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14話 石戸晴香:実習生

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 どうして日曜日の次は月曜日なのだろう。
 なぜ安息日の翌日に「よし、働くぞ」と思ったのだろう。
 これが俺には分からない。
 世界はその疑問に答えてはくれない。

 調べようとすると色々な文献を当たらないといけないだろうし、面倒くさいから、仕方なしに月曜日であることを受け入れてやっている。誠に遺憾ながらってやつだな。
 なーんて、思っていたわけだが。なんとなく、月曜日が来るわけを知った気がする。休日を停滞とするならば、きっと平日は漸進なのだ。物語の幕開けなのだ。

「今日から三週間、教育実習生の方が来てくれる。石戸くん、入って来たまえ」
「こんにちは。今日からお世話になります、石戸晴香いわとはるかです。高校時代は天文部に所属していました。これからよろしくお願いします」

 うちの学校はこの時期に実習生を受け入れる。正直ほとんど無関係な行事だったので忘れていたし、それが凡夫であればやはり気にならなかっただろう。だがしかし、実際にいらした石戸さんはとても美人で、ともすれば恋の予感のガウシアン。黒縁の眼鏡をしているがレンズによる歪みは殆どなく、髪が後ろ手に束ねられているのも教育実習生ということが理由なのだろう。
 内心テンションを上げていると、二つの視線を感じた。
 一つは小野寺。多分、デレデレするなとかそういう意図だと思う。それは分かる。問題はもう一つの方。

(……おれ?)

 実習生の石戸さんが、俺を一瞥した。
 そんな気がした。


 あなたは「神」を信じますか?
 なんて切り出すと、大体の人が嫌そうな顔をする。なんなら神道の家系の人でも「なに言ってんだコイツ」だとか「じぶん無神論なんで」だとか言っちゃう人もいるくらいだ。というより、事実、私がそうだった。

 私、石戸晴香が、その考えを改めることになったのは、私が大学生の頃。超越者たる存在と邂逅したときからだ。その日以来、私は、神の存在を確信している。

 きっかけは、些細なものだ。
 ある日の帰宅途中の事だ。私がいつものように電車に乗っていると、ふと不思議なことに気付いた。待てど暮らせど、全然次の駅がやってこないのだ。もうずっと、トンネルを走り続けている。
 ようやっと着いた駅で飛び出した。私は電車を飛び出した。降りる前に駅名のアナウンスがあった気がするが、だみ声にノイズを乗せたような音で、まったく聞き取れなかった。そこで私は、神様に出会った。

 神秘的。神々しい。
 そんな言葉がちゃちに思える、筆舌し難い超越者がそこにいた。その存在は、私に言った。

 ここは光の世界と呼ばれる場所で、私のいるべき世界ではない。
 私のような生者が立ち入るのは大罪である。
 罪は償わなければならない。
 その為の力をくれてやる。
 噛み砕くと、そんな内容だった。

 結果、私は理不尽な罪を着せられて、服役させられることになった。何年も、何年も。私はこれから、一生、慈善活動に励まなければいけないらしい。怠惰を勤勉に変え、憤怒に寛容を与え、傲慢が謙譲を覚えるようにしなければいけないらしい。

 何故私だけが。
 そう思ったが、口には出せなかった。結局、授かった力で世直し改革を続けている。だが、上手くいけば、それも今回で最後だ。神様直々に伝令があった。

『新里奏夜という青少年に、悪魔が憑りついた。これを祓え。さすればお主の罪も許そうぞ』

 私はその提案をのんだ。二つ返事で受け入れた。訳の分からない罪状で、一生を従事するなんてまっぴらごめんだ。新里奏夜という少年の居場所を聞くと、すぐに、授けられた【事象改変】の力で潜り込んだ。この時期の教育実習なんて少しおかしいけれど、まあ秋に実施する学校もなくはない。

 かるく、自己紹介を済ませて、ちらと新里奏夜の方を見る。
 置かれた状況も知らない、惚けた面があった。

(私のために、大人しく改心してくださいね、新里奏夜くん?)

 私はぺっこりんと頭を下げた。


 頭を上げた、教育実習生の石戸晴香を見て。
 俺の背筋に、ぞぞぞっと寒気が走った。

(おい、アスモデウス。アスモデウス!)

 こんなかわいい人に見られて立つのがチンコじゃなくトリハダなんて絶対おかしい。その違和感を確かめるべくアスモデウスに呼び掛けるが反応がない。

(くそっ何がどうなってやがるんだ)

 そういえば、ここ数日はずっとアスモデウスがそばにいたなと振り返る。俺が異性とちょめちょめできたのも、全部あいつがいたからだ。俺一人で、大丈夫なのか?

