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第四章:万世流転編
第十話「生者の意味」 その五
しおりを挟む後宮、第一特別護衛旅団本部の廊下で、ウィリィアは目の前にある扉とその上に掲げられた『特別会議室』の文字に嘆息した。
そこは旅団の最高会議を行うために作られた部屋で、皇国における最先端の防諜技術が惜しげもなく投じられていた。
「失礼します」
扉を叩き、入室する。
ウィリィアが一礼して顔を上げると、そこには旅団の首脳とも言える各護衛小隊の隊長や、旅団本部幕僚が勢揃いしていた。
少なくとも、一介の特務士官であるウィリィアには縁のない世界である。
「ウィリィア・ハルベルン侍女准尉、出頭しました」
軍務中のみ使用する旧姓を名乗ったウィリィア。
「ご苦労さま。空いているところに適当に座って。――あなたの業務時間中に話が済むことを願うわ」
上座の旅団長マリカーシェルがそう呟くと、小隊長の間から苦笑が漏れた。
ウィリィアは側妃としての自分の護衛小隊長の隣に腰を下ろしながら、マリカーシェルがそうの背後にある巨大な柱時計を見る。確かに業務時間終了まであと一刻もなかった。
特務士官であるウィリィアは、兵たちと同じくこの会議室にいる士官たちとは違って命令なく業務時間を超過することができない。これが有事であれば別だが、平常勤務の間はそのような規定となっている。
そのため、終業時間に達した瞬間にウィリィアは特務士官ウィリィア・ハルベルンから準皇妃ウィリィア・ルイツ=グリピア・エルヴィッヒとなり、会議室では彼女を上座に据えるため、一斉に席の入れ替え作業が行われることになる。
私的な時間であってもウィリィアの軍の立場は保持されたままなので、会議から退出する必要はないのだ。
実際、これは今までに何度か生じた光景だった。
「一応、それぞれ移動する席は確認しておくように」
マリカーシェルの言葉に再度笑いが起き、ウィリィアは微妙に引き攣った笑みを浮かべた。いっそ士官学校に入ってしまおうかとも思った。
「さて、まずは最近発覚した問題についてあなた方に注意を勧告しなければいけません」
隣の席に座る旅団参謀長が、マリカーシェルに一枚の紙を手渡す。
マリカーシェルはそれを見て一瞬頬を赤らめたが、大きく咳をしてウィリィアに視線を向けた。
「ハルベルン准尉」
「はい」
ウィリィアは背筋を伸ばし、マリカーシェルの言葉を待つ。
しかしマリカーシェルは何度も紙とウィリィアの間で視線を彷徨わせ、なかなか口を開こうとしない。やがて護衛小隊小隊長のひとりが口を開いた。
「准将閣下? 照れていても話は進みませんことよ」
皇妃マティリエの護衛小隊長であるオルトリューデだ。
マリカーシェルはオルトリューデを心底憎々しげに睨み、しかしその視線は戦女神系の侍女大尉には然したる効果はなかったようだ。
「――はぁ」
大きく嘆息したマリカーシェルは、意を決したように口を開いた。
そしてその言葉が進むにつれ、ウィリィアの顔から血の気が引き始める。
「えー、五日前、皇妃エインセル様と共に陛下の寵を受けた際、『囚われの女騎士と女剣士ごっこ』と称して騎士装具を用いた。間違いありませんか?」
「ひぇっ!?」
ウィリィアが奇声を発して席を立つ、しかし、両隣の乙女騎士に押さえ込まれた。
「これに関しては夜警総局から報告書が届いています。ええ、まあ、エインセル様が好奇心で暴走したと聞いていますし、陛下が了解したということで処分などは考えていません。ええ、ええ、問題があるとすれば、わたしが何も知らされていなくて突然報告書を上げられて驚いたくらいです」
マリカーシェルは机の上で手を組み、そこに額を押し当てることで顔を隠した。
ただその耳が真っ赤に染まっているので、ウィリィア以外の出席者にはマリカーシェルの表情など手に取るように分かる。
「騎士装具は陛下より下賜されたものですから、陛下が許したのであれば構いません。ただ、これはハルベルン准尉が準皇妃殿下であるからこそで……」
「あら、わたくしたちでも陛下に求められる分には構わないんでしょう? ねえ」
オルトリューデがそう言って出席者たちを順に眺めると、マリカーシェルがそれに続いて出席者たちを睨んだ。
何人かが顔を逸らした。
マリカーシェルの額に青筋が浮かぶ。
オルトリューデの笑みが深くなる。
