白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十七話「友情の価値」 その三

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 イノーウィックは秘書が運転する魔動車で自宅である共同高層住宅に向かっていた。
 窓の外には不夜城めいた人工の光に満ちた首都アニュアの風景があり、そこには多くの市民の生活がある。
 酒を飲み歩いている会社員がいるだろう。背伸びと勘違いをした若者もいるだろう。この世に抱くべき未練の大半を失った老人もいるかもしれない。
 それら総てが渾然となり、いつしか意志を持ち、国の形を取った。学校ではそのようにこの国の成り立ちを説明している。
 市民たちが自らの意志によって専制政治を打ち倒し、勝ち取った国であると。
 だがそれは、人の意志によって国が動揺することを許容しているとも言える。鈍重とも言われる議会政治だが、しかしだからといって強固だとは言い難い。
 常に揺れていると言ってもいい。
 国を安定させる重石。それを全国民に分散させた結果だ。均衡が取れなければ簡単に揺れ、場合によっては簡単に倒れてしまう。人々にその均衡を維持しようという意思がなくなったのは、果たしていつの頃からだったろうか。
『幾つかのステイトが連邦政府への圧力を強めている。皇国が主導する流通網が各地に延び、既存の国内商会の利益を食い始めている訳だ。だが、それを制限しようとすると今度は親皇国の州が圧力を強めてくる』
 そう語ったソヌスは、自国が緩やかに隣国の経済植民地に落ち始めていると考えているようだった。
 おそらくそれは正しいだろう。
 大陸安全保障会議は、軍事協定以外にも様々な協力を各国に呼び掛けている。
 その中には経済協定も多く含まれており、多くの国に利益を与えると同時にそれ以上の利益を有力国にもたらそうとしていた。
(有力国か……かつてであれば我国もそこに収まっていただろうに)
 イノーウィックは現在の政府が、各国との交渉の場で劣勢に立たされていることを知っていた。
〈アルストロメリア民主連邦〉を始めとする民主諸国家では国民同士の契約が大きな力を持っている。それは国民同士の力関係を対等に保つことが国家の理念である以上仕方のないことだ。
 法の下に結ばれた契約は、それによって結び付けられた者たちを対等な立場にする。平等を謳うとき、契約は一種の神聖さを帯びることになり、さながら宗教のように人々の心の奥底に根を張った。
(それは素晴らしいことだ。如何なる存在も神聖なる契約の前では平等になる)
 しかし、それ故に契約は人を縛り付ける。
 強固な鎧は持ち主の身を守るが、同時にその動きを阻害するだろう。ときには持ち主の身体を傷付けることもあるかもしれない。
(だからこそ、身を鎧うことを忘れた者に負ける)
 連邦政府は専制政治を悪逆のものとして糾弾した。自分たちの正当性を守るためにはそうするのがもっとも確実だったのだ。
 だが、その悪逆なる政治を行う国に飲み込まれようとしているのはどこの国だろうか。
 皇国は、なるほど確かに他の専制国家と較べて『契約』というものを理解している。それが強い力を持っていることを理解し、それを用いている。
 しかし、そこには恐れがない。イノーウィックたちが成長と共に抱くようになった契約への恐怖がない。
 彼らにとって契約とはあくまでも自らの用いる道具でしかないのだ。
(道具である故に、彼らは契約を理解する。大工が自分の使う道具を隅々まで理解するように)
 皇国でも契約は神聖なものとして扱われていると聞く。それを重んじる種族が多いからかもしれない。しかも問題はただ漠然と神聖視されている訳ではなく、その理由までしっかりと教育されている点だろう。
 その興り故に未開の民と言われていた皇国の商人が世界中に飛び出し、活躍する背景にはそういった理由があるのかもしれない。専制国家にありがちな経済の停滞が見られず、それどころか国民総商人と言われる都市同盟の商人たちを相手にしても一歩も退かない交渉能力を持っている。
「――学校教育も見直すべきかもしれないな」
「は? 何か仰いましたか?」
 運転席の秘書が、イノーウィックの独り言を自分への言葉だと勘違いし、声を掛けてくる。
 後方確認用の鏡に映る秘書の表情には多分に困惑があった。
 イノーウィックは一度口を開こうとして止め、「あー」と曖昧な声を上げた。
「教育長官と話は出来るかな?」
 自分は一体何を言っているのだろうかと思いながらも、イノーウィックは言葉を止めない。自分が何を考えているのか、秘書に知られたくないという思いがそうさせた。
「時間を頂ければおそらく……しかし長官は連邦党の方ですので、先に党の執行部にお伺いを立て方がよろしいかと」
「うん、そうだな、うん、その通りだ」
 イノーウィックは口元を掌で隠しながら何度も頷いた。
 秘書はイノーウィックの様子が少しおかしいことに気付きながらも、その疑問を解消しようとは思わなかったようだ。
「何か気になることでも?」
「いや何、最近大陸の外も騒がしいから、そういった変化は教育に反映されているのか疑問に思ってね」
「ああ、なるほど、そうでしたか」
 秘書は納得したように笑みを浮かべた。
「最近、近所の商店にトランの品物が多く並ぶようになりましてね。どうも皇国の輸入商が扱っているもののようですが、息子が大陸外の国にも興味を示すようになりましたよ」
「それはなかなか、頼もしい限りじゃないか。私たちが子どもの頃は大陸の歴史を覚えるだけで悲鳴を上げていたのに、息子さんの世代は世界を学ぶようになるかもしれない」
「ええ、本当に」
 そのまま秘書が息子自慢を始め、イノーウィックはそれを笑顔で聞いた。
 だが、彼の胸の内には大きな不安があった。
 歴史上、人々の意識を生まれ故郷の小さな範囲から、地域、国、大陸へと次々と拡大させた最大の原因は、常に『戦争』だったのだ。
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