 石戸晴香が、教室の後ろで椅子に座る。
 ただ背後を取られたというだけなのに、本能的に逃げ出したくなった。まだ、教育実習は始まったばかりだ。

 SHRが終わると、俺はすぐに教室を飛び出した。
 叱られない程度に早足で、廊下を進む。違うクラスの教室を一つ二つ、三つ四つと通り過ぎ、男子トイレに駆け込んだ。だのに悪寒は治まらない。個室に駆け込み【結界】を使う。

「おい、アスモデウス。いるか?」

 半ば、賭けだった。
 もし、影の世界にもアスモデウスがいないなら、この得体のしれない恐怖に追われ続けることになる。知らないというのは恐ろしい。人が怪奇現象を恐れるのは、化学では証明できないからというが、それに似ていると思う。

「やー、びっくりしたね。奏夜」
「あ、アスモデウス……」

 最初の賭けには勝った。
 アスモデウスの姿を視認して、一息つく。どうやら影の世界に隠れていたようだ。鍵をかけ忘れた気がして家に帰ったらきちんとかけてた時並みに安心した。緊張が抜けて、体がほぐれる。

「なぁ、あいつはなんなんだ。蛇か何かか?」
「うーん、蛇はどちらかというと私たちだからねー。うん、鳥だね」
「鳥……?」

 蛇と称したのはもちろん、見つめられるだけで凍り付いてしまいそうになるからだが、もう一つ意味がある。それは悪魔と蛇の親和性からだ。アダムとイブのイブを唆したのが蛇であることからも分かるように、昔から蛇は忌み嫌われているらしい。その、ダブルミーニングで揶揄ったのだ。
 だが、返ってきた答えは鳥。
 あれは悪魔ではないということか。

「前にも少し言ったけどさ、君たち人間社会の中にも、私たちのような超常と契約してる存在はいるんだよ」
「そういえば、そんなこと言ってたな」

 確かあれは、俺が【催眠】に目覚めた朝のこと。
 アスモデウスは「私たちは別世界の住人だ」と言っていたし、その時に俺以外の契約者の存在に俺も思い至ったはずだ。なぜ今まで忘れていたんだ。

「その中でも彼女は厄介な部類だね。覚えているかい、奏夜。ここを表の世界とするならば、私と君が出会ったのは影の世界だと表現したよね。いわば彼女はその反対――光の世界の使者なのさ」
「はぁ? 光の世界?」

 聞きたいことは山ほどある。
 だが、時間はそれほど残されていない。SHRと一限目の間の休み時間なんて、あってないようなものだ。だというのに、話が大きくなり始めている。俺はアスモデウスに要点だけ話てくれと頼んだ。

「つまり、さ。彼女は君から私を祓いに来たのさ」

 頑張ってね、と。
 アスモデウスは最後にそう言った。


 授業中、生きた心地がしなかった。
 たびたび感じるこの寒気は、そのタイミングで彼女がこちらを見ているのだろう。まるで捕食者と被食者の関係だ。あぁ、だからアスモデウスは蛇と鳥で表したのか。猟師さん持ってこようぜ。俺オニ役な。

 ノートの端にメモを取ろうと思って、やっぱりやめた。
 どんな拍子で情報が洩れるか分からない。俺が特殊能力を持っているように、彼女も何らかの能力を持っていると考えていい。代わりに思考を巡らせ続けることにする。

 石戸晴香は俺が悪魔憑きだと知っている。
 彼女がいる限り、アスモデウスとは接触できない。
 彼女の目的は、アスモデウスを払うこと。
 この三つが、明確に分かっている事。

(させるかよ)

 ようやっと回ってきた運気だ。ここで手放せるはずがない。アスモデウスがいないと、新しい能力を獲得しても無に帰すだけだからな。なんとしてでも守り抜いて見せる。思考を止めるな。

 石戸晴香は、俺が能力を使っても気付けない。
 彼女は俺同様何らかの能力を持っている。
 この二つが、可能性として挙げられるポイント。

 前者は、俺がトイレで【結界】を使っても反応しなかったことからの推測だ。もし彼女が俺の能力を検知できるなら、トイレで待ち伏せしていてもおかしくなかった。だが実際には、ただ教室で待っていただけ。俺が影の世界に避難したことに気付いた様子は無かった。そうなると、だ。彼女は俺の事を監視できていない可能性も出て来るな。

(いや待て。彼女が気付けなかったとしても、超常の存在の方は何故それを彼女に知らせない?)

 一番しっくりくるのは、相手もこちらと同じ条件――つまり、身一つである可能性だ。それなら、まだいくらかやりようはあるか?

 背筋が、凍り付きそうだ。

 ――校内に、昼休みを告げるベルが鳴り響く。

 ちらっと小野寺の方を見て、俺は屋上に向かった。その後を、小野寺が追っかけてきた。ついでに、石戸晴香も。

 だが、石戸晴香だけはそれが叶わなかった。

「石戸せーんせっ。一緒に食べましょう!」
「えっ、あ、ご迷惑じゃないかしら……」
「ぜーんぜん! 一緒に食べましょう!!」
「あっ、わかった、わかったからひっぱらないでー」

 でかした、名前も知らんモブどもよ。
 いや、俺の方が地味なんだけどさ、とにかくグッジョブだ。これで石戸晴香の目を掻い潜れる。俺は少し駆け気味に、屋上に向かった。
 屋上に出てすぐに、小野寺も来る。

