白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

章末話「神話顛末」 その五

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「むう……」
 遠くに見える〈神樹〉を睨み、“虎”と名乗る女性は〈天照〉を望む木陰で不満そうに鼻を鳴らした。
 脇に置いた大剣は常の姿に戻り、神を相手に往年の力を振るったと感じさせる要素はない。
 大剣はただ無機物の塊として主の傍に侍り、その主の機嫌が回復するのを静かに待っているようだった。
「おい、姉ちゃん、なんか不満そうだな? なんなら俺が相手してやろうか?」
 そんな“虎”に声を掛けたのは、若い八洲男神だった。肩に丸太のような打棒を担ぎ、“虎”を見下ろしている。
「いらん、でかい図体が邪魔だ。どこへなりと消えろ」
「おいおい、いきなりご挨拶じゃねえか。そりゃあんたらが勝ったんだからどっか行けと言われりゃ行くけどよ……」
「勝ったのはレクティファールだ。余ではない」
「あん?」
 男神は“虎”の言葉に首を傾げる。
「てめえらの頭目が勝ったんだから、てめえらの勝ちだろ」
「余たちは勝った。だが、余は勝っていない。それだけのことだ」
「ああ、そういうことか」
 男神は訳知り顔で何度も頷いた。
「てめえ、自分の戦いになんも満足できなかったクチか。勝った勝ったと騒げば自分が弱くなっちまうから、なんも言えねえんだろ」
「わかってるならどこぞへ消えろ。余は無性にあそこのでかい木に乗り込んでいってレクティファールと戦いたい気持ちを抑えるので精一杯だ」
「そりゃ、相手は災難だな」
 そういって男神はげらげらと笑い始める。
 周囲にいた両陣営の者たちがその声に何ごとかを顔を上げ、そこにいるのが先ほど八洲神群を斬っては捨て、斬っては捨てと大暴れしていた存在だと気付いて顔色を変えた。
「おい、誰だあのバカ」
「あのでかい棒、あれじゃねえかな。クラマんところの倅」
「ああ、あの脳筋野郎か。センゲン様んとこの若い女神にちょっかい掛けて九分殺しにされてなかったか?」
「あれだ、今回の騒動で使える連中は全部引っ張り出したから、混ざってたんだ」
「どうすんだよ、外の女にちょっかい掛けるとか、また現界の連中にしょうもない講談のネタ提供するだけだぞ」
 そんなやりとりはもちろん、“虎”と件の男神にも聞こえている。
「ほう……」
 と、“虎”が興味を抱いたのも無理はない。彼女は自分の中の鬱憤を晴らせる相手を求めていたのであり、目の前の男神はそれなりに使えそうだった。
「くそ、あいつら好き勝手言いやがって」
「なに、別に構わないじゃないか。そのつもりで声を掛けてきたんだろう?」
 挑発的な“虎”に、男神はにやりと口を歪める。
「出番が遅くてなぁ。俺が戦う前に喧嘩が終わっちまったんだよ。間に合ってさえいりゃ、あんたも少しは楽しめただろうに」
「あははは! それは無理だ!」
 “虎”はおもむろに立ち上がると、脇に置いてあった大剣を手にとってそれを振り回した。
 風が唸り、周囲の源素が擦れ合って発光する。それを見ていた観衆は慌ててその場を離れようとした。先ほどの戦いを見ていれば、あの大剣が古代遺物であることは明白だ。
 それも、神を殺すことに特化した代物である。巻き添えになって消滅させられては堪らない。
「余は、弱い者いじめとやらは嗜まない」
「――――」
“虎”の言葉に、男神は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。
 そして自分が『弱い者』として扱われたことに気付き、表情の一切を失った。
「おい、女、今なんて言った」
「困ったな。耳も悪いのか? 余は、弱い者は好まんと言っている」
 それ故に、彼女は姉や兄たちに大いに嫌われていた。自分たちと戦えるだけの才覚を持ちながら、それを用いず、まるで自分たちに興味がないとでもいうように振る舞うからだった。
「そうか、俺は弱いか……」
 男神は首を回し、怒りを抑え込むように大きく深呼吸をした。
 だが、その目は明らかに“虎”を敵として認識したかのようだった。
「いいぜ、だったら俺の本当の実力を――」
 男神の頭上に、影が走る。
 それは九本の尾を持つ女神の影であり、その影はぐんぐんと男神に向かって近付いてきた。
「あん?」
 影に気付いて頭上を見上げたことが、彼の不幸だった。
 女神は幾重もの裾衣を翻し、その最奥の白い布がわずかに覗かせ、次の瞬間には男神の頭上に降り立ったのだ。
「ぐぎ……っ」
 着地に伴う衝撃波が広がり、男神の身体ががくがくと震える。
 周囲の神々、悪童たちが痛みを想像して顔を顰めている中で、“虎”は上空から落ちてきた女神に笑みを向けた。
「話は終わったか、獣の神どの」
「いんや、そういえば我が君が連れてきた軍勢の中に、みょうちきりんな者がいたと思い出して、話をしにきたのじゃ。おおかた我が君がどこぞで引っ掛けたのだろうと思うての」