「――どちらにせよ、使用後は然るべき整備を受けるように。これは各隊の隊員にも徹底するように」
マリカーシェルは声を震わせながらそう告げ、出席者たちからは了解の言葉が発せられる。
「もう、乙女小説ばかり読んでるから……」
オルトリューデがぽつりと呟くと、マリカーシェルが盛大な音を立てて椅子を蹴倒した。そして出席者たちの視線が自分に集まっているのに気付くと、オルトリューデをひと睨みして椅子を元に戻し、座った。
「この不良女神め……」
「おほほ」
このふたりの遣り取りは珍しいものではない。
少なくともこの会議室にいる者たちにとっては見慣れた光景である。この鬱憤は戦技演習で発散されることだろう。
「ハルベルン准尉、そういう訳だからよろしくね」
ぶつぶつと何かを呟いたまま顔を上げないマリカーシェルに代わり、旅団参謀長がウィリィアに言った。
ウィリィアはあわあわと意味のない言葉を発していたが、その言葉に何度も頷いた。
「あ、地下施設の使用は全然構わないから。そのための施設だし。できれば使用感とか訊かせてくれると助かるんだけどね」
「ふぁあ!?」
再び立ち上がり、押さえ込まれる。
なお、後宮の地下施設は女性皇王の代に拡張される傾向があるらしい。夫婦円満で結構なことである。
レクティファールは〈皇剣〉の記録こそ持っているが、あまり入りたがらない。
「夜警総局が若い子たちの溜まり場になる理由ってこれかしらねぇ」
オルトリューデが呟けば、出席者たちが「ああ……」と納得したように頷く。
皇妃たちの夜の監視も彼女たちの役目であるが、自分の担当以外の皇妃のことはあまり知る機会はない。総てを知っているのは夜警総局だけだ。
もっとも夜警総局がそれを明かすことはない。ただ、そこにいる夢魔族に色々な話を聞いているのだろう。
「とりあえず資料の扱いは厳重に。次の議題に入るわ」
ようやく復帰したマリカーシェルが口を開くと、出席者たちが居住まいを正す。
おそらくこちらが本命の議題だ。間違っても『夜の女騎士ごっこ』が本題ではない。
ちなみにこの会議の翌月に騎士装具模倣品の発売が皇王府系列の商会から発表されたが、おそらく関わりのない話である。
マリカーシェルは会議室を一望し、自分に総ての視線が集まっていることを確認してから口を開いた。
「先に皇城へと侵入した四人の異世界人について、皇府閣下より提案がありました」
旅団参謀長が会議卓に埋め込まれた制御盤を叩くと、会議室の灯りが落とされ、室内中央に四面表示窓が浮かぶ。
そこに映し出されたのは、彼女たちの部隊が迎賓館で監視を続けている異世界人たちだ。
記憶探査と本人たちから聞き取った情報が記載されており、もしかしたら当人たちの記憶よりも詳細な情報かもしれなかった。
「四人のうち三人はすでに皇国への何らかの形での帰属を希望し、それに向けた学習に入っています。ただ残るひとり、彼らの中心的人物であったこの女性――」
表示窓にハイドリシアの顔写真が大写しになった。
「この人物に関しては、精神薄弱のためこれらの行動が見られず、今後の動向については宙に浮いた状態です」
「はい」
護衛小隊長のひとりが手を挙げた。
先月新たに皇妃フェリスの護衛小隊長となった、海軍陸戦師団出身の乙女騎士である。
ミリストリアステ・ウルヴァーン侍女中尉。フェリスと同年齢ということもあり、友人と言って良い関係を構築している。
「その人物を、旅団に招くということでしょうか?」
「まだ決定事項ではありませんが、可能性はあります」
マリカーシェルが答えると、出席者の間で困惑が広まった。
ハイドリシアがかつて大きな力を持っていたこと、しかしすでにそのような力は失っていることはすでに知られている。わざわざ旅団に招くような人物だとは思えなかったのだ。
「これに関しては、実際には皇王府ではなく神殿側の要請であると思われます」
会議場のざわめきが大きくなる。
何故神殿が、という言葉がマリカーシェルの耳にも聞こえてきた。そしてそれは、当初マリカーシェルも抱いた感想だ。
「神殿は先頃総大主教猊下が代替わりされ、新たな指導者の下で組織の再構築が進められています。その際にミレイディア前総大主教は皇都大主教になり、この要請もミレイディア猊下からのものと聞いております」
会議室の視線が、ウィリィアに集中した。
