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第四章:万世流転編
第七話「灯る宿命」 その四
しおりを挟む上空から一気に駆け下り、翼に展開した高圧の魔素による斬撃を見舞う。
それは皇国の空軍龍にとっては比較的定番の攻撃方法であり、砲撃が躊躇われる際には特に多用された。
今回の戦場は皇都の眼前であり、眼下に広がるのはほぼ総てが皇王家の天領だった。彼らが無意識のうちにそれらに攻撃を加えることを躊躇っていたとしても、何ら不思議ではない。
「奇数制空隊は敵を足止めしろ! 偶数隊は援護に回れ!」
ゲルハルトの命令は簡潔なものだった。相手が単体である以上、余計な言葉を加えるよりも、彼が鍛えた龍たちやその乗り手を信頼し、任せた方が動きやすい。
度重なる訓練で染みついた連携によって、ほんの僅かな間隙を大柄な飛龍が擦り抜け、または誘導魔導弾が絡み合う。
その戦闘空域の密度は恐ろしいまでに高まっていた。手を伸ばせば僚騎に触れられるような狭い戦場。
この果てしない大空の中で、彼らは籠に囚われた鳥の如く振る舞っていた。
そこに不満がないと言えば嘘になるだろう。だが、それ以上に昂揚感があった。
自分たちが積み重ねてきた訓練が無駄ではなかったと証明することができる。彼らの心にはそんな感情が確かに存在した。
彼らは空を舞い、ゆっくりと皇都へと向かう光球に向けて様々な攻撃を放つ。
放たれた誘導魔導弾が投網のように広がり、再度光球に向けて収束して直撃する。
口腔内に生成された粒体魔素を剣のように振り回し、それを光球に叩き付ける。
光の檻を形成して紅の光球を閉じ込め、その中に莫大な魔力を収斂させる。
一対多数の邀撃戦から近接格闘戦。龍族や神族などの力ある種族にも傷を負わせることのできる殲滅戦術まで、彼らは自分たちが培った総ての戦術を以て戦いを進めた。
しかし、攻撃を加え続けたことで分かったことがある。
「決定打にはならんか!?」
ゲルハルトは一時その場を離れ、皇都と光球の間で滞空した。
部下たちの攻撃は間違いなく敵に命中しているし、一時的には敵の動きを止めることに成功している。
だが、それ以上の効果は上がっていない。それどころか、こちらが一方的に疲弊しているだけのようにも見える。
「大佐!」
部下のひとりが彼の横に浮かび、龍眼を向けてくる。
若い龍族の男で、ゲルハルトが直接指導する前線戦域管制を得意とする制空騎だった。上空にいる戦域情報管制騎との次元通信経路を持ち、それによって前線指揮を行う小隊長のひとりでもある。
「今、管制騎の分析が出ました。こちらの攻撃は確かに命中し、一時的には敵に損害を与えています。ですが、それはあくまでも表層のみ!」
ゲルハルトの意識領域にも同じ管制騎からの分析映像が投影される。それは確かに、先ほどの報告通りの結果を示すものだった。
彼らの攻撃は敵に命中した瞬間、対反応を起こして消滅している。
「相殺……まさかそんなことが……」
ゲルハルトはその事実に言葉を失った。
彼我の保有総純粋熱量の差には、ただ慄然とするしかない。
同じ現象は強大な力を持つ存在との戦いでも発生する。
古の神々や始祖の龍、根源の魔、創世の霊たち、或いは四界の主やそれに準じる力を持つ者たちだ。彼らが皇と仰ぐ存在や四龍の公爵も、一歩劣るがそこに含まれる。
「相殺だけか」
分かりきったことだが、ゲルハルトは自分たちの行動が足止めにしかならないことに強烈な不満を抱いた。
もしかしたら、競り勝つことはできるかもしれない。彼自身も四龍の公爵とは行かないまでも、それと比較できる程度の力は持っている。
「クソッ!」
「大佐、このままではいずれ押し通られます。最悪、自決隊を編成しての空間相転移さえ考えなくては……」
「分かっている! そうなったら俺が先陣を切る」
魔導炉を用いた広範囲の次元相転移は、龍族でも同じことができる。それさえもあの敵には相殺されるだろうが、それを一時的にでも上回ればあの存在を物質の存在を許さない空間の狭間に放り出すことも可能だ。
だが今は、まだ諦めるには早過ぎる。
今この瞬間まで積み上げてきた経験は、ただ一体の敵と相打つためのものではなかった筈だ。
「まだだ……まだ手はある……!」
ゲルハルトは呟き、強い意志を籠めて唸る。その喉から響く低い低い呻り声は、空気の振動となって周囲へと広がっていく。そのゲルハルトの闘志の発露とも言うべき音に、彼の部下たちは己の声を重ねた。
空間が軋みを上げる。
