白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第三話「来訪者来たりて」 その二

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 その報告が皇国首都〈イクシード〉の皇城に届いたのは、状況発生から僅か一分後のことであった。
 当初陸軍本営に入った急報が、事前の取り決め通りにそのまま皇城の国家安全保障局へと流された形である。
 その情報は即座に皇城の中央演算機へと投入され、各官庁へと必要な情報を送り出す。皇国三院は元より、当然のように皇王府へも情報は伝達された。
「緊急御前会議ヲ招集ス」
 その一報が皇王府皇王官房より発せられたのは状況発生より五分後。
 同時に元帥府に対する対策局設置の勅が下され、それを受けて陸海空の各参謀本部に連結対策局の設置が下令された。
 近衛軍所属の飛龍が御前会議参加者の屋敷や官舎へと飛び、皇城では会議室の準備が整えられる。
 大慌てで登城するであろう参加者とその随員のために待機室と夜食が用意され、当直以外の皇城職員に緊急招集が掛けられたのはちょうどこの頃だ。
 その中に、一等奏任官たる皇王秘書官ルーラ・パリュン・フォズ・キャストール・レヴィアスの姿もあった。
「ルーラ殿!」
 彼女にそう声を掛けてきたのは、内務院の商務庁で第一局長を務める緑鹿獣人の男だった。分岐し、曲がりくねった角がこめかみから突き出している。
「御前会議はいつから……」
「申し上げられません。そのようなことはバイエル局長もご存じでしょう」
 ルーラは皇城の中心部へと向かい、靴音高らかに突き進む。
 バイエルはそれに追従し、少しでも情報を得ようと必死だ。彼の職務上、情報はどれだけあっても多すぎるということはない。
「分かっております! しかし、ブラオンに派遣した当局の査察官からの連絡が異変発生直後の緊急連絡以降途絶えていて……」
「わたくしに伝えられても困ります。然るべき書類を提出なさるか、元帥府か統合参謀本部幕僚に直接お伝え願えますか?」
 ルーラは皇王レクティファールに近しい秘書官として各部署に認識されている。彼女もそれを理解しているし、彼女の上司に当たる宰相ハイデルや皇府ルキーティもその認識を了承している。
 しかし緊急事態ともなれば、それは本来伝えられるべき部署に欠落なく通達されるべきだ。ルーラはあくまでも皇王府の人間である。彼女がその情報を得たとしても、それを伝えるまでにはいくつもの経路を通さなくてはならない。
「いえ、軍の方にはすでに連絡を致しました。ただ、その情報の中に気になる点がありまして、せめてこれだけでも、と」
 バイエルは軍へと手渡した情報と同じものを、ルーラへと押し付ける。
 本来なら越権行為であると処断されることだが、状況如何ではそれを可能とする条文があった。
「――軍勢?」
 ルーラは手渡された情報の中に、軍勢という文字を読み取って険しい表情を浮かべた。これは確実に、ろくでもない状況だ。
「陛下の御気性を考えれば、多少不確実でも早い情報が必要であると愚考した次第です。これに掛る責任は、総て私が……」
 バイエルはそう言って歩調を緩め、ルーラから離れていく。彼女がちらりと背後を見れば、バイエルは近くを通り掛かったらしい外務院の官僚を捕まえて何か申し付けているところだった。
 このときにはもう、皇城の中は官僚や軍人、皇王府職員が走り回る修羅場と化していた。ルーラは奏任官の腕章を直し、胸に付けた身分証を手に取った。この先に検問では一々胸元を確認されるよりも、手に持って提示した方が早い。
 そうして幾つもの検問を抜けた先で、彼女を呼ぶ声があった。
「ルーラ奏任官! お急ぎを!」
 前方で近衛軍の士官が手招きしている。
 御前会議の警備を担当する近衛陸軍の少佐だ。ルーラと同年代の男性で、これまで何度も顔を合わせている。
