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第四章:万世流転編
第二一話「浅間のルコ」 その三
しおりを挟む窓掛けを開けると、ようやく白み始めた空が見える。
マリカーシェルは続々と準備が進む会議室の窓際で、努めて平穏な表情を浮かべていた。
彼女は背後で忙しなく動き回っている乙女騎士たちの司令官であり、こうした非常事態が発生した際はその問題解決までの陣頭指揮を執ることになっている。
当然、部下たちは彼女の一挙手一投足に注目しており、彼女が動揺すればその動揺はそのまま部下たちに伝播していくことになるだろう。
そのため、彼女は指揮官としての役目に従い、自らの動揺を周囲に気付かせないよう努力をしている。
「閣下、準備が整いました」
「分かった」
背後で軍曹の階級章を付けた乙女騎士が、緊張した面持ちで彼女に報告する。
それに対するマリカーシェルの返答は、全く振れ幅のない声音だった。
「陛下は?」
「エインセル様の寝所からこちらに向かっております」
そこでようやく、マリカーシェルは昨夜のレクティファールの寝所を知る。
毎日別の場所で寝ており、さらにその規則性もないとなれば、マリカーシェルは提出される予定表でしかレクティファールの居場所を知ることはできない。
毎晩のレクティファールの予定を決める夜警総局は、実質的にマリカーシェルの指揮下にないのだ。
「軍曹、お使いをお願い」
「はっ」
マリカーシェルは畏まる軍曹に夜警総局からの報告書を持ってくるように指示を出すと、それを見送る。
続いて扉の外に設置されている呼び金が鳴り、ひとりの女性士官が姿を見せる。
「第三特別護衛小隊小隊長、ハル・ノモセ。入ります」
通常の騎士軍装とは違い、イズモ風に拵えられた騎士軍装。それを纏っているのは、真子の護衛小隊を率いるハル・ノモセ侍女大尉だ。
実戦経験を買われて三ヶ月前に陸軍から移籍し、小隊長となった人物である。
性格は至って真面目で、マリカーシェルとしては出来の良い部下という認識である。
だが、その真面目な性格はこのような事態には向いていないのかもしれない。
「大尉、あなたが認識している現状について確認したいのだけど」
「はっ」
ハルは黒い髪を高い位置で一本に纏めており、それを揺らして姿勢を正すと、切れ長の瞳でマリカーシェルを真っ直ぐに見詰めた。
「本日未明より、皇妃真子様が原因不明の昏睡状態に陥り、現時点に至るまで原因、対処方法の総てが不明であります。また騎士団は第二種警戒態勢を維持しており、外泊中の士官も現在帰還途中であります」
よろしい、とマリカーシェルは頷き、ハルに向き直る。
「今回の一件に関して、わたしはあなたの責任を追求する必要性を感じていないわ。陛下も現時点でそれに類する命令を下していない。おそらくこれからも」
マリカーシェルは部下に起こされてからすぐ、前日の警備報告書を検めた。
同時に夜の入浴時に行われた簡単な身体検査の記録も参照し、その段階で真子に身体的及び精神的異常はなかったことを確認している。
その上で、現時点で護衛小隊の責任を追及することはできないと判断した。
「は、ですが真子様の異常に気付けなかったのは護衛小隊を預かる自分の責任であり……」
しかし、ハルはそれに納得していない様子だった。
皇妃の心身の安全を確保するのが護衛小隊の役目であり、ハルの責任である。それは間違いない。だが、その責任というのはあくまで護衛小隊とその隊長であるハルが背負える範囲のものでなければならない。
責任と権限は常に等しくなければ意味がない。その人物が背負えない責任を押し付けることは、組織として絶対に許容できないことなのだ。それは組織を組織自らが否定しているも同然なのだから。
「お黙りなさい」
「はっ! 失礼しました!」
ハルは背筋を伸ばし、畏まる。
「あなたが何らかの責任を負うのは事実よ。でも、それはあなたが自らの権限で全うできることを全うしなかったときにこそ課せられるもの。それとも、あなたは自分の権限でこの非常事態を収拾できるというの?」
「――は。いえ、僭越でありました。申し訳ありません」
ハルは素直に謝罪した。
もっとも、マリカーシェルはハルがまったく納得していないことに気付いていた。
以前の自分のようだと思いながら、果たして何故自分は変わったのだろうかと考える。
そして、考えるまでもないと気付いた。
(陛下のせいに決まってる)
後宮や乙女騎士たちの間で問題が起きた場合、その半分はレクティファールのせいである。これは厳然たる事実だ。
食堂の献立表に季節の甘味が新たに増え、それに伴って乙女騎士の体重が増加し、蒸気風呂が大盛況なのもレクティファールのせいなのだ。
「もうすぐ陛下がいらっしゃいます。必要な資料を揃えて会議に参加するように」
「はい」
ハルは敬礼して身を翻し、扉を開けると外で待っていた部下に幾つか指示を出している。おそらく最新の警備報告書を持ってくるように言い付けているのだろう。
(この時間じゃ遅刻も仕方がないわね。何人か参謀を呼ばないと)
何人かの高級士官が外泊許可を得て城外に出ていることは、マリカーシェルにとって僅かな負担になっている。
ただ、それを嘆いても仕方がない。
マリカーシェルは上座にある一回り大きな椅子を眺め、そこに座るべき男の顔を思い浮かべて嘆息した。
(何とかしてくれる、なんてわたしが思ったら駄目なのに……)
本来なら自分が何らかの解決策を提示しなければならないのだ。しかし、それはできない。
しかしそんな状況にあっても、マリカーシェルはレクティファールならば何らかの解決策を見出してくれるのではないかと期待していた。
自分の仕事を一部放棄することだとしても、それを忌避することができない。まったくもって深刻な被害だ。
そんなことを考えながら次々と入室する部下たちの敬礼に答えていると、やがて待ち望んだ人物の来訪が告げられた。
「陛下がいらっしゃいました」
先触れ役の乙女騎士が扉を開け、レクティファールの来訪を告げる。
その場にいた乙女騎士たちが一斉に立ち上がり、扉に向き直る。
「皇王陛下、入室されます」
扉横のふたりの騎士が扉の把手に手を掛け、同時に開く。
騎士たちが一斉に敬礼をして迎えた男は、マリカーシェルが想像していた通りに落ち着いた表情だった。
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