彼らは龍である。精神の生き物である。その意思がただの音である筈もない。
彼らの心は世界へと響き、世界を変える。
敵がどれほどの力を持っていようとも、ここは彼らの故郷であり、本能の奥底から守りたいと思う場所だ。
「退かん、俺は退かん」
何かを願うまでもなく、ここは彼らのいるべき場所なのだ。
その意思が声となり、周囲の空間を変質させていく。
「我々が本質の異なる神々を容易く喰らう理由。思い出せ。我らが何故、あの世界の壁の向こうにいる者たちから恐れられるのか!」
世界が変質する。
龍たちの戦場。龍たちが望んだ戦場。
〈覇龍領域〉――龍の、龍による、龍のための世界。
そしてそれは、彼女が望んだ戦場だった。
『――ああ、大変よろしくてよ。ゲルハルト』
そんな声が、龍の世界へと響き渡る。彼らの重なり合った声を容易く押し退け、優しく彼らの耳を撫でていく。
「――!!」
ゲルハルトはその場で傅きたくなった。
力が迫ってくる。皇都からゆっくりと巨大な力が来る。
隣にいる若き龍は戸惑ったように羽ばたき、それでもその場から動くことはない。ゲルハルトはその一事でも、この若い後輩を大きく評価した。
『皆様もありがとう。わたくし、〈覇龍領域〉を造るのがあまり得意ではないの』
ゲルハルトは龍の姿でありながら、息苦しさを感じざるを得ない。
あの皇都奪還の戦いなど、彼らにとっては被害を防ぐために力を抑えに抑えた戦いでしかなかったのだ。
「は……」
ゲルハルトは牙を剥き出し、笑みを浮かべて見せる。
それはそうだろう。彼らが〈覇龍領域〉を作り出せば、それは大陸ひとつを呑み込んでも余りある。
この国が興るよりも以前は、複数の領域が互いに干渉し合うことで全体の領域拡大を防いでいただけだ。
『少し離れていてくださる? あの方にお願いされてしまったの』
声が近付いてきた。
そして同時に、巨大な暴威が迫ってくる。
「総員、領域の維持に任務を変更する。周辺への被害を抑え込め」
ゲルハルトはそう部下たちに命じた。
部下たちは、ひとつの不満も見せずに光球の周囲から離れていく。彼らも分かっているのだ、今ここに近付いてきているのは、逆鱗を思い切り叩かれた千年龍だと。
「おい、行くぞ」
ゲルハルトは隣の部下を一瞥し、促した。しかしその部下は、皇都の方へと顔を向けて動かない。
ああ、魅入られているのかとゲルハルトは嘆息した。
彼はその太い尾で部下の脳天を思い切り叩き、そのまま首に巻き付けて上空へと逃れた。
暴れる部下を視界の端に捉えながら、彼は眼下を見る。
蒼の光を纏った蒼龍の長が、己の魔力を集めて作ったらしい十二本の光の尾を蠢かせながら光球へと向かっていく。
あの尾のひとつでも、ゲルハルトを消滅させるだけの力を持っている。
単純な総出力ではカールやフレデリックに劣る彼女だが、力を制御し、一切の無駄を取り除くことでその二人以上の力を操るのである。
『陛下の勅命。あの方の願い。ふふふ……どちらも同じだなんて、わたくし嬉しくてしょうがないわ』
だって、護国の龍としても、ただの女としても存分に戦えるのだから――その言葉を心に秘め、しかし彼女は後宮に向けて指向性を持った龍気を発する。
自分の半分から百分の一も生きていない小娘たちに世の物事を教えてやろうという、悋気であったのかもしれない。
『じゃあ、踊りの相手をしてあげる』
十二本の尾が大きく撓うと、空間を走って紅の光球を縛り上げる。そしてこれまでほとんど軌道を逸らすことのできなかったそれを、彼女は力任せに地面へと放り投げた。光球が向かう先は、先の皇都での戦いの戦場となり、今も荒れ地のまま回復を待っている一帯であった。
衝突と同時に轟音が響き、地面に巨大な孔が口を開ける。そこに向かってマリアが飛んでいくと、ゲルハルトはもう、その時点で大きな諦念を抱くしかなかった。
今頃皇城には、マリアをすぐに止めろという通信が入っていることだろう。
若い頃から今に至るまで、彼女に挑んでは伸され続け、ただひとつの勝ち星さえ得ていないカールとフレデリックの悲鳴だ。
〈全軍、巻き込まれるな〉
そんな通信が皇都から飛んできても、ゲルハルトたちはどうすることもできない。
彼らはマリアに領域維持を要請されている。それを中断してまで逃げるなど、恐ろしくて考えることさえできはしない。
だから彼は願うのだ。陛下、やり過ぎる前に止めてください、と。
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