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第四章:万世流転編
第二四話「英雄の島」 その二
しおりを挟む皇都の北方に位置する神樹都市〈アルフィウム〉。
天を突くような巨大な木々は、世界でこの場所にしか自生していない魔斂樹だ。
魔斂樹は地中深くの龍脈まで亜空間の根を伸ばし、直接魔素を吸収して成長する植物である。枝葉から高純度に精製された魔素を吐き出し、生きるためにそれを必要とする種族にとっては命綱とも言える。
その種族の代表格が、ハイエルフだった。
「お祖父さま、珍しくお戻りになられたと思えば、一体何をなさっておられる」
〈アルフィウム〉最大の魔斂樹。その枝の上に建てられた領主の館――通称、〈光樹館〉の宝物庫で、五代目の領主であるアルヴ侯ノルン・エディア・フォズ・アルフィン伯爵はその特徴的な尖った耳を震わせていた。
彼の視線の先では、ひとりのハイエルフが天井に張り付き、光学迷彩魔法を展開している。無論姿は見えないのだが、空間の魔素の流れを感じ取ることができるハイエルフにとって、その程度の迷彩はほとんど意味を成さない。
「うん? なんだノルンか。家内が嗅ぎ付けてきたのかと思って焦ったぞ」
そんな声と共に、ノルンの目の前に光の歪みが降り立つ。
歪みは一瞬強い光を放つと消え失せ、ノルンによく似た錆浅葱の髪を持つ男がその場に立っていた。
「初代アルヴ伯ともあろう方が、自宅で空き巣ですか。旅に必要な資金は毎月きちんとお送りしている筈です。足りないなら足りないと素直に……」
「いやいや、お前は勘違いしている。俺は金に困ったら盗みに入るより、吟遊詩人の真似事をして路銀を稼ぐ」
実際、ノルンの祖父はハイエルフの吟遊詩人としてこの国では一種の伝説になっている。
初代皇王と小さな村の酒場で出会った彼は、酒を飲み交わして意気投合し、共に旅をした仲だ。
単純な出会いであれば初代四龍公よりも早い、彼が居なければ初代皇王は旅の途中で命を落とし、この国は存在しなかっただろうと言われていた。
「ベルーデ様、たった一週間とはいえあなたはこの伯爵家の初代当主だったのです。私に直接お声を掛けて頂ければ、それで十分。それなのにこそ泥のような真似をなさるとは、初代陛下もさぞお嘆きになられるでしょう」
「いや、アイツなら確実に『ぷぎゃー』とか訳の分からない笑い声出して腹抱えてるところだ。いや、転げ回ってるか」
ベルーデは真剣な表情を浮かべ、どこか遠い目で虚空を眺める。
あの少年は実際、旅の途中で美人局に引っ掛かった彼を指差し、そうやって笑っていた。
「――思い出したらアイツの墓に聖弓の一発でもぶち込みたくなってきた」
「聖弓? ――あ、お祖父さま、まさかそれは……!?」
ノルンはそこでようやく、ベルーデの腰に家宝である聖弓〈アルガイア〉が提げられていることに気付いた。
内部に魔素を溜め込んだ樹齢一万年の魔斂樹と、地中にあったため発散されることなく固形化し、琥珀状となった魔素を材料として用いた複合弓。
ベルーデが初代皇王との旅の途中、まだ集落程度の規模しかなかったこの〈アルフィウム〉で手に入れ、今では伯爵家の家宝となっている品だ。
この弓は現在ではもう製造することができず、始原貴族アルヴ家の家宝であると同時に皇国の指定文化財にもなっていた。
「それをどうするおつもりですか?」
底冷えのする声音でノルンがベルーデに詰め寄る。その美しい容貌に怒りが宿り、現実離れした迫力を感じさせた。
しかし、ベルーデはそれを柳に風と受け流し、曖昧な笑みを浮かべる。
「いや、使うんだ」
美しさに関しては天族や龍族さえ凌ぐと言われるハイエルフの美貌だが、同族にはまったく効果がない。見慣れているからだ。
ただ、もしノルンの目の前に居たのが混血種や人間ならば、その迫力に意識を喪失しただろう。
「何に使うと言うのです。それは対軍武装――己の数十、数百倍の相手を射貫くために作ったものだと仰ったのはあなたではないですか」
「厳密に言えば、それぐらいヤバい相手に使うために作った。別に軍勢を相手にするためだけじゃない。龍とか――神とかな」
「神――まさかベルーデ様! あの噂は本当だと仰るのですか!?」
ノルンはここ最近、貴族達の間で流布している噂を思い出す。
その噂とは、皇王レクティファールが神群討伐の軍勢を集めているというものだ。
すでに各種族の生きる伝説とも言うべき古強者が続々と皇都に集まり、戦いに向けて己の技を磨いているという。
魔族、天族、龍族だけではなく、神族やエルフ系、神獣の一部、そしてついこの間皇国に攻め込んできた異界の者たちも参陣しているという噂もあった。
(本気か?)
