白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二話「日常と非日常の境界」 その二

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 皇都北西部。
 様々な種類の作物が春を待ち侘びる広大な農場の片隅に、皇王家の別業がある。
 元はある貴族の妾宅であったが、その貴族がこの場所で愛妾に殺されてしまい、結果誰も買い手が付かずに皇王府が買い上げるしかなかったのではないかと言われる曰くつきの建物だ。
 もっとも、現在のこの別業の持ち主は、そんな噂を気にも留めていなかった。それが事実であろうと、皇王府が民間人を遠ざけるために流した噂であろうとも、この別業が彼の好みに合致した施設であることに変わりはない。
 管理人を務める元近衛軍人の夫婦に庭園を案内されたレクティファールは、しっかりと指を絡めてアリアの手を引いた。
「急に呼び出して申し訳ない」
 庭園の中を歩きながら、レクティファールはアリアに謝った。
 今朝になって突然舞い込んだ公務に、アリアを巻き込んだことへの謝罪だった。
「いいえ、こうしたときにお呼び頂ける。それだけでわたしはとても幸せです」
 アリアはレクティファールに身体を預けながら、心の底から幸せそうな笑みを浮かべた。
 確かにお付の乙女騎士から公務の連絡を受けたときは驚いた。
 その内容が隣国の議員との会談と聞き、さらに驚いた。
 非公式の会談とはいえ、こういった場であれば正妃を伴うのが通例である。
 しかしその理由が、相手の議員の立場を鑑みてのものだと聞き、納得した。これは相手への気遣いも兼ねているのだ。
「野党……というのはあまり馴染みのない言葉ですが、こうして陛下と言葉を交わされるならば、きっと大切なお方なのでしょう」
 レクティファールはそれには答えず、ただ曖昧に笑ってみせた。
 妃は政に関わらせない方が良い。それは妃自身のためだ。
「あちらには奥方がいる。女性ひとり、除け者にするのはあまり褒められた態度ではないでしょう?」
「ええ、わたしならば拗ねてしまうかもしれませんね」
 アリアはそう言って戯けてみせたが、レクティファールが自分に、もうひとつの外交を行えと言っているのだと確信した。
 政事ではない外交。奥同士の繋がりを持てということだ。
 アリアはその言いようのない緊張感に身を固くした。だが、繋がった手のひらから伝わる自分のものではない体温が、その緊張を解していく。
「今夜はアリアの手料理を頂きたいものです」
 会談のあとは、このまま別業で過ごすらしい。
 アリアはその言葉に込められた願いを察し、手を強く握り返した。
「はい、夕餉も酒肴も、腕によりをかけて」
 そして一日の仕上げとなる己自身の味も、きちんと整えてみせよう。
 後宮にいる正妃。そして伝言を頼んだ軍人側妃。彼女たちよりも洗練された味を堪能してもらおう。
「それは楽しみだ。では、それに見合った働きをしようか」
 レクティファールはそう答え、アリアを伴って本邸へと向かう。
 来客の名はイノーウィック・ノルディング。元映画俳優という異色の経歴を持つ、隣国〈アルストロメリア民主連邦〉の下院議員だった。

