年の戦争を終わらせる唯一の鍵とも言われている。
「ふたりの神帝にとっては娘が跡を継ぐまでに国内を纏めたい。それに反対する者たちは、何とかそれを頓挫させたい」
「まあ、最後の機会でしょう。これで統合に失敗すれば、あの国はさらに千年は争い続ける。そうなったら、エリュシオンに呑まれます」
 エリュシオンが最近になってウォーリム領土を脅かそうとする姿勢を見せ始め、周辺国はふたつの超大国の間で高まる緊張に怯えていた。
 いつ大陸を沈め合うような大戦が始まるとも知れず、皇国も無関係ではいられない。
「個人的には勝手にやっていてほしいものだが……」
「某もまったく同じ考えですが、向こうがどう考えるかは分かりませんな」
「トランの方は人心地ついたというところか」
「本土まで脅かされるのではと戦々恐々としておりましたからな……」
 トラン大同盟から皇国に対して内々に同盟の打診があったのは、今回の騒動よりも前のことだ。
 エリュシオンとの間で戦端が開かれ、後背を脅かされては堪らないと思ったのかもしれない。少なくともアルマダ大陸の半分を実質的に支配している皇国が敵にならないならば、一方の敵に集中できる。
 ただでさえも複数国家の連合国家であり、足並みがまったく揃わないトラン大同盟にとって、多方面戦争など悪夢でしかない。
「そろそろ海軍工廠機能が追い付かなくなりますぞ。新造にせよ改修にせよ、急ぎすぎとは申しませんが……」
「やれるうちにやっておくしかない。死んだ兵は鍛えられんし、沈んだフネは改修できん」
「しかし、これ以上軍に人材を取られては市井が立ち行かなくなりますぞ」
「分かっている。軍の増員はとりあえず打ち止めだ」
 軍の要求を満たすための増員を行い、四軍合計で百万と少し、これまでの皇国史上もっとも軍の人員が多くなっていた。
 帝国のように別の職を持っている者を強制的に兵にすることはできないため、これ以上兵員を増やすのは不可能だった。
「なんとか兵を使わずに勝ちたいものだ。――外務院はその方向で動いているのだろう?」
「はい、帝国では上手く後継者の各勢力を均衡状態に保っています。グロリエ皇女についてはそもそも自らの派閥を作っていないのでどうにもなりませんが……」
「彼女は父である帝王が後ろ盾だったからな。本人に国を盗る気がないのだからどうしようもない」
「いっそ、国を盗ったら陛下と思い切り戦えると嗾けましょうか? そうすれば、一年程度で帝王になっているやもしれません」
「ははは、愛が重いぞ」
「羨ましい限りですな」
 レクティファールは足を止めて振り返り、廊下に置いてある観葉植物を眺めているハイデルを睨んだ。
 そして嘆息した。美姫に愛される、確かに羨ましいことだろう。
 自分だって、他人がそのような状況になっていれば羨むはずだ。
「私は帝国を火の海にはしたくないぞ」
「某も同じです。難民の流入が処理能力を超えるでしょうから」
 グロリエが積極的に民を巻き込むことはしないだろうが、相手側がそうだとは限らない。そして相手が民を巻き込めば、グロリエは相手に対する身内へのいたわりを忘れ、敵として討つことを選ぶ。
 皇国としてはその状況を望むことはない。少なくとも、今はそうだ。
「では、方針に変更はないということでよろしいですな?」
「ああ」
 ハイデルに頷いてみせ、レクティファールは到着した執務室の前で歩いてきた廊下を振り返る。
「――――」
 長い廊下だ。
 埃ひとつ落ちていない。誰かが掃除をしているからだ。
 だが、これから自分が進もうとする道は、誰も掃除などしてくれない。
 荒れ果て、巨岩が転がり、渓谷が口を開けているだろう。
「なにか、気になることでもありましたか?」
「いいや」
 ハイデルは主君の内心を半ばまで察した。それ以上は僭越だと理解していた。
 自分は決して主君の行く道を共に歩めない。
 今になって、あと少し寿命があればと思う。あと少しだけ身体が持ち堪えられれば、この主君を世界の覇者にするという夢を見ることができただろう。
 しかし、今となっては、その夢は今わの際に見る最後の夢になる。それまでは楽しみに取っておくのだ。
「では、仕事を始めようか」
「はい、我が陛下」
 扉を開け、ふたりは秘書官たちの待つ執務室へと入る。
 ほんの僅かな、戦争と戦争の間の季節だった。
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。