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9話 七咲と【魅了】

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 最悪な夢見だった。
 あまり寝た感覚がしない体に鞭打って、私はふらふらと起床した。目覚まし時計を見れば寝てから三時間も経っている。

(なんか、久しぶりに夢を見たなぁ)

 わたしが女優七咲飛鳥になって、もう両手で数えられなくなる。誰より努力した。疲れ果てた私の眠りは深く、夢を見る事なんてほとんどなかったが今日は見た。内容は覚えてないが、あまりいいものではなかった気がする。
 ふと、彼のことを思い出す。

(あの子の名前、なんだったかなぁ)

 何人もの子役が、やめていくのを見た。というより、子供の頃から知っている同年代の役者なんてほんの一握りだ。消えて行った人たちの事は、いつか風化する。だけど一人だけ、やめて行った子役の中で、忘れられない子がいた。

 役者は私の天職だと思った。誰にも負ける気がしなかった。そしてその予想は正しく、私は今、トップスターに輝いている。まぁ、そのうち消味期限が来て、数いる女優の一人に格下げされるんだろうけど、今は私が頂点だ。その頂点たる私を以てして、ただ一人、及ばないかもしれないと思った子がいた。彼の名前は、なんだっただろうか。

「と、こうしちゃいられない」

 女優七咲飛鳥に、一秒たりとも余された時間は無い。早く支度を整えて現場に向かおう。

 支度を追えて、マネージャーの車で現地入りする。午前の分の撮影を終えて、次の現場に向かう。車の中で台本を暗記していると、公園に着いた。
 ここでも撮影は行われるが、私の出番はまだ先だ。役を作った上で台本通りの台詞を出すためにイメトレを行う。マネージャーさんは助手席から作業用のノートパソコンを持って、嫌な顔一つせずに降りてくれた。

 静寂の中、役作りに集中した。


 夢から覚めた。

「どうしたんだい奏夜、鳩が豆鉄砲食ったような顔して」
「嫌な夢を見た」
「何をしたら悪夢になるのさ……」

 俺だって聞きたいよ。
 七咲の日程を把握したまでは良かった。その後のつまみ食いもまあいい。問題は最後だ。何故七咲の記憶に俺がいる? いや、正確に言えば俺ではなく昔の俺だが、そこはどうでもいい。大事なのは、七咲の思い人が俺という可能性だ。
 いや、でもあいつ、最初に俺を見た時に「だれ」って言ったんだぞ? 昔とは言え俺を好きなら、どうしてそうなる?

「……」

 手を握り、開いて、また閉じた。そういえば、子役を辞めて、もう十年以上経っている。面影を探す方が大変かもしれないな。

 俺は布団から出て、支度を整える。
 目的地は夢で確認したあの公園だ。今から行けばだいぶ余裕を持って到着できるだろう。

「あれ? 奏夜、どこに行くんだい?」
「どこってそりゃ、――女の子を堕とせるところさ」
「……へぇ?」

 アスモデウスは「面白そうだね」と言って、俺と一緒に自宅を後にした。さて、向かおうか。
 電車で長いこと揺られ、撮影現場に向かう。途中乗り換えを二度ほど行えば、昼前には目的の公園に辿り着いた。あとは彼女らが来るのを待つだけか。
 俺は彼女のマネージャーが夢の中で腰掛けていた椅子から、少し離れたところに腰掛けた。大体、パーソナルスペース二つ分くらい。まあ七咲の予想だから当たるかは別だが、考えなしに陣取るよりはいいだろう。

 スマホを開くと、珍しく着信が入っていた。相手は……小野寺だ。内容は「友達登録してなかったから気づけなかった」とかそういう言い訳と、謝罪文。それから今日、デートしないかというものだった。
 俺は謝る必要がないことと、今日は用事があってデート出来ない旨を返信した。女の子とメッセージのやり取りするなんて、凄い時代が来たものだ。ね?