                            ◇ ◇ ◇

 イノーウィック・ノルディングは焦っていた。
 彼自身、まさか隣国の元首に目通りが叶うとは思っていなかったのだ。
 学生時代を過ごした皇都に妻クラウディアとともに古い友人を訪ね、その友人が集めた懐かしい顔ぶれと酒を飲み交わした。その席で酩酊のまま、皇王へ目通りができないものかと零した。
 そのつぶやきを現在は皇王府で外交調査を担当する友人に聞かれ、その友人が上司である総裁にそれとなく伺いを立てた。
 普通なら、そこでこの話は終わっていただろう。イノーウィックは所詮、当選二回の若手議員である。わざわざ皇王府総裁が、すでに固まっている皇王の予定を変更してまで会談させる訳がない。
 そう思っていた――否、自分の言葉さえ忘れていたイノーウィックの元に、今朝方皇王からの招待状が届いた。
 彼自身は外出していたため、招待状を受け取ったのはクラウディアであったが、どうやら招待状を持ってきたのは皇王府の派遣した正式な使者らしく、イノーウィックが話を聞いただけで卒倒しそうな瀟洒な制服を纏い、護衛の近衛軍の軍人も伴っていたと興奮した様子で話した。
 確かに使者は職務を果すまでは皇王の代理人である。そのために相応の姿格好を求められ、安全確保のための護衛も付く。
 問題は、対応したのがそういったものごとに疎いクラウディアであったことだが、これはもはやどうしようもない。
 相手方も、訪ねる先のことは調べていただろう。クラウディアがこういったやり取りに疎くても、納得はしているはずだ。
 そうでなければ、困る。
 イノーウィックは皇王府差し回しの魔動車に揺られて到着した邸宅の中で、そう自分に言い聞かせていた。
「うわ、うわ! 何これ水晶? 色が付いてて綺麗ね!」
「頼む、頼むから静かにしていてくれ」
 結婚してそれほど経っていないが、付き合いの長い妻の気性はよく分かっている。
 学生時代に知り合い、俳優として身を立てたあと交際を申し込み、政治家になってから結婚を申し込んだ。
 肩書きがなければ何もできないのかと問われたこともある。そして、その通りだと答えた。
 イノーウィックは自分自身の身の振り方であれば即決できるが、他人の人生を預かることには恐怖を抱く種の人であった。
「弁償なんてことになれば、議員辞職ものだ。壊すなよ」
「お忍びで来てるんだから、大丈夫じゃないの?」
「それは先方の決めることだ。こっちは平議員、向こうは大国の元首! 我が国の大統領閣下、あの無能で無策で無思慮の塊の中年女よりも遥かに天上にいるんだ!」
 イノーウィックも精神的に追い詰められていたのかもしれない。
 そうでなければ、異国の地で自国の国家元首を貶すことなどなかった。
 もしも、彼をこの状況に追い込んだ妖精族の長老が、彼のそんな精神状態さえも計算していたと知れば、イノーウィックは怒りを超えた感情を知ることになるかもしれない。
「さっき侍従の者に聞いた話では、皇妃アリア様が同道されている。お前はアリア様と世間話を……いや、料理の話でもしていろ、余計なことは言うな」
「えぇ……、折角皇妃様とお話できるのに……」
「分かった! お前には期待しない! 好きなだけ話せ」
「うわーい」
 両手を上げて喜ぶ妻に、イノーウィックは頭を抱えざるをえない。
 クラウディアは決して思慮に欠ける女ではない。ただその思慮が、余人の理解を遥かに超えるものであるだけだ。
 大学と大学院時代、魔導工学に関する十を超える博士号を、まるで射的の景品のように獲得していたクラウディア。
 国の宝とさえ言われていた彼女だが、いざ大学院を出てしまえば、荒唐無稽な理論をぶち上げる悪い意味での天才だった。
 学会から爪弾きにされても気にせず、イノーウィックに新理論を語るだけで満足している。それではもったいないと思い、こうして魔導工学の先進国である皇国に足を伸ばしてみたが、思わぬ展開に陥ってしまった。
「とりあえず、全力で頭を下げる。九〇度で」
「直角だよ、それ」
「分かってるよ!」
 いずれは相応の肩書きを持って顔を合わせたいと思っていた相手だ。この機会を幸運だと思い、存分に活かすしかない。
「――皇王陛下、準皇妃殿下、お着きです」
 侍従官の声が部屋に響き、イノーウィックとクラウディアはそれぞれ緊張と期待に表情を変える。
「わーい」
「――俺ならできる、俺ならできる。思い出せ、ここは撮影所だ。俺はこれから演技をするんだ」
 はしゃぐクラウディアと自己暗示を始めるイノーウィック。
 十年後には大統領と大統領夫人になる夫婦の、とある昼下がりだった。
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