「残りは!」
「総裁以下の長官級閣僚が何名か、しかし陛下、総裁、元帥、総長はすでに到着されておりますので、一分後には開始すると」
 ほとんど怒鳴り声に近いルーラの問いに、少佐は気圧されることなく答える。遅れた閣僚が遅いのではなく、他が早すぎるのだと彼女は思った。
 誰も彼も仕事が好きでしょうがないと見える。
「分かりました。わたくしはどちらに入れと?」
「会議場へ。情報収集と分析のために陛下の秘書官が足りず、筆頭祐筆として傍に控えよ、とのことです」
 レクティファールの秘書官は政府、皇王府問わずに相当数が皇城に詰めていた筈だが、この大騒ぎの中ではそれでも数が足りないらしい。
 各部署への伝令と調整、情報分析と、皇王官房所属の秘書官の仕事は多すぎる。情報官であるルーラが、御前会議の筆頭祐筆という秘書官としての花形仕事をするほどに。
「それと、こちらを」
 少佐が手渡したのは、極短距離での超秘匿回線を用いた通信機だ。皇城内の一部という狭い範囲しか使用できないが、秘匿性の高い通信を行える。
「各部署からの報告はこちらに上げるよう手配してあります。場合によっては、これを使って陛下のご命令を各部署に直接頂くことになるやもしれません」
 一足飛びの命令はどこの部署でも嫌がられる。
 しかし、それが必要な局面もある。少佐から手渡された通信機から伸びる発音機を耳に付け、聞こえを確かめるべく開閉器を開く。
「――ッ!」
 その瞬間、彼女の耳には怒号が飛び込んできた。
 慌てて通信機を操作し、上級部署からの通信のみに限定するが、それでも悲鳴と怒号が飛び交っているのは変わらない。
「ひどいこと」
「はい、ひどい状況です」
 少佐はぼそりとしたルーラの言葉に心の底から同意しているようだった。
 彼の立場なら、様々な情報に接することもあるだろう。それを聞かなかったふりをするのが、彼の仕事である。
 それがどれだけ急を要する悲痛な情報であっても、彼には何もできない。
「こちらです」
 少佐は表情の消えた顔で、扉の前にルーラを誘導する。
「すでに陛下がお待ちです」
「ありがとう」
「いえ、それでは……ご武運を」
 なんと言えば分からなかったのだろう、少佐は一瞬口籠もり、自分が一番願っている言葉をルーラに向けた。
「はい」
 少佐が扉を開き、ルーラはそこに身体を滑り込ませる。
 扉の鍵が閉じられたのを確認し、ルーラは前方でひとり佇む青年に歩み寄る。
「臣レヴィアス。参りました」
 少佐の言葉通り、このときから彼女の戦いが始まった。

                            ◇ ◇ ◇

 地震のあと、基地司令に呼び出されたとき、彼――皇国陸軍上等兵エミール・ハイマンは嫌な予感を覚えていた。
「おい、お前もかよエミール」
「そうみたいだ」
 自分と同じように慌てて基地司令部に現れた同僚にして上官の陸軍少尉ヴェルナーに対し、エミールは肩を竦めて見せた。上等兵と少尉という階級の違いはあるが、同郷で、同じ初等学校に通っていた仲でもある。
 緊急招集命令を受けて、新妻を起こさないように出てきた。ヴェルナーはそんな彼を責めるような目で見ていたが、命令ならばお互いにそれを拒否することはできない。
「ツェラちゃん泣くぞ、初夜に旦那が逃げ出したなんて知ったら」
「――披露宴が盛り上がりすぎてお預け食らったよ。地震でも起きなかった」
「そりゃすまないことしたな」
 先ほどまで披露宴で大騒ぎしていたヴェルナーがそういって酒精分解薬の錠剤を投げ渡してくる。
「大して飲んでないだろうけど、取り敢えず飲んどけよ」
「ああ、うん」
 遮光袋を千切り、一緒に入っていた胃粘膜保護剤の錠剤と一緒に分解剤を口に入れ、そのまま飲み込む。
 水も欲しいな、と思っていたところに、ヴェルナーが水筒を差し出してきた。
「ほれ」
「用意が良いな」
「宴会のあとだからな、当然だ」
