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第四章:万世流転編
章末話「神話顛末」 その二
しおりを挟む〈神樹〉の最上層。そこにかつての瑠子の家がある。
おそらくもっとも古いイズモ様式のその家は、彼女が堕神として封じられた際に破却されるはずだった。
それが実行されなかったのは、この家が多くの神々にとって最初の我が家であったからだ。
「ほれ、この柱じゃ。弟や妹たちの背を測ったあとが残っておろう? しかし、あんなに小さかった者たちも、みんな随分とでかい図体になったものよ」
「――――」
柱に刻まれた傷から振り返り、瑠子は広々とした座敷にみっちりと座る弟や妹たちに目を向ける。
上座には瑠子とレクティファールが座り、そのすぐ下座に正周が居心地悪そうに正座している。
「あれからずいぶん時間がたったからね。アサマがいなくなったのは、もう五千年くらいまえだったかな?」
「七八〇〇年です。父上」
瑠子の背後にふわふわと浮かぶ虹色の球体に対し、巨躯を縮こませるようにして比較的前方に座っていた男神が訂正する。
「そうか。ずいぶん眠っていたようだ」
「それで、そこの愚弟はどうします? 再教育するならわたくしにお任せして頂きたいのですが……」
隣に座る夫にしなだれかかるように座っていた顔を隠した女神が、庭先に横たわり、ぶすぶすと煙を上げて焦げた臭いを漂わせているカシマに目を向ける。
「きみにまかせたら、人格情報が書きかわってしまう。それはわれわれにとっては死だよ」
「残念ですわ。キリシマ様のような素晴らしい男に鍛え直そうと思っていましたのに……」
彼女は夫がびくりと肩を震わせたことに気付かないまま、からからと笑い声を上げる。
「センゲン、ぬしは相変わらずじゃの」
「あら? まだまだ姉上様には及びませんわ」
瑠子は呆れたように妹を眺め、センゲンはどこか挑みかかるように姉を見詰める。
センゲンは元々、アサマの予備として作られ、やがてその役目を終えて別個の神として再構成された。予備としての頃の記憶はないが、センゲンにとって瑠子は単なる姉以上の感情を抱く相手だった。
「アキハ、そしてアタゴ」
「ははっ」
「なんでございましょう」
先ほどの巨躯の神と、その隣にいた細身ながら鍛えられた身体を持つ神が、オノゴロの声に反応し、頭を垂れる。
「ぼくはずいぶんねむっていたから分からない。君たちならカシマをどうする?」
「それは……」
言い淀んだアタゴは、カシマが転がる庭の片隅に、そのまま足を正して座る男に視線を向ける。
カシマの兄カトリは、家に上がれという兄たちの言葉を断り、庭の冷たい地面に座っていた。弟を止められなかった以上、その罪を共に償う覚悟だった。
「カシマは我々の中では比較的多くの信仰を集めている身、もし存在を消し去るならば、すぐに新たな『カシマ』を作らねばなりませんな」
部屋の隅で書記をしていたアチが、書面から顔を上げずに告げると、その場にいる者たちがざわめいた。
「カトリに兼任させれば良かろう。今も兄弟揃って信仰を受けることも多い」
「そもそも、滅されるほどの罪なのかしら? あの姉上がカシマちゃん程度の虜になったことそのものが信じられないのだけど……」
「神域の被害も莫迦にならんぞ。肉体を蒸発させられた同胞たちの回復には、しばらくかかろう」
神々が言葉を交わしている様子に、正周は冷や汗を浮かべていた。
正周と彼らの間にあるもっとも大きな価値観の相違は、自らの死に対する姿勢だ。
ここにいる大半の神は、自分が消滅することを恐れていない。彼らにとっての恐怖とは自分たちの役割を果たせなくなることであり、自己の消滅はその過程に過ぎなかった。
「現界の同胞よ」
「は!? はは!」
アチに呼び掛けられ、正周は慌てて意識を引き戻す。
「今回の一件で一番大きな被害を受けたのは、おそらく君たちだろう。カシマの処遇についても君たちの意見を最大限取り入れようと思うのだが」
「うん、それはいい。ぼくとしても、きみたちにはいらぬくろうを掛けてしまったし」
オノゴロが賛意を示したことで、その場の視線が一挙に正周へと向けられる。
助けを求めるように上座に目を向けると、そこにいる義弟と堕神は――
「ふむふむ、なかなか良い手触り……」
「あ……! んんっ、ぬ……ぬし、の手つきは妙に欲望に……塗れておらんか……!?」
黄金色に輝くふさふさの尻尾を弄り弄られており、まったく役に立つ状態ではなかった。
正周は〈天照〉の損害の半分くらいの原因である義弟に一瞬憎しみを抱き、しかし部外者として、敢えて話に参加しないのだろうと自分を納得させた。
いくら親戚であったとしても、血統的にはなんら八洲と関係がない。そんな人物が有力神族の処遇に口を挟むのは、不必要なしこりを残すことになりかねない。
(つまり、あれへの利益は余から与えねばならぬということか)
レクティファールが直接、八洲神族から何らかの賠償を受けることはできない。瑠子を介することもできるが、今の瑠子はまだ神域から追放された扱いのままである。
この扱いを変えない限り、瑠子がレクティファールの代理として八洲の神々と交渉することはできないのだ。
正周の腹は決まった。
「――ではまず、皆様の姉にして、我が妹であるアサマ・真子の名誉を回復して頂きたい」
「まあ、妥当でしょう。今更そこの色惚け姉上の失態を隠す意味もなし」
「惚けてなどおらぬわ!」
そう叫んだ瑠子は、レクティファールに尻尾や耳を弄られ、完全に腰砕けになっていた。その姿勢でよくもまあ、惚けていないなどと言えたものだとその場の誰もが思ったが、それを口にしたら最後、カシマの隣で煙を吐くことになる。
彼らは思わず口を突いて出そうになる突っ込みを抑え込み、それに打ち勝った。
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