白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十五話「八洲の園」 その四

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 八洲国でもっとも大陸に近しい場所。
 そのような形容詞で呼ばれることの多い北見島の領主館は、八洲建築と大陸建築の建物が混在するという、この地の特性をそのまま示しているかのような姿だった。
 皇国外務院東洋総局次席調査官という肩書きを持つ男は、到着後すぐに通された客間から見える風景に興味深げな眼差しを向けていた。
 気候帯は皇都のそれと同じだと言われているが、海がすぐ目の前にあるということもあって空気が粘つくような印象を受けた。
 しかし、客人をもてなすためだけに作られただけあって、それほど広くはない庭園は見事な調和を見せている。
 皇国のあらゆる部分に徹底的に手を入れて形を整える庭園技法とは違い、八洲のそれは植物の成長具合までが調和の一部として取り入れられていた。
 それがどの程度の価値があるかどうか分からない自分に可笑しみを感じながら、彼は背後の襖障子が開くまでじっと庭を眺めていた。
 暫くすると板敷の廊下が軋み、ひとりの老人が姿を見せた。老人は上座に向かい、 調査官は部屋の中に戻ると、用意されていた座布団の上に足を揃えて座った。
「このようなところまでご足労願い、恐縮の至り」
 老人が軽く頭を下げると、調査官も同じように頭を垂れた。
 この地の作法には余り詳しくないが、最低限の礼儀だけは辛うじて理解している。
「こちらこそ、急な訪問を受け入れて頂き感謝の念に堪えません」
「いえいえ、同盟国からのお客人となれば、家を挙げて歓待するのが当然というもの。このような形でお迎えすること自体が礼を失していると言われても反論できますまい」
「ははは、しかしわたくしめは所詮一役人に過ぎません。あまり大きく歓待されては職務規程に反したと思われてしまう」
 調査官は笑っていたが、それは決して笑い事ではない。
 彼とその同僚は如何にして出張先の国の歓待を避けるかということに血道を上げている。皇国の官僚はそのまま皇王の臣下という位置付けであり、その服務規程というのは皇王の意思に他ならない。
 皇国の官僚に課せられている制限は他の国に較べれば大らかだと言われているが、大らかである分、それに反したときの罰則は重い。
「なるほど。それでは、お互いこの辺りで頭を下げるのはやめにいたしましょうか。あまり時間もない」
「ええ」
 調査官が同意すると、老人は懐から封書を取り出してそれを差し出した。
「そちらから依頼がありました。この地に伝わる一文字家の家系図です。家系図と言っても、那岐姫の名で途切れたものではありますが……」
 畳の上に置かれた封書を受け取った調査官は、それを持参した皇王府の封印付き封筒に入れ、そのまま封印を施す。これで、この手紙は本国に辿り着くまで彼自身にも開けることができなくなった。
 好奇心が刺激されない訳ではないが、それ以上にこの資料に触れることが恐ろしかった。
「感謝いたします」
 調査官が深々と頭を下げると、この地の領主家の隠居である老人は世間話でもするかのように口を開いた。
「何、調べごとついでに久し振りに懐かしい者たちと顔を合わせることができました。しかし、何故今になってこれを……」
 一文字家はかつて国を裏切った家として怨嗟の対象になったが、今では天子の勅命によってその名誉は回復されていた。その後の調査によって子孫の大半が各地に離散し、一文字家の血統と呼べるようなものは八洲の地に残っていないことも分かっている。
 だが、皇国外務院はそれでも一文字家の情報を欲した。
「詳しく申し上げることはできませんが、ただ陛下がそれを望んだことは確かです」「ふむ……ではそれ以上お尋ねするのも失礼ですな」
 老人はかつての領主としてそれなりの横の繋がりを持っている。その中で、現在の皇国一文字家の当主が皇王と親しい仲であることも掴んでいた。