 それからほどなくして、彼女らの車がやってきた。車窓にカーテンのついた、内部の見えない車から運転手が下りてくる。間違いない。夢で見た彼女のマネージャーだ。そのままこっちに向かって歩いて来て、夢と同じ場所に座った。

「あの、すみません」
「はい。なんでしょうか?」

 俺が声を掛けるが、マネさんはパソコンの画面に夢中で目を合わせてくれない。仕方がないので、俺は一度しゃがんで何かを拾うふりをした。俺の目の高さに手を上げて、準備は完了だ。

「これ、もしかして落としました?」
「え?」

 もちろん、俺の手には何も握られていない。なぜならこれは演技だから。俺が手をぱっと開くと、マネさんの視線が俺の瞳に誘導される。

「【お前の物は俺の物】いいな?」
「……はい」

 マネさんの瞳が、一瞬泥の様に淀んだ。光の無い眼で、ただ一言、肯定する。よし、掛かった。

「俺の車の鍵、返してくれる?」
「え、えーと……あ、はい! これですね! どうぞ!」
「ん、ありがと」

 マネさんは一瞬、俺の車の鍵が何を指しているのか分からず困惑した様子を見せた。しかしそれも少しの間の事で、すぐに齟齬は修正されマネさんの車の鍵を渡してくれる。七咲飛鳥が一人でいる、車の鍵をだ。
 俺は礼を言って、車に向かった。七咲の元へ向かった。リモコンキーの開錠スイッチを押し込むと、囚人を閉じ込める檻が解放される。一歩間違えれば捕まるのは俺だけどな。

 ガチャリと扉を開けて、何より早く七咲の口元をハンカチでふさいだ。

「もごっ!?」
「騒ぐな、静かにしろ」

 靴で車のドアを閉める。カチカチカチ、と、カッターナイフを出して、突きつける。一瞬衝撃の顔を浮かべた七咲だったが、すぐにキッと俺を睨みつけた。
 俺はカッターの先端を、俺自身の二の腕に突き付ける。ぷくりと、赤い血玉が出来た。

「っ!!?」
「おっと、静かにしろよ? その顔に傷が入ってもいいなら別だがな」

 七咲が強気になれたのは、カッターナイフが偽物だと思ったからだろう。だがあいにく、こいつは本物で、突き立てれば切れる。顔が命の女優なんざ、これ一本で十分だ。

「さて、こいつが本物だということを理解してもらったうえでだ。どうする? 俺の質問にイエスかノーかで答えられるならその口だけは解放してやるぜ?」
「っ!」

 七咲が大きく首を縦に振る。
 俺はハンカチを取り払い、代わりにカッターを彼女の前に突き出した。

「だ、だれなのよ。あなた」
「あれ? 覚えてない? 俺達会ったことあるんだけど」
「し、しらない! あなたのことなんて」
「えーショックだなぁ。ショック過ぎて、手元狂いそうだなぁ」

 そういい、俺はカッターを手の中で滑らせた。彼女の顔に落ちる、というところで掴み直す。

「……え、嘘。そんな」
「ん? 思い出してくれた?」
「夢、夢であなた」
「へぇ、よく思い出してくれたね。うれしいよ」

 夢が夢でなかったことに気付いた七咲の目が見開かれる。

「夢の世界は嬉しかっただろ? 傷つかないもので攻めてさ」
「……は、はい」
「それでさ、七咲。お前処女なんだろ? 俺にくれない?」
「っ!!」

 七咲が息を飲んだ。
 彼女にはイエスかノーかで答えるように言っているが、実際の選択肢ははイエスしか存在していない。なぜなら俺は狂人で、ノーと答えた瞬間にカッターを突きつけてくることが分かっているからだ。必然、彼女は黙るしか取れなくなる。

「なあに、今すぐとは言わないさ。今度時間が出来た時でいい。それならいいだろ?」
「……」
「おいおい、無視かよ。俺はさぁ、イエスかノーかで答えろって言ってんの。日本語分かる?」
「はい! はい! あげます! 私の処女あげます!」

 七咲の魂胆は丸見えだ。大きな声を出して、助けを求めたのだろう。まったく、そういうのを人は徒労と呼ぶんだよ。

「はっ、残念だったな。この手の車は完全防音なんだよ。俺がドアを閉めた時点で助けは来ねえよ」
「そ、そんな……」
「はぁ、それにしてもショックだなぁ。俺がこんなにお前のこと思ってるのに、そんな手を取られるなんてなぁ」
「やめ、やめて! この映画には億単位の予算が掛かってるの!」
「なら、どういう態度取るべきか分かるよな?」

