白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第四話「誰がための戦い」 その一

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 ごう、と寒々しい風が頬を撫でていく。
 エミールは魔動式甲冑の防寒機能をひとつ上に引き上げ、妻が恋人時代に贈ってくれた襟巻きを直した。すでに甲冑を全身に纏っているため、襟巻きにさほどの意味はない。しかし、いつもの癖でそうしてしまった。
 基地の中は喧噪に包まれているが、どこか寂しげであった。これまで基地にいた者たちがそれぞれの役目を果たすために離れていったからだ。
 その中には、自分の妻や、基地に残った者たちの家族を守る部隊も含まれる。
 別れを惜しむ時間などなく、今エミールと共に基地に残った者たちの多くは、特別な家族との別れを行っていなかった。
 ただ一言「行ってくる」と家を出た者。
 いつものように家族の食事を用意して、家族を起こさないよう静かに出てきた者。
 明日の予定を家族に問われ、分からないと言って出てきた者。
 仕事ばかりだと家族に文句を言われながら出てきた者。
「――忘れてた」
 軍人たる者、それが今生の別れになることを常に想定しておくべし。
 どの軍学校でも学ぶごく基本的なことさえ、この後方の基地では忘れられていた。
 思い出したときには、もう遅かった。
「おい、どうだ?」
 自分が指揮を執る壕に入り、階段代わりの土嚢のひとつに腰を下ろす。
 すると円匙がひとつ壁際に立てかけられていたので、それを工具入れに放り込んだ。がらん、と金属音が響き、壕の中にいた彼の部下たちが一斉にエミールに目を向ける。
「――どうもこうも」
 エミールの班で副長を務めるブリック・ホルンが鉄兜の頭を掻きながらぼやく。
「これから死ぬってことに耐えられなかった若い奴がひとり逃げた途端に“処理”されて、もう逃げだそうって奴は残っていない。良かった良かっためでたしめでたし、だぜぇ?」
 呼吸器を外して煙草に火を付けるブリックの肩部装甲に刻まれた三三六の文字。彼自身を表すその認識番号は今、一本の深い傷で縦断されている。
 基地の地下にある魔導炉を自爆させるため、回路の反転作業が今も進められている。それが終わり、魔導炉を臨界駆動させれば、基地周辺の半径二キロメイテルが物質の存在を許さない異相空間へと変化する。
 彼らの亡骸は残らない。
 基地も、村の過半も、残らない。
 生命、覚悟、思い出、それらを代償にほんの僅かな時間を稼ぐ、それが今の彼らの生きる理由だった。
「ブリック、そいつを吸ったらもうやめておけよ。連中、熱でも認識するらしい」
「これだけ大仰な迎撃準備してるんだから、今更ってもんだろうがよぉ」
 基地周辺を走り回る装甲車輌も兵士たちも、まるで熱に浮かされたかのように動き回っている。
 自分たちの終わりが近付いているというのに、遠足の前日の子どものように楽しそうに見える。
「どいつもこいつも莫迦じゃねぇ」
 ブリックは煙草を手の甲の装甲板に押し付けて消し、装甲呼吸器を付け直す。くぐもった笑い声と共に肩を揺らし、この上なく楽しそうだった。
「ま、逃げ場なんてありゃしない状況だからな、無理もねえかぁ」
 ここで逃げたとしても、その先に待っているのは死である。
 結局、彼らに残された自由は、いつ死ぬかという一点のみであった。
「お高い俸給貰ってたんだ、それこそ、俺みたいな若い兵士でも所帯を持てるくらいな」
 エミールは連弩の遊底を引き、こびり付いた泥を払った。
 誰も口にしないが、もう基地には彼らを逃がせるだけの馬も車輌もない。兵員輸送車は村人を避難させるために使ってしまった。
 エミールは自分の妻が無事に逃げられるだろうかとは考えない。彼が考えるのは、自分たちがここで持ち堪えなければ、妻たちが確実に死ぬということだけだ。
 戦って死ぬことしか、もう彼らにはできない。
 逃げるという命令は受けていない。
「――お」
 ブリックが顔を上げる。
 基地の放送塔から、基地司令の従兵の声が聞こえた。
〈目標の先頭が、第一地雷原に突入します。各砲座は安全装置を解除。各員は所定の位置にて合戦用意〉
 やれやれと頭を振りながら、ブリックが壕の中を歩いて行く。
 首から掛かっている認識票はすでに片割れ。軍はもう、彼らを死人と看做している。
 国土防衛のための尊い犠牲だ。本人や家族たちがどう思おうと、彼らに与えられる最後の肩書きはそれである。
 その肩書きの価値を決めるのは、たったひとりの青年だった。
「称えよ、称えよ、称えよ! 我ら死人なり! 我ら護国の鬼なり! 我らの前に敵は有り、我らの後背に民は有り! なれば我ら、この地より一歩たりとて退くことはなし!」
 ブリックは誰に告げるでもなく、ただ陸軍歩兵学校で叩き込まれた護国歌を諳んじる。だが、その声は壕の各所に伏せていた兵士たちの口を動かした。
「我ら死人なり! 我ら皇国軍人なり!」
 せめて、死する自分たちが何者かだけでも知っていて欲しい。
 護国歌を作り上げた人物の願い通り、兵士たちは自分たちが皇国の兵として死ぬのだと自覚した。
〈――貴様ら! 往くぞッ!!〉
 放送塔から響いた基地司令の宣言を合図に、地雷の炸裂する轟音が澄んだ寒空に響いた。

