白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第八話「破壊のその先」 その五

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「えー、本日はお日柄も良く……ないよねぇ」
 フェリスが呟くと同時に、ピカッと空が光り、土砂降りの雨が細工硝子を叩く。
 昨日の天気予測では多少の雲はあれども雨は降らないはずだったが、どうにも巨大な力の塊が後宮に無造作に居座っているせいで、天候が変わってしまったようだ。
「あー、お祖母さま?」
 フェリスは自分の背後にそそくさと隠れてしまった従姉の双子妃に若干の恨みを抱きながらも、にこにこしながら第一妃リリシアの焼いた菓子と龍妃メリエラの淹れたお茶を楽しむ祖母に話しかける。
「何かしら」
 今後宮の談話室にいるのはリリシアと、メリエラを筆頭とする龍妃四人。そして焼き菓子を『ももももももももも……』という勢いで食い尽くそうとしているアナスターシャ、そしてマリアだ。
「レクト留守だけど、いいのかな?」
「構わないわ、孫たちと一緒にお茶を楽しむというのも最近はなかったし」
「そ、そう……」
 フェリスは落ち着いた所作でお茶を啜る祖母から視線をずらし、その対面にいるふたりの正妃を見た。
 一応、義理の姉と妹になっているメリエラとリリシアである。
「――――」
 ふたりは揃って黙り込み、もう半時間もマリアを仇のように睨み据えている。視線を受けるマリアがあまりにも自然体であるため、ふたりはより一層意地になって沈黙を続けているというのが現状だ。
 他の正妃はどうしたのかと言うと、真子は実家との縁が深い地方都市に公務で出向いており、エインセルがそれに同行している。このふたり、年が近いこともあって非常に仲が良い。
 レクティファールの視察に同行しているオリガとマティリエは言うまでもなく、側妃たちも自分たちの仕事に専念しており、今日は後宮に姿を見せていない。
 唯一この後宮にいる側妃であるウィリィアは、マリカーシェルの判断で健康診断という名目で隔離されていた。今は後宮内病院で超が付くほどの入念な検査を受けているはずだ。
「義姉さんたち、何か言ってよ! ボクもう泣きそうだよ!」
 ぐるりと首を巡らせたフェリスは、自分の背後で小さな茶卓を囲んでいる従姉ふたりに救援を求める。何かあったときに止めるという役目を与えられたふたりだが、積極的に仕事を果たそうという意思はなかった。
「ん、ああ、こっちはこっちでやってるから、そっちはそっちで家族の会話を楽しむといい」
「あー、このお茶おいしーわー」
 白々しくフェリスの懇願の視線から目を逸らした双子の妃は、それぞれ抱えてきた医学書を開きだした。揃って龍族の妊娠に関する書物なのは、ふたりともそれなりに妃としての役割を重んじている証拠だろうか。
「ほらフェリス、このお菓子おいしいわよ?」
「はい……頂きます」
 フェリスはもの凄い勢いで減っていくアナスターシャ用の菓子の山を見ながら、マリアが手ずから用意した焼き菓子に木苺の糖果実を乗せて口に運ぶ。甘酸っぱい糖果実と焼き菓子の香ばしさが何とも美味だ。
 美味過ぎて、涙が出そうだった。
「うえーん、レクトぉ……」
 そう小声で夫を呼ぶも、思念通信は閉じたままだ。フェリスの魔力では通信が維持できないのだった。
「気にしない、方が良い」
 山を一つ崩しきったアナスターシャが卓の上に置かれた魔動鈴を鳴らし、お代わりを所望するべく隣室待機の侍女を呼び付ける。
 いつもならすぐに姿を見せるはずの侍女は、隣室でどたばたと役目を押し付け合っているようだ。やがて顔をまっ青にした、側付きの中でもっとも若い侍女伍長が台車を押して現われ、アナスターシャの前に置かれている大皿を回収した。
「な、何かご希望はありますか?」
「いっぱい」
 アナスターシャの希望はぶれない。
「はい、か、畏まりました」
 侍女伍長は一礼して談話室を出て行ったが、フェリスにはその直後、扉の向こうで誰かが倒れた音がしたような気がした。おそらく気のせいだと彼女は自分に言い聞かせ、ほとんど味がしないお茶を飲む。
「陛下がね」
 そうおもむろにマリアが口を開くと、リリシアとメリエラの眉がびくんと反応し、フェリスの胃の辺りが軋む。ただ、回復力だけは他の種族よりも高いので、すぐにそれは収まった。
「あらごめんなさい、初代陛下のことよ」
 マリアが口を隠して笑い声を上げる。
 フェリスの背後から、「煽るなぁ」「煽るわねぇ」という双子の感想が聞こえてきた。
