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第四章:万世流転編
第八話「破壊のその先」 その三
しおりを挟む司法院と外務院、そして内務院の外局として比較的最近になって作られた皇国移民総局は、その中にも幾つもの部局を持っている。
移民を入国させるまでが「移民審理局」の仕事であり、移民ではなく国民となったあとの管理監督を担当するのが「移民管理局」となる。
このふたつの部局から派遣されたふたりの官僚は、皇城の片隅にある移民総局から大量の資料を抱えて、同じく皇城の中にある外務院事務所に入った。
そこの会議室が、彼らの今日の仕事場であった。
「ご苦労様です」
会議室の扉の横に立っていた衛兵が、官僚ふたりの姿を認めて一礼する。
普段は居ない衛兵の姿に、ふたりは互いに顔を見合わせる。物々しいといえばその通りであるが、それも仕方のないことだ。
会議室の中に居るのは、今回の戦争で皇国に恭順することを選んだ異世界人の代表たちで、今以て彼らは皇国の民ではなく、捕虜や難民という扱いになっている。
ふたりの役目は、その立場をどのような形に変化させるのか、本人の意思を確認することだった。
「我々は外におりますので」
そう衛兵に言われたとき、管理局から派遣されたビー・トルツはあからさまに怯えた様子を見せた。それに対し、審理局のダッツリー・ルルフェルトは落ち着いて頷くだけだった。
審理官は文官の中でも数少ない武闘派なのだ。入国審査や移民審査の際に相手が暴れ出すことも珍しくなく、その際には司法官として行動することも許されている。
また、日頃の訓練は元より、一年のうち二週間ほど軍の訓練に混じって心身を鍛えることが義務付けられており、文官服の下にはしっかりと鍛えられた肉体が収められていた。
「ダッツリー君、申し訳ないが先に入って貰えないか?」
「――はい」
ビーの声は震えていたが、ダッツリーはいつものことだと言わんばかりに首肯する。このふたりは、かつて同じ大学校で先輩後輩の間柄で、その当時から、小心者のビーはダッツリーを盾にすることがままあった。
ダッツリーは自分の背後に隠れた先輩官僚に、衛兵が侮蔑の視線を向けていることに気付いていたが、やはり何も言わなかった。
ビーが皇国の代表としての態度を持っているかと問われれば、ダッツリーは首を振るしかない。悪人ではないが小心者のこの先輩を国家の代表として選んだ局長たちを恨むべきだ。
「失礼します」
彫刻の施された打金を叩き、ダッツリーは会議室の扉を開ける。背中からビーの引き攣ったような呼吸音が聞こえた。
会議室の中にいたのは、七人の男女だった。
それぞれがひとつかふたつ席を空けて、楕円の会議卓を囲っている。皮を鞣しただけの粗末な衣裳を来た者がいれば、幾つもの宝石を散りばめた派手な衣裳の者もいた。中には上下それぞれに帯び一枚という半裸としか言いようのない姿をした女性もいたが、ダッツリーもビーもそれに関しては大した驚きはなかった。
事前に知らされていたこともあるが、種族ごと適した衣裳は異なる。皇国で画一的な正装を纏うのは、貴族か軍人、そして官僚ぐらいのものだ。
「お集まり頂いて恐縮です。私は皇国移民審理局五等奏任官ダッツリー・ルルフェルト」
「わ、私は、移民管理局の四等奏任官、ビー・トルツ。こ、今後の皆さんのお世話を、た、担当します」
舌が絡まったようなビーの自己紹介は、異世界人たちにも失笑された。ふたりが首から掛けた翻訳魔法の刻まれた宝珠は、実によくビーの言葉を彼らに伝えていた。
「それぞれ、お名前を確認したい」
ダッツリーはビーを促して上座に座らせ、自分はその隣に腰を下ろした。資料を思い切り机の上に下ろすと、巨大な音と共に何人かの肩が震えたのが見えた。
(何だ、やせ我慢か)
ふてぶてしい態度を見せていた七人は、やはりというか若い部類の統治者のようだった。こちらの一挙手一投足に神経を集中し、少しでも自分たちの利益を確保しようとしている。
(力みすぎ、だな)
ダッツリーは隣のビーの脇腹を肘で突いた。びくりと身体を震わせた小心者が、会議卓の上にあった制御盤を叩く。記録用の術式が作動したという表示窓が浮かび、一秒二秒と数字が刻まれ始めた。
「どうぞ」
ダッツリーは重ねて促した。
すると、額に小さな角を持つ女性が立ち上がり、ふたりに向けて一礼した。
「わたしは『尖兵』のクガ族の魔王。名をクリューナ。此度は我々を保護して頂いて感謝する」
