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第四章:万世流転編
第二三話「神々の宴」 その一
しおりを挟む彼女にとっての夢は、ふたつに分裂してしまった同胞の架け橋になることだった。
野山の化身として多くの眷属を作り、人々と神々の間を取り持ってきた彼女にとって、異なる価値観の共存は本能に等しい。
価値観の相違で争うことはある。
しかし理解し、共に歩むこともできる。
彼女はそれをその目で見詰め続け、やがて同胞たちが共に歩む日を夢見るようになった。
「でも、それは妾の間違いであった」
金色の空が広がる世界で、瑠子は真子とともに古い八洲の風景の中に佇んでいた。
未だ星船の恩恵を受けていなかった頃、八つの洲のうち、僅かふたつにしか人が住んでいなかった頃の光景だ。
「世界の壁に隔てられることが同胞たちにとってもっとも幸せなことだった。妾はそれに気付かなかった」
山間の僅かな窪地に、粗末な小屋が何軒か建っているだけの集落。
少しずつ少しずつ田畑を広げていく人々、中には山に入って狩りをする者、山菜を集める者もいる。
老いた者も生まれたばかりの者もいる。
それは、瑠子がずっと心に抱き続けていた八洲という国そのものの姿だった。
「子どもだと思っていた。ずっと、ずっと、守らねば、妾が守ってやらねばならぬと」
「守ってくれてたんでしょう? 分かってる、みんな分かってるよ」
真子は目を細めて人々の営みを眺めている瑠子に、彼女の行いは間違っていなかったのだと伝える。
失ったはずの光も、この世界ならば関係はない。真子は瑠子の記憶の中にある美しい世界を眺め、僅かに微笑んだ。
「わたしたちはずっと誰かに守られていると分かっていた。でも、それが誰かは分からなかった」
大地を眺めるたび、人々はそこに何者かの意思を感じていた。
豊穣の大地。険しく、しかし実り多き大地。
風も、水も、火も、暗闇や恐ろしい稲妻にさえ人々は心を感じた。
「八洲の神はこの地を富ませる。それが本質じゃ。今世界で大神と呼ばれている者たちは皆、そのために生み出された」
「星づくりの時代……」
真子は八洲に伝わる神話を思い出した。
多くの神々が協力し、この世界を創ったという物語。そしてその物語は、ほとんど姿を変えずに世界各地に存在する。
「然り。遥か昔、先の文明の絶頂期。次元災害によってこの星は一度滅んだ。本来出会うはずのなかったふたつの星が溶け合い、ひとつの星になった」
衝突、そして消滅という未来を避けるために第一次文明が導き出した答えがそれだった。衝突先の惑星とは違い、彼らは一〇〇年以上も前から異なる次元上に存在するふたつの惑星の存在が重なり合うことを予期し、可能な限りの対策を講じていたのだ。
惑星規模の大質量が何の準備もなく衝突するようなことになれば、それだけで次元が崩壊することにもなりかねない。急激な次元内質量の増減は、それだけでその次元を滅ぼすことになる。
実際、真子はそうして滅んだ世界の民と共に暮らしている。
彼女は故郷のことを無価値とし、ただ真子の夫に仕えることに喜びを見出すことで己を保った。故郷の崩壊とは、それほど大きな出来事なのだ。
「星は生物の住めない場所となり、先の文明の人々は二度と戻らぬと決めて故郷を捨てた。それがどれほどの決意であったか、妾には想像すら出来ぬ」
第一次文明の人々は世界を五つに分割し、それぞれに世界を保つための機能を分けることで崩壊を食い止め、世界を再構築した。
融合した世界はそうでもしなければ形を保てず、自壊すると考えられた。
「龍国のある地はそのとき、世界再構築の統括拠点として作られたと聞く。龍脈を通じて各地の環境を安定化させ、同時に世界各地で復興を進める巨神や大神たちに力を供給する。不安定化した星を守るために星天に龍を配置し、その眷属を龍脈を守る戦力として龍国へ置いた」
そして始祖龍の眷属は四つの部族に分かれ、龍脈の地を守り続けた。
