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第四章:万世流転編
第二五話「神域突入」 その五
しおりを挟む《前方に高熱量反応。推定熱量八億――当艦の三倍以上です》
その一報は〈天照〉が大気の層を脱し、艦体に纏わり付いていた熱を総て取り払った直後に艦橋に発せられた。
まだ光学的に捉えることのできないそれを、情報管制官たちは熱量模型化によって可視化し、艦橋上部の大型投影窓へと映し出した。
「龍ですな」
播乃丞がぼそりと呟き、困ったように顎を撫でる。
彼の声は上段にいるレクティファールにも聞こえており、彼は自分に責めるような視線を向ける義弟に頭を振った。
「この艦がどう考えても戦闘行動にしか見えない軌道で上がってきたから見に来たのでしょう」
彼らはこの星を守るための存在なのですから――レクティファールの言葉に、艦橋にいる者たちの視線が投影窓へと向かう。
比較対象がないためその大きさは判然としないが、翼を広げた光の龍が〈天照〉に向けて一直線に突っ込んできているのは間違いない。
そしてその龍は、かつてこの艦を含めた星船の船団をたった四頭で壊滅状態に追い込んだ存在だ。艦橋内の空気が張り詰め、艦橋要員の中には縋るような視線を上段へと向ける者もいた。
「何もしなければ大丈夫でしょう」
「――艦長、武装は展開していないな?」
正周が問うと、下段の播乃丞は周囲にいる各部門の責任者に目を向ける。
誰もが力強く頷き、播乃丞はそれを受音器に吹き込んだ。
《本艦は次元障壁突破のため、未だ特殊巡航形態のままです。一切の火器の使用はできません》
「だ、そうだ」
「ならば心配はいりません。それに、彼に敵意があればすでに攻撃を仕掛けてきているでしょう。彼らが持つ砲火は天文単位で届きますので」
そこでようやく、光学観測器の測定範囲に光の龍が姿を見せた。
炎のように揺らめく身体は青白く光り、大気のない空間で翼を打ちながら遊弋する様は、明らかに〈天照〉側の常識を打ち砕くものだった。
《目標、本艦に近付きます》
管制官の声は隠しきれない震えを帯びていた。
その気持ちは誰もが理解している。
おそらくこの惑星でもっとも破壊的な存在が、今彼らの目の前にいる『始祖龍』だ。
星を維持するための抗体機構。最も古き者。
もうひとつの惑星を故郷に持つ者たちが、自分たちの技術の粋を凝らして作り上げた空間戦闘艦艇群を、その機能を十全に発揮するまでもなく一蹴した破壊の権化。
しかし、彼ら――今現在の星の住人たちはその歴史的事実を知らない。
ただ途方もない力を持つ存在が、自分たちに興味を持っているということだけを理解していた。
《目標、左舷を通過――いえ、反転しました!》
「――!!」
戦慄が艦橋を支配した。
このまま自分たちをずっと追い回すつもりなのか――播乃丞が愚にもつかない予想を思考に浮かべる。
最悪、〈皇剣〉による迎撃を要請しなければならないかもしれないと彼が思い詰め始めたそのとき、光の龍は〈天照〉の艦橋横を併走するように身を寄せてきた。
「――これほど近くで始祖龍を見たのは我々が初めてかもしれないな」
自棄になった誰かがそう隣の同僚に話し掛ける。
話し掛けられた側は引き攣った笑みで曖昧に頷き、はやり救いを求めて艦橋上段を見詰めた。
「レクティファール。彼は誰だろうか」
「纏う概念は精霊界のものです。蒼龍の始祖殿ではないかと」
「概念とは?」
「彼らは生物であって生物ではありません。彼そのものが精霊界という概念の末端であり、その思考は精霊界の意思と呼んでも差し支えないかと」
レクティファールは〈皇剣〉を継承したあの光景を思い出した。
〈皇剣〉内部に存在した四つの意思。あれもまた四界の末端に位置する概念的存在だ。〈皇剣〉が四界の巨大な力を引き出し、制御できるのは、そこに四界が存在しているからこそである。