クリューナと名乗った魔王は、明らかに『保護』の部分の言葉に力を入れていた。戦場で捕虜として捕らえられた場合、彼女たちの常識ではあまり良い扱いを受けられないのかもしれない。
座ったクリューナに続けて、その隣の若い男が立ち上がる。
編み込まれた灰色の髪は整えられているし、紋様の入った長衣は、七人の中では一番正装に見える。
「『紋誓』のギニ族。魔王チェルノ」
淡々とした自己紹介だけを行い、チェルノはすぐに座ってしまった。一度もビーたちに視線を向けなかった。
「『雷鷹』のゼベ族の魔王。タタル。よろしく頼む」
続いて声を発したのは、見た目は明らかに幼い子どもの魔王だった。
しかし、七人の中では最も落ち着いた雰囲気を纏い、ふたりの皇国官僚を試すような視線を向けてくる。
「何か協力が必要であれば、こちらも応える用意がある」
「感謝します」
ダッツリーは感謝の言葉だけを述べ、タタルを座らせた。周囲の他の魔王たちがもっとも小さな魔王である彼を睨んでいるのは、ひとりだけ皇国への協力を申し出たからだろう。
苛立たしげに立ち上がった次の魔王は、豊満な身体を僅かな布で隠した女性だった。ビーが怯えたように椅子の上で身動いだ。
「『氷乱』のヴァジェ族の魔王ローゼンディア!」
卓を叩き、官僚ふたりに鋭い視線を向けるローゼンディア。明らかに不満を溜め込んだ様子であったが、ダッツリーは冷静に次を促した。
それに応えて立ち上がったのは、今度は髪を衣裳代わりに纏った女性だった。精霊系の種族か、とダッツリーは当りを付ける。
「『華光』のアス族。――魔王、ファティア」
瞳のない茫洋とした眼で見詰められ、ビーはひっと息を呑んでいた。
眼球が視覚に直結しない精霊系の種族では珍しくないことだが、ビーにとっては驚き恐怖するには十分だったらしい。
「つ、次の方」
ビーの言葉に応えて立ったのは、これまでの誰よりも巨大な体躯を持つ男だった。
筋骨隆々の身体に鞣革の上下を纏い、これまで狭そうに椅子に座っていた人物だ。
「『穿岩』のガド族の魔王、ファルシャイル。世話になった」
小さな眼は、その体躯とは裏腹に穏やかな光を宿していた。今まででもっとも穏当な態度かもしれない。
「済まないが、床に直接座ってもいいだろうか?」
「ええ、ええ、問題ありません」
ビーは何度も頷き、ファルシャイルが椅子をずらして床に座るのを眺めていた。
がしゃがしゃという椅子の移動する音が止むと、最後のひとりが静かに立ち上がる。
イズモ調の衣裳を着た、中性的な魔王だった。
「『花飛』のラン族。魔王ヒナゲシ」
最後の魔王の名だけは、素直に意味を知ることができた。ビーとダッツリーは、その事実に内心ほっとした。
「それでは皆様方の今後に関しまして、我国からの回答をさせて頂きます」
ダッツリーは魔王たちの注目の中で、政府が下した決定文書を読み上げていく。
ローゼンディアなどは今にも椅子から立ち上がりそうなほど気が立っているようだが、自分たちの民のことなればと必死で自分を抑えているようだった。
「我国は次元難民である諸君らに対し、大いなる慈悲と懐古をもって国民へと迎え入れる。これに伴い、諸君らのかつての肩書きは我国における立場を保証するものではなくなる。これは先の戦闘行為に関するあらゆる諸君の罪を免じるための手続きであり、これに同意無き場合は、皇国はその罪の代償として極刑をもって臨むものである」
ずだん、と会議卓を叩いたのは、予想通りローゼンディアだった。
彼女はその赤い瞳をダッツリーに向け、続いて指を突き付けた。
「それは我らに対する侮辱か! 名を捨て従わねば殺すと! ならば最初からそうしていれば良かったではないか!」
一度命を救っておきながら、名誉を殺すか命を捨てるか選ばせる。ローゼンディアには理解しがたいことだった。彼女の一族であるならば、少なくとも相手の名だけは守ろうとする。間違っても命と天秤にかけるようなことはしない。
しかし、それはあくまでもローゼンディアたちの法であった。
「我国にはあなた方を定義する法がない。異なる世界から来たとして、あなた方はこの世界に現われた時点で我国の領土を侵した。ここまでであれば事故として処理することもできたが、続けて我国の安全保障に関わる軍事施設を武力によって制圧し、民間人に対しても明らかな軍事行動を行っている」
ダッツリーはそう説明しつつ、ローゼンディア以外の魔王の姿を見た。
他の六人はローゼンディアほど激しい感情を抱いている様子はない。