自分たちの本当の使命を忘れ、しかしその地を守るという役割だけが今も継承されている。
「では、神域はその頃から……」
「今でこそ神域の方が過酷であるが、当時は現界の方が険しい環境であった故な。神々と呼ばれる環境管理者を守るために作られた領域が神域であり、我々は当初の予定通りに龍脈からの力の供給を断ち、人々の信仰によってその存在を保つことになったという訳じゃ」
元々、妾たち第二世代以降の神々は龍脈から力を得る機能を持っていないがの――瑠子は苦笑いと共に九尾を振るった。
すると九つの尾から光の粒が舞い上がり、風に乗って集落へと向かう。
その光は穀物や人々の身体に吸収され、活力となった。
「役割というのじゃろうな。父たち大神や巨神は星を司り、我らのような新たなる神々は星に住まう命を司ることになった。もっとも、民たちに神は必須ではない。この地は龍脈に近すぎたせいか、些か荒れていた故我らが必要であったが、鯨国や龍国の者たちに神はおらぬ。せいぜいその地にいた神が残した眷属か、管理端末たる精霊だけじゃろうて」
「でも北の方に巨神様がおられると聞きましたが……」
「ヘイパス殿やゲオルギウス殿であろう? 巨神は肉体を持つことで現界に留まり、本来の役目とは別に、もし世界の均衡が崩れることになったときにそれを防ぐ役目を負っておられる。それぞれの大陸に一柱ずついらっしゃるという話であるが、妾もお顔を拝見したことはない」
瑠子は扇を取り出し、それを広げる。
そこには世界各地にいる巨神たちの絵姿があった。
「もはやこの歴史を知る者は少ない。父も誰かに伝えようとは思わなかったのであろうよ。父の子では妾と他に二柱程度しか知らぬ。それも最初の兄弟のみ」
「寂しくはないのでしょうか?」
「星づくりの頃に較べたら、今の世界は騒がしくて寂しさを感じる暇もないのであろう。再生のためにこの地に残された民たちが、こうも短い間によう増えたと――」
瑠子の言葉を遮るように、世界が揺れる。
「っ……?」
「弟たちが焦れておるようじゃな」
瑠子が風景を消し去ると、ふたりはただ茫洋とした黄金色の空間の中の中に漂う形になる。
その空間の外から、誰かが干渉を行おうとしている。
「真子に良いように弄ばれて怒り狂っているやもしれぬな。妾の力は封じられているが、真子はそうではないと何故気付かぬのか」
やはり、弟たちには色々教えておくべきであったのう――出来の悪い弟たちに落胆するように瑠子は溜息を吐いた。
「そのうち、真子の夫君が助けにくるじゃろうて、心配などありはせぬ。ここでのんびり待てば良い」
「う、うん」
真子は時折空間に発生する波紋を眺め、頷く。
半身のことは誰よりも信頼しているが、ただ待ち続けることの苦痛を思い出すのは辛かった。
瑠子も真子のそんな内心を理解しているのか、にたりと意地の悪い笑みを浮かべ、言った。
「では、その間に色々閨の手ほどきをしてやろう」
「ふぇ?」
「どうにも夫君に気を使われておる。妾が代わっているときは良いが、それはあくまで妾が楽しんでおるだけ。真子にもその辺りの楽しみを知って貰いたい」
「楽しくなくていいよ……! それはお義姉様たちが頑張ってくれるから!」
「――いや、あの獣人の姫にも負けておるのだぞ」
瑠子は半眼になり、真子の胸を閉じた扇で突いた。
「え!?」
「あの種族はあと一年もすれば一番子どもが産みやすい時期になるからのぅ。まあ、種族が違うのだから仕方がないと言えば仕方がないが……」
「マティリエちゃんが……」
くらりとよろめく真子を抱き留め、瑠子はやれやれと頭を振る。
「お兄様はどうにも、真子を箱に入れて大事にしすぎたようだの。これは長い授業になりそうじゃ……」
だが、そのくらいの時間はあるだろう。
八洲神群最高の盾と呼ばれ、始祖龍の一撃を凌ぐ防御力を持つ女神は、駄々を捏ねる弟たちの様子を想像しながらほくそ笑んだ。
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