331 / 526
第四章:万世流転編
第二話「日常と非日常の境界」 その二
しおりを挟む皇都北西部。
様々な種類の作物が春を待ち侘びる広大な農場の片隅に、皇王家の別業がある。
元はある貴族の妾宅であったが、その貴族がこの場所で愛妾に殺されてしまい、結果誰も買い手が付かずに皇王府が買い上げるしかなかったのではないかと言われる曰くつきの建物だ。
もっとも、現在のこの別業の持ち主は、そんな噂を気にも留めていなかった。それが事実であろうと、皇王府が民間人を遠ざけるために流した噂であろうとも、この別業が彼の好みに合致した施設であることに変わりはない。
管理人を務める元近衛軍人の夫婦に庭園を案内されたレクティファールは、しっかりと指を絡めてアリアの手を引いた。
「急に呼び出して申し訳ない」
庭園の中を歩きながら、レクティファールはアリアに謝った。
今朝になって突然舞い込んだ公務に、アリアを巻き込んだことへの謝罪だった。
「いいえ、こうしたときにお呼び頂ける。それだけでわたしはとても幸せです」
アリアはレクティファールに身体を預けながら、心の底から幸せそうな笑みを浮かべた。
確かにお付の乙女騎士から公務の連絡を受けたときは驚いた。
その内容が隣国の議員との会談と聞き、さらに驚いた。
非公式の会談とはいえ、こういった場であれば正妃を伴うのが通例である。
しかしその理由が、相手の議員の立場を鑑みてのものだと聞き、納得した。これは相手への気遣いも兼ねているのだ。
「野党……というのはあまり馴染みのない言葉ですが、こうして陛下と言葉を交わされるならば、きっと大切なお方なのでしょう」
レクティファールはそれには答えず、ただ曖昧に笑ってみせた。
妃は政に関わらせない方が良い。それは妃自身のためだ。
「あちらには奥方がいる。女性ひとり、除け者にするのはあまり褒められた態度ではないでしょう?」
「ええ、わたしならば拗ねてしまうかもしれませんね」
アリアはそう言って戯けてみせたが、レクティファールが自分に、もうひとつの外交を行えと言っているのだと確信した。
政事ではない外交。奥同士の繋がりを持てということだ。
アリアはその言いようのない緊張感に身を固くした。だが、繋がった手のひらから伝わる自分のものではない体温が、その緊張を解していく。
「今夜はアリアの手料理を頂きたいものです」
会談のあとは、このまま別業で過ごすらしい。
アリアはその言葉に込められた願いを察し、手を強く握り返した。
「はい、夕餉も酒肴も、腕によりをかけて」
そして一日の仕上げとなる己自身の味も、きちんと整えてみせよう。
後宮にいる正妃。そして伝言を頼んだ軍人側妃。彼女たちよりも洗練された味を堪能してもらおう。
「それは楽しみだ。では、それに見合った働きをしようか」
レクティファールはそう答え、アリアを伴って本邸へと向かう。
来客の名はイノーウィック・ノルディング。元映画俳優という異色の経歴を持つ、隣国〈アルストロメリア民主連邦〉の下院議員だった。
◇ ◇ ◇
イノーウィック・ノルディングは焦っていた。
彼自身、まさか隣国の元首に目通りが叶うとは思っていなかったのだ。
学生時代を過ごした皇都に妻クラウディアとともに古い友人を訪ね、その友人が集めた懐かしい顔ぶれと酒を飲み交わした。その席で酩酊のまま、皇王へ目通りができないものかと零した。
そのつぶやきを現在は皇王府で外交調査を担当する友人に聞かれ、その友人が上司である総裁にそれとなく伺いを立てた。
普通なら、そこでこの話は終わっていただろう。イノーウィックは所詮、当選二回の若手議員である。わざわざ皇王府総裁が、すでに固まっている皇王の予定を変更してまで会談させる訳がない。
そう思っていた――否、自分の言葉さえ忘れていたイノーウィックの元に、今朝方皇王からの招待状が届いた。