 エミールは水筒に口を付けて水を飲み、口の中にある苦みを押し流す。
 蓋を閉めて水筒を返せば、ヴェルナーは先ほどよりも険しい表情でエミールを見た。
「――俺はさっきまで輸送隊と一緒に居たんだがな、上はだいぶ騒がしい。お前がいるってことは基地の全員が招集されたってころだろう」
「そんなにまずいのか」
 エミールは妻に一声掛けてから出かけるべきだったかと後悔し始めていた。
 起きたら何を言われるか分からないという理由で起こさなかったのだ、これならば起こしていた方があとで文句を言われずに済んだかもしれない。
「まずい、そうとも、大いにまずいんだろう。基地の警衛隊に輸送隊、ついでに医療隊へ移動命令が出た」
「移動?」
 ヴェルナーはエミールを廊下の暗がりに連れ込み、ささやくような声で続けた。
「後方だよ、この要塞国土の後方。俺たちの言葉なら一級要塞都市〈コロンホルム〉へだ」
 建造当初の目的は西方と北方の双方へと睨みをきかせることだった要塞都市〈コロンホルム〉であるが、現在では後方扱いされて久しい。
 北の最前線はより北へと押し上がり、西には皇国に喧嘩を売るだけの気概を持った国は現状存在しない。そのために〈コロンホルム〉は、物資輸送の拠点として支援要塞都市と区分されていた。
「〈コロンホルム〉は大騒ぎだよ。〈ヘルミナ〉もそうだ。どっちも陸空の増援部隊が大挙して押しかけてる。ついでに〈ウォルドヌング〉まで海軍の陸戦師団まで出張るとか言ってるぐらいだから、とんでもないことだ」
 エミールは本当に後悔した。
 これは非常に不味い状況だ。妻に怒られて実家に告げ口されることなど恐れるべきではなかった。起こしてきちんと別れの言葉を告げておくべきだった。
「――ヴェルナー、僕はもう一度家に戻れるか?」
「難しいぞ、気持ちは分かるし、俺が基地司令なら許可してやってもいいが」
 友人の顔に気遣いが垣間見え、エミールはかっと顔面に血が上るのを感じた。
 ヴェルナーも妻と子どもを家に置いてきたはずだ、自分よりも守るものが多い。その内心は如何ばかりか。
「すまない、お前も同じなのに……」
「気にするなよ、流石に新婚なら俺だって気を遣うさ。俺がそうして貰ったみたいにな」
 肩を叩かれたエミールは何とか笑みを浮かべたが、その内心は動揺すること夥しい。何が正しいのか分からない。どうするべきなのか分からない。
 ただ確実に言えることは、人間エミールが何をするか分からなくとも、軍人エミールにはすべきことがあるということだ。
〈基地所属各員は食堂に集合。繰り返す、基地所属の全員は食堂に集合せよ〉
 構内放送がエミールの背を叩き、軍人としての役目を求める。
 ヴェルナーは一瞬エミールを痛ましげに見詰めたが、すぐにその背を押して歩き出した。
「お前がどうこうなるとは限らないだろ? 移動する部隊にくっついていく可能性だってある」
「嫁と一緒ならどこでもいいさ」
 エミールはそう軽口を叩いたが、実際にそのような事態になれば自分はどうするだろうと考えた。
 先ほどの話を聞けば、まるで基地を放棄するかのようではないか。
 そうなれば当然、災害時規定の通りに近隣の民間人も保護して一緒に移動させることになる。
「俺からもそう上申してみる」
「――済まない」
 エミールは心の底から友人に礼を言った。
 皇都の高等学院に通うからと分かれた友人が、いつの間にか士官となって帰ってきた。友人でいられるか不安だったエミールに、ヴェルナーは子どもの頃と変わらず接してくれる。自分は良い友人を得た。
「いいさ、ツェラちゃんに頼まれてるからな。旦那をくれぐれもよろしくって」
「そうかい、それは心強いね」
 エミールは背中を押されながら食堂へと進んでいく。
 彼にはその道程が、泥濘んだ道のように感じられた。
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