「自分の管理区域に自分と同じような存在が現れたので、事実確認に来た。始祖龍が顔を合わせることなど本来あり得ないことですから、仕方のないことかと」
レクティファールが正周に説明を終えると、光の龍はくるりと首を巡らせて衛星と衛星の間へ吸い込まれるように消えていった。
その速度は、光の百分の一にも達していた。
《反応消失……》
管制官の報告に、艦橋中で深い吐息が重なる。
誰もが緊張していた身体を解し、安堵したように自分の職務へと戻っていった。
「さて、初めても大丈夫か?」
「はい」
レクティファールは始祖龍が遥か遠くへと飛び去っていくのを感じていた。その向かう先に移動中の金属の塊があることは気になったが、今は神域へと入ることが何よりも優先される。
「艦長、やってくれ」
《承知しました。――全艦超空間航法準備、目標近似座標異空間》
播乃丞の命令が艦内に通達され、各所の隔壁が次々と閉鎖されていく。
この準備の際、惑星表面を映していた待機室の壁が元の白い壁に戻ったことである女性が憤慨していたが、それをレクティファールが知ることはなかった。
《艦首第一空間突入衝角展開》
放送と共に、艦橋から見える〈天照〉艦首に変化が現れる。
これまで鏡のように滑らかだった装甲にすっと一本の線が入り、艦全長の一割程度の長さに渡って艦首が割れた。そこから姿を見せたのは、音叉状の安定装置に挟まれた光の球体である。球体はその大きさを増しながら高密度の雷撃を纏い、艦首方向の空間をねじ曲げていく。
《左舷副胴及び右舷副胴、第二、第三空間突入衝角展開》
続いて艦の左右の副胴部にも同じ変化が現れる。違いがあるとすれば、艦首が横方向に分割されたのに対し、副胴部は上下に分割されたことだろう。
その中にあるものは、やはり稲妻を纏う光の球で、同じように艦の左右の空間を引き裂こうとしていた。
《目標座標を確認》
《主機関、出力五。主推進器、空間航行機構との連結解除》
〈天照〉の姿を俯瞰する存在がいたとするなら、その後部にある主推進器から光が消えたことに気付いただろう。これまで艦を押し出していた粒子の流れは停止し、艦尾を照らしていた仄青い光粒は空間へと消え去る。
だが――
《機関出力、八。主推進器、次元航行機構へ連結。再加速開始》
再び推進器に光が灯る。だがこれまでのような冷たさを感じる青白い光ではなく、艦の内部で発露されつつある膨大な熱量を感じさせる真紅の光がそこにあった。
《艦首回頭》
播乃丞が命じると、〈天照〉は地上にある如何なる艦よりも素直にその身体を地上へと向けた。加速しつつ再び大気圏へと落ちる、通常ならばあり得ない軌道だ。
しかし、神域は地上の近似座標に存在する。
そこに突入するためにもっとも確実なのは、目標座標に最も近い地上の座標を目指すことだった。
《空間歪曲、脱出点を超えます》
これまで大写しになっていた惑星の姿が消え、定まらない光の波長によって進行方向の空間が虹色に変化する。
《各部異常なし》
《乗員異常なし》
《超空間航法装置、全力駆動を確認》
本来なら可能な限り重力の影響を排除した空間で行うべき空間跳躍。しかし〈天照〉はこのとき、彼らの創り主さえ行わなかった惑星近似座標への転移を実行しつつあった。
この艦の故郷の人々がこの光景を見たなら、それを自殺と称しただろう。
しかしこのとき、この艦に乗っている者たちの中で、その答えに行き着いた者はいなかった。
それが空間観測技術で劣っていた銀河連邦側の限界であり、その先を観測することに成功していたデステシア多次元連盟との認識の差である。
《突入まで五、四、三、二――》
一筋の流星となり、〈天照〉は神々の領域へと落ちていく。
それはまさに、幾万年前の焼き直しの光景だった。
《――一、突入》
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