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第四章:万世流転編
第二五話「神域突入」 その三
しおりを挟む大広間の奥から三人の女を従えたレクティファールが姿を見せた。
皇王ではなく、真子の夫としてこの場にいるレクティファール。腰に佩いた軍刀拵えの太刀はこれまでの〈皇剣〉の形状とは異なり、総てがイズモ風に誂え直されている。
さらに今回イズモから貸し与えられたという灰色の詰め襟装束は、イズモ皇族が戦場に立つ際に纏うものだった。階級章などはひとつもないが、その衣裳だけで出自を察することができる。
「良く集まってくれた」
レクティファールは大広間の中を右から左へと視線を巡らせる。
途中、背に大剣を背負った女を見て僅かに眉を顰めはしたものの、すぐに声を張り上げてその場の注目を集める。
「今回の戦い、完全な私闘なのは間違いない。アルトデステニア皇王家の私闘だ」
それを果たして私闘と呼んでいいものか、部屋の片隅でレクティファールを見詰めるカールは疑問を抱いた。
(国民の大多数は、皇王家の私闘であっても喜んで協力するだろう。動員令を出さずに百万の軍勢を揃えることもできるに違いない)
それが皇王家と皇国の民の間にある連帯だ。彼ら国民にとって皇王家とは自分たちの存在を定義する基準点であり、日々の生活を保証する存在、決して失われてはならないものなのだ。
(だからこそ、ここに立てて良かった。エーリケ辺りは確実に悔しがるだろうしな)
白龍公の一族として、再び皇王家の私闘に同道する。カールにとってそれは、幼少の頃に絵本で見た建国神話に自分が参加するかのような錯覚を抱かせた。
(父上たちが文句も言わずに従う理由も分かる。これは心が躍る……!)
「しかし、こうして皆が集まってくれた。皇国数千数万の戦人の頂点。皇国の武力の片割れ。世界を相手に一歩も退かぬ叛逆者。そして、窓の外には我が義兄正周が貸し与えてくれた星船。このまま世界を相手に戦うこともできる大戦力だ」
独立戦争の頃、人々は何のために戦ったか。
勿論、存在しない国のためではない。ただ、己の心に従い、極々近く、目と鼻の先に見える何かのために力を振るった。
家族のため、一族のため、そして自分のため。
誰かによって用意された理由ではなく、自分が見つけ出した理由のために戦った。
「敵はイズモ神群の一勢力。義兄に聞けば、彼らは我々が来ることも想定せず、常と変わらぬ姿だという」
そこで言葉を切ったレクティファールの目が、再び大広間の中を一巡する。
正面に彼の視線が戻ったそのとき、レクティファールは腰の〈皇剣〉を鞘ごと抜いて床に突き立てる。
大広間どころか、屋敷中に打音が響く。
「何故か!? 彼らにとり、我らは神域に足を踏み入れることさえできない惰弱の徒だからだ!!」
『否!』
二〇〇〇年前の戦いを生き抜いた古強者たちが吼える。
「己が妻を攫われても、それを取り戻すことさえできない怯懦の徒だからだ!」
『否!』
今を生きる武人たちが、その誇りを賭けて吼える。
「同胞を奪われても、それを黙って見ているだけの小胆の徒だからだ!!」
『否っ!!』
異世界からの来訪者たちが、得物を床に突き立てながら吼える。
「ただ空を見上げ、連中の足下に這いずる怯者だからだ!!」
『否! 否! 断じて否!!』
そこにいる者たち総てが、足を踏み鳴らして咆哮する。
「ならば、得物を取れ!」
『応!』
神代の鉄、魔神の骸、星の欠片、虚無の塊、あらゆるもので作られた武器が騒々しく鳴り響く。
「魂を晒せ!」
『応!』
魔界、冥界、天界、精霊界の源素が、異界の煉素が居並ぶ者たちから発せられる。
「拳を握れ!」
『応!』
力強く、空を裂くように拳が突き上げられる。
