432 / 526
第四章:万世流転編
第二〇話「准将の初恋」 その三
しおりを挟むマリカーシェルが辛うじてレクティファールの顔に拳を叩き込む衝動を抑え込んだ頃、後宮ではちょっとした会議が行われていた。
場所はいつもの談話室ではなく真子の部屋であり、その一角を占める小上がり――とはいっても十二畳ほどの広さはあるのだが――に作られた炬燵だった。
「ええと、今日は真子の厚意でコタツを開放して貰いました」
フェリスがそう告げると、ぱらぱらと拍手が起きる。
彼女の膝の上に載っているマティリエが炬燵の上の梁州蜜柑に手を伸ばすと、他の妃たちも次々と蜜柑に手を伸ばした。
「ええと、よく分からない理由で大浴場で取っ組み合いを始めた挙げ句、盛大に頭を打って医務室に監禁、説教されている人がふたりいますが、特に問題ないので会議を始めたいと思います」
第一妃と白龍妃がこの会議と称したお茶会を欠席することは珍しくなく、今ではふたりが居ないままに話が進められることも少なくなかった。
彼女たちは義理の姉妹たちが決めたことに反対することを己の矜持を穢す悪徳だと思っているらしく、結論にしっかりとした理由付けがなされており、夫との時間を削るようなものでなければ居ても居なくても同じだった。
対外的には後宮を率いる二大派閥の頭目ということになっているが、実際のところ、義姉妹たちの間では手の掛かる妹分扱いである。
「さて、議題というか話の種だが、最近マリカーシェルがちょっと面白いことになってきていると聞いた」
そう言って緑茶を啜るのはフェリエルだ。
妹であるファリエルが一時的に仕事から遠ざかっているため、外部の噂をもっとも良く耳にする唯一の人物である。
「面白いこと、ですか?」
真子が首を傾げる。おそらく外界からもっとも隔絶されているのは彼女だろう。
何せ、彼女の前では噂好きの乙女騎士ですら静かに仕事をこなし、この上ないほど精鋭らしい姿を見せるのだ。
気遣いというよりも気後れがそうさせているのだが、彼女はそれさえも受け入れていた。他の皇妃たちと気兼ねなく会話できるだけで楽しい、そう思っているようだった。
「何でも実家が焦れてきているらしい。若くして近衛准将にまで昇ったからな、期待も大きいんだろう」
「期待しているのに、独身のまま」
フェリエルに続いて、オリガがぼそりと呟いた。
目の前に蜜柑を山のように積み重ね、剥いては食べ、剥いては食べを繰り返している。
「マセリア家は、どこも軍人気質……でも女は別の役目」
「昔ながらの婚姻道具って奴よね。男でも変わらないといえば変わらないけど、普通の種族じゃ男の方が軍人としては大成しやすいから」
オリガの隣で蜜柑の筋を取りながらファリエルが補足する。
貴族たちは常に多くの義務を課せられ、さらには有形無形の圧力を人々から掛けられている。
軍人家系の貴族ならば軍人になって国を守ることを求められるし、商人家系の貴族ならば商人として国に利益をもたらすことを求められる。
それ以上に、マセリア一族はかつての雪辱を誓っている。
かつてのような人々に敬われる存在になりたいと願っているのだ。
「段々と手段が目的になってきてるんだよねぇ、マリカーシェルも大変だ」
エインセルが蜜柑を一房放り投げ、口に入れる。そのまま二個三個と連続して口に投げ入れ、少し考えたあと最後の一個をオリガの頭上に向かって投げた。
「――っ!」
オリガの身体が残像のようにぶれ、次の瞬間には彼女の口がもごもごと動いていた。どうやら一瞬のうちに身体を起こして蜜柑を食べ、炬燵に戻ったらしい。
「おお」
「エインセルお姉様、お行儀悪いですよ」
感嘆したように息を漏らすエインセルに、マティリエが苦言を呈する。異なる国から嫁いできた者同士で一緒に行動することが多く、実の姉妹のように仲が良かった。レクティファールがいる床に忍び込んでくる程度に。
「ともかく、マリカーシェルを適当な有力貴族に嫁がせようという話が出ているようで、軍でもちょっとした噂になっていた」
フェリエルは何でもないことのように告げたが、内心は多少なりと動揺していた。
それというのも、マリカーシェルはレクティファールにとって『お気に入り』であり、それをわざわざ引き離す理由が彼女には理解できなかったからだ。
リア・マセリアが何を考えているのか、さっぱり分からないというのが偽りない気持ちである。
「おにーさま、マリカーシェルさんのことお好きなのでしょう?」
マティリエの素朴な疑問に、その場にいた妃たちが硬直した。
そう、レクティファールにとってマリカーシェルというのは一応『好き』という部類に入る人物だった。その『好き』という感情が男女のそれとは微妙に温度差があり、またマリカーシェルもレクティファールに明確な慕情を抱いている様子がないため、リリシアやメリエラも彼女に嫉妬することは稀である。
「そりゃ、ひとつとして恋をしたことがない女に嫉妬するのはねー、ちょっとどころか結構自負心傷付くよ」
エインセルが苦笑する。
彼女の価値観でいえば、嫉妬というのはその理由になった条件に於いて同等以上の相手にのみ対して抱くものでなければならないし、マティリエ以外の皇妃も似たような意識を持っている。
同じ男に視線を向ける同性だからと、女童に嫉妬する理由はない。
「メリエラとリリシアさえ、大人しい」
「確かに、アタシもあんまりどうこうとは思わないわ」
オリガとファリエルが頷き合う。
「そういうことだ。ただ、わたしたちがどう思おうと我らが夫が行動しない限りは何も変わらない」
そう言ったフェリエルは、蜜柑をひとつ手に取りそれをひょいひょいと両手の間で投げ交わした。
「リア・マセリアは、陛下に最も近いはずのマリカーシェルさんがいつまでも手を付けられずいるのは、陛下に嫌われているからと思っているのかもしれませんね」
真子の推測はその場にいた全員にそれなりの信憑性を感じさせた。
マリカーシェルはレクティファールに多くの諫言を行っているし、それを隠していない。その情報だけみれば、確かに嫌われているという結論に至っても不思議ではなかった。
「諫めただけで嫌われるのなら、アタシなんてどうなるか」
ファリエルがそう言って笑う。
「確かに、ボクだって結構ケチ付けるよ。一挙手一投足にね」
共に寝台に入っているとき、時折騎士学校時代のように色々と文句を付けるのだ。
フェリスにとっては他の義姉妹たちにはないレクティファールとの貴重な思い出を楽しむ時間でもある。
「さて、わたしたちの旦那様はどんな結末を導くのかな?」
エインセルは再び蜜柑を投げ、しかし途中でオリガに奪われた。
0
お気に入りに追加
2,909
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。