白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十八話「皇都の日」 その二

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 皇都沖に浮かぶ皇国海軍練習艦隊所属の試験練習戦母〈バルムーク〉。
 その艦首左舷側の射出機に向かって騎兵を乗せた飛竜が歩いている。遅れる訳でもなく急くわけでもなく、先導する誘導員が振る発光棒が規則正しく揺れていた。
 飛竜は胴体下に訓練用の集束爆弾筒を括り付け、両脇腹には同じように訓練用という意味の標章が記された炎熱魔導爆弾を抱えていた。傍目には酷く重そうに思えるが、軍用飛竜にとっては比較的軽量の装備だ。
 これがさらに重武装となると、兵装兼脚部保護用の魔導外骨格を取り付けることになる。
〈ザヒール〇一、射出往還機へ搭乗せよ〉
 騎兵の頭部を覆う竜騎兵用鉄兜。その耳を隠す部分に内蔵された発音器から、飛行甲板管制官の命令が飛ぶ。
 騎兵はそれに従って愛竜を前進させ、射出往還機と呼ばれる板状の装置の上に両脚を乗せた。これまではほとんど単なる板でしかなかった射出往還機が飛竜の足裏の形状に合わせて変形し、さらに飛竜の胸部装具に往還機の前部から伸びた固定鉤が接続される。
 すぐに接続器士官が駆け寄って正常に、そして完全に固定が行われていることを確認し、射出機管制室に向かって完了の合図を送る。
〈一番射出機、射出準備。甲板要員は注意されたし〉
 飛行甲板の作業員に、管制室から警告が発せられる。
 それと同時に射出往還機が前傾し、飛竜の身体は半ば倒れているかのように傾いた。そうすると、騎兵の視界は愛竜の頭と、これから自分が放り出されるであろう湖面、そして幾つかの島々のみになる。
 視力の良い騎兵なら向こう岸が見えるというが、航空騎兵としては一般的な視力しかない者には、対岸があるべき場所は濛気に覆われてしまって何も見通すことができなかった。
〈射出機に導力伝達〉
 その通信に、愛竜が脚を踏ん張るのが分かった。
 通信が聞こえているのではなく、足下の射出装置に魔力が伝達されたのを感じたのだろう。海軍戦母飛竜として竜巣艦で生まれ育った竜らしく、騎兵よりもよほど気が利いた。
 前方右脇にある表示灯の明かりがひとつずつ消え、それに従って足下の射出機に溜め込まれた魔力も増大する。
 最後の光が消え、最後総ての明かりが点灯した瞬間、彼と彼の愛竜は凄まじい力によって前方に押し出されていた。
「っ!!」
 固定鉤が自動的に外れ、それにほんの半瞬遅れて竜が翼を展張する。翼が風を孕み、装具の魔導回路が彼らの身体をより速く、高くまで押し上げた。
 確認のための忙しなく前後左右に首を振る騎兵は、下方に自らが飛び立った〈バルムーク〉の姿を確認した。
 イズモから提供された傾斜飛行甲板の上を、彼と同じ訓練生たちが蟻のように動き回っている。しかし、それを感慨と共に見詰めていられたのも僅かな時間だった。
〈上がってきたな。よし、それじゃあシゴキの時間だ〉
 耳元で色気のある男声が聞こえたかと思うと、遙か前方に小さな小さな黒点が見えた。
 海軍航空試験教導団の教導騎が、彼と愛竜を湖に叩き落さんと迫っていた。