「うむ、引っ掛かったぞ。餌もない釣り針にな、こう思いっきり引っ掛けられた」
“虎”は大剣を釣り竿に見立て、それを引く仕草をした。
 女神――瑠子はそれを見て嘆息し、不機嫌そうに尻尾の毛を逆立てる。
「やはりのぅ。大人しく餌を付けて釣り上げれば可愛げもあるものを」
「あれが単に玄人を気取って餌を付けない男であれば、余も気にはしなかった。あの者はな、女神殿。釣り餌がどこにあるのか知らんのだ」
 実際になにも知らないわけではない。
 ただ、見付けられないのだ。どれだけ石をひっくり返し、土を掘り返そうとも、釣り餌がどうしても見付けられない種類の男であるだけだ。
 そして、それを誰にでも見抜かれてしまう男だった。
「水面の上で必死に釣り餌を探している姿を見てしまうとな、この者の釣り針に掛かってやらねばならんのでないかと思えてくる。余が掛からねば飢えてしまうのではないかと思ってしまう」
「うむ、ようわかっているなぁ。我が君は必死すぎる。そしてそれを隠そうとして隠しきれぬ。誰もがそれを見てしまう。見てしまえば、思わず手を貸してしまう」
 瑠子は自分の中の半身が力一杯頷いているのを感じた。
 彼女の夫は常に同じ姿を誰かに見せているわけではない。偶然にも――そう、まったくの偶然にも、その女が、その女だけが少し心配になる姿を見せるのだ。
「アレは駄目すぎる。いらぬ戦いの最前線に立って、いらぬ戦いをしてしまう。余も、あんないらぬ戦いをする男を放っては置けぬと思ってしまった」
 それは、戦いを求めるが故の嗅覚だった。
 彼女は己の能力を十全に発揮できる戦場を求めていた。そして、自分が手を貸せばそれを実現できる存在に出会ってしまった。
「女神殿、アレは駄目だぞ。うん、本当に駄目だ」
「知っておるとも、我が君はこの上なく駄目であろうとも。妾のような性悪女神に引っ掛かってしまう。こっちが釣り針に引っ掛かってやったというのに、さも自分が釣り上げたのだと言わんばかりに大喜びしてしまう」
「うむ、うむ、その通り。あまりにも大喜びするものだから、引っ掛かってやったことに罪悪感を抱いてしまう。まるで余があの者を騙しているのではないかと思ってしまう」
 大剣を地面に突き刺し、その柄頭に両手を重ね、あごを載せる。
“虎”は瑠子と笑い合い、同じ男を貶し合う。
「市井の者であれば、適当な女に引っ掛かって、それでもその女に罪悪感を抱かせて上手く生きていけたであろうに。不幸なことに、アレは国主であった」
「そうとも、虎の姫よ。我が君の最大の不幸は、自分を必要とする女の下に落ちてきたこと。それもひとりやふたりではない、両手両足の指でも足りない女たちよ」
 瑠子は頭を振る。
「で、どうする? 我が君はそなたの正体を知っておろうが、おそらくなにもせぬよ?」
「もう十分にしてもらった。一度目は敵として、二度目は味方として戦えた。あとはそうだな、あの者が必要な方を演じるのもよい」
“虎”は得意気に胸を反らす。
 それは瑠子には絶対にできない役を担おうという自負心の発露だった。
「――なるほど、まあそれでよかろうて。妾としては、そなたがただの猪武者でないとわかっただけで十分じゃ」
「ほう?」
 首を傾げ、“虎”は瑠子の言葉の先を待つ。
 瑠子はこの上なく朗らかに、その一言を発した。
「その方が、殺しやすいからの」
 ぶわり、と殺気が神域中に広がっていく。
 ごくごく薄まったものであったものの、瑠子のそれは恐ろしく純度の高いものであり、それを受けた者は揃って原初的な恐怖を抱いた。
 さながら、自分が世界から否定されているかのような気分を味わったのだ。
「面倒ゆえ、手短に済ませよう。――虎の姫よ、そなたの国で近々争いが起きる」
「うむ」
 そんなことはわかりきっている。
 総ての物事が争いへと収斂するのが、彼女の故郷である。
「結果はどうなるかわからんが、おそらく大陸の将来に大きな影響を与えることになろう」
 瑠子は目の前の姫が、自分の言葉を面白そうに聞いているのが不思議だった。
 自国の混乱を望むような人物ではなかったはずだが、果たして――
「望むところだ。そろそろ起きねば、兄上あたりが起こしていた。もう、我が故郷は保たぬからな」
 そう、国としての限界が近付きつつあった。
 いかにして国を崩すかということを考え始めなければならない時期なのだ。
「まあ、上手くやるとも。余をこれだけ楽しませてくれた礼はするゆえ、心配するな」
 屈託のない笑みを浮かべる女を、瑠子は微笑みで見詰め返した。
「では、上手くやってくりゃえ。上手くやったら、そのあとは妾たちが上手くやるゆえな」
「うむ、ではそのように頼む」
 そう言って、“虎”は大声で笑う。
 心底楽しそうに、この世に恐いものなどないとでも言うように。
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