 そういい、俺はカッターをペン回しするようにクルっと回す。切っ先が一回転して再び七咲に向く。七咲はこくこくと頷いだ。

「俺の恋人になってくれる?」
「や、そんな」
「嫌なの?」
「だって、そんなこと言ってなかった」

 俺はただ彼女の目をじっと見た。特に意図はないが、意図なんて相手が勝手に汲み取るものだ。逆に、無意味なものほど、得体のしれないものほど恐怖を増す。幽霊とか虫とか怖いじゃん、それと同じだ。

「わ、わかりました」
「なにが?」
「わ、わたしを、恋人にしてください」
「本当に? ならキスしてよ」

 そう言った瞬間、彼女がイヤイヤと首を振る。まるで幼児退行したかのよう。いや、役者である彼女は今、過去の自分に立ち返っていた。

「やだやだやだぁ! 助けて! 助けてよ! 新里くん・・・・!」
「あづっ!?」

 彼女が俺の名前を呼んだ時だった。
 不意に俺の胸に痛みが走った。三度目ともなれば流石に分かる。これは悪魔の能力が覚醒したときの痛みだ。

(おいアスモデウス、今度は何の能力だ)
「ふふっ、おめでとう奏夜。大当たりだよ」
(大当たり? それはつまり)
「あぁ、【魅了】だ」

 そう言い放つアスモデウス。だがしかしどういうことだ。俺は今回、【魅了】を必要としたわけではない。何かしら取得条件を間違えているのか?

(アスモデウス、【魅了】の使い方は?)
「簡単さ。範囲内で【魅了】を使おうとするだけ。今の君だとせいぜい50センチが限界かな」
(十分だ)

 カッター片手に、七咲ににじり寄る。確実に範囲に入った状態で、俺はスキルを発動した。

「あっ♥」

 効果は劇的だった。
 先ほどまで怯えていたはずの七咲の瞳が、熱を帯びる。瞳だけじゃない。声すらも甘ったるく、顔を上気させて甘い吐息を零している。

「もう一度聞くよ? 俺の恋人になってくれる?」
「んはあぁぁっ♥♥なるっ♥なりますぅ♥ならせてくださいっ♥♥」
「じゃあ、キスしてくれる?」
「するぅ♥♥んふぅ……じゅぶ……うふん♥♥んっ♥♥」

 先ほどまで嫌がっていたはずのキスすら、積極的に望む彼女。彼女が処女だからか、小野寺が上手すぎたのか分からないが、俺はもっと楽しみたかった。七咲の顎を掬い、主導権を奪い取る。

「んんんっ!? んふっ♥♥んんん……っ♥ぷはぁ♥♥あはぁすごいぃ♥♥知らなかった♥♥キスって、こんなに気持ち良かったんだっ♥♥」
「おいおい、今までだってそういう役、演じてきただろ?」
「演じてきたけど♥♥ぜんっぜんきもちよくなかったのぉ♥♥あはぁ♥みんな、こんな気持ちでやってたんだァ♥♥」
「良かったな、役に幅が出来たぞ!」
「んはぁっ♥♥よかった……よかったですぅ♥♥ご指導、ありがとうございますぅぅうっ♥♥♥♥」

 このまま犯してやりたいが、この後の撮影に悪影響を及ぼすわけにはいかない。さっきしれっと映画の予算が億って言ってたからな。さすがに俺もチキる。

「おい、七咲。お前ラインやってるか?」
「んひゃっ♥はいっ♥♥やってます♥♥」
「友達登録するぞ。今度時間が出来た時連絡入れて来い。その時、お前の処女を貰ってやるからな」
「あぁん♥分かりましたぁ♥♥撮影を巻きで終わらせてぇ、すぐ会いに行きますぅ♥♥♥♥」

 幸せそうな七咲が、俺を見ていた。
 人って変われば変わるもんなんだな。
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