白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十一話「意志の鉾先」 その一

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 星天宮の敷地は広大である。
 しかしその皇都の陸地面積の半分を占める巨大な施設は、人口密度という点では恐ろしく希薄だ。
 この時期の皇都の住民がおよそ一二〇万。星天宮で暮らす者たちはせいぜい三〇〇〇名でしかない。皇都市街に較べれば、星天宮など無人にも等しいのだ。
 故に星天宮の中では専用の列車が走り、交通標識のない魔動車用の道路が延々と続いている。総ては星天宮で暮らす者たちのためだった。
「陛下、間もなく到着いたします」
「うん」
 御料車の窓から外を眺めていたレクティファールは、侍従を務める近衛大佐に頷いて見せた。彼は客室の扉の横に座ったまま、忙しなく通信を行っている。
 レクティファールはその様子を見て、何とも難儀な仕事だろうかと思った。他人の気分でその日の仕事が変わるのだ。
 無論、それ自体は決して珍しくないことだ。何処の街の宴屋でも同じような理由を肴に愚痴を零す者たちの姿がある。
 ただ、皇王の侍従というのは迂闊に愚痴を零すこともできない。彼らの仕事は常に機密に属し、同僚にすら日々の仕事を話すことはできないのである。
 その点、レクティファールはフレデリックという体の良い愚痴の相手がいる。むしろ相手が酔っ払って通信を繋いできては延々と文句を言い、レクティファールはそれに応射するのが常だが、少なくとも夫婦関係に関することであれば吐露することは問題ない。
「それで蹴飛ばされては敵いませんがね」
 通信の最中に奥方の回し蹴りによって吹き飛んだフレデリックの姿は、今もレクティファールにとって大事な反面教師である。なお、原因は脇腹の肉であった。
「何か?」
「いや、そろそろか」
「はい」
 レクティファールは少しずつ近付いてくる五号迎賓館を眺めながら、面倒事とはじっとしていても降ってくるものだと溜息を吐いた。

 迎賓館の前でベルヴィアの出迎えを受け、そのまま奥へと進んでいく。
 ベルヴィアはレクティファールの三歩後ろを歩き、主君の背中を見ながら厄介ごとの匂いを感じていた。
(旅団長からは余計なことは言うな、するな、見るな、聞くなの四連撃だったけど、本当にそうしたら怒られるんだろうなぁ)
 ベルヴィアはこの迎賓館で暮らす者たちの世話役だが、必要以上の関わりは相手が望んでも固辞し続けていた。
(お仕事だからね)
 ベルヴィアはこの仕事に対してそれほどの熱意を抱いていなかったが、職務を怠ろうという意図もなかった。
 そもそも旅団に配属されてから一年足らずの自分がそれほど重要な仕事を任されるとも思っていなかったし、この迎賓館の担当者になるまでは実際その通りだった。
 しかし今の彼女は皇王のすぐ近くに付き従っている。
 今彼女がいる位置は、本来であれば本部小隊長以上の乙女騎士が占めて然るべきものだ。これを期待と受け止めるか単なる気まぐれの産物と受け止めるかは本人次第だが、ベルヴィアは前者だろうと考えていた。
 今の旅団長には気まぐれという機能が欠けている。ベルヴィアはそう思っていた。
 常に完璧を望み、それを部下に対しても求めてくる。それでいて、部下が自分の望む通りに動かないことに失望することもない。
 掛け値なしに優秀な将校だろう。
 しかしそのために、主君からは距離を置かれていると言われていた。
 旅団の若い乙女騎士たちの間では、その話が出ない日はない。
 乙女騎士は内外の口さがない者たちの言葉通り、皇王の愛妾部隊としての側面を持っている。より正確に記述するならば、現在の形に部隊が整備されたあとにそういった面を持つようになったのである。
