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第四章:万世流転編
第二四話「英雄の島」 その三
しおりを挟む「ヤメローヤメロー……それをあたしに見せるなー……」
うなされている。
あの皇王府に君臨する女帝がうなされている。
扉を叩いても反応がないことを訝しみ、書類を手に総裁室に入った職員は、そこでルキーティが机に突っ伏したまま居眠りをし、うなされている光景を目にした。
「――――」
これは質の悪い夢ではないだろうか。
彼がそう思うのも無理はない。
ルキーティは皇王の懐刀として国内外で恐れられる女傑であり、間違っても他人に己の弱みを見せることはない。
人々が知るのは妖精女王と呼ばれる彼女であり、皇王さえからかって遊ぶこの国の影の支配者である。
「ぎゃー、ヤメロー……」
それが怯えきった表情で悪夢に抵抗している。
職員は呆然としたままルキーティの机に近付き、書類を置いた。
「――はっ!?」
その気配に気付いたのか、ルキーティが勢いよく顔を上げる。
頬に張り付いていた紙がひらりと落ちた。
「な、何か用?」
それなりに表情を取り繕う努力はしたのだろう。しかし、職員には引き攣った笑みにしか見えない。
しかし、それを指摘するほど彼とルキーティの付き合いは短くはなかった。
この場で一時的に優位に立ったとして、それを持続させることは不可能だ。彼はいつものように慇懃な態度で書類を差し出した。
「皇立企業理事会からの報告書です」
「うん、ご苦労様」
ルキーティはそれを受け取り、ぴらぴらと素早く捲っていく。
本当に内容を理解しているのかと不安になるが、元々妖精の思考速度は一般的な人間種よりも圧倒的に速い。精神の生き物である彼ら妖精にとって、思考速度とは物質的な生き物にとっての筋力のようなものであり、限度を超えない限りはいくらでも鍛えることができる。
「まあ、いつも通り問題はないね。もっと問題児がいると面白いんだけど」
「その問題児をからかい倒して辞任させたり、真っ当に更正させたのは閣下です」
これも一種の妖精の悪戯だろう。
彼女にとって皇国は遊び場であり、そこに暮らす者たちは遊び相手なのかも知れない。
職員は嘆息しつつ、この部屋に来る前に耳に入れた情報を口にした。
「それと、これはまだ確たる情報ではありませんが、国外系の報道機関が陛下のお客様たちに気付いたようです」
ばさり、とルキーティが書類を取り落とした。
「え?」
職員はまさかルキーティがそれほどまでに激烈な反応を示すとは思っておらず、間の抜けた声を出してしまった。
だが、すぐに持ち直し、ルキーティに問う。
「何か問題がございますか?」
「問題って……あるに決まってるでしょ!! すぐに報道管制を敷いて!」
ルキーティが立ち上がり、悲鳴のような声で命じる。
「あの悪童連中をネタにしたら、本人が喜んで突っ込んでいくわよ! 良かったね独占取材よ――ってんな訳あるかぁああああああッ!!」
ズダン、と机の上に片脚を載せ、ルキーティが血走った目で叫ぶ。
「国内系の連中が何で黙ってるのか疑問に思ったり調べたりしない訳!?」
「たぶん、何が不味いのか分かっていないのではないでしょうか?」
「――あー」
一気に静かになるルキーティ。
彼女は肩を落として床に降りると、再び椅子によじ登り、そこに収まった。
「建国の英雄なんて形に収めたのが失敗だったかしら」
「たしか半数の方は、その場のノリと勢いで参加してらしたんですよね? 二千年も経てば異種族が手を取り合い、艱難辛苦を乗り越えて国を勝ち取ったという風に認識されるのも致し方ないかと」
「妖精族の参戦なんて悪ノリの極みなんだけど、知らないんでしょうねぇ……」
ルキーティは遠い目でどこかを見る。
戦争の混乱に乗じれば、かなり過激な悪戯を実行することができる。妖精族の九割はそうした理由で独立戦争に参加した。
彼女も当初はそうした目的で初代皇王に付きまとっていたため、身内を責めることができない。
「まともに将来のことを考えて参戦したのなんて、多分龍族と天族、あと魔族とかエルフとか亜人の一部くらいなものよね。大半は復讐とその場の勢いだし」
旧帝国の政策によって同族を殺され、その報復のために参戦した者たちはまだいい。だが、当時の諸種族連合軍の半数は闘争を始めとして自分たちの本能を満たすために戦いに身を投じたに過ぎない。
無論、各種族の首長らは先を見通していたのだろう。しかし、末端の者たちは悪乗りに悪乗りを重ねた結果、あの戦いを生き抜いた。
「やめてよ、昨日なんて妖精族の七英雄が酒飲んで家に押し掛けてきて昔話してきたのよ? くっそあの老いぼれどもまだ生きてやがった……!」
ルキーティはおそらくまだ自宅で伸びている一族の英傑たちを悪罵する。
初代皇王を助けるべく、妖精族を参戦させるために彼女が言った途方もなく恥ずかしい台詞を一言一句再現されたルキーティの精神は参っていた。
「ヤメローヤメロー」
奇声を上げ、頭を抱えて机に伏せるルキーティ。
「とっとと消え去れよアイツら……」
ルキーティはとうの昔に現生に飽いて消滅したかと思っていたが、彼らはまだ生き残っていた。当時の彼女の同族は、彼女が知る限りその総てが消滅していたため、安心しきっていたのだ。
「――それで、報道管制の件ですが」
職員はこれ以上ルキーティの私生活に触れてはならないと判断し、仕事の話に軌道を修正する。
のそりと顔を上げたルキーティは、据わりきった目で彼を見上げ、片手を挙げて親指を立てる。
「連中に伝えて」
そして次の瞬間手首を回し、親指を床へと向けた。
初代皇王が誰かを呪うときにしていた仕草だが、今では彼女しか使う者がいない。
「この国では物理的に自分の首を掛けられることしか書いちゃいけないの。これを守れないなら大人しくしてろってね」
職員は黙って頷いた。
今の上司には余裕がない。
普段なら冗談として笑い飛ばせることも笑い飛ばせない状況だ。
こういうときは大人しくその命令に従うべきだった。少なくとも、それが皇王の意向と法に反していない限りは。
「冗句と三流冗話を売りにしてる連中ならともかく、真実を売り物にしてる連中にはこれで通じるでしょ」
「通じるといいですね」
半数はそのまま発行を強行するだろうと彼は見ていた。
そして、法というものを理解していない悪童たちに無茶苦茶にされてしまうのだ。
独立戦争時の英傑たちの内、相当数が野に下ったのは深謀があったからではない。単に国家という枠組みの中で幅を利かせる『法』というものを嫌ったからだ。
連中は皇王という存在に親しみを感じることはあっても、国に対してはそれほど愛着を抱いていない。彼らにとって、今の国として醸成された皇国は退屈な場所だろう。
その退屈な場所で自分たちを商売道具にしようとする連中が現れるのだ。結末など火を見るよりも明らかだ。
「それでもやりなさい。最低限、こっちが警告したって事実だけ作っておけばあとはどうにでもなるから」
「はい……」
職員は腰を折り、命令を拝した。
これでしばらく家に帰ることはできなくなるだろう、そんな予感を胸に抱きながら。
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