                            ◇ ◇ ◇

「さて、何分持つかな?」
 そんな言葉を独りごちながら、エーリケは〈バルムーク〉の傾斜構造艦橋の頂上――露天艦橋で不敵な笑みを浮かべていた。周囲には双眼鏡を持った見張員がふたり居るだけだが、風の強い露天艦橋ではその声も聞こえていないだろう。
 しかし、そう思っていたエーリケに背後から近付く存在があった。
「きょぉかーん!!」
 甘ったるい声と同時にエーリケを遅う衝撃。
「ぐぶふっ!?」
 エーリケの自称『黄金の腰』がグキリと悲鳴を上げ、彼はそのまま頽れた。
 見張員も困惑したような表情を浮かべているが、彼らは与えられた任務に忠実だった。
 自分たちと同じ海軍軍装を着た若い女性士官が、空軍きっての浮世男に抱き付いているだけだ。何の問題もない――見張員たちは再び双眼鏡の世界へと意識を向けた。
「クソァッ!! 誰だ畜生!」
 エーリケは龍族特有の治癒能力に任せて立ち上がり、腰に抱き付いている女の首根っこを掴んで自分から引き剥がした。
 そのまま女の顔を自分のそれと同じ高さまで持ち上げると、そこにはきらきらと輝く瞳でこちらを見詰める女の顔があった。
「お久しぶりです教官!」
 敬礼する女。
 エーリケはその一瞬の間に記憶を探り、六年ほど前に担当した同族の女の名前を呼んだ。緑がかった銀髪を後頭部でひとつに束ねた姿は、そのときと何ら変わりがなかった。
「アミル・ホワイトストーン。お前は俺の腰に何の恨みがある」
「いえ、教官の夜の腰捌きには興味がありますが、恨みなど毛頭ありません!」
 びしりという音が聞こえてくるほどに見事な敬礼をしてはいても、彼女の身体はエーリケによって宙づりにされたままである。
 その滑稽な姿に大きな溜息を漏らし、エーリケはアミルを解放してやった。
 そのまま、何も言わず。
「あふん!」
 べたん、と露天艦橋の床に落下したアミルの色気の欠片もない悲鳴を露程も気にせず、エーリケは上空で始まった雛騎兵と海軍の同業者の空戦演習を眺める。
 装備という死荷重を抱えたままでどの程度食い下がれるか、エーリケは見張員たちの使う双眼鏡よりも高性能なその眼で、戦いを追う。
 その真剣な表情に少しだけ見とれていたアミルだが、何かを思い付いたかのように目を輝かせ、口を開いた。
「いったーい、これは傷モノにされたということでよろしいですね!」
「ざっけんなコラ!?」
 エーリケが風が逆巻くほどの勢いで振り向き、アミルを睨み付ける。
 しかしその鋭い眼光も、アミルの視界透過装置に掛かれば自分の身体を狙う捕食者のそれである。やったーどんとこい。
「きゃっ! 教官ったら飢えた龍! 大丈夫、今夜はちゃんと空けてあります!!」
「せめて会話する努力をしろよ! お前何しに来たんだよ!」
「何しに? そりゃ愛しの公子様に愛をお届けに!!」
「返品だ!」
「残念、一度お使いになったり、お客様の不注意で損傷してしまった商品は返品できません」
 得意気に胸を張るアミル。
 妻や妹とは似ても似つかないそのふたつの見事な膨らみに一瞬気を取られたエーリケ。軍装の上からでも分かるほどの逸品に、男の本能は悲しいまでに忠実だった。
「っは!?」
 にやにやとした笑みを浮かべ、胸の下で腕を組んでさらにそれを強調するアミル。
 エーリケは遙かに年下の元教え子にいいように翻弄された自分を大いに恥じた。
「ちっ、だがまだまだだな。それだけじゃ……」
「今日の下着はちょっとだけ透けてまーす」
「っ!?」
 エーリケは再び罠に嵌まった。
 彼は自分の本能を恥じた。しかし、後悔はしていない。
「ぐ、ぐぐ……」
 脂汗を浮かべながら視線を空に戻そうとするエーリケ。
 その努力に対し、女は無慈悲だった。
 エーリケの肩に顎を乗せると、管制官教程で『魔性の声』と称され、同期の夢魔にさえ認められた蠱惑的な妖声で囁いた。
「お、ね、が、い、せんせい」
 エーリケの顔が引き攣る。
 一切の魔導的要素を持たず、しかしそれと同じだけの威力を持つ声に脳髄を侵略され、彼はその姿通りの若者のように悲鳴を上げた。
「うわああああああああああああああああっ!!」
 エーリケはそのまま走り出し、露天艦橋を囲む鎖を飛び越え、虚空へと逃亡した。
 重力に引かれて落ちていくエーリケに見張員たちはぎょっとしたが、それを追い掛けるようにアミルも走り出すと、今度は混乱したように顔を見合わせた。
「きょうかーん! 待って下さーい!」
 そう甘い声音で叫び、ひょいと軽い動作で甲板高一二メイテルの露天艦橋から飛び降りる龍族の女。
 見張員たちが恐る恐るふたりが落ちた先を確かめると、すでにアミルに捕獲された哀れな男がいるだけだった。
 ふたりは作業員たちに好奇の視線を向けられながら、よたよたと艦橋構造物の中へと入っていった。
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