「新里くん! あんまりデレデレしちゃ、めっ! だよー!」
「おま、あれがデレデレしてるように見えたのか」

 そうか、あれがデレに見えるのか。だとしたら小野寺の目には世界平和が映っているのかもしれない。なるほど、世界ではなく、自分の見える景色を変える。その発想は無かった。

「まぁいいや。小野寺、俺だけを見てくれ」
「ひゃんっ、に、新里くん……!?」
「【俺との記憶を封印して、石戸晴香に付きまとって行動を制限しろ】」

 レベルの上がった催眠なんだ。これくらいの内容は通ってくれ。
 その願いが通じたのか、小野寺は虚ろな瞳をした後また教室に戻っていった。きっと石戸晴香と食事をとっていたグループに混じって話に花を咲かせるだろう。

「ふぅ、ひとまず、作戦タイムを確保できたな。【結界】と、アスモデウス!」
「やぁ。どうだい、調子は」
「情報が足りねぇ。詳しく聞かせてもらうぞ」

 いいつつ、俺は弁当箱を広げる。普段は味わって食べるそれも、今日はそんな余裕はない。かき込みつつ、アスモデウスに質問を投げかけていく。

「まず、光の世界ってなんだ」
「光の世界は、私たちと対を成す存在の住まう場所だね。彼らは自身を神と呼んでいるが、君たちの知識的には天使の方が近いかもしれないね」
「なら、便宜上天使と呼ぶとして、そいつらはこっちに出張って来てるのか?」
「来ないよ。彼らは光の世界以外を穢れた地だと考えているからね。まかり間違っても表の世界に来ることはない」
「次、【催眠】や【魅了】これらの能力は効くのか? 石戸が持っている能力はどんなのがある?」
「能力は基本的に効かないと考えてくれればいい。彼女が持っている能力が何かは分からないけれど、少なくとも事象に干渉する能力は持っているみたいだね。教育実習生なんて、この時期じゃないはずだろう?」
「あ、あれ?」

 言われて思い出す。
 そういえば、梅雨ごろにも教育実習生が来てた。
 なるほど、そういう感じの能力か。

「待て、こっちの能力は作用しないのにあっちの能力は作用するのか?」
「そりゃそうさ。私の能力は精神に干渉するのに対し、彼女の能力は事象に干渉するからね。ようは相性の問題さ」
「ちっ。で、お前が祓われるのはどういう条件だ?」
「ん? 助けてくれるのかい?」
「は? 当たり前だろ?」

 言ってから、少し後悔した。
 アスモデウスの顔が、ニチャアァと歪んだ。
 あぁ、こいつ。俺を利用する気まんまんだ。……いや、それは俺も同じか。一蓮托生、それが俺達じゃないか。俺の顔にも、うっすらと笑みが浮かぶ。

「まず、前提条件だけど、彼女には私が見える。そして私がいる座標に何らかのアクションを起こすことで浄化してくるはずさ」
「何らかのアクションって……いや、分からないのか」
「そう。奏夜の背後にいるのが数多くいる悪魔の一人であるように、彼女の背後にいる天使もまだ特定できていない。だけど、このタイミングで来たということはまず間違いなく奏夜を狙ってのことだろうね」
「だろうな。それで、お前は朝からこっちの世界に隠れてたわけか」

 オワタ式のゲームを好きだというのは少数派の意見だと思う。ましてそれが自分の命ならなおさらだ。アスモデウスの気持ちは良く分かる。

「これを回避するために、私たちは勝利しなければいけない」
「勝利条件は?」
「てっとり早いのは、彼女を殺す事なんだけどね。できればこれは取りたくない。あいつらに大義名分を与えることになるからね」
「安心しろ。俺も取りたくない」

 かるく殺すって単語が出てきたよ。こっわ。

「後はそうだね、彼女がいなくなるのを待つって方法もあるけど、これも取りたくないね」
「なんでだ」
「何度でも教育実習生として潜り込んでくる可能性があるからだよ」

 そうか。
 彼女には事象を改変する能力がある。
 決着がつくまで、この戦いは終わらない。

「となると、方法は一つだね」

 アスモデウスが、いい顔で笑った。
 その表情に、俺の全身の鳥肌が立つ。
 恐怖からじゃない。奮起からだ。

「――味方に引きずり込んじゃおう」

 アスモデウスが、艶っぽい声でそういう。
 唇はプルンと潤っていて、口紅が印象的だ。

「おいおい、無茶言うなよな。能力効かないって言ったのはお前じゃないか。どうやって味方に……」
「能力がきかないのは、あくまで基本的には、さ」

 アスモデウスのさらさらとした腕が、俺に向かって伸ばされる。その指先を俺の頭に突き立て、彼女は言う。

「本当は、君が成長するのを見ていたかったんだけどね。今回は特別さ。一つだけ、能力を解放してあげるよ」

 ぼぅっと、彼女の指に熱がこもる。その熱は俺を包み、脳から、脊椎を通って、やがて股間に至る。また股間か。

「【淫紋】の能力さ。効果はまあ、なんとなくわかるだろう?」
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