白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十六話「星天の園」 その四

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 談話室の中では、ようやく旅団部隊の観閲が終わろうとしていた。
 観閲に参加した部隊数は七〇。総勢八〇〇名もの乙女騎士が参加した何とも風変わりな観閲式は、簀巻き型皇王レクティファールが揺れる中、特に大きな問題もなく終了した。
「殿下、あの……」
 最後の部隊が帰った談話室に姿を見せたメリエラが、マリカーシェルをじっと見詰めて頬を膨らませていたとしてとしても、大きな問題ではない。
「ふーん……」
 普段は束ねることもすくない金色の髪はうなじの上にひとつに纏められ、通常の軍装では見ることのできない鎖骨や肩、そして形の良い胸。それを隠すのは薄手の魔導合成繊維布で、これはマリカーシェルの身体にしっかりと張り付き、その動きを補助するように作られている。
 しかし、そんな制作者の趣味的とまで言えるこだわりは、メリエラの目から見れば扇情的な身体の線を際立たせ、さらにそれを崩すことなく保持する用途にしか感じられない。
「レクト」
「はい……」
 レクティファールがだらりと吊されたまま答える。一日のほとんどを吊された状態で過ごしたが、体調機能面での問題は起きていない。だが、メリエラの存在がその口調から力を奪っていた。
 こういうときのメリエラは大体怖いのである。
「殿下、この衣裳はわたしが希望したものではなく……」
「知ってるわ。レクトの好みとかは関係なく、どこかの趣味人が喜んで作った指揮官用特殊衣裳でしょう? それを着て戦場に出ろとは誰も言わないだろうけど」
 仮に戦場に立つことになったとしても、少なくともマリカーシェルと同じようにこの衣裳を与えられた者たちは生き残るだろう。それだけの技能を持つからこそ、趣味人が全力で趣味に走ったせいでこの上なく扱いにくいこの戦闘衣裳を扱えるのだ。
 もっとも、彼女たちの敵が蒙る衝撃については想像することはできないが。
「ええ、ですから任務完了に伴い、通常の軍装へと着替えをしたいと……」
「任務完了はこの観閲が終わってからでしょう? そして、今回の観閲とはレクトがいるこの部屋に来た乙女騎士たちの試作装備を確認することにある」
「はい……」
 話がここに至り、マリカーシェルの顔色が悪くなり始めた。メリエラが何を言いたいのか理解し始めたのだ。
 そして、それはメリエラの次の台詞で現実となる。
「マリカーシェルは、そこで吊されてるうちの人に観閲を受けたのかしら?」
「は、いえ、あああの、ちゃんとここに入ったときに見て頂いて……」
「それは観閲として受けた訳ではないでしょう? あなたがここに入ってきた時点ではまだ、旅団行事としての観閲は始まっていなかった。個人的に衣裳を見せることを観閲とは呼ばないわ」
 メリエラの声は非常に平坦であった。それこそ機械音声と区別が付かないほどに真っ平らだった。
「しかし、わたしの任務は観閲の補助であって、わたしが観閲を受けることは任務に含まれていないのではないかと……」
 マリカーシェルは必死だ。
 その必死さがメリエラの一部感情を刺激していることに、聡明であるはずのマリカーシェルはまったく気付いていない。
 それが如何なる感情の作用によるものなのか、それすらもメリエラの感情を逆撫でした。
「レクト」
 メリエラはこのとき、黒の修道服に身を包んでいた。
 帽子の聖印は神殿のものであったが、修道服は異界のものだ。おそらく格闘戦を考慮したのであろう裾の深い切り込みも、上縁に飾布の付いた薄穿きを止める魔導種付の靴下止めも、普段であれば異性を意識した小道具となるだろう。しかし今はメリエラの剣呑な雰囲気を増幅させる要因でしかない。
 だから、レクティファールはこれ以上怒られないようにと、可能な限り平静を装って答えた。
「は、はい」
 そう明らかに上擦っていたとしても、『可能な限り』努力したのである。