 市井の者たちが言うような、愛妾を集めた部隊という事実はないし、これからもそんな事実が生まれることはないだろう。少なくともレクティファールにそのような意志はなかった。
 では何故、愛妾という立場を持つ乙女騎士が存在するのかといえば、本人たちの意志が大部分を占める。
 第一特別護衛旅団の平均年齢は、他の部隊と較べて著しく低いということはない。これが何を意味するのかと言えば、うら若き女性ばかりを集めた部隊ではないことの証左である。
 マリカーシェルの年齢は確かに将官となるには幾らか若かったが、彼女よりも年少の将官はこれまでにも存在した。
 彼女が率いる将兵たちの年齢も決して若いということはなく、それはつまり、女盛りを旅団で過ごしているということに他ならない。
 創設当初、旅団員たちの実家は娘が名誉ある部隊に配属されたことを喜びつつ、そのまま旅団で過ごせば確実に嫁入りの時期は逃すことになると危ぶんでいた。
 そこで皇城内をふらふらしていたルキーティが一計を案じ、旅団そのものを一種の皇妃及び側妃予備軍とすることにしたのだ。
 これによって今に至る『愛人部隊』という渾名が誕生したのだが、当時は好意的に受け止められていた。
 旅団に配属されることは国家に認められた淑女の証であり、これ自体が婚姻に有利に働いた。今でも同じような価値観は残っており、結婚を機に旅団を退く乙女騎士は少なくない。
 だが、中には結婚よりも旅団で栄達を望む者もいた。
 純粋に最強の騎士を目指す者や、長い人生を面白おかしく過ごしたいという者。また、旅団の歴史の中には皇太子時代の皇王に一目惚れし、皇妃になるため旅団に入ったという伝説の『押し掛け皇妃』も存在する。
 結局の所、皇王の手が付くかどうかは、乙女騎士側の意志が優先されるのだ。その方が面倒が少ないという現実もある。
 栄達のためには旅団に属する時間は長くなり、自然と婚姻は遠のく。そうなった場合、実家を納得させるために皇王の愛妾になる乙女騎士もいた。今の騎士団にもそういった理由でレクティファールの妾になった者がいる。
 実はそうした者の方が、皇妃たちの評判はいい。彼女たちの価値観は目下の者に対して恐ろしく甘いのだ。
 仮に乙女騎士の誰かが正妃を志せば、彼女たちは壁となって立ちはだかるだろう。現にマリカーシェルに対する一部正妃の目は、明らかに敵を見る目である。
 レクティファールはマリカーシェルを信頼し、機会があれば余人の前で褒める。それは未婚のままのマリカーシェルを心配しての行動だったが、一部正妃には面白くない。
 面白くないが、戦うこともできない。
(リリシア様は憧れっぽい感じだけど、メリエラ様はねー)
 メリエラは優秀な士官だった。そのまま軍に属していたなら、マリカーシェルに匹敵する速さで昇進しただろう。
 しかし優秀であるが故に、敵に回した場合のマリカーシェルの恐ろしさを理解していた。叶うなら敵対したくないのだ。
「少尉、先ほどから視線を感じるんだが、何かおかしいか?」
「はい、陛下。特段問題はありません、失礼しました」
 じぃっと主君の背中を見詰めていたベルヴィアだが、その視線に気付いたレクティファールが足を止めて振り返った。
 彼女は慌てて一礼したが、内心で大いに慌てた。
 仕事中に考え事などするものではない。
「うん、それならいい。少尉のことはマリカーシェルが随分気にしていたからな」
「はい、恐縮です」
 レクティファールが浮かべた微笑みを見て、ベルヴィアは思った。
(ああ、皇妃様の前でこんな顔して他の女褒めたらダメでしょう)
 しかしながら、彼女は知らない。
 この日夕食の場でレクティファールが褒めたのは、マリカーシェルではなくベルヴィアだった。
 彼女を部隊から離れてもしっかりと職務を果たす良い騎士と評したレクティファールは、ベルヴィアが言う『こんな顔』だった。
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