(煽りすぎだよ! ただでさえもあのふたりそういうのに耐性ないんだから)
 むしろリリシアとメリエラは、日頃からお互いを敵として煽り合っているせいか、こういった状況下での堪え性というものが一切欠如している。
 全力で煽り合っては取っ組み合いの喧嘩をするというのが当たり前になっているのだ。それはある意味で後宮の名物であり、後宮内での派閥形成の兆候を粉砕し続けている。
「ふふふ、若いって良いわねぇ。でも、ちょっと年を取りましょうか」
 マリアは磁碗を抱え、ひとりごとでも呟くように口を開いた。
「初代陛下以降、後宮に上がる四龍姫はほとんどが傍流だった。それは皇王家の力を抑制するというよりも、後宮という存在が四公爵家の後ろ盾を得て政治勢力化するのを防ぐため」
 突然始まったマリアの独白に、リリシアはメリエラと視線を交わし合った。そして無言のままに磁碗を取り、まるでマリアの言葉が聞こえていないかのように振る舞い始める。
 マリアの言葉は決してふたりに向けられた後宮への政治干渉ではなく、単なる独り言であるとするための見せかけだった。
「でも、今は違う。後宮は若い陛下の権威を強化する装置として機能しなくてはならない。これからこの国が飛び込んでいく時代には、皇王家が皇王家としてより洗練されている必要がある」
 アナスターシャは相変わらずの勢いで菓子を頬張り続け、その頬は常に膨らんでいる状態だ。その頬を恐る恐るつつきながら、フェリスは祖母の言葉に耳を傾ける。
「そうなったとき、どう足掻いても後宮の政治権力は増強される。でも、後宮が政治に干渉することだけは防がなくてはならない」
 それは後宮にいる正妃たちが、実家の代理人となることを防ぐためでもある。皇国はその存続を図るため、皇王以外の最高権力を一切否定する。
「ならば、後宮に匹敵するだけの存在を外部に作らなくてはならない。それは政治的意図ではなく、私情で後宮を抑え込む存在。でも離宮だけでは足りない。離宮は政治に干渉するべきではない」
 だからこそ、マリアは蒼龍公としての任を息子に譲り、単なるマリアとしてレクティファールと関わる。アナスターシャは後継者が居ないこともあり、その補完を務める。
「陛下が力を振るうためには、国内を徹底的に安んじる必要がある。何があろうとも、あの方の背に刃が向かないよう……」
 マリアという女性は、自分たちを政治の塊と見ている。
 貴族である自分も、皇族も、それは政治によって担保された地位だと理解している。その上で、彼女は自分たちが必要以上の力を持つことを否定した。
「リリシア様、陛下がお好きなお茶の淹れ方、お教えいたしましょうか?」
「ええ、そうして頂けると嬉しいです。あの人、何でもおいしいとしか言わないので」
 リリシアは微笑み、マリアの提案を受けた。
 続けてマリアはメリエラの方に向き直り、より深く笑った。その目が、得物を狙う猛獣のそれになる。
「メリアちゃんには、そうね、もう少し慎みを教えてあげようかしら。床の上でも淑女じゃないと嫌われるわよ?」
「わあああああああッ! ちょ、リリシアも大して違いないでしょ! そっちももっと凄いくせに『いやねー』とか言い合うんじゃない!!」
 メリエラは絶叫し、優越感に浸っているリリシアの嫌な笑みに怒りを覚え、次いでひそひそと小声で会話するフェリスに指を突き付ける。
 それでも尚、メリエラには好奇の視線が突き刺さる。
 うわーと頭を抱えるメリエラに、アナスターシャはぼそりと告げた。
「経験者は語る」
 その一言で、今度はマリアに一斉に視線が集中する。
「あら?」
 その目が泳いでいた。
「マリア様ぁ、やっぱり色々教えて頂きたいです」
「そうですね、ここは年の功ということで色々お聞きしましょうか」
「そうだね、お祖母さま、よろしくお願いします」
 メリエラが猫なで声で、リリシアがにたりと汚れの滲む笑みを浮かべ、フェリスが頬を赤らめてそれぞれマリアにじり、と近付く。
 フェリエルとファリエルは医学書を筆記帳面に替え、録音魔法を起動した。
「さあ!」
 三人に迫られ、マリアの尻がじりり、と退く。
「おほほ、おほほほ……」
 誤魔化しきれない笑みほどむなしいものはない。
 マリアはその後四時間、延々と自分の経験を語った。その内容を赤裸に語り、場面場面で妃たちを弄り倒すことだけが、マリアの出来る報復であった。
 なお、アナスターシャは食料庫を空にした。
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