 メリエラがその声に眉をぴくりと跳ねさせたとしても、レクティファールは決して努力を怠った訳ではない。しかし、努力が報われるとは限らない。
「そこからマリカーシェルの胸の間見えるでしょ」
「ぎくっ……」
「――っ!?」
 マリカーシェルがもの凄い勢いでレクティファールの傍らから飛び退る。
 魔導合成繊維による筋力補助、身体強化魔法、白い尾に埋め込まれた重力制御機関による慣性制御により、その動きはマリカーシェルのこれまでのどの動きよりも鋭く、的確だった。
 ただ、本人は頬を染めて胸を隠し、まったく自分の動きに気付いていなかった。
「――レクト、これ採用したらどう?」
「ちょっと悩みますね。ええ、本当に性能が良いのが困りもので」
 しかしそれに気付いたレクティファールとメリエラは、先ほどまでの剣呑な雰囲気をどこかにやってしまったかのように真剣な表情を浮かべている。
 ただ、レクティファールは吊られたままである。
「多分、合成布との兼ね合いもあると思うんですよ。今の動き、あの衣裳に埋め込まれた魔導回路で制御されてたんですけど、あれって布の形状変わったら同じ性能発揮できません」
「何それ、じゃあ普通の戦闘装束にしたらダメってこと? あの高い踵とか、苦手な娘とかいるでしょうに……」
 ちなみにその高い踵にも、撃発回路と魔導珠が埋め込まれている。
 この靴だけで水上戦闘もできるというのが開発者のこだわりだった。
「困ったわね」
「ええ、困りましたね」
 うーんと唸り始めるふたり。
「ひ、ひぅ……」
 そして蹲るマリカーシェル。
 談話室の混沌ぶりは留まるところを知らない。
「あれ? 何か忘れてるような……」
 そして暫く時間が過ぎた頃、メリエラがふと顔を上げてレクティファールを見上げる。そしてレクティファールとしばらく視線を交わしたあと、やおらその口元に笑みを浮かべた。
 レクティファールの本能が逃亡を選択しようとする。
 しかし、レクティファールは逃げられない。吊されているから。
「多分に不可抗力だったのですが」
「別に責めるつもりはないわ。ただ、記憶力の及ぶ限り忘れないだけで」
「あの……」
 マリカーシェルが勇気を振り絞って口を挟む。
 気付かなかった自分にも責任があると言おうとしたが、メリエラの一瞥で口を閉ざす。その眼が臣下を見る目ではなく、自分と同じ女を見る目だったからだ。
「あなたは黙ってて」
「は……」
 マリカーシェルは、自分は一切、メリエラに睨まれるようなことはしていないと言うべきだと思った。
 しかしそれは明らかに、自分の中にある『何か』への敗北のような気がした。
 彼女はメリエラが全く同じ気持ちを抱いていることなど気付かぬまま、メリエラにつつかれて揺れ始めた主人を見た。
「め、メリア、私は今回何も問題行動はしていませんが……!」
「あら、わたしの格好を見てもまったく動揺しないのにマリカーシェルの衣裳には動揺したでしょ。あとは、リリシアとかフェリスの衣裳も少し驚いてたわよね」
「なんで知ってるんですか」
「さっき隣の部屋の夜警総局の娘をおど……違った、頼んで観閲式の映像を見せて貰ったの。満足そうな顔してたわ」
「観閲ですから、そりゃ相応の顔をしますよ」
「ふうん、最近わたしが新しい衣裳を着てもあまり芳しい反応がなかったようだけど、それは相応の顔をする価値がなかったという訳ね」
「いえいえいえいえいえいえ、そういう訳ではなくてですね。何でこんな過激な方向に向かってるんだろうって悩んでいただけで、決してメリアに問題があるとかそういうことではないんですよ!?」
 レクティファールは吊されたまま必死に言い訳を連ねる。
 その言い訳の途中からメリエラが面白がるような表情を浮かべるようになったことに気付いたマリカーシェルだが、夫婦の揉め事に首を突っ込む愚を犯すことはなかった。
 ただ談話室の片隅にある鏡で自分の姿をそっと確認し、少しだけ自信を持っただけである。
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