噂を聞いたとき、最初ノルンは一笑に付した。
始原貴族としてそれなりに影響力のある彼がそうした態度を取ったことで一時は噂も下火になったが、皇都の市街地で初代四龍公を始めとした独立戦争の英雄たちを見たという話が聞かれるようになるにつれ、再びその噂は勢いを取り戻したのだ。
ノルンはその噂を否定するよう直接レクティファールに言上したが、結局それは行われなかった。
(事実だった)
皇王レクティファールは必要のない嘘を嫌う。
特に民に対するそれは、厳しく律している。
己の言葉ひとつで数万の民が命を落とすのだ。慎重に過ぎるということはない。
「そんなに恐い顔するなよ。昔の仲間の――ええとなんだ、孫の孫の孫か? それがちょっと助けてくれっていうから手を貸しに行くだけさ」
ベルーデがへらへらと笑う。
「アイツは俺みたいな根無し草が金の心配もせずに旅ができるようにしてくれたんだ。その借りのほんの一部を返すために弦を引くのは何にも不思議なことじゃない」
「ですが」
皇都に終結しつつあるその軍勢が本気になれば、大陸のひとつやふたつ海に沈められるのではないかと言われていた。
しかし祖父の言葉が事実であれば、大陸どころか惑星が不味い。
ノルンの美貌が引き攣った。
(はは、連邦の連中、この状況を見ても陛下から権力を取り上げようとかほざくのか? こういう危なっかしい連中を纏めることができるのは、陛下だけだぞ)
彼はつい三日前まで、伯爵家当主として〈アルストロメリア民主連邦〉に赴いていた。その際行われた非公式の会談で、いつものように皇王から議会への権力委譲を薦められたのだ。
独裁はいずれ破綻する政治体制である、と。
(得意気な顔して宣いやがって、破綻したら世界終わるぞ)
ノルンはもう顔も思い出せない連邦の議員を頭の中で存分に殴った。
お前らに自分たち皇国貴族の苦労が分かってたまるか。逃げるに逃げられない状況を千年、二千年と続ける苦しみが貴様らに理解できるのか。
「え、援助はできませんよ」
若き伯爵家の当主は辛うじてそれだけを口にした。
震える声に、祖父がにんまりと笑うのが分かる。
「大丈夫だ。財布は向こうが持ってくれる」
何が大丈夫なのだろうかとノルンは思った。
先方が持っているのはおそらく世界でもっとも重く、分厚い財布だ。
それで殴られたら、どんな相手でも押し潰されてしまうだろう。あの妖精女王が二千年使って溜め込んだ財貨。それだけでも世界を崩壊させるに足るだろう。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。一応こいつを返しに来るつもりだけど、配達で送り付けるかもしれない」
「は、はは……分かりました」
御家の拠り所である家宝を酒の肴のように送り付けると言われても、ノルンはもはや何の衝撃も受けなかった。
むしろこの騒動から遠ざかることができるのなら、諸手を挙げて配達に賛成する。
「いやぁ、久し振りに本気で引けると思うと気分が盛り上がるな」
そう楽しそうに笑いながら、ベルーデは宝物庫を出て行く。
ひとり取り残されたノルンは、同じ始原貴族の同輩たちに警告を送るか延々と悩み続けるのだった。
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