426 / 526
第四章:万世流転編
第十九話「貴族の誇り」 その三
しおりを挟むあの人の姿を初めて見たのは、マセリアの一族が一堂に会する何年かに一度の夜会の場だった。
リア・マセリアの跡取り娘として、常に期待される以上の結果を出し続ける才女。父も母も、彼女の父であるリア・マセリア当主の前で娘を褒めそやしていたが、その内心は複雑だっただろう。
だが自分にとっては、美しい夜会装束を纏って人々の中心にいる物語のお姫様のように見えた。
話し掛けてみようと近付いた。しかし大人たちに遮られ、すぐにその姿は見えなくなる。
絵本で見たようなお姫様が遠ざかり、悲しくなって泣きそうになったことを良く覚えている。だが、そんな自分の手を取り、人々の中心に引っ張り出してくれたのも、やはり彼女だった。
「どうしたの? お父様やお母様はどちら?」
屈み込み、自分の目を真っ直ぐに見詰めながら、女性としては少し低い声でそう訊ねられたことも良く覚えている。
だが、そこで自分が何と答えたかは覚えていなかった。
ただすぐにその人が微笑み、自分を抱き上げてくれたことは覚えている。年齢からすれば十かそこらしか違わないはずなのに、子どもの自分と学生の彼女では随分と人として差があるように感じた。
「一緒に探しましょう」
微笑み掛けてくれる彼女に、自分は満足に言葉を返すことが出来なかった。ただ何度も頷く自分を、彼女はにこやかに見詰めていた。
「お名前は?」
「アンヌ」
そのとき交わした会話は、おそらくそれだけだった。彼女はすぐに自分がラト・マセリア家の者だと気付いたようで、躊躇いなく父たちが集まっている辺りに目を向けた。
「行きましょうか」
その真っ直ぐな眼差しを近くで眺め、こう思った。
いつか自分も、この人のようになりたいと。
「うー……」
額に何か少し冷たいものが載っている。
それに対し、頭の下にあるものは柔らかく暖かい。
(何だろう、これ)
アンヌはゆるゆると腕を上げ、額に載っているものに触れる。
(手巾? 誰が……)
綿の手巾は水が含ませてあるらしく、アンヌの体温で少しだけ温くなっていた。
「アンヌ? 大丈夫なの?」
頭の下にあったものが少し動き、上の方から聞き慣れた声が振ってくる。
それの声が耳に入った途端、アンヌの意識は一気に覚醒した。
「お姉さま!?」
盛大な勢いで身体を起こすアンヌ。額に載っていた手巾がぽろりと彼女の手の甲に落ちてきた。
隅に小さくリア・マセリアの紋章が入っているそれは、マリカーシェルが部下たちと共に休憩時間に作ったものだった。
「元気そうね」
くすくすと笑うマリカーシェルに、アンヌは言いようのない恥ずかしさを感じて両手で顔を覆った。
(うわああああああああああああああっ!!)
「お、お姉さま……何でこんなところに……」
顔を隠したまま、アンヌはマリカーシェルに問う。
そこで彼女は指と指の間からこっそりと周囲を確認し、自分がマリカーシェルと共に公園の長椅子に座っていることに気付いた。
(あ、さっきまでお姉さまの膝枕だったんだ! 何で起きちゃったかなぁわたし!?)
怒濤の如き後悔に襲われ、アンヌは顔を覆ったまま天を仰ぐ。
絶望、という題名の絵画のような姿を晒す遠縁の娘に、マリカーシェルは慈しみに満ちた表情で手を伸ばす。
その手がアンヌの手を掴み、下ろす。
「ほら、綺麗な顔なんだから隠さないで」
「ですがぁ……」
昔からこうだ。
あれこれと理由を付けてはリア・マセリアの屋敷を訪れ、こうして相手をして貰っていた。マリカーシェルが近衛軍に入った頃からは幾らか疎遠になっていたが、アンヌが軍学校に入ってからは、たまの非番には顔を一緒に食事をすることもあった。
マリカーシェルには軍の話を聞きたいからと言ったが、実際にはただ顔を合わせて会話をしたいだけだった。マリカーシェルはそんなアンヌの思惑にまったく気付いていないようで、こうして姉のように接してくれる。
「ほら、あなたが追い掛けていた子たちもあそこでお説教……たぶんお説教されてるから」
「たぶん?」
「ええ、たぶん」
マリカーシェルが困ったような表情を浮かべて眺める先では、アンヌの尻を揉んだ子どもたちとその仲間が集められ、芝生の上に正座させられている。
その正面に同じように足を正して座っているのは、先ほどアンヌがぶつかった人物だ。
仕立ての良い服を着ているからそれなりの身分だとは分かるが、マリカーシェルとの関係はまったく分からない。
「あの方は一体どなたでしょうか?」
そう訊ねてみても、マリカーシェルは曖昧に笑っているだけでなかなか答えない。
そんなマリカーシェルの態度に首を傾げていると、その人物の声が聞こえてきた。
「ですから、君たちのやっていることは単なる悪戯ではなく、自らを貶める行為なのです」
「おとしめるって何?」
