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3 散策
3-8 帰着
しおりを挟む山荘の近くまで来ると荷車は止まった。来客の馬車のように、正面から入るわけにはいかなかったからだ。
「ありがとうございます、最高の乗り心地でした」
エヴァンが手を貸すより早く、アナイスは荷台から飛び降りた。アナイスに老人はにやりと笑った。
「どうもありがとう……」
エヴァンが言ったときにはは無表情のまま、彼は軽く手を挙げて応じた。
馬車寄せにはセドリックの馬車が止まっていた。馬車を降りたところでセドリックとジュリーが話し込んでいた。二人の距離はだいぶ近かった。
ジュリーがアナイスたちが戻ってきたのに気づいて手を振った。
「おかえりなさい」
ジュリーはアナイスに駆け寄った。アナイスもジュリーのもとに走って、お互いに再会を喜んだ。
近くでよく見ると、アナイスの格好はひどい有様だった。
帽子は失くしてしまっていた。結い上げた髪形は崩れていた。ドレスの背中は干し草にまみれ、手袋とスカートには泥。
ジュリーはあまり気にしなかったが、それを見たセドリックはうろたえた。アナイスと一緒に戻った友人に向かって言った。
「まさか、エヴァン、君……」
疑いの目を向けられて、エヴァンも驚いたように目を大きく見開いた。しかし彼が釈明するよりも早く、アナイスがきっぱりと言い切った。
「これは私が道で転んだせいなの。あなたが何を思ったかは知らないけれど」
アナイスはセドリックを睨んだ。
「それに彼は私の恩人よ。彼がいなかったら、私は首がしまって死ぬところだったんだから」
「そ、そうか……」
アナイスの強い態度に押されてセドリックは引き下がった。
命の恩人だとか何だとか、セドリックにはアナイスの言う意味は全く理解できなかった。しかし彼の心配するようなことがなかったのは確かだと、ほっと胸をなでおろした。
慌て、うろたえ、安堵する、忙しく表情を変えるセドリックを見てエヴァンは面白そうに笑った。
一方、アナイスは少しのさみしさを感じた。セドリックがまず気にかけたのはエヴァンのことであって、自分のことではないのだった。
「転んだ、だなんて。どこも怪我はないの?」
心配してくれたのはジュリーだった。
「ありがとう。なんともないわ。……ちょっと遊びすぎただけ」
いたずらめかして言うと、ジュリーはにっこりと笑ってアナイスの腕をとった。
「どこで遊んで来たの、次は私も連れて行ってね」
「もちろんよ」
アナイスも笑顔でジュリーに答えた。
四人は手を振って別れた。
「楽しい一日でした」
「さようなら」
「また明日」
「さようなら」
***
「聞いてほしいことがあるのだけど」
自分たちの部屋に戻るなり、アナイスはジュリーに言った。気持ちが鈍る前に言ってしまいたかった。
「私の恋は終わったの」
ジュリーは驚いたようにアナイスを見た。
「アナイス、そんな……」
「今日、分かったの。私、セドリックには、ただ単に、ちょっと憧れていただけで……、そんなに好きってわけじゃなかったの。簡単にあきらめられるような恋だったのよ」
言っているうちに声が震えてきたが、なんとか平静を保って言い切った。ジュリーの顔を見て笑顔を作った。
「だからもう、気にしないで。気を遣わないで」
「何て言ったらいいのか……」
ジュリーは困っていた。
アナイスはできるだけ明るく言った。
「いいのいいの。きっともっと、別の出会いがあるわ。今まで、応援してくれてて、ありがとう。ところでジュリー」
アナイスはそこで思い切って、訊いた。
「あなたは、セドリックを好きにならないの?」
「ええと、それは、……よくわからないの」
ジュリーは目を伏せた。何かを考えているようだった。
「素敵な方だとは思うのだけど、皆様に、それぞれ素敵なところがあるわけだし……」
煮え切らないジュリーの答えだった。
ジュリーに悪気がないのは知っている。
アナイスはそこではたと気づいた。ジュリーは博愛主義者で、誰のことをも、好きになれるのだ。ジュリーのことを愛して、気持ちを示してくれる人が現れれば、きっと彼女はその人に応えるのだろうと思った。
「それがジュリーのいいところね……」
アナイスは小さく言った。ため息をついた。
アナイスの恋は終わった。
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