「行くぞ諸君! 我らの手で神域に引き籠もる恥知らず共をぶちのめす!!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!』
その大音声に屋敷の硝子がびりびりと震え、構造材が軋み、裏山の一部が崩れ落ちる。
しかしそれを気に留める者はなく、フレデリックは不敵な笑みを浮かべて拳を掲げ、カールは両腕を組んで身体中から漏れ溢れる龍気を抑え、日頃貴族として瀟洒な姿を見せているマリアなど、息子が引き攣った顔を浮かべるほどに獣じみた笑顔を浮かべていた。
比較的冷静な黒龍公の一族でさえ、目を輝かせてレクティファールを見詰めていたほどに、世界最強最悪の喧嘩集団の熱気は高まっていた。
だからこそ、熱気の中心で〈虎〉が舌舐めずりをしても何ら不思議ではない。
「ふふふふ、あまり余を滾らせないで欲しいものだ。マティリエから奪いたくなるではないか……!」
これまでの怠惰な日常から完全に解き放たれた彼女は、熱に浮かされた表情でレクティファールを見詰めていた。
◇ ◇ ◇
何の統一も成されていない装備を施した集団が桟橋に現れたとき、〈天照〉搭載短艇の艇長たちはその場から逃げ出したくなった。
昔話に聞く鬼の集団の方がまだ可愛らしく見えるほど、その集団は他の生物の防衛本能を激しく殴打した。
今すぐ逃げろ、と本能が警鐘を鳴らし続け、背中には冷や汗が噴き出た。
それでも後ろ手に組んだ両手を固く握り、肩幅に開いた足を強く桟橋に押し付けることで逃亡を図ろうとする己の身体を縛り付ける。
ここで逃げて何になる。八洲海軍の総旗艦乗員が臆病者だと世に知らしめるのか。
制帽の中が汗で湿り、額に一筋の汗が流れたところで、先頭にいた皇族戦服の男が最先任艇長の前で立ち止まる。
「きをーつけぇえええ!!」
桟橋に並んだ短艇の乗員が、一斉に気を付けの姿勢を取る。
「帝弟元帥陛下にぃ、礼っ!!」
どん、という桟橋が震える音と当時に、乗員たちが一斉に敬礼する。
開いた右手を顔の横に掲げるイズモ風の敬礼だ。
「――ん」
レクティファールは同じようにイズモ海軍の答礼を行い、視線を横にずらして乗員たちの顔を見る。その緊張に満ちた表情に、レクティファールは懐かしささえ抱いた。
彼が手を下ろすと、乗員たちも敬礼を解き、直立する。
「よろしく頼む。大尉」
「はっ……! 恐縮であります!」
再び敬礼しそうになる最先任艇長の大尉だが、身体を滑らせるようにして横に移動し、短艇の入り口をレクティファールに示す。
「どうぞ!」
その声は大いに裏返っていたが、短艇の乗員の中にそれを莫迦にする者はいない。
彼らの操る短艇に乗り込み始めた武人たちは、そのうちもっとも力が弱い者であっても、彼らの海軍が所有する最新鋭の重戦艦を片手間で爆散させることができるのだ。
力の差は、龍と蟻。
生物としての本能を抑え込み、命じられた仕事を完全にこなしたことを褒めることはあっても、僅かな失敗を謗る理由などない。
「出発致します!」
桟橋から人影が消え、短艇の駆動機が唸りを上げる。
沖合に停泊する〈天照〉によって、外界に面していた筈の島の港は入り海のように波が穏やかになっていた。
緩やかに上下する短艇の上に立ちながら、レクティファールは海に浮かぶ白銀の鯨を見詰める。
前回は敵として戦い――
「――今度は共闘、か」
「はっ!? 何か!?」
いつかの戦いの光景を思い出して呟いたレクティファールの声は、艇長には聞き取ることができなかったようだ。
レクティファールは微笑みを浮かべ、〈天照〉を眺めながら言った。
「いや、義兄上のフネはなかなか良いフネだと言っただけだ」
滑らかな白銀の装甲に、水平線から顔を出し始めた太陽の光が浮かんだ。
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