 これは、皇国とイズモの間に存在する蟠りのひとつだ。
 一文字家を理由にして戦争が起きた。その戦争は巨大な破壊を生み、その一事をもって人々に巨大な力の持つ『質量を持った恐怖』の存在を知らしめた。
 そのせいで、皇国の皇王は八洲各地で長らく『鬼』と呼ばれていたという。八洲の誇る最新鋭艦隊を木の葉の如く翻弄し、海の底に沈めていったのだから、彼らにとっては『鬼』以外の何ものでもない。
 そしてその『鬼』が一文字の者であった以上、一文字家がこの地で生きていくことは恐ろしい困難を伴うものだっただろう。その困難を避けるために各地に離散したというのもなんら不思議ではない。
「那岐姫の伝説については、我々の世代ではもうお伽噺のようなものでした。お伽噺である故に、もしも一文字の姫が父祖の故郷を訪れたいとご希望されるなら、我々はそれを受け入れるでしょう」
 皇国のイチモンジ家の当主は、これまで一度たりとも隣国であるイズモの地に足を踏み入れなかった。
 それはイチモンジ家なりの贖罪であり、いつしか半ば習慣と化してしまった。
 だが、八洲政府側にそれを強要する意思はない。
 他人を恨んで得た平穏など錯覚に過ぎない。確かに人を赦す義務などどこにもないが、同時に人を恨む権利などというものも自分を納得させる錯覚でしかない。
「然るべき御方にお伝えしましょう」
 調査官はそう請け負ったが、報告書に記載すれば総てが伝わる。ただそれだけのことだ。
「よろしくお願い申し上げる。恥ずかしながら、この地は大陸との交易がなければ干上がってしまう」
「我々も三笠殿とは末永いお付き合いを、と考えています。わたくしの立場ではそれ以上申し上げることは出来ませんが……」
 三笠家の領地はこの北見島を中心とした群島だ。
 水軍諸侯として各地の争いに参加し、その都度自分たちを高く売りつけることで命脈を保ってきた。
 同時に商人でもあった彼らは皇国との付き合いも長く、三笠家が中央に対してある程度の発言力を有しているのは、皇国の後ろ盾があったからと言っても過言ではない。
「十分です。港に入りきらない船が沖合で何艘も停泊し、島には本土でも数少ない大型の飛行場ができた。あとは我々が自分たちの手で掴み取るべきでしょう」
 老人の目は保身を第一に考える辺境諸侯のそれではなく、古の三笠家当主たちのような海賊商人のそれであった。
 調査官は深く点頭しつつ、この地が持つ価値について脳裏に幾つもの情報を浮かべた。
 ここが大陸との中継地点であることは間違いない。経済拠点であり、海軍の基地がある要衝である事実も間違いない。
 皇国と八洲の間で戦争が起きたとき、真っ先に戦場になると考えられているのがここだ。この地を皇国が握れば、八洲の大陸側海域全域が危険に晒されることになる。
 皇国軍がこの群島の詳細な地図を持ち、それを常に更新し続けているのはそういった理由からだ。
 だが、その地が安定の中で皇国に利益をもたらすならば、それ以上望むことはない。戦争とは何らかの利益のためにするべきものなのだから。
「――神々にとり、信仰は資源です。人々の国が様々な資源を奪い合うように、神々やそれに従う者たちは信仰を資源のように見て戦いを引き起こす」
 呟くように語られる老人の言葉は、一種の諦念に満ちていた。
 彼らが仰ぐ神々もかつて同じように人々を争わせた。しかし、それは彼らが欲する資源を減らすだけの結果に終わった。
「人が信じるものを否定することは、そうできるものではありませぬ。ですが、否定できると信じること、いえ、盲信することは簡単です」
「はい」
 老人が何を指して言葉を発しているのか、調査官はすぐに察した。
 だが、それを口に出さないだけの理性は持ち合わせていた。
「我々と貴国のように、争いの莫迦莫迦しさを理解できるまで、果たしてどれだけの血が流れるでしょうか……」
 寂しげに語る老人は、余りにも小さく見えた。
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