白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二六話「嫁奪り」 その十四

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「なにをやっておるのかのぅ」
 目の前で繰り広げられる光景を見詰めながら、この神域の生みの親は呆れたように頭を振る。
「真子、お主は子をあのような男に育ててはいかんぞ」
「うん。でも、わたしは瑠子の方が心配かな」
 作られた幻の草原に座り、真子は半身に笑いかける。
「いまあなた、すごく嬉しそうに泣いているから」
「泣いてなど……おらん」
 瑠子は頭上に映る外部の光景を睨んだまま、決して真子の顔を見ようとはしない。
 しかし、時折聞こえる鼻を啜る音や、何故、何故と誰かに問い掛けるような囁き声は隠し切れていない。
「嬉しいよね。前のときは誰も来てくれなかったけど、今度はちゃんとあの方が自分で助けに来てくれたんだから」
「――たったひとりの娘を救うために、国を巻き込みおったのだ。真子、お主はあれを叱らねばならんのに、何故そうも嬉しそうにしている」
「嬉しいもの。あの方は誰が危地にあっても助けに来てくれる。それが赦されるなら、たとえどこにいても来てくれる。そんな方と一緒に生きていって良いって言われて、嬉しくないわけがないでしょう?」
 このふたりの最たる共通点は、常に他人に怯えていたことだ。
 善性であるゆえにひとの善意を理解し、信じながら、それが自分へと向けられることはないだろうと諦めていた。
 悪意の恐ろしさを知り、そして人々の善意の儚さを知ってしまったからだ。
「あのような大騒ぎを引き起こす者と添い遂げたいとは、我が半身ながら悪趣味じゃ」
「ふふふ……きっとあなたの趣味が伝染うつったのよ」
「たしかに、妾の男の趣味は良いとは言えんの。それも仕方があるまい。見よ、我が弟たちの情けない姿を」
 瑠子が指差す先で、〈天照〉の巨体がゆっくりと動いている。悪童たちが楽しげに鎖を引き、外壁を押し、八洲の神々が苦しげに鎖に引き摺られ、外壁と悪童に挟まれてのたうっていた。
「妾は信仰を細分化した。そして『八洲の神』という大きな枠組みで人々の信仰を受けられるよう仕向けた。生き残ることだけに総てを賭けた」
「そのせいで、多くの神々は個別の信仰を失いつつある。だけど八洲の神々という括りならば、信仰の総量は増えている」
「人々が自然の中で小さな感謝を抱くだけで、我らは力を得る。ほんのちっぽけなその力だが、それだけで我らは決して消えることはない。八洲の民がひとりでも八洲の民として生きるならば、それで十分じゃ」
 信仰を失った神は形を失う。意識さえ消えてしまう。
 それを防ぐために、瑠子はあらゆるものに神を宿した。農民が天候に感謝しても、幼子が食べ物に感謝しても、学徒が考査の結果を神に感謝しても、博徒がその日の運に嘆いても、結局は八洲の神々の力となる。
「カシマはそれに気付かなかったのか。それとも気付いていて我慢ならなかったのか、まさか本気で、妾の不始末が人々の信仰の妨げになっているとは思っておらぬといいが……」
「ダメな子なの?」
「――お主、何気にキツい物言いをするのぅ」
「そう?」
 真子は世間を知らない。そのため、躾けの手が届かない部分で人の心を深く抉るような言動をすることがある。
 本人に悪気はない。そして明確に悪ともいえない。そのため、瑠子もどのように矯正すればいいのか悩む部分だった。
 しかしこの真子の性質は結局矯正されないまま、後宮の説教担当として数多くの皇子や皇女の心をへし折っていくことになろうとは、神である瑠子でさえこの時点では予想していなかったのである。
 真子の切々とした真心のこもった説諭は聞く者の悪心どころか良心さえ抉り貫き、あまりにも悪ふざけが過ぎて母である紅の妹龍が匙を投げた皇子が、一晩で心を入れ替えるほどだった。
 もっとも、その言葉もレクティファールには一切通じず、その一事だけで皇子皇女は父親の一面を深く尊敬するのだった。
 瑠子はこの曇りなき心が映し出す己の醜さに耐えられるものがどれだけいるだろうかと考え、映した光景に訪れた変化を見て表情を変えた。
「――まあ良い。もう終わる。父上がおいでになった」
 彼女の言葉通り、遥か上空から飛来した光の拳が、カシマの身体を強かに打ち付け、そのまま地面にめり込ませていた。
 人の形に陥没した地面を見詰め、瑠子は嘆息する。
「ろくに相手もしてやれなんだ弟だが、ああなってしまえば憐れよな」
「これから構ってあげればいいよ」
「――そうかの。そうするか」
 真子はカシマを思ってそう口にしたのだろうが、瑠子からすれば傷口に塩を塗り込んだあと唐辛子の粉末を塗りたくり、芥子菜の葉を包帯代わりに巻き付けるようなものではないかと思える所業であった。
 それを総て善意で行えるこの半身に戦慄しつつ、瑠子はようやく静かになりつつある神域へと意識を向ける。
「さて、どのあたりで姿を見せてやるのが、一等弟たちの度肝を抜くかのぉ」
 結局のところ、このひとりと一柱は似たもの同士なのである。
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