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第四章:万世流転編
第十八話「皇都の日」 その三
しおりを挟む現実逃避という名の気紛れを起こし、妹のいる後宮に通信を繋ぐ。
敏感なところに纏わり付くアミルの手の感触や背中に押し付けられる柔らかい感触を理性によって形作られた自己暗示で意識の外に追い遣り、皇王府から配布されている通信回線に接続してしばらく経った頃、投影窓に作業衣を着て三角巾を被った皇妃たちの姿が映し出された。
『――あれー? リッシェルのお皿ってどこに仕舞ったっけ?』
『ちょっとエインセル! 銀楢の鉢植えそこじゃなくてあっちでしょ!』
『あ、ごめんなさい。ってファリエルさん、床擦ってる擦ってる!』
『うわあ!?』
何かを探しているのか、木屑入りの木箱を漁るフェリスに、巨大な彫像を抱え、観葉植物を置こうとしているエインセルに指示を出すファリエル。
『禁酒のはずの第二談話室の絨毯に果実酒零したの誰ですか? 怒らないから正直に白状して下さい』
『わ、わたしじゃないぞ!?』
『下手人を見付けました。引っ捕らえて下さい。洗濯所に連れて行って自分で洗わせるように』
『ははっ!!』
洗濯をしていたのか、袖を肘まで捲り上げたリリシアが作業をしていた義姉妹たちに問い掛けると、部屋の隅でぞうきん掛けをしていたフェリエルが反応する。
その反応から彼女を下手人と判断したリリシアが、背後に居た洗濯係の乙女騎士に命じてフェリエルを連行する。
『魔が差しただけなんだぁぁぁぁぁ……』
何やら言い訳をしながら引き摺られていくフェリエルの声が聞こえなくなると、それと入れ替わるようにして、三人の皇妃がそれぞれ小中大の箱を抱えて姿を見せる。一列縦隊であるく姿は鼓笛隊のようにも見える。
『うーちのだんなはうわきーものー、あさひるばーんとこえをかけー』
『う、うーちのだんなは……やっぱりちょっと可哀想じゃ?』
先頭を歩くのはマティリエ。その天使の如き声音で市井の歌を歌い、後に続く真子の先導をしている。その真子は袖の長いイズモ服を襷掛けにした姿だ。
以前は自室に籠もることの多かった彼女だが、マティリエや他の皇妃に影響され、だいぶ活動的になった。
そんな彼女はマティリエの口から飛び出す歌詞に困惑し、自分の後ろを歩くオリガにひそひそと話し掛ける。
『大丈夫、あの子意味分かってないから』
『そういうことではなくて……』
何とも姦しい光景だが、後宮に通信を繋ぐとそれなりの頻度で似たような光景に出会す。
身内専用の回線であるため、専用の通信室ではなく各部屋の通信機に繋がるためだ。もっとも、受信側が通信を受け付けなければこのような光景が晒されることはないのだが。
『ん、これで良いかしら』
最後に妹の声が聞こえ、投影窓が揺れる。どうやら仮置きされていた通信機を適当な場所に設置したらしい。
他の皇妃と同じように軍のそれによく似た作業衣を着て、三角巾を被ったメリエラが通信機前の椅子に腰掛ける。作業の邪魔になる長い髪を後頭部でひとつに纏めているのだが、その姿は生前の彼女の母によく似ていた。
『何ですか? 模様替えの最中で忙しいんですけど』
開口一番、メリエラはそういった。
「お、おう」
妹に亡き継母の面影を見付けて少し驚いていたエーリケだが、通信窓の向こうに見える妹は明らかに不機嫌で、自分の感想を述べることができる状態ではなかった。
眉間に深く深く刻まれた皺に、いつもより細い瞳孔。その姿を見れば、並みの人物ならすぐに通信を切っていただろう。だが、エーリケにとってはずっと昔から見慣れた、ふて腐れた妹の顔だ。多少は耐性がある。
「ちょっと相談したいことがあってな」
エーリケは妹の不機嫌の原因について、何が起きたのか訊くつもりさえなく、ただ自分の要件を済まそうとする。しかし彼がちょうど口を開いた瞬間、大人しくしていろと寝台に放り投げておいた元教え子が腰に飛び付いてきた。
「きょーかーん! わたしをご家族に紹介してくれるんですね!」
「ばっ!? おまぁっ!?」
慌てて抱き付くアミルの頭を押さえ付けるエーリケだが、妹が映っている通信窓が乱れているのを見て顔を青くする。
エーリケ側の通信機には全く問題ない。メリエラの側にある通信機に異常が発生していた。
『兄上、わたしに喧嘩を売るために通信を送ってきたのですか? もしそうなら、今すぐ〈大総統〉と〈大提督〉に許可を取ってそちらに伺いますが……?』
「い、いや……」
エーリケは大いに頬の辺りの筋肉が痙攣するのを感じながら、一声発するごとに映像を乱れさせる妹に愛想笑いを向けた。
(やっべえええええええっ!? どっちの御袋よりも怖え!! あいつ何したんだよ! あ、半分は俺のせいか!)