子どもには貶めるという言葉は難しかったのか、悪童たちの頭目らしい男子が手を挙げて質問する。説教が始まったとき、何か言いたければ手を挙げろと言ったためだ。
「うーん、かっこ悪いとかしょぼいとかぱっとしないとか、要するに自分は情けない奴だって言ってるようなものなのです。実際に、君たちは悪戯をしたらすぐに逃げ出しているでしょう?」
「えー、だってみんな喜ぶじゃん。なあ」
周囲の子どもたちがそうだそうだと頷く。
しかし、男は頭を振る。
「君たちがいつまでも子どもで、一人前の男になりたくないというならそれでも構いませんが、それでいいのですか? お母さんにあれをしろこれをしろと言われ、お父さんに叱られてばかりのままで」
「それはいやだけど、いつかは大人になるじゃん」
再び、子どもたちが頷く。
だが、やはり男は頭を振る。
「大人になるというのは、身体が大きくなるという意味ではありません。一人前の男になるというのも、単に身体が大きくなったから良いというものではないのです」
「じゃあ、一人前の男って何? おっさんもそうなの?」
「ぶふっ!」
「お姉さま!?」
子どもが男をおっさんと呼んだ瞬間、マリカーシェルが吹き出した。
そのまま肩を震わせて俯き、アンヌが声を掛けても反応しない。
「おっさ……おっさん……あの人をおっさんって……!」
アンヌはマリカーシェルの言葉の中にあった『あの人』という一語の響きに違和感を覚えたが、マリカーシェルが顔を引き攣らせつつも何とか持ち直したことでその疑問をぶつける機会を失ってしまった。
「あの……あの人は……?」
「そうね……ふふっ、困ってる困ってる。――ああ、ええと、準皇妃殿下の義理の弟って言えば良いかしら」
面白そうに男を眺めるマリカーシェルから告げられた言葉は、アンヌにとってはそれほど重要なものではなかった。ただ、あの男とマリカーシェルの関係が、仕事上の付き合いであろうということにほっとした。
「そうなんですか……」
とりあえずそれで納得しておこう、そう思い、アンヌは再び子どもたちに目を向けた。
「一人前の男になるというのは難しいです。ただそうですね、君たちのやっていることに例えるなら、女性の方から裾を上げたり、触って欲しいと言ってくるような存在でしょうか」
「えー、そんなの居るわけないじゃん。みんな嫌がるよ」
「その通り、嫌がるのが当たり前です。しかし普通なら嫌がることでも、相手が嫌がらずにやってくれる。それをさせるのが一人前の大人と言うんです」
子どもたちは首を傾げ、男は苦笑する。
確かに子どもには難しい話だろう。そもそも子どもにするような話ではないが。
「君たちも面白いと思う遊びは、誰かにこれをやれと言われなくてもやるでしょう?」
「うん」
「それはその遊びが『凄い』ということです。そして『凄い』と呼ばれる人が、一人前の大人なのです」
「うーん、よくわからんない」
「でしょうねぇ、私もさっぱりですからねぇ」
「えー!」
子どもたちから非難の声が上がる。
それでも男は笑みを崩さないまま、マリカーシェルを一瞥した。
そしてマリカーシェルがその眼差しに視線を彷徨わせるのを確認してから、彼は言った。
「人が一人前になるのは、難しいことなのですよ」
0
お気に入りに追加
2,910
あなたにおすすめの小説
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。
誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。
でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。
「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」
アリシアは夫の愛を疑う。
小説家になろう様にも投稿しています。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
断罪されているのは私の妻なんですが?
すずまる
恋愛
仕事の都合もあり王家のパーティーに遅れて会場入りすると何やら第一王子殿下が群衆の中の1人を指差し叫んでいた。
「貴様の様に地味なくせに身分とプライドだけは高い女は王太子である俺の婚約者に相応しくない!俺にはこのジャスミンの様に可憐で美しい女性こそが似合うのだ!しかも貴様はジャスミンの美貌に嫉妬して彼女を虐めていたと聞いている!貴様との婚約などこの場で破棄してくれるわ!」
ん?第一王子殿下に婚約者なんていたか?
そう思い指さされていた女性を見ると⋯⋯?
*-=-*-=-*-=-*-=-*
本編は1話完結です(꒪ㅂ꒪)
…が、設定ゆるゆる過ぎたと反省したのでちょっと色付けを鋭意執筆中(; ̄∀ ̄)スミマセン
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。