法的には、皇妃は義理の姉妹とされる。つまり皇妃の本来の兄弟姉妹は、他の皇妃にとっても義理の兄弟姉妹になるのである。
ウィリィアもその分に漏れず、ミレイディアを義姉と呼んでいた。
「あ、あの……わたしは何も……」
「その通り、これはあくまでも『予想』でしかありません。ただ、行く宛のない難民の保護は神殿の職分に含まれるでしょう」
それ以上、マリカーシェルは神殿について口にすることはなかった。
政治に干渉しないのが神殿の大前提。今回はあくまでもミレイディア個人からのものとして考えるべきだ。
「また、リリスフィール殿からも彼女の処遇について助言がありました。おそらくミレイディア様からのご提案も同じ理由からだと考えられます」
マリカーシェルはそこで一度言葉を句切り、一同を見渡した。
薄暗い会議室の中で、この国最強の戦乙女たちが彼女の言葉を待っている。
「ハイドリシアさんは元来、リリスフィール殿をはじめとしたあちらの世界の管理機構に属する存在だそうです。統括武装を用いるために生まれる前から調整され、勢力の均衡を図る役割を与えられて来ました」
リリスフィールが属していた世界生物の脳にあたる管理機構は、知的生命体が何らかの形で争うことが世界の存続に不可欠だと判断していた。
それ故に世界に二種類の知的生命体を作り、常に憎しみ合うよう噛合わせた。しかし同時に、管理機構の機能には限りがある。
叶うならば、双方の知的生命体に争いを統括する存在がいるのが望ましい。
どちらか一方に情勢が傾けば、その存在が現われて自らの陣営を率いて状況を覆す。それを繰り返すことで統括存在の神格化は進み、より管理は容易になる。
それの例が、魔族側では魔帝と呼ばれる個体が昇華した邪神であり、勇者と呼ばれる存在が昇華した神だった。そのどちらも、昇華と同時に世界生物の一部――端末となるのだ。
「ハイドリシアさんの身体構造については、確かに他の三人よりも受容性が高くなっています。これは巫女姫様とよく似た構造であるとか」
「つまり、ハイドリシアさんを巫女姫様として迎えたいと?」
末席に近い場所から、ウィリィアが訊ねた。
リリシアを義理の妹に持つウィリィアだからこそ、躊躇いなく訊くことが出来た。
「それは不明としか言いようがありません。ただ――」
マリカーシェルはリリスフィールの人を食ったような態度を思い出し、額を押さえた。
初対面で『オマエは何故生娘のままナノだ?』と問われて以来、どうしても苦手意識が拭えなかった。彼女は空気を読むということをしない。
だがその本当の理由は、同じことを自問しているからかもしれない。
「潜在的な能力として、リリスフィール殿はハイドリシアさんに及ばない。そう言っていました」
管理機構が本来想定していたのは、邪神が勇者の決死の攻撃によって倒され、劣勢に追い込まれていた人類は五分と五分の情勢まで戦況を回復させるという脚本だった。
勇者は邪神と相打ちになり、次代の人類側の統括存在として再構成される。この時点でリリスフィールとハイドリシアは世界生物という意味で同一の存在となる。
これによって、管理機構は常にもっとも信仰される存在を端末として利用できるのだった。
だがハイドリシアは統括存在になるよりも前に、その世界を失うことになった。
しかし機能としてはまだ勇者である。
「最悪、リリスフィール殿と同化することでその機能を補填できるとか」
マリカーシェルは努めて冷静に言葉を紡いでいたが、実際はそのおぞましいまでの世界管理体制に忌避感を抱いていた。
当初、リリスフィールの話を聞いてまるで巨大な遊戯盤ではないかと思い――次の瞬間にはまさにその通りなのだと気付いた。
そして、考えることをやめた。他の世界の理に口を出すことの無意味さはこの上ないほどである。
「ハイドリシアさんに関しては、リリスフィール殿が陛下の手を借りて引き摺り出すとのこと、この結果により、わたしたちは彼女を受け入れるかどうか判断します」
「まあ、この国で大義を与えられるのは陛下だけでしょうし、仕方ないわね」
マリカーシェルの言葉に続いてオルトリューデがそう告げれば、出席者はそのほぼ全員が頷いた。
ただひとり、ウィリィアだけが首を傾げながら「大丈夫かなぁ?」と呟くのみである。彼女の中で、レクティファールの信用度は限りなく低かった。
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