「あなた方が生きるために仕方がなく行動したとしても、我々にはそれを裁くだけの権利がある。あなた方に生き残る権利があったとして、それはあなた方と戦って散った我国の民も同じことだ」
「では何故、我らの名を排除しようとする! 我らが弱小の魔王だとしても、この名は代々に渡って受け継いできた誇りだ! それを奪うことは、我らの歴史を否定し、存在理由を奪うことだぞ!?」
「魔王と名乗りたければ名乗ればよろしい。しかし、我々は我らが法によって公的にその名を認めることはできないし、保証することもない」
皇族や貴族、士族の称号については、皇国の法は気が狂っているのではないかと言われるほどに細かい規則を作っていた。その中の根底を成すのが、称号の発生条件だ。
「我国において、社会的に保証されるあらゆる称号は皇王陛下によって与えられるものだ。あなた方が然るべき行動を見せ、自治権を持つ領土を与えられたならば、その領土に付属する称号として好きな名を称せば良い。我々はあなた方が与えられた法に背かない限り、それを掣肘することはしない」
「あたえ……!」
ローゼンディアの顔が真っ赤に染まっていく。自分たちの誇りを一度取り上げ、恩着せがましく与えるなどと言われては、彼女の怒りは高まるばかりだ。
「おい!」
ビーは慌てたように後輩を振り返ったが、しかし彼も自分たちの決定を覆すつもりはなかった。もっとも、その権限さえなかったが。
「我らが戦ったのは、君たちの軍でいいのか?」
これまで黙っていたチェルノが突然口を開き、そう訊ねる。さらに言い募ろうとしていたローゼンディアは、同輩の行動に気勢を削がれ、口を開閉して固まっている。
「はい」
ダッツリーの回答に、チェルノは周囲の魔王たちに顔を向ける。
「我々の主力であった三大部族は消滅し、残ったのは数千の民。戦士たちだけならば千にも満たない。ローゼンディア、我々の持つ手札は何だ?」
細い指をローゼンディアに向け、チェルノは更に問う。
「いいや、そもそも我らは手札を持っているのか?」
「う……」
ローゼンディアは言葉に詰まった。
その代わり、ヒナゲシが口を開いた。
「我々が用いる煉の法。火を、水を、土を、風を操るあらゆる煉の法が使えなくなっている中で、ヴァジェの魔王は何を成せると思う」
じっと見詰められたローゼンディアが、力なく座り込む。
彼女の拠り所であるはずの魔王の力は、すでに存在しない。だからこそ、彼女は名に拘ったのかもしれない。
「煉の法だけではない。我らのような内煉の術の使い手も、その力を失っている」
ファルシャイルが平坦な声で言えば、クリューナとタタルが同意するように頷いた。
「加護を失った今の我々は、人間たちと大して変わらない脆弱な存在だ。その命を保証できるのは、名ではない」
「その加護の根源である煉黒の神も、すでに彼らの手に落ちている。しかも、望んでそのような形に落ち着いたと聞く、煉黒の神にとって、我々はもう守るべき民ではないんだ」
ふたりの魔王の言葉は、自分たちの存在の根底を自ら崩すようなものだった。
恐れ崇めてきた存在が、他の何者かに屈する。
そんな彼らを支えているのは、奇しくも意味を失った魔王という肩書きと、民たちであった。
「選択肢はない。最初から」
ファティアが呟けば、何人かの魔王は同時に深い溜息を漏らした。
彼らも状況はよく分かっている。分かっているからこそ、皇国に降るという選択をすることができたのだ。
「我々が君たちに渡せるものは、この身以外にない。それでも君たちの王は我々を受け入れるの?」
ローゼンディアが苦悶の表情を浮かべ、ビーとダッツリーに訊く。ふたりはこればかりは自信があるといった表情で、頷いた。
「それでこそ我らが同胞に相応しい。何せ我々も――いや私も、二〇〇〇年前は身一つしか持たない子どもであったのだから」
ビーは森エルフの特徴である耳を動かしながら、小さく笑う。
小さな革鞄に僅かな道具を詰め込み、北の地から星と龍の旗を目指して家族と歩いた。それを思い出し、彼は魔王たちに言った。
「あなた方は私の後輩です。だから、これだけは言わせて頂きたい」
魔王たちが訝しむのも構わず、ビーは言った。
二〇〇〇年前、丘を越えた先の村で人々が口にした言葉だった。
「『ようこそ、我らが望んだ我らの故郷へ』――今は、とりあえず、それで良いじゃありませんか」
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