                            ◇ ◇ ◇

 次々と宙を舞う敵の影が、爆炎の向こうに踊る。
 獣のような姿の影もあれば、人のような影も、この世のものとは思えないようなおぞましい影もある。
 兵士たちはその様を見ても、歓声ひとつ上げることはできなかった。
 爆炎によって照らし出された前方の荒原が、整然と突き進んでくる異形の軍勢に埋め尽くされていたからだ。
「ははッ、あんだけ爆撃されても動揺ひとつしねぇ」
 ブリックの隣で多砲身魔導砲を構えた兵士が、上官の言葉に顔を顰める。確かに敵の軍勢は、常に空軍の爆撃に晒されているというのに、その進軍速度がまるで変わらない。
 味方の死体を踏み潰し、時折上がる雄叫び以外は静かに進軍を続けている。
「おいマール。ここに居て良かったな。あんな連中相手にするなら、玉砕の方がまだ気が楽だとは思わねぇか?」
「――はい、あれに勝てと言われるくらいなら、勝つために負けろと言われた方が気分は楽です」
 勝つ術が見いだせない相手というのは、軍学校でも何度か目にした。
 種族の差、才能の差、単純な運の差。
 生物には、どう足掻いても勝てない相手というのが存在する。
 彼らの目の前にいるのは、そういう相手だった。
「六本足の蛭に二本足の蟲、空飛ぶ生首に人の顔をした大蛇。映画でももう少し遠慮するわなぁ」
 ブリックはそう笑い、隣の壕で敵を眺めるエミールの姿を見た。
 家族を持った孤児は、果たしてあの敵を自分の大切な者の下へと通すだろうか。
 貧乏農家の次男坊で、仕方なく軍に入った自分とは違い、自分の命以外に何も持たなかった頃を知るエミール。何も持たないことの空しさを自覚したあの男は、何よりもそれを恐れるだろう。
「よぅし、お前ら引き金に指掛けろぉ」
 ブリックは肩に担いでいた大口径連弩を土嚢の上に置き、部下たちにもそれを命じた。
「お前らは運が良い。撃てば当たる。撃てば守れる。撃てば正しい。こんな楽な戦場はない」
 ブリックの言葉に、部下たちは黙って息を呑む。
 地面を揺らして次々と地雷原に突き進んでいく敵の軍勢よりも、その状況を楽しんでいる上官が恐ろしかった。
「自裁用の炸裂弾は持ったな? 潰されたり食われたりする前にちゃんと吹っ飛べよ? それさえも正しい! それさえも勅命! お前らの家族は少なくとも、誰かに後ろ指さされることはないだろうよぉ」
 家族は誰かに恨まれることなく、皇王を恨んでいればいい。
〈敵前衛が第三次防衛線を突破。各拠点、全兵装使用許可〉
 放送塔から聞こえる従兵の声は、張り詰めていた。ほんの少しの恐怖と、それを押さえ付けた理性による声だった。
「はっはッ!」
 ブリックは呵々と笑い、総ての壕が金属の擦れ合う音を立てて武器を構え直したのを確認し、引き金に掛けた指に力を込めた。
「そらお前らぶちかませ! 皇王陛下が望んだ俺らの戦争だぁッ!!」
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