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第四章:万世流転編
第十五話「八洲の園」 その二
しおりを挟むかつてこの地には英雄たちがいた。
彼らは争うふたつの教義の狭間で愛を説き、やがて争いに倦む時代の流れに乗って人々の希望となった。
優れた内政の才にて仁帝として人々に慕われた北ウォーリム九六代神帝グノーズ九世の娘ルクシャータ。
苛烈な異端鎮圧にて暴帝として人々に恐れられた南ウォーリム代九三代神帝ヴェルノッザ一世の落胤、剣聖ライブラス。
先代神帝の娘として大切に育てられた巫女と、傭兵団の切り込み隊長に身を窶していた武人。ふたりは運命の悪戯によって出会い、共に現実を知り、世界を変えるべく共に戦った。
苦難の旅の果てに、ふたりは自らの父たちの罪を雪ぎ、国を受け継ぐ決意をする。
千年戦争最後の戦いである〈バルグス平原会戦〉に於いて、ふたりはそれぞれの国の民に訴えた。
今こそ目の前の敵を許し、友になる時だと。
旅の中で得た多くの理解者たちにより、彼らの訴えは人々の胸に届く。
そしてついに、千年の争いは終結するのだった。
「くだらんお伽噺だ」
北ウォーリムの中心都市〈アバーリア〉、その神帝座大聖堂の廊下で、北ウォーリム鎮定水師頭領、枢機卿ラノズは吐き捨てた。
白髪交じりの黒髪を油で撫で付けて魔道具の片眼鏡を掛け、枢機卿の長衣を纏い、腰に宝石で飾り立てられた曲刀を提げた彼の姿は、先の神聖統合戦争の様子を描いた絵画の前にあった。
神帝の衣を纏った男女が、ひとつの旗を掲げている。その旗には〈ウォーリムの聖印〉と呼ばれる錨と釣り針の意匠があり、両国の統一を視覚的に表していた。
(我々は戦って勝った。しかし、未だに老人たちの権力は崩れず、あの夫婦は共に過ごすこともできやしない!)
北と南の戦争は終結した。
しかし、争いを主導していた者たちを排除したとしても、それによって両国の中枢に食い込んだ既存の権力を排除することはできなかった。彼らは老獪に、そして確実に自らの立場を守り、その立場を用いて英雄であるふたりの新たな神帝を盛り立てた。
ライブラスは母の血統の問題もあり、それらの権力によって神帝の座を維持するしかなかった。
そしてルクシャータは両国融和の象徴としてライブラスとの婚儀を進めたが、それを押し通すだけの大義名分を用意するには自分たちに好意的な教会の重鎮たちを頼るしかなかった。
どちらも英雄として人々に受け入れられている故に、既存の枠組みから逃れることはできなかったのだ。自分たちを信じる民を守るためには、自分たちの意志のみを押し通すことはできない。
それがたとえ茨の道であろうとも、長い時間を掛けて国を変えていくしかない。
ふたりは同日に神帝の座に登り、そのひと月後に婚礼の儀を挙げた。
多くの人々に祝福されたその婚礼から二〇年。南北のウォーリム教国の間には、再び不協和音が聞こえ始めていた。
(この一年、〈約束の地〉を我らの手に取り戻すために打ったあらゆる手が妨害された。何故だ? 誰が何をしたというのだ?)
彼らの教典であるバムハシード書。そこに記された大神の〈始まりの地〉はウォーリムの民にとって還るべき場所だとされている。
大神から教典を授かった地とされ、両国が首都と定める聖地カナンは両国の間にある中央ウォーリム海の中にある孤島だ。
首都と呼ばれつつも定住している民は万に満たず、巡礼者たちによって賑わう小さな島に過ぎない。
しかし、〈約束の地〉は違う。
龍が守り、多くの力ある種族が集うとされるその地は世界中の龍脈に通じ、自然が人々に与えうるあらゆる恵みと、太古の知恵が眠っているとされていた。
北も南も、その地を手に入れることが真の統合へと通じる道だと信じている。
ライブラスもルクシャータも、それしか自分たちの望む世界を手に入れる術はないと思っていた。
かつて彼らと共に戦った仲間たちの内、その考えに同調できない者もいた。
それらの仲間たちは英雄夫婦が引き留めるのも聞かず、ある者は故郷に帰り、ある者は未踏の地へと旅立った。
中には、仲間の愚行を止めるべく一足先に〈約束の地〉へと向かった者もいた。
二〇年前は海賊領主として暴れ回っていたラノズは、自らの領地とそこに済む民を守るために国に残った。
今は海軍組織である鎮定水師の総領を任され、両国の鎮定水師を統合した組織の構築に全力を傾けている。
(だが、それも遅々として進まない)
〈大帰還〉と呼ばれるその大事業にとって、軍事的な最大の障害は〈約束の地〉の東に暮らす異端神の末裔たちが率いる軍勢だった。
イズモと呼ばれる彼らは、創世の後に空から落ちてきた星船を戦力として配備している。また、それを元にして作られた海軍は精強で、そこに配備されている艦艇はウォーリムの鎮定水師の艦艇いずれをも凌駕する性能を持っている。
その性能差を覆すには、圧倒的な数的優位が必要だとされた。
そして、ラノズがその主張の急先鋒でもある。
「だが……」
千年もの間争い続けてきた両国が、たった二〇年で統合されるはずもなかった。
現実主義者たちの集まりである軍事組織でさえも、それは例外ではない。
ラノズが日々の多くを南北将兵の融和に努めてもなお、彼が指向する連合部隊の練成には時間がかかるだろうと思われた。
「くそ、このままではエリュシオンの背教者どもに先を越されてしまうぞ……!」
古き神への信仰を捨て、自らを導いた若き神を信じる者たちの帝國。
ウォーリムが最も恐れる大国もまた、〈約束の地〉に強い興味を示している。
「待てぬ、が。待たねばならぬか」
ラノズは再び巨大絵画を見上げ、自分を兄のように慕ってくれたふたりの英雄の姿を見詰めた。
「醜悪な」
人々の望む様々な力に塗れた絵の中の英雄たちは、ラノズにとってこの上なく醜く見えた。
両国の民が英雄たちに望んだ結果なのだとしても、ラノズは西の大洋の底に沈むその瞬間まで、それを認め受け入れることはなかったのである。
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