白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十九話「貴族の誇り」 その三

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 あの人の姿を初めて見たのは、マセリアの一族が一堂に会する何年かに一度の夜会の場だった。
 リア・マセリアの跡取り娘として、常に期待される以上の結果を出し続ける才女。父も母も、彼女の父であるリア・マセリア当主の前で娘を褒めそやしていたが、その内心は複雑だっただろう。
 だが自分にとっては、美しい夜会装束を纏って人々の中心にいる物語のお姫様のように見えた。
 話し掛けてみようと近付いた。しかし大人たちに遮られ、すぐにその姿は見えなくなる。
 絵本で見たようなお姫様が遠ざかり、悲しくなって泣きそうになったことを良く覚えている。だが、そんな自分の手を取り、人々の中心に引っ張り出してくれたのも、やはり彼女だった。
「どうしたの? お父様やお母様はどちら?」
 屈み込み、自分の目を真っ直ぐに見詰めながら、女性としては少し低い声でそう訊ねられたことも良く覚えている。
 だが、そこで自分が何と答えたかは覚えていなかった。
 ただすぐにその人が微笑み、自分を抱き上げてくれたことは覚えている。年齢からすれば十かそこらしか違わないはずなのに、子どもの自分と学生の彼女では随分と人として差があるように感じた。
「一緒に探しましょう」
 微笑み掛けてくれる彼女に、自分は満足に言葉を返すことが出来なかった。ただ何度も頷く自分を、彼女はにこやかに見詰めていた。
「お名前は?」
「アンヌ」
 そのとき交わした会話は、おそらくそれだけだった。彼女はすぐに自分がラト・マセリア家の者だと気付いたようで、躊躇いなく父たちが集まっている辺りに目を向けた。
「行きましょうか」
 その真っ直ぐな眼差しを近くで眺め、こう思った。
 いつか自分も、この人のようになりたいと。

「うー……」
 額に何か少し冷たいものが載っている。
 それに対し、頭の下にあるものは柔らかく暖かい。
(何だろう、これ)
 アンヌはゆるゆると腕を上げ、額に載っているものに触れる。
(手巾? 誰が……)
 綿の手巾は水が含ませてあるらしく、アンヌの体温で少しだけ温くなっていた。
「アンヌ? 大丈夫なの?」
 頭の下にあったものが少し動き、上の方から聞き慣れた声が振ってくる。
 それの声が耳に入った途端、アンヌの意識は一気に覚醒した。
「お姉さま!?」
 盛大な勢いで身体を起こすアンヌ。額に載っていた手巾がぽろりと彼女の手の甲に落ちてきた。
 隅に小さくリア・マセリアの紋章が入っているそれは、マリカーシェルが部下たちと共に休憩時間に作ったものだった。
「元気そうね」
 くすくすと笑うマリカーシェルに、アンヌは言いようのない恥ずかしさを感じて両手で顔を覆った。
(うわああああああああああああああっ!!)
「お、お姉さま……何でこんなところに……」
 顔を隠したまま、アンヌはマリカーシェルに問う。
 そこで彼女は指と指の間からこっそりと周囲を確認し、自分がマリカーシェルと共に公園の長椅子に座っていることに気付いた。
(あ、さっきまでお姉さまの膝枕だったんだ! 何で起きちゃったかなぁわたし!?)
 怒濤の如き後悔に襲われ、アンヌは顔を覆ったまま天を仰ぐ。
 絶望、という題名の絵画のような姿を晒す遠縁の娘に、マリカーシェルは慈しみに満ちた表情で手を伸ばす。
 その手がアンヌの手を掴み、下ろす。
「ほら、綺麗な顔なんだから隠さないで」
「ですがぁ……」
 昔からこうだ。
 あれこれと理由を付けてはリア・マセリアの屋敷を訪れ、こうして相手をして貰っていた。マリカーシェルが近衛軍に入った頃からは幾らか疎遠になっていたが、アンヌが軍学校に入ってからは、たまの非番には顔を一緒に食事をすることもあった。
 マリカーシェルには軍の話を聞きたいからと言ったが、実際にはただ顔を合わせて会話をしたいだけだった。マリカーシェルはそんなアンヌの思惑にまったく気付いていないようで、こうして姉のように接してくれる。
「ほら、あなたが追い掛けていた子たちもあそこでお説教……たぶんお説教されてるから」
「たぶん?」
「ええ、たぶん」
 マリカーシェルが困ったような表情を浮かべて眺める先では、アンヌの尻を揉んだ子どもたちとその仲間が集められ、芝生の上に正座させられている。
 その正面に同じように足を正して座っているのは、先ほどアンヌがぶつかった人物だ。
 仕立ての良い服を着ているからそれなりの身分だとは分かるが、マリカーシェルとの関係はまったく分からない。
「あの方は一体どなたでしょうか?」
 そう訊ねてみても、マリカーシェルは曖昧に笑っているだけでなかなか答えない。
 そんなマリカーシェルの態度に首を傾げていると、その人物の声が聞こえてきた。

「ですから、君たちのやっていることは単なる悪戯ではなく、自らを貶める行為なのです」
「おとしめるって何?」
 子どもには貶めるという言葉は難しかったのか、悪童たちの頭目らしい男子が手を挙げて質問する。説教が始まったとき、何か言いたければ手を挙げろと言ったためだ。
「うーん、かっこ悪いとかしょぼいとかぱっとしないとか、要するに自分は情けない奴だって言ってるようなものなのです。実際に、君たちは悪戯をしたらすぐに逃げ出しているでしょう?」
「えー、だってみんな喜ぶじゃん。なあ」
 周囲の子どもたちがそうだそうだと頷く。
 しかし、男は頭を振る。
「君たちがいつまでも子どもで、一人前の男になりたくないというならそれでも構いませんが、それでいいのですか? お母さんにあれをしろこれをしろと言われ、お父さんに叱られてばかりのままで」
「それはいやだけど、いつかは大人になるじゃん」
 再び、子どもたちが頷く。
 だが、やはり男は頭を振る。
「大人になるというのは、身体が大きくなるという意味ではありません。一人前の男になるというのも、単に身体が大きくなったから良いというものではないのです」
「じゃあ、一人前の男って何? おっさんもそうなの?」

「ぶふっ!」
「お姉さま!?」
 子どもが男をおっさんと呼んだ瞬間、マリカーシェルが吹き出した。
 そのまま肩を震わせて俯き、アンヌが声を掛けても反応しない。
「おっさ……おっさん……あの人をおっさんって……!」
 アンヌはマリカーシェルの言葉の中にあった『あの人』という一語の響きに違和感を覚えたが、マリカーシェルが顔を引き攣らせつつも何とか持ち直したことでその疑問をぶつける機会を失ってしまった。
「あの……あの人は……?」
「そうね……ふふっ、困ってる困ってる。――ああ、ええと、準皇妃殿下の義理の弟って言えば良いかしら」
 面白そうに男を眺めるマリカーシェルから告げられた言葉は、アンヌにとってはそれほど重要なものではなかった。ただ、あの男とマリカーシェルの関係が、仕事上の付き合いであろうということにほっとした。
「そうなんですか……」
 とりあえずそれで納得しておこう、そう思い、アンヌは再び子どもたちに目を向けた。

「一人前の男になるというのは難しいです。ただそうですね、君たちのやっていることに例えるなら、女性の方から裾を上げたり、触って欲しいと言ってくるような存在でしょうか」
「えー、そんなの居るわけないじゃん。みんな嫌がるよ」
「その通り、嫌がるのが当たり前です。しかし普通なら嫌がることでも、相手が嫌がらずにやってくれる。それをさせるのが一人前の大人と言うんです」
 子どもたちは首を傾げ、男は苦笑する。
 確かに子どもには難しい話だろう。そもそも子どもにするような話ではないが。
「君たちも面白いと思う遊びは、誰かにこれをやれと言われなくてもやるでしょう?」
「うん」
「それはその遊びが『凄い』ということです。そして『凄い』と呼ばれる人が、一人前の大人なのです」
「うーん、よくわからんない」
「でしょうねぇ、私もさっぱりですからねぇ」
「えー!」
 子どもたちから非難の声が上がる。
 それでも男は笑みを崩さないまま、マリカーシェルを一瞥した。
 そしてマリカーシェルがその眼差しに視線を彷徨わせるのを確認してから、彼は言った。
「人が一人前になるのは、難しいことなのですよ」
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