彼自身は外出していたため、招待状を受け取ったのはクラウディアであったが、どうやら招待状を持ってきたのは皇王府の派遣した正式な使者らしく、イノーウィックが話を聞いただけで卒倒しそうな瀟洒な制服を纏い、護衛の近衛軍の軍人も伴っていたと興奮した様子で話した。
確かに使者は職務を果すまでは皇王の代理人である。そのために相応の姿格好を求められ、安全確保のための護衛も付く。
問題は、対応したのがそういったものごとに疎いクラウディアであったことだが、これはもはやどうしようもない。
相手方も、訪ねる先のことは調べていただろう。クラウディアがこういったやり取りに疎くても、納得はしているはずだ。
そうでなければ、困る。
イノーウィックは皇王府差し回しの魔動車に揺られて到着した邸宅の中で、そう自分に言い聞かせていた。
「うわ、うわ! 何これ水晶? 色が付いてて綺麗ね!」
「頼む、頼むから静かにしていてくれ」
結婚してそれほど経っていないが、付き合いの長い妻の気性はよく分かっている。
学生時代に知り合い、俳優として身を立てたあと交際を申し込み、政治家になってから結婚を申し込んだ。
肩書きがなければ何もできないのかと問われたこともある。そして、その通りだと答えた。
イノーウィックは自分自身の身の振り方であれば即決できるが、他人の人生を預かることには恐怖を抱く種の人であった。
「弁償なんてことになれば、議員辞職ものだ。壊すなよ」
「お忍びで来てるんだから、大丈夫じゃないの?」
「それは先方の決めることだ。こっちは平議員、向こうは大国の元首! 我が国の大統領閣下、あの無能で無策で無思慮の塊の中年女よりも遥かに天上にいるんだ!」
イノーウィックも精神的に追い詰められていたのかもしれない。
そうでなければ、異国の地で自国の国家元首を貶すことなどなかった。
もしも、彼をこの状況に追い込んだ妖精族の長老が、彼のそんな精神状態さえも計算していたと知れば、イノーウィックは怒りを超えた感情を知ることになるかもしれない。
「さっき侍従の者に聞いた話では、皇妃アリア様が同道されている。お前はアリア様と世間話を……いや、料理の話でもしていろ、余計なことは言うな」
「えぇ……、折角皇妃様とお話できるのに……」
「分かった! お前には期待しない! 好きなだけ話せ」
「うわーい」
両手を上げて喜ぶ妻に、イノーウィックは頭を抱えざるをえない。
クラウディアは決して思慮に欠ける女ではない。ただその思慮が、余人の理解を遥かに超えるものであるだけだ。
大学と大学院時代、魔導工学に関する十を超える博士号を、まるで射的の景品のように獲得していたクラウディア。
国の宝とさえ言われていた彼女だが、いざ大学院を出てしまえば、荒唐無稽な理論をぶち上げる悪い意味での天才だった。
学会から爪弾きにされても気にせず、イノーウィックに新理論を語るだけで満足している。それではもったいないと思い、こうして魔導工学の先進国である皇国に足を伸ばしてみたが、思わぬ展開に陥ってしまった。
「とりあえず、全力で頭を下げる。九〇度で」
「直角だよ、それ」
「分かってるよ!」
いずれは相応の肩書きを持って顔を合わせたいと思っていた相手だ。この機会を幸運だと思い、存分に活かすしかない。
「――皇王陛下、準皇妃殿下、お着きです」
侍従官の声が部屋に響き、イノーウィックとクラウディアはそれぞれ緊張と期待に表情を変える。
「わーい」
「――俺ならできる、俺ならできる。思い出せ、ここは撮影所だ。俺はこれから演技をするんだ」
はしゃぐクラウディアと自己暗示を始めるイノーウィック。
十年後には大統領と大統領夫人になる夫婦の、とある昼下がりだった。
11
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。