三角巾から覗くメリエラの銀の髪が光を発し、彼女の身体から発せられる魔導波によって活性化した粒体魔素が、まるで蛍のようにその周囲を漂っている。
背後の皇妃たちが一瞬メリエラに視線を向けたが、すぐに何事もなかったかのように作業に戻っていった。
『ああ、でもそれともあの人がまた何か?』
龍眼のまま、仮面のような笑みを浮かべるメリエラ。
子どもどころか一端の大人でも泣いて気絶しそうな恐ろしい笑顔がそこにあった。
「いやいや、俺のところには何にも連絡ないからな!? この間ケルブと飲み屋に連れて行って何故か店出たら私服の乙女騎士一個小隊に取り囲まれて代わる代わる二時間説教食らってからは本当に何もしてないぞ!! というか、俺なんで説教されたの!?」
悪い遊びを教える以上、どうしても避けられない責任者負担である。乙女騎士のうち、比較的理性的な者たちで構成された小隊だったため、より説教に熱が入ってしまったのかもしれない。
『夜遊びは兄上を抑えておけば多少はマシですから。あとは〈大総統〉や父上、フレデリック殿辺りでしょうか。宰相のように静かにお酒を楽しめる店を教えるだけなら、わたしたちも安心なのですが』
少なくともこの一点に関して、妹たちからの信頼はまったくないエーリケである。
父カールでさえ若い頃の無茶を知られて以来、レクティファールを気軽に連れ出すことができなくなっていた。
もっとも、エーリケは最近父が妹に対して滅法弱くなった原因として、その仕草や言葉遣いが継母に似てきたからだろうと思っていた。以前から顔形は似ていると言われていたが、結婚を機に言動まで似るようになってきたのだ。
「ケルブは良いのか?」
エーリケはせめてもの抵抗とばかりに友人の名前を出す。
愛妻家として知られているケルブだが、若い頃はそれなりにやんちゃもしていた。
『あの方はきちんと“大人の男”として成長なされましたから』
「――あー、うん、まあ、ね。大人っていうか、恋人気分に戻ったというか」
フェリスを送り出し、二度目の新婚生活に入ったらしい次期蒼龍公夫妻。
療養のためにと視察も兼ねてふたりで各地を旅することも多く、そういう意味でもレクティファールに悪い遊びを教えるとは考えられていない。
『それで? 世間話をするだけなら他の娘たちにも悪いですし、切りますよ。そちらの方について父上に取り成して欲しいというなら、今度三人でお話する席を設けますが』
「本当ですか!?」
脇から飛び出してきたアミルがメリエラに詰め寄る。
メリエラは突然顔を見せたアミルに驚く様子もなく、外行きの笑みを見せた。
『ええ、どうやら同族の方のようですし、先達として……そう、先達としてお世話をさせて頂きます』
先達、の部分を強調しているのは、どうやら既婚者としてのそれを誇示したいためのようだ。確かに、こう言ったことは独身者よりも既婚者の方が発言力は強い。
(しかし、こいつの残念娘っぷりは結婚したあとの方が酷いからなぁ……)
「はあ、ウィリィアならなぁ」
それは思わず漏れた本心だったかもしれない。
しかし、その名前を聞いては冷静で居られない者が彼の目の前にいた。
『兄上? ウィリィアが何です?』
「げ」
慌てて口を押さえようとも、すでに吐き出してしまった言葉がなくなる訳がない。
エーリケは危険を感じてそろそろと頭を引っ込めるアミルに成長したなぁという感想を抱きつつ、何とか兄としての威厳を保って投影窓に相対した。
心中は大いに焦っていたが。
「おほん、メリエラ、お前まだあの娘に劣等感ガチガチだろう」
『――――』
先ほどまでの怒りを霧散させ、無言で視線を逸らすメリエラ。
それほどまでに兄の言葉は彼女の心中を正確に射貫いていた。
「髪型を似せてみたり、追い掛けるようにして軍学校に入ったり、ウィリィアはお前の理想の出来る女像そのものだもんなぁ」
『そ、そんなの今言うことじゃ……!』
「お前が正妃であの娘が側妃、実は少し勝った気になってただろう。それがあの娘の気遣いだと知って荒れたんじゃないのか?」
『ぐむ……』
エーリケもフレデリックやケルブに似たような劣等感を抱いたことがある。
しかし、それを何らかの形で昇華しようと思ったことはない。それも自分を構成する情報のひとつだと思ったからだった。
「あの娘が我を剥き出しにするのは、我が親愛なる義弟陛下だけだ。しかしお前は、それこそ後ろで聞き耳を立てている義姉妹たち全員に自分をさらけ出している」
『――っ!?』
兄の言葉に頬を染めてぐわっと振り返るメリエラ。
『散開!』
『うわひゃあ』
ファリエルの指示でぶわっと逃げ散る皇妃たち。
メリエラが立ち上がろうとしたときには、部屋の中に残っているのは床に座って部屋に飾る細工物の木屑を払っている真子とマティリエだけだった。
『――?』
ふたりはメリエラを見て首を傾げ、メリエラはその曇りなき仕草に「うっ」と言葉を詰まらせた。そして力なく兄に向き直ると、深々と頭を下げた。
『その通りですお兄様』
「うむ、レクティファールは素直なお前が好きだぞ」
(多分な)
心の中でひと言付け加えたエーリケは、妹の意識が完全に復帰する前に通信を閉じようとする。
これ以上藪を突くと余計なものが飛び出してきそうな予感があった。
「こいつのことについては、また調整して連絡する」
『はい』
肩を落としたメリエラは、兄の言葉に素直に返事をした。
その様子は幼少の頃、散々無茶をしてエーリケに叱られたときと全く同じだった。そのときは、ウィリィアも同じように叱られていた気がする。
(こういう所は変わらないもんなのかね)
エーリケはふたりの妹の懐かしい姿を思い出し、僅かに唇の端を上げた。
「また連絡する。義弟にはあんまり甘えすぎるなよ」
『わたしは甘えてるわけじゃ――』
メリエラの反論を途中で切り、通信機の導力を落とす。
「いやー、やっぱり教官は優しいですね!」
そして背後でにやにやと笑うアミルに、向き直り、笑って見せた。
「あ」
その笑顔が危険なものであると気付いて逃げようとしたアミルだが、その動きを超える速度でエーリケの右手が伸びた。
そして親指で弾かれた中指がその額に強かに叩き付けられ、ばちんという音が室内に広がる。
「う、あ、あ、あ……!! でもちょっと幸せ……!」
寝台の上で額を押さえ、しかし逞しいことを宣うてのたうち回るアミルを見下ろしながら、エーリケは丸い窓の